すいゆう山歩会(さんぽかい)の記録K(2022年)

すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録K(2022年)

(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)

第95回 最明寺の滝から多田神社へ (兵庫県宝塚市・川西市) (幹事:大西)
2022年12月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/阪急宝塚線山本駅
[行程] 山本駅→最明寺滝→満願寺→多田神社→能勢電鉄多田駅(行程 8km)
     行程終了後、多田駅近くの「餃子の王将」で、年末の反省会開催を予定

第95回山歩会は、大西さんの幹事で、「最明寺の滝から多田神社へ」。阪急山本駅をスタートして、最明寺滝→満願寺→多田神社とたどって、能勢電鉄多田駅まで歩く全8Kmのコース。今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、源流となる「清和源氏発祥の地・多田神社」を訪ねるプランということです。
阪急宝塚線山本駅に10時に集合。参加者は大西、日野、香川、金澤、塩崎、稲葉、本間、伊藤、杉本、吉田の10人でした。

多田神社・阪急山本駅・ラジオ体操

多田神社・石畳のある渓流沿いの小道

駅北側ロータリーの舗道で恒例のラジオ体操をしたあと、住宅地を北に向かいました。
10数分歩いたところで住宅地が途切れて山中道になり、石畳が続く渓流沿いの小道を緩やかに上っていきました。















多田神社・大聖不動尊石門

10時半過ぎに「大聖不動尊」の看板がかけられた石門をくぐり、右に「最明寺」、左に「辰巳橋」と書かれた小さな赤い石橋を渡ると、「不動明王」と「下馬」と書かれた2本の石柱が立っていて、ここから先は最明寺の境内で、地元の人には「不動明王参道」と呼ばれているそうです。











多田神社・不動明王参道
そこから道は少しずつ上り坂の階段になっていて、5分ほど歩いたところで、道の両脇の樹々がなくなって磐座が姿を現し、その奥に最明寺の滝がありました。
多田神社・最明寺の滝・磐座

多田神社・最明寺の滝
滝を見ながら10分ほど休憩したあと、滝をバックに記念写真を撮り、満願寺を目指して再出発しました。

多田神社・井植山荘

途中、少しだけ寄り道をして三洋電機の創業者井植氏所有の「井植山荘」も見学しました。









多田神社・井植山荘

多田神社・満願寺石段
山荘から15分ほど歩いて、11時20分過ぎに神秀山満願寺南側の山門下の石段に到着しました。
満願寺は奈良時代に開創され、のちの968年(安和元年)に攝津守として多田の地に館を構えた源満仲が帰依したことから源氏一門の祈願所となり、大いに栄えたといいます。なお、満願寺に入る山門下の石段の数は、女性の厄年とされている33才に因んで33段になっていて、「女人厄除」の意味合いを持つものだそうです。

多田神社・満願寺山門(仁王門)
石段を上るとすぐ目の前に山門(仁王門)が姿を見せました。明治14年に建てられた山門は、一見中国風に見えるが、洋風を取り入れた建築様式で、全国的に珍しい、数少ない建築とのことです。
山門の両側に立っている仁王像は、鎌倉時代末期の作で、もともとは多田院南大門にあったものを、明治初年の神仏分離令によって、こちらに移転してきたものとのことです。その仁王像の前で、大西さんから詳しい説明を受けました。
多田神社・満願寺山門(仁王門)

多田神社・満願寺・坂田金時の墓

そこから参道をまっすぐ進んで金堂まで行き、金堂を右に折れて、まず、坂田金時の墓にお参りました。坂田金時(幼名金太郎)は956年に静岡県に生まれ、足柄山で熊と相撲をとったりしていましたが、20歳のときに源 頼光と出会って家来となり、頼光四天王の一人として大江山の鬼(酒呑童子)退治をしたことで有名。ちなみに、坂田金時は幼い時、いつも赤い顔をしていたということで赤い色の「金時豆」や「金時にんじん」に名を遺していますが、「きんぴらごぼう」は坂田金時の息子の金平に由来する、と伊藤さんから補足の説明がありました。
多田神社・坂田金時の墓

そのあと金堂まで戻り、金堂の西側にある弘法大師像や九重石塔の前を通り、三廟(源満仲の末子の美女丸、藤原仲光と、その子・幸寿丸のお墓)の前で大西さんから祀られた3人に関する詳しい説明を受け、12時10分前に金堂をバックに記念の写真を撮りました。(パソコン画面の右枠を右に広げると金堂の全景を見ることができます)
多田神社・満願寺金堂

多田神社・満願寺本坊門松

満願寺本坊の入口にはすでに門松が立てられ、新しい年を迎える用意がされていました。
















多田神社・満願寺せんじゅ桜の庭
金堂から少しだけ南に戻って、「せんじゅ桜の庭」と名付けられた庭園で、据えられた石や木の長椅子に腰かけて早めの昼食をとりました。
多田神社・満願寺せんじゅ桜の庭

多田神社・満願寺せんじゅ桜の庭

昼食を食べ始めたころから午前中差していた日が陰りはじめ、そうすると最高気温が10度の予報ゆえ、時折吹く風が肌を刺すように冷たく感じられ、昼食後、早々に歩行を再開しました。
12時半過ぎに金堂前まで戻り、先ほど説明を受けた「三廟」の横を通って「←満願寺 多田神社→」の案内板を目印に多田神社に向かう道を進んでいきました。
まもなく左手にゴルフ場が姿を現し、ゴルフ場を横に見ながら5分ほど歩いたところで墓地を挟んで二股に分かれる道があったので、迷いなく右に上っていきました。5分ほどたったところで、大西さんが「山道にしてはどうも道がよすぎる」ということで、インターネットの地図で確認すると、曲がり道を間違えたようで、今上ってきた坂道を下りました。そして、今度は二股道を左手にとって北に進み、しばらく行ったところで、「←多田神社 満願寺→」の案内板のあるゴルフ場脇の細い道に入っていくことができました。1時前になっていました。、
多田神社・満願寺せんじゅ桜の庭

山中道を10分ほど歩いたところで、広大な敷地に一戸建て住宅が整然と立ち並ぶ「湯山台」に足を踏み入れました。その住宅地の中を15分ほど歩いたあと、住宅地わきに立つ「←満願寺 多田神社→」の看板に従って狭い村中道に入ると、10分ほどで県道12号川西篠山線(新道)に差し掛かり、その県道をまたいで、さらに村中道を10分ほど歩くと、1時半ごろ、目の前に、石の鳥居越しに赤い欄干のある「御社橋」が姿を表わし、その奥に石段と南大門とを望むことできました。
多田神社・御社橋
多田神社は、10世紀後半に武家社会の基礎を築いた清和源氏の祖・源満仲が天禄元年(970)に建立した「多田院」に由来し、満仲没後、多田院に御廟が営まれたことから、清和源氏の系譜に連なる鎌倉・室町・江戸の歴代幕府から「源家祖廟の寺」として崇敬を受けるという歴史を持つが、その後、明治時代に廃仏毀釈によって神社に改められて「多田神社」となった、とのことです。
多田神社・南大門

多田神社・南大門

石段を上って、1時半過ぎに南大門をくぐると、遠く正面に拝殿が見えました。
門の両脇に吊り下げられた提灯には、源氏の旗印「笹りんどう」と徳川家の家紋の「三つ葉葵」とが仲良く並んでいました。
















参道沿い立てられた案内板に多田神社の全景図が描かれていて、その横には童謡「大江山の鬼退治」の歌詞が6番まで書かれていました。
多田神社・全景図

国指定文化財の隋神門をくぐると目の前に檜皮葺きの屋根を持つ拝殿が鎮座していました。
1時40分に、拝殿をバックに、パネルの後ろに並んで記念撮影をしました。
多田神社・拝殿バックに記念撮影

多田神社・全御本殿
拝殿の奥に、扉などの建具が金金具で装飾された国指定文化財の御本殿があり、以前、大西さんが訪れたときには本殿まで行くことができたということでしたが、今回は、残念ながら、拝殿と本殿の間には柵が巡らされていて、入ることはできませんでした。

多田神社・九頭竜伝説

そのあと、休憩所に戻り、休憩がてら、「源満仲公と三ツ矢の由来」のうちの「九頭竜伝説」を記した説明板の前で、大西さんからさらに詳しい話を聞いたあと、2時前に多田神社を後にしました。

















神社の南側を東西に走る県道130号多田停車場多田院線を東に向かい、真っすぐに20分ほど歩いたとこころで、能勢電鉄多田駅近くにある「餃子の王将」にたどり着くことができました。当初の予定では、そこで「反省会」を行う予定でしたが、なんと王将は満員で入れずに、代わりになる店を探す羽目になりました。さいわい、すぐ近くに空席のある店を見つけることができ、無事、反省会を行うことができました。吉田は、いつも通り、ひとり、マンホール旅を続けましたので、反省会のレポートは香川さんにお願いしました。

多田神社・反省会

以下香川記: 多田神社参拝後は恒例の「反省会」。当初予定していた「餃子の王将」には入れませんでしたが、国道173号線沿いに「a王」という店を見つけて入り、餃子を主体にビールと紹興酒を楽しみました。
我々のテーブルは、お墓の扱いなど地味なテーマで話し合いながら、おのおの、自分の将来に思いを馳せました。一方、大西さんたちのテーブルは、粋遊会本隊の2023年度新会長の塩崎さんに本隊会員募集の取り組みについての要望から、オカリナ会や、吟遊会の活動現況まで話は多岐にわたり、さらにスポーツ、コロナ、食べ物等々目まぐるしく展開していった、とのことです。
ともあれ、今年の山歩会は無事終了し、来年2月28日の山歩会での再会を約して、散会しました。
多田神社・反省会

関連記事:YAMAP>満願寺から多田神社・多太神社コース
関連記事:麿庵ブログ>関西御朱印 ブログ>満願寺 Vol.1 兵庫県川西市の忘れ物であった満願寺にようやく参拝しました
関連記事:多田神社 公式サイト
関連記事:歴史人物家系図 by 家系図作戦本舗>清和源氏の系図

第94回 甲山(かぶとやま)森林公園散策と甲山(標高319m)登山 (兵庫県西宮市) (幹事:日野)
2022年11月22日(火)
[集合時間/場所] 午前9時30分/阪急今津線仁川駅
[行程] 9:40 仁川駅スタート(体操)→10:30 仁川地滑り跡と資料館見学→11:00 森林公園東入口→公園内散策→12:30 甲山登山→山頂で休憩、昼食(40分)→13:20 北山貯水池散策→甲山大師神呪寺(かんのうじ)見学→15:00 甲陽園駅ゴール・解散

久しぶりの甲山登山です。2010年1月に粋遊会「本隊」で、幹事・大宅さんで「関西学院大学・甲山森林公園散策&“甲山大師”神呪寺初詣」を行っていますので、ほぼ13年ぶり。そのときは神呪寺までで甲山には登っていなかったので、山頂まで登るのは今回が初めてでした。
当日の集合場所は、幹事からの事前の「案内」にはただ「阪急今津線仁川駅」とありましたが、仁川駅には出口が東と西の両方あり、一般的には阪神競馬場がある東口が「表口」ですが、「駅の西方にある甲山に登るのだから、当然、西口」と思って西口を出たメンバーのほうが多かったですが、「ハズレ」で、正解は東口。幹事によると「豊中方面から宝塚駅経由で仁川駅に降りたホーム側のすぐ目の前にある出口だから」というのが東口が正解の理由でした。

甲山・阪急仁川駅前・体操
ともかく、東口前広場の一角でラジオ体操をして、9時48分に仁川駅前を出発しました。参加者は日野、金澤、大西、香川、吉田、伊藤、稲葉、本間、杉山、松石、塩崎の11人と今回から復帰の杉本さんの、合わせて12人でした。

甲山・仁川甲山・地すべり資料館

仁川駅南側の踏切を西に渡り、仁川左岸を上流に向かって歩き、しばらく行ったところで橋を渡り、そこから住宅地に入ってさらに西に向かいました。全員、不案内な道なので、自信のないまま先に進む感じでしたが、10時23分に、なんとか、最初の目的地「地すべり資料館」に着くことができました。

甲山・地すべり資料館
「地すべり資料館」は27年前の阪神淡路大震災によって仁川百合野町地区に起きた大規模な地すべりによってもたらされた甚大な災害の記録と教訓を後世に残すために、震災の翌々年に開館した防災学習施設でした。

甲山・地すべり資料館

館内は1階が「学ぼう!自然の恐ろしさ!」、2階が「土砂災害について知ろう!」というコーナーになっていて、地すべりが起きるメカニズムについて解説するパネルや、全国各地の災害危険度マップなどがたくさん展示されていて、また、全国各地で実際に起こったさまざまなタイプの地すべりのニュース映像を観ることができ、そのものすごいさまを観て、土砂災害の怖さを実感することができました。
関連記事:兵庫県>防災・安心・安全>防災>防災対策>仁川百合野町地区地すべり資料館

甲山・地すべり資料館
10時45分に資料館を出て、資料館前で記念の写真を撮ったあと、いったん南東方向に向かい、途中で今度は北西方向に向きを変えて坂道を上ると、上ヶ原浄水場北側の車道に出ました。
甲山・上ヶ原浄水場
経済産業省の近代化産業遺産(水道)に登録されている上ヶ原浄水場は、現在、PFI(民間資金を活用した社会資本整備)法に基づく事業方式による大掛かりな再整備等事業が行われていて、貯水されていませんでした。
関連記事:Ameba>生物浄化槽は素晴らしい>2009-01-26 上ヶ原浄水場(兵庫県神戸市・西宮市) 大正6年(1917)年から
関連記事:ウィキペディア>神戸水道

甲山 甲山・甲山大師町石
ゆるやかな坂になっている道を北西方向に向かって歩いていくと、道の両脇の樹々の一部が赤く色づいていました。
道の左手に、甲山大師に向かう「町石」が何基か立っていましたが、脇に添えられた説明板によると、13基あったはずの町石のうち何基かは「心ない者のために持ち去られたか、そのあとかたもない」とのことでした。
甲山

さらにしばらく歩いていき、11時過ぎにやっと森林公園の東入口にたどり着いたので、案内板を見ながら、現在地と、今後進むべき道の確認を行ったうえで、「軽登山道(Mountain Traile)」を北に向かって歩を進めていきました。
甲山・森林公園東入口

甲山・軽登山道

途中に展望台や大坂城再構築用石材採取跡に向かう分かれ道がありましたが、そちらに寄り道はせずに、記念広場を目指してまっすぐ進んでいきました。






甲山・軽登山道阪急

甲山・軽登山道
再び案内板があったので、コースを確かめ、左手に曲がると彫刻の道が延びていて、その先にはシンボルゾーンと名付けられた広い空間があり、中央に「愛の像」が建ち、その奥には甲山の山頂部が全容を現していました。

甲山・シンボルゾーン・愛の像
11時20分に「愛の像」をバックに記念撮影。後ろに見えるのが甲山の山頂です。

シンボルゾーンを北側に通り抜けたあと、当初の予定では、いろいろあるという「登山口」のうち、甲山の北東側にある登山口を目指して歩きましたが、なかなか見つけることができず、結局、いちばん整備されていて、わかりやすい「神呪寺裏側コース」をとることにし、神呪寺に向かうことになりました。

甲山・甲山大師 神呪寺
11時47分に甲山大師 神呪寺下に到着。
甲山・神呪寺展望台
長い石段を上り、境内にある展望台で眺望を楽しんだあと、しばらく休憩。すでに12時前になっていたので、「ここで昼食をとろう」という者もいましたが、「ご飯を食べると、そのあと歩く気がなくなるので、頑張って山頂に着いて、そこで食べよう」という声が圧倒して、12時前に登山を再開しました。

甲山・神呪寺登山道

大師堂の裏にある鳥居をくぐると登山道になっていて、急な坂道をしばらく登ったところで、道が二つに分かれ、左は少し急だが15分ほどで山頂に、右は比較的ゆるやかなジグザグ道だが30分ほどかかる、ということでしたが、日野、金澤、大西、香川、伊藤、松石、稲葉、吉田の6人は左の急坂コースを選び、残りの4人はジグザクゆるやかコースをとることになりました。
急坂組は12時20分に山頂に到着。山頂はテニスコートが何面も入るほどの広い芝生の広場になっていて、周りを木々に囲まれているので眺望には恵まれないものの、ゆったりとできる場所でした。
甲山・山頂
先着組は、残り4人が到着するまで食事するのを待とうとしましたが、約1名がフライングして食べ始めてしまったので、残りの者もあとに続くことに。結局、全員が揃ったのは、それから15分ほどもあとのことでした。

甲山・山頂

全員が食事を終えたあとも、雑談を楽しみ、のんびり過ごしていたところ、午前中はよく晴れていた上空を少しずつ雲が覆いはじめ、陽が陰ると、山を登るときにかいた汗が冷えて、少し肌寒く感じるようになってきたので、1時過ぎ、そろそろ下山することになりました。
甲山・山頂二等三角点
その前に、せっかくだからと、「二等三角点」の前で記念撮影しましたが、下山ルートを探しに先に出かけた3人は残念ながら写真に入ることができませんでいした。

甲山・軽登山道

西方向に下る軽登山道はかなり急な階段の坂道で、前夜の雨で少しぬかるんでいるところもあったので、滑らないように気をつけながら下りていきました。












1時20分ごろ、甲山自然観察池に到着。13年前の粋遊会本隊の時に撮ったのと同じ場所で記念の写真を撮りました。
甲山・甲山自然観察池

甲山・神呪寺山門
甲山自然観察池からは甲山大師道(車道)を通り、しばらく歩くと先ほど通った神呪寺の階段下にたどり着きました。そこから今度は南に下り、1時40分過ぎに神呪寺の山門をくぐり、市街地を目指して「甲山大師道」を下りていきました。
甲山・大師道・柿の木
大師道わきの畑の向こうに見える樹々の中に、数百の実をつけた見事な柿の木が立っていて、みな、感嘆の声を上げ、深まりゆく秋に感謝しながら通りすぎました。

甲山・甲陽園・ケーキハウス ツマガリ

しばらく歩くと住宅地に入り、さらに下るとバス道の「甲陽園通り」に出たので、そこから西に折れて、駅に向かいました。途中数名は、洋菓子店で名高い「ケーキハウス ツマガリ」に立ち寄り、15分以上行列に並んで甲陽園本店でしか売っていないシュークリーム(焼きたて!)をお土産に買い求めました。残りのメンバーは先に甲陽園駅に行き、ツマガリ組が合流するまで待って、2時45分に駅前で解散しました。
有志数名は、杉本さんの「おかえりなさい会」を行うため、阪急豊中駅前の行きつけの居酒屋「ラッキー」を目指しました。
吉田は、いつも通り、電車に乗る皆と別れて、駅の西側の高台を通って越木岩神社まで足を延ばし、南方の住宅地の中を日が暮れるまで徘徊してマンホールの蓋の写真を撮り、5時前に夙川駅にたどり着きました。

関連記事:甲山森林公園>ハイキングマップ>仁川・甲東園方面〜県立甲山森林公園 ハイキングマップ
関連記事:甲山森林公園>甲山森林公園パンフレット>兵庫県立都市公園 甲山森林公園マップ

第93回 奈良の“きたまち”を歩く (幹事:松石)
2022年10月25日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/近鉄奈良駅 東改札口(地下1階)
[行程] 10:00 近鉄奈良駅 出発 → 春日大社 → 南大門 → 東大寺 → 手向山八幡宮 → 二月堂 → 正倉院(見学予定) → 12:00ごろ 正倉院近くの芝生広場で昼食 → 12:45ごろ 出発 → 転害門 → 向出醤油醸造元 → 北山十八間戸 → 旧奈良監獄 → 聖武天皇陵&光明皇后陵 → 奈良女子大学記念館 → 15:00から15:30ごろ 近鉄奈良駅で解散 (歩行距離 約12q、時間は目安です)

10時に近鉄奈良駅地下1階東改札口前に集合。松石、伊藤、吉田、杉山、金沢、日野、大西、稲葉、本間、塩崎の10人が参加。香川さんは前回に続いて体調不良で欠席でした。

奈良市きたまち散策・近鉄奈良駅前
駅前の行基像の前で松石さんが本日の行程を説明、そのあと、東向商店街から興福寺の境内を通って、春日大社へと向かいました。

奈良市きたまち散策・興福寺北円堂秋季特別開扉
興福寺北円堂はちょうど秋季の「特別開扉」中で、運慶晩年の傑作・弥勒如来像(国宝)などの秘宝・秘仏 特別開帳されているというポスターに足を止めて、見入りました。
(写真正面左の建物は2018年に再建された中金堂
関連記事:Hatena Blog 仏教、ときどきワンダー観光>お寺の仏像>【奈良】興福寺 北円堂(春・秋に開扉) - 「無著・世親菩薩」は何度観ても感動

奈良市きたまち散策・興福寺五重塔

興福寺五重塔は、屋根の全面葺き替えなどの大規模修理のため、来年1月には修理現場を覆う「素屋根」がかけられるので、修理工事が終わる予定の2030年3月までその雄姿を見ることができなくなります。











奈良市きたまち散策・三条通り
いったん三条通りに出て、そこから東に向かいました。

奈良市きたまち散策・春日大社一の鳥居 奈良市きたまち散策・春日大社
一の鳥居をくぐるとそこは春日大社の神域で、鬱蒼と茂る木々が荘厳な気配を漂わせていました。

奈良市きたまち散策・大坂白鹿社神鹿像

奈良市きたまち散策・大坂白鹿社神鹿像

表参道を入って20分ほど歩くと二の鳥居が姿を見せ、そこをくぐると左手に大坂白鹿社の「伏鹿手水所」があり、「神牛」ならぬ「神鹿像」が珍しく、その前で記念の写真を撮りました。
関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社伏鹿手水所】鹿のモチーフから流れ出る水で身を清める




奈良市きたまち散策・春日大社
石段を上って、南門をくぐると、そこが参拝所です。

奈良市きたまち散策・参拝所

奈良市きたまち散策・参拝所

檜皮葺の屋根をもつ参拝所は、東側2間が幣殿(へいでん)、西側3間が舞殿(ぶでん)の名をもち、春日大社の例祭「春日祭」の際には本来の、重要な儀式を行う場所になるそうです。
関連記事:春日大社>幣殿・舞殿




奈良市きたまち散策・春日大社回廊

春日大社にお参りしたあと、朱塗りの回廊を通り、そこから当初は南大門・東大寺に向かう予定でしたが、当初の予定より遅れていたのと、「天気がよいので若草山の素晴らしい眺めが望めるコースに」との松石さんの配慮で、若草山西側山麓道路に出て二月堂に向かうことになりました。













奈良市きたまち散策・春日大社回廊
回廊にはさまざまな時代に寄進された「釣燈籠」が吊り下げられていましたが、その数は1,000基にものぼるということです。 関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社回廊】本殿一帯を取り囲む建物には美しい燈籠がずらりと並ぶ

奈良市きたまち散策・若草山










若草山をバックに記念の写真を撮りましたが、残念ながら、かなりピンボケになりました。

奈良市きたまち散策・若草山

奈良市きたまち散策・古梅園製墨

奈良市きたまち散策・古梅園製墨

二月堂に向かう道すがら、古梅園製墨の前で松石さんから説明を受けました。古梅園は、今から445年前の天正5年(1577年)に南都で製墨業を始めたという歴史をもつ由緒あるお店です。
関連記事:古梅園



奈良市きたまち散策・手向山八幡宮

奈良市きたまち散策・古梅園製墨

途中、手向山八幡宮 拝殿にもお参りしました。














そのあと、旧暦2月にお水取り(修二会)が行われる二月堂にお参りしました。
奈良市きたまち散策・二月堂

奈良市きたまち散策・二月堂

奈良市きたまち散策・二月堂

奈良市きたまち散策・二月堂裏参道
二月堂にお参りしたあと、「二月堂裏参道」と呼ばれる土塀や石垣に囲まれた風情のある石畳の坂道を下り、正倉院に向かいました。
関連記事: 奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【二月堂裏参道】土塀に囲まれた美しく静かな「石畳」の道

奈良市きたまち散策・龍松院南側
東大寺塔頭 龍松院の南側の道路沿いに歩を進めていきました。秋の日差しを浴びて、足取りも軽やかです。

奈良市きたまち散策・正倉院
正倉院に入り、「正倉」外構をバックに記念写真。こちらも、残念ながら、かなりピンボケです。
関連記事:宮内庁>参賀・参観・申込>正倉院「正倉」外構
関連記事:初音の桐箪笥 株式会社 田中家具製作所>社長ブログ>東大寺 正倉院 「正倉」の豪壮な構えと端正な姿は必見です。

奈良市きたまち散策・宮内庁マンホール奈良市きたまち散策・宮内庁マンホール






正倉院は宮内庁の管轄なので、道のあちこちに「宮」という宮内庁を示すマーク入りのマンホールが設置されていました。


奈良市きたまち散策・芝生広場
まだ12時前でしたが、正倉院南側の芝生広場で昼食をとりました。この場所は大仏殿の北側にあたるところで、2011年5月に粋遊会の“本隊”で、金澤さんの幹事で「自然観察ガイドと歩く「奈良公園の自然」」を実施したときも、この場所で昼食をとったことを懐かしく思い出します。
食事のあと、約2名がトイレに行きたくなって周囲を探しましたが、近くにトイレはないみたいで、しかたなく、全員、昼食後早々に芝生広場をあとにして、トイレのある場所を目指して出発することになりました。

奈良市きたまち散策・轉害門
芝生広場から西に5分ほど歩き、松石さんが卒業した鼓阪(つざか)小学校 の南側を通ると轉害門(てがいもん)が姿を現し、その横を通り抜けて轉害門西側の芝生の北西隅にある「奈良市きたまち転害門観光案内所」でトイレをお借りしました。
関連記事:FC2ブログ>自然に誘われて>轉害門

奈良市きたまち散策・轉害門
松石さんは観光案内所の方と鼓阪小など昔話を楽しまれていました。

トイレ休憩のあと、転害門から西に5分ほど行ったところで右に折れ、北西方向に向きを変え、途中、今年3月に川沿いに花見を楽しんだ佐保川の上流にかかる若草橋を渡り、そこから急な坂道を上って若草中学校(多聞城跡)の正門前にたどりつきました。

奈良市きたまち散策・若草中学校正門前・多聞城跡
若草中学校正門前で「多聞城跡」の説明板に付された航空写真でこれから向かうグラウンドとの位置関係を確認する松石さん。
関連記事:奈良県歴史文化資源データベース いかす・なら>深める>奈良の城>多聞城

松石さんの最初の予定では、ご自身が昔、そうしたように、若草中学校の中に入り、その奥にある若草中グラウンドを突っ切って、その北側にある旧奈良監獄に向かうことになっていましたが、昔と違って今は学校の敷地内に許可なく入ることはできず、しかたなく、元来た道を途中まで下り、学校の東側の住宅地を通り抜け、グラウンドの東側の道に沿って北に向かいました。
途中で二手に分かれてしまいましたが、松石組は予定通り「北山十八軒戸」に立ち寄りました。北山十八軒戸は、昔は建物の近くまで近寄れたようですが、今は、金網に囲まれて敷地内に入れず、外から眺めるだけでした。
関連記事:あおによし>史跡>北山十八軒戸

奈良市きたまち散策・旧奈良監獄
ゆるやかな坂道を上ると左手に背の高い煉瓦塀が長く続き、そこが旧奈良監獄で、塀の高さは4.5mということでした。

奈良市きたまち散策・旧奈良監獄















西洋の城門風の表門の前で記念写真を撮りました。1908年(明治41年)に建てられた旧奈良監獄は老朽化などにより2017年に廃庁(閉鎖)となりましたが、星野リゾートによって、2025年3月に「監獄ホテル」に生まれ変わることになっています。
奈良市きたまち散策・旧奈良監獄

記念写真のあと、坂を下りて、塀の南東角で右に折れ、塀の南側の道路を西に進み、少し行ったところで左に曲がりました。そして、若草中学校の北側にあたる道沿いに南に向かい、かなり歩いたところで法蓮郵便局北側にある聖武天皇陵の入口に着き、聖武天皇陵とそのお后の仁正皇后陵とにお参りしました。
関連記事:城とか陵墓とか>聖武天皇陵
関連記事:城とか陵墓とか>仁正皇后陵
奈良市きたまち散策・聖武天皇陵

奈良市きたまち散策・聖武天皇陵

写真上奥が聖武天皇陵。
写真左が仁正皇后(通称光明皇后)陵です。

















そのあと、帰路につき、近鉄奈良駅を目指して南に向かい、途中、奈良女子大の前を通り、鍋屋町の初宮神社境内で行われていたミニバザール(5のつく日に行われる初宮五縁市)に立ち寄ったりしながら、予定より1時間早く、2時前に近鉄奈良駅に戻りつきました。出発地点の行基像の前で解散したあと、近鉄奈良駅地階の改札前商店街で、杉山さんが朝の集合前にリサーチして「午後2時開店」をチェックしていた立ち飲み居酒屋「蔵元 豊祝」で反省会を行いました。

当日の奈良の気温は、朝は10度を下回る寒さでしたが、日中は20度を超え、うっすら汗をかくほどの陽気でしたが、深まる秋の気配を感じながらの、さわやかで気持ちのいい奈良半日旅を満喫することができました。また、古都奈良のさまざまな時代の歴史に触れることもできました。小・中・高校期を奈良市内で過ごされ、「奈良きたまち」にお詳しい松石さんならではの好企画で、松石さんに感謝です。ちなみに、松石さんのご先祖は江戸時代に奈良で創業された油屋とのことです。

関連記事:「資料:訪問する主な施設、建物、店」」(松石正克作成)

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第92回 西国街道 大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コースハイキング (幹事:稲葉)
2022年9月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時半/阪急茨木市駅西口改札前
[行程] 茨木市駅前 10:48―(阪急バス)→郡バス停 11:06(料金220円)→郡バス停周辺(王将または吉野家)で早めの食事。食事後、国道171号線から西国街道に入り、郡山宿本陣跡→小野原(旧街道の面影がある)→箕面に入り、萱野三平邸跡ほか、街道沿いの高札跡・塚・本陣跡など、昔の参勤交代がたどった道を散策。最終、阪急桜井駅周辺を見て解散の予定。(徒歩11km)

10時半に阪急京都線茨木市駅北側「西口」改札前に集合。日野、吉田、金澤、大西、伊藤、塩崎、稲葉、本間の8名が参加。香川さんと松石さんのおふたりが体調不良などで欠席でした。
茨木市駅西口から阪急バスに乗車。インターネットの天気予報で大阪府は、昨夜までの「正午から雨」が、今朝になって「午後3時から雨」、「正午〜3時は曇り」に変わっていたので、早めに切り上げれば、なんとか雨に降られずにすみそうな感じでした。幹事の当初の予定では、郡バス停で降りて、「王将」か「吉野家」で早めの昼食を考えていたようですが、「午後から雨の予報なので、ともかく先にできるだけ歩こう。食事は雨が降り出してからでもできる」ということで、ひとつ先の中河原南口でバスを降り、国道171号線沿いに西に歩いて、下井町信号から西国街道に入り、11時過ぎに西国街道歩きを開始しました。うろこ雲が浮かぶ空には太陽も時折、顔をのぞかせていました。
西国街道・下井町信号 西国街道・國道第三號路線道標
写真右は下井町信号から西国街道に入って300mほどの、宿川原町1丁目の北角(三叉路)に立っている道標(石標)。東西に走る西国街道と南に延びる道祖本街道とが交差する場所で、道標の南西面に「茨木街道」、北西面に「國道第三號路線」の文字が読み取れました。(写真は北西面)
西国街道
西国街道はきれいに舗装されていて、道幅もかなりありましたが、往時の道幅はもっと狭かったのではないかと思います。ちなみに、西国街道の道幅は「2間半(約4.5m)」という説が有力なようです。→関連記事:中国新聞デジタル>こちら編集局です あなたの声から>西国街道の道幅は「街歩きマップや説明板には2間半(約4・5メートル」

西国街道・郡山宿本陣
 国指定史跡「郡山宿本陣(椿の本陣)」前で記念撮影。

西国街道・郡山宿本陣

郡山宿本陣の説明板には「京都と西宮を結ぶ西国街道沿いには、かつて山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の五つの宿駅があり、郡山宿本陣は、その中央にあって重要な役割を果たしていました」とありました。


西国街道・カゴメジュース各種配布

郡山宿本陣前で、幹事の稲葉さん(元カゴメ社員)が持参のバッグからカゴメジュース各種を取り出して、全員に2本ずつ配布。パインジュース、王林など、主に贈答用の詰め合わせに用いられる製品で、自販機では販売されてなくて、みんな初めて味わう味で、とてもおいしいと好評でした。













西国街道・彼岸花

西国街道・彼岸花聴診器

郡山宿本陣から15分ほど歩いて勝尾寺川にかかる山下橋を渡ると、豊川2丁目あたりの道の両側はまだ田畑が残っていて、土手の彼岸花がちょうど満開だったので、彼岸花と一緒に記念撮影しました。吉田は、その彼岸花の1本を手折り、茎を器用に交互に折って「聴診器」を作り、子ども時代の遊びを再現して、みんなに披露しました。みんなは、そんな遊びはしたことがないと言いましたが、彼岸花が自生する土地では当たり前に見られた子どもの遊びではないでしょうか。 →関連記事:FC2ブログ>晴れのち晴れの写真生活>花の首飾り・・彼岸花



さらに15分ほど歩き、大阪モノレール彩都線の豊川駅の南側を西に進むと、足元のマンホールのデザインが茨木市から箕面市に変わっていました。

西国街道・小野原東公園
豊川駅南側の信号から西に15分ほど歩いたところで、正午を過ぎ、道端に屋根つきのベンチがある公園(小野原東公園)を見つけて、そこに座り込んで、しばらく休憩しました。

10分ほど休憩したあと、歩行を再開したところ、公園のすぐ西側に春日神社御旅所がありました。小野原春日神社のお祭りの際にお神輿が立ち寄る場所とのことです。
西国街道・春日神社御旅所 西国街道・春日神社御旅所

西国街道・ビオトーブ

小野原地区の御旅所西側の西国街道には古い町並みがまだ残っていて、道の両側に大きなお屋敷が建ち並んでいましたが、表札の多くが「笹川」姓でした。あの笹川良一氏と何か関係があるのだろうかと噂しながら足を進めましたが、家に帰って、インターネットで調べてみると、小野原地区はまさに日本船舶振興会の笹川良一氏が生まれ育ったところでした。

左の写真は、小野原地区のとあるお屋敷の門前の小庭の芝生に配された庭石の間に埋められた甕の中(ビオトーブ)で姫睡蓮が清楚に花開いていたので、思わずパチリ!

御旅所から20分ほど歩いたところで、昼食をとる店を探すべく、いったん国道に出ました。すぐ前方に「王将」の看板が目に入ったので、足を急がせましたが、時分時とあって、店内入口にウェイティング客が込み合っていましたので、諦め、勝尾寺口バス停前にラーメン屋があったはずと前に進むと、「河童本舗」というラーメン店がありました。

西国街道・河童本舗

少し待てば座れそうということで入店し、12時半すぎにやっとテーブルにつき、昼食にありつくことができました。
「河童ラーメン(濃いめ、あっさり)」は税込み800円。運ばれてきたラーメンは細麺の分量がやや少なく、これで800円は少し高いかなと思いましたが、「替え玉」が無料で、その替え玉が元の麺よりも多く感じる分量で、これで800円、さらに揚げにんにく3粒がつき、キムチも無料とあっては、ほぼ満席なのも納得でした。




全員、おなか一杯になって、なかなか立ち上げることができず、降り出すかもしれない雨のことも忘れ、店内でゆっくりくつろいだあと、1時20分にやっと重い腰を上げて、街道歩きを再開しました。

以前(2021年6月、本間さん幹事の「ブラリ勝尾寺街道」)通ったことがある箕面墓地公園の北側を通り、今宮、西宿と通過して、2時前に萱野交差点に出たところで、本日の街道旅をいったん終了。帰りを千里中央に向かうグループ、阪急箕面駅を目指すグループ、それに、そのまま萱野三平邸跡まで西国街道歩きを続けるグループの3班に分かれて、いったん解散しました。

西国街道歩きを続けるグループは稲葉、金澤、吉田の3人だけになりましたが、再び歩き始めて間もなく大粒の雨が降り出しました。でも、その雨も数分で小やみになり、解散地点から10分ばかり歩いて萱野三平邸跡に着き、以前より整備されてきれいになった邸跡に入って、家屋敷をゆっくり見学し、そのあと今日二度目の「解散」をして、それぞれ帰路につきました。

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第91回 近鉄てくてくまっぷ 恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング(大阪府八尾市&奈良県三郷町&平群町)(幹事:吉田)
2022年7月26日(火)
[集合時間/場所] 午前9時/JR大阪駅中央改札口前
[行程] 〔行き〕 〔電車〕 9:16 JR大阪駅―(天王寺行)→9:32 鶴橋駅(乗り換え)9:39 近鉄鶴橋
 駅―(大阪線準急・五位堂行)→9:53 高安駅 9:55―(大阪線・大和朝倉行)→9:56恩智駅
〔徒歩〕10:00 恩智駅出発→10:11 恩智神社鳥居→10:20 石段→10:25 恩智神社左横から登り道
 →10:30 山道開始→10:36 高安山分岐→10:54 竹林→10:57 ベンチ→11:07「左・恩智峠」&
 「右・おおさか環状自然歩道」道標→11:08 高安山方面分岐→11:10 車道をくぐると左手に高安
 山霊園→11:25 車道(4差路)に出る(近くにWCあり)ので、左手の緩やかな下りを進む→11:32
 右手に池→11:37 石灯籠2基と丁石(二十五丁信貴山)→11:39 道標のない分岐点で左側の下
 りの脇道を進む→11:42 左手に地蔵尊→11:45 (左)信貴生駒スカイライン料金所、(右)信貴山
 門バス停→11:51 開運橋→11:58 鳥居→12:08 朝護孫子寺本堂(朝護孫子寺のどこかで昼食)
 (※ ここまで 「YamaReco:信貴山(恩智駅〜恩智神社〜朝護孫子寺〜信貴山頂上〜信貴山下
 駅)」を参考にしました)
(下り) 13:00 信貴山観光センター→13:02 仁王門→13:12ケーブル跡ハイキング道→13:27 ケー
 ブル跡終点→13:43 近鉄信貴山下駅(途中で何度か休憩をはさみますので、実際には3時ごろ
 に到着の予定です)
〔帰り〕 〔電車〕 15:16 近鉄信貴山下駅―(生駒線・王寺行)→15:18 王寺駅(乗り換え)15:30 JR
 王寺駅―(大和路快速・天王寺行)→16:07 大阪駅

9時にJR大阪駅中央改札前に集合。金澤、香川、大西、吉田、日野、稲葉、本間、塩崎、伊藤の9人が参加。松石さんは「この夏始めた座禅を優先するので」と欠席されました。
大阪駅からJRに乗り、鶴橋駅で近鉄に乗り換えた際に駅員に訊いて、予定していた準急五位堂行には乗車せずに、乗り換えのない大和朝倉行普通電車に乗り、10時前に恩智駅に着きました。

恩智駅を降りて線路の東側を南に歩くと、すぐに恩智街道に出ました。東に向きを変えて、恩智川にかかる母木橋を渡ると、民家の間を縫うように恩智神社に続く参詣道が伸びていました。正面には高安山(488m)のなだらかな稜線が姿を見せていました。

恩智街道・恩智神社鳥居

恩智街道・恩智神社鳥居

恩智街道が東高野街道と交差する四辻の東側にそびえ立つ大きな石の鳥居をくぐると、参道の坂道は少しずつ傾斜を増していきました。当日は晴天で、そのうえ明け方に28度を記録し、恩智駅を降りたあたりでおそらく30度を超える暑さになっていたはずで、炎天下、全員、この時点で、すでにバテ気味になっていました。
鳥居からの坂道を10分ほど登ったところで、131段の長く急な石段が目の前に姿を現し、石段下で、みな、へたり込んでしまいました。「この石段を登ると、あとは急な坂道はありません」という幹事(吉田)にうながされて、休み休みしながらも、なんとか全員、急な石段を登っていきました。(※ 石段を登るのに精いっぱいで、肝心の石段の写真が撮れていません(´Д⊂ヽ

恩智神社
ほうほうのていで石段を登りきると、正面に平成12年に建て替えられた拝殿が出迎えてくれましたが、境内の一角にベンチが置かれていたのを見つけて、「参拝よりも、なにはさておき休憩」とベンチに座り、ホッと一息。そのあと、境内の水道の冷たい水をいただいたりしながら、ゆっくり、のんびり休憩しました。
恩智神社
休憩中、塩崎さんは、本殿前で掃除をされていたご住職にいろいろ質問して、恩智神社の由緒ある歴史について説明を受けていました。なんでも、当神社は、大和時代(470年頃)の創建で、およそ1500年余の歴史をもつ古社で、奈良の春日大社に負けず劣らずの格式をもつ河内全域の総氏神とのことのようです。
恩智神社
右手に見える山は高安山。

恩智越・ボタンクサギ

たっぷりと休憩をとり、汗も引き、少しは元気が出てきたところで、予定より30分ほど遅れで、11時前に神社の左横手を通って山道に出て、ハイキングを再開しました。ボタンクサギ がちょうど見ごろを迎えていました。





恩智越

高安山分岐を過ぎたあたりから、左右にくねくね曲がる山道は、「急な坂道」ではないにしても、やはり少しずつ登っていて、かなり体力を消耗し、途中、何度も何度も水飲み休憩をとりながら前に進んでいきました。
















恩智神社

12時半に、やっと、目印となる恩智峠の道標脇を通過。予定より1時間以上遅れで、恩智神社から40分のところを1時間以上かかってしまったことになりました。ただ、恩智峠を越えれば、「登り」は終わり。あと30分ほどで「農業公園 信貴山のどか村」に着くことができ、そこで昼食をとることにして、ホッと一息をつきながら左に曲がっていきました。








農業公園 信貴山のどか村



高安山方面分岐を過ぎ、 車道をくぐり、左手に高安山霊園を見ながらさらに進んで、1時前に、やっと「のどか村」南西角の車道に出ることができました。そこから「のどか村」の入口まで歩き、駐車場脇のベンチのある小公園で遅めの昼食をとりながら、ゆっくり休憩をしました。

農業公園 信貴山のどか村

農業公園 信貴山のどか村
昼食後、1時40分にハイキングを再開。南畑集落に向かう車道は遮るものがなく、もはやあきらめの境地で、陽に照らされながら歩を進めていきました。

車道を10分ほど歩いたところで南畑集落に入り、信貴山朝護孫子寺を目指しましたが、途中、村中道が左右に分岐しているところがいくつもあって、そのうちのひとつの「道標のない分岐点で左側の下りの脇道を進む」べきところを、左に下らずに、まっすぐ進んでしまっていました。道の右側にあるはずの「旅亭 十三屋」の建物がかなり離れた左手に見えたところで、コースを間違って進んでいることに気づきました。そこで、いったん進行を止めて、全員でコースの再確認をすべきでしたが、「やまっぷ」搭載のスマホを手にした大西さんがズンズン先へ進んでいくので、止めるタイミングを失ったまま、かなり前に進んでしまいました。その段階で、最初に予定していた参詣道コースをたどるべく「後戻り」を提案したところ、大西さんが「やまっぷ」を手に「このまま車道を行けば、すぐに信貴山にたどり着く。どの道を行こうが、目的地に早く着けばいいんでしょ!」と主張して、あわや一触即発の状態になりましたが、暑さの中、予定時間を大幅にオーバーしていましたので、大西さんに従うことにし、「事件」にならずにすみました(笑)

信貴山朝護孫子寺・開運橋

予定よりも2時間以上遅れて開運橋を渡り、2時15分に朝護孫子寺に入山。橋の北詰に建つ鳥居の前で、いくつもの石段道を登って本堂まで行く「参拝組」6人と、山門下で待つ「待機組」3人とに分かれ、3時に仁王門下で再会することにしました。








信貴山朝護孫子寺・世界一福寅
「参拝組」は、まず、「世界一福寅」の前で記念撮影。ところが、寅の首あたりにピントが合ってしまったみたいで、肝心のみんなの顔は完全にピンボケ状態で、よく見えません(´Д⊂ヽ

信貴山朝護孫子寺・石灯籠
参道沿いにずらり立ち並ぶ石灯籠。全山で200基を超えるそうです。奥に見えるのが本堂です。
大寅の前で写真を撮ったあと、赤門をくぐり、本坊、成福院、三宝堂などを経て本堂まで行き、本堂の舞台から下界を見下ろしました。

信貴山朝護孫子寺・石灯籠

本堂からの眺望。遠くに奈良盆地を眺めることができました。
境内に設置されていた温度計は37度を指していました。








信貴山朝護孫子寺・仁王門
3時前に猪上神社の前で合流したあと、仁王門をバックに記念撮影しました。そのあと、住宅地を東に向かって、「ケーブル跡ハイキング道」を目指しました。

信貴山・ケーブル跡ハイキング道
「ケーブル跡ハイキング道」の入口で記念撮影。

東信貴鋼索線(通称 東信貴ケーブル/信貴山下駅―信貴山駅間 1.7km)は1922年(大正11年)に開業し、1983年(昭和58年)に廃止されました。なお、1930年に開業した西信貴鋼索線(通称 西信貴ケーブル/信貴山口駅―高安山駅間 1.3km)は現在も運行されています。

信貴山・ケーブル跡ハイキング道

鋼索線の枕木が階段状に残るハイキング道はかなり急な坂道で、整備されてはいるものの、道路脇は木々が生い茂って、風が通らず、蒸し暑く、決して快適とは言えませんでした。でも、上りではなく下りだったので、我慢してながら下まで下りていきました。














ハイキング道は信貴山駅から近鉄信貴山下駅までの中間点まででしたが、ハイキング道の東端に木々が茂る空き地があり、椅子が置かれて休憩できるようになっていたので、涼風に吹かれながら、ゆっくり休憩をしました。
そのあと、広い車道になっている急な坂道をまっすぐに下っていき、予定より1時間遅れて、4時前に 近鉄信貴山下駅に着き、帰途につきました。

山歩会もメンバーのほとんどが後期高齢者となり、体力の衰えは隠しがたく、山歩きが月ごとにキビシくなってきていて、残念ながら、今回の信貴山が「山納め」となり、これからは、街道歩きなど、起伏の少ない「まち歩き」を楽しむことになりそうです。

関連記事:近鉄 てくてくまっぷ 大阪-C 恩智越・信貴山朝護孫子寺コース
関連記事:エナガ先生の講義メモ>恩智神社の参道S恩智街道・恩智(八尾市)
関連記事:河内の総鎮守 祓いの神社 恩智神社
関連記事:神社巡遊録>恩智神社(大阪府八尾市恩智中町)
関連記事:YamaReco:信貴山(恩智駅〜恩智神社〜朝護孫子寺〜信貴山頂上〜信貴山下駅)
関連記事:信貴山朝護孫子寺

第90回 交野山(341m)・国見山(284m)ハイキング(大阪府交野市&枚方市)(幹事:金澤)
2022年6月28日(火)
[集合時間/場所] 午前9時10分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR北新地駅 09:32―東西線快速同志社前行→津田駅 10:05(470円)
          津田駅前―(25分)→国見山登山口―(1時間)→国見山―(15分)→白旗池―(20
          分)→交野山―(30分)→八葉蓮華寺分岐ー(35分)→くろんど園地すいれん池―
          (1時間)→京阪私市駅(歩行約4時間)
    〔復路〕 京阪私市駅→枚方市駅→淀屋橋駅(560円)

9時10分にJR大阪駅中央改札口前に集合。参加者は金澤、伊藤、吉田、大西、日野、香川、稲葉、塩崎の8人。松石さんと本間さんが欠席でした。
JR北新地駅まで歩いて、予定通り9時32分の東西線快速同志社前行に乗り、10時5分に津田駅に到着。駅の出口は西側にありましたが、駅の北側にある線路下の通路をくぐって駅の東側に出ました。住宅地を北側に少し歩くと東西を走る太い道路に出て、そこから15分ほど歩いて、第二京阪道路の下をくぐったところで左に曲がり、高速道に沿って伸びる道路を北に向かって5分ほど歩き、道路わきでラジオ体操をしました。天気は快晴でしたが、気温が高く(天気予報では、交野市の最高気温は32度!)、この時点ですでに、みな、汗をかいていました。
体操のあとのストレッチも終えて、10時45分に「国見山登山口」の標識のところで高速道沿いの道を右に折れ、細い道を登っていきました。

国見山登山口 国見山登山口

国見山

ゆるやかな細道をしばらく歩くと、左手に工場らしき大きな建物が何棟も現れ、そのうちのひとつに「仁丹」の文字がありました。さらにしばらく歩くと、右手に小さな池が現れ、下見歩き済みの金澤さんによれば、有料の釣り池とのことでした。
そこを過ぎると、少し登り勾配の山道になりましたが、道沿いにところどころ冷たい山水が流れていて、何人かはその冷たい水に手やタオルや帽子を濡らして、涼をとりました。

国見山
11時20分。杉林の中の少し風の通るところで、休憩がてら現在位置を確認。

そのあと、あまり手入れのされていない杉林が続いたところで、右手に階段のある分岐に差し掛かり、標識には「階段を登って、国見山山頂」とありました。日野さんが先遣隊をかってでて、階段を登っていきましたが、「山頂まではさらに階段が続いている」ということで、全員、国見山登頂は諦めて、先を急ぐことになりました。
国見山 国見山

そこから30分ほど進んだところで白旗池が姿を現しました。
白旗池

時間がすでに12時近くになっていたので、池の上を通ってくる涼風にあたりながら、少し早めの昼食をとることにしました。
白旗池

昼食のあと、長めの休憩をとったあと、ハイキングを再開。
途中、「交野いきものふれあいの里」を通りましたが、「いきものふれあいセンター」でトイレをお借りし、トイレの冷たい水で手や首を冷やしたあと、センター横のビオトーブで、水生植物や水中昆虫を観察しながら、子どものころを思い出しました。
いきものふれあいセンター

そのあと、すぐに「交野山(こうのさん)入口」に着きました。標識には「ここより約20分、標高差100メートルの登り」とありました。
交野山入口
正面に見えるのが交野山(341m)です。

そこからしばらく歩くと、道は急な登り坂になりました。「標高差100メートルの登り」の始まりです。
交野山登山道 白旗池

交野山登山道
石段の途中で、しばし休憩。

登り坂を上り切ったところに大きな岩・観音岩が姿を見せ、そこが交野山の頂上でした。

頂上の観音岩の上で記念撮影。
交野山山頂・観音岩

交野山山頂・観音岩
観音岩の上で360度の眺望を楽しみながらしばらく休憩したあと、1時過ぎにハイキングを再開。その前に、「交野山」の山頂標識の前でも記念撮影。岩の付け根あたりの低木ではカラスアゲハが群舞していました。
交野山山頂・観音岩

交野山下山

下りもかなり急な坂道が続きましたが、平らな道に出てから方向がわからなくなり、2時ごろ、高山方面との分岐あたりで、我々の先を歩く女性2人、男性1人のベテランハイカーに道を尋ね、とりあえず、高山方面の道を選んでいくことにしました。













交野山・棚田
右手に棚田を見ながらしばらく歩くと、右側に「くろんど園地」のゲートがあったので、足を踏み入れていきました。
くろんど園地

くろんど園地
「カタクリの森」など、広大な「くろんど園地」の北西部を通ったあと、渓流沿いの山道を下っていくと、途中、東屋があったので、休憩しました。
くろんど園地・東屋

くろんど園地

渓流沿いにさらに下ったところで、3時半に月の輪滝の前に出たので、再び、休憩しました。












月の輪滝

月の輪滝

そのあと、尺治川沿いの沢道をさらに下り、しばらく歩いたところで、やっと市街地に出ました。

月の輪滝

そこから20分ほど歩いて、4時前に私市駅の近くにたどり着き、以前(2015年5月)、交野市の「ほしだ園地」ハイキングを行った帰りに立ち寄ったことがある喫茶店「がんび」(養蜂場「茨木養蜂園」経営)に入り、かき氷を食べながら疲れをとりました。(ハニーレモン510円、みぞれ410円)。




解散地の京阪私市駅前で、JR河内磐船駅までさらに1時間ばかり歩いてマンホールの蓋の写真を撮るという吉田を残して、みなは、電車に乗り、JR大阪駅近くの居酒屋に立ち寄って、久しぶりの反省会を行いました。

関連記事:r271-635>生駒縦走歩道の最北端・国見山・交野山とくろんど園地

第89回 歴史ウォーク「河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」を歩く」(大阪府羽曳野市&太子町)(幹事:塩崎)
2022年5月24日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発―天王寺行内回り→天王寺駅着 09:58→近鉄阿部野橋駅―南
          大阪線準急→上ノ太子駅 09:53着
     〔復路〕 近鉄貴志駅―長野線→阿部野橋駅
〔コース概要〕 上ノ太子駅―15分→壺井八幡宮通法寺・源氏三代の墓―40分→叡福寺―5分→和みの広場(昼食)―10分→用明天皇陵―20分→推古天皇陵 ―5分→二子塚古墳―20分→科長神社小野妹子墓孝徳天皇陵―5分→竹内街道歴史資料館―5分→道の駅―20分→六枚橋交差点太子町役場―15分(バス)→近鉄長野線貴志駅―26分(準急)→阿倍野駅

いつもよりかなり早く、朝8時20分に、JR大阪駅中央改札口前に集合。塩崎、金澤、日野、香川、吉田、大西、遠藤、杉山、伊藤、本間、稲葉の11人が集まる。近鉄阿部野橋駅で合流する松石さんを加えて、総勢12人。大阪駅で予定より1本早い電車に乗ることができましたが、近鉄阿部野橋駅で、改札口がいくつもあって、松石さんと合流するのに時間がかかり、結局、予定通りの準急電車に乗って、10時前に上ノ太子駅に到着しました。

駅の南側広場には、昨年12月に建立されたばかりの青銅製の聖徳太子像が建っていて、古いお札でよく見た姿で我々を出迎えてくれました。

近つ飛鳥・聖徳太子銅像

そこから羽曳野市内を西方に向かい、15分ほどで壷井八幡宮に着き、若干名を階段下に残して、急な石段を上がっていきました。

近つ飛鳥・壷井八幡宮

Wikipediaなどによると、壷井八幡宮は、康平7年(1064年)「前九年の役」に勝利して東北地方から帰ってきた源頼義が、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)のご神体を分祀して壷井山上の社殿にお祀りしたのがはじまりとされています。














そのあと、先ほどの急な階段を降りたあと、南に10分ほど歩いて、源頼義の墓のある通法寺跡に着きました。

近つ飛鳥・通法寺跡

近つ飛鳥・通法寺跡

近つ飛鳥・通法寺跡

源頼義の墓の前で、源頼信・頼義・義家の「源氏三代」について塩崎さんから簡単なレクチャーを受けたあと、南東側に数分歩き、小高い丘に続く石段を登って、源義家、さらには源頼信の墓に詣でました。これで、源氏三代の墓に詣でたことになります。







近つ飛鳥・源氏三代の墓
「源氏三代」について詳しく書かれた説明板を読みながら、900年前の戦乱に明け暮れた世に思いをはせました。

近つ飛鳥・源氏三代の墓
小山の一番奥にある源頼信の墓。その奥には、将軍綱吉の学僧で、「生類憐みの令」を公布させた大僧正隆光(りゅうこう)の墓もありました。
関連記事:平家物語・義経伝説の史跡を巡る>通法寺跡・源氏三代の墓

この時点でスタートから1時間が経っていましたが、少し西に戻って南に向かい、太井川にかかる松本橋を渡ったところで川沿いに東に向かいました。

近つ飛鳥・太井川沿い

太井川橋を過ぎると町中道になり、さらにしばらく歩いて、11時35分に聖徳太子の御廟がある叡福寺に到着しました。

近つ飛鳥・叡福寺石段石段を上って、南大門をくぐると、広い境内にたくさんの建物が建っていました。






近つ飛鳥・叡福寺・聖徳皇太子磯長御廟石塔


近つ飛鳥・叡福寺・金堂

享保17年(1732年)に再建された金堂。本尊は高さ90cmの如意輪観音座像。脇侍に不動明王と愛染明王とを従えています。







近つ飛鳥・叡福寺・聖徳皇太子磯長御廟石塔
スタート地点から1時間40分、ほぼ歩き詰めで、やっと腰かけて休憩することができました。

近つ飛鳥・叡福寺・聖徳皇太子磯長御廟 近つ飛鳥・叡福寺・聖徳皇太子磯長御廟
境内北側の二天門の奥に太子の御廟がありました。直径54.3m、高さ7.2mの円墳で、横穴式石室に聖徳太子と母后・穴穂部間人皇女、妃・膳部大郎女の三体を合葬した三骨一廟とのことです。

御廟の前で記念撮影をしました。

近つ飛鳥・叡福寺・聖徳皇太子磯長御廟前で記念撮影

近つ飛鳥・叡福寺・宝塔

続いて、宝塔の前でも記念撮影をしました。宝塔は、承応元年(1652年)の再建で、本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置し、4本の柱には四天王の像が描かれているそうです。











近つ飛鳥・叡福寺・宝塔前で記念撮影

近つ飛鳥・和みの広場

そのあと、東隣りにある「太子・和みの広場」に移動して、昼食をとりました。
それまで、晴天で、30度近いうえに風がなく、全員、汗をかいて、少々バテ気味でしたが、クローバーの植えられた「和みの広場」には涼やかな風が吹いていて、汗も引き、くつろいだ気分でゆっくり昼食タイムを過ごすことができました。









12時40分に広場を後にして、まず用明天皇陵に向かいました。

近つ飛鳥・用明天皇河内磯長原陵前
用明天皇河内磯長原陵にお参りしたあと、今後のコースについてチェックして、まだコースがかなり残っていることを確認しました。

そのあと、町中を20分ほど歩いて推古天皇陵を訪ね、近くにある二子塚古墳のわきを通って、小野妹子墓を目指しました。

近つ飛鳥・用明天皇河内磯長原陵前 近つ飛鳥・用明天皇河内磯長原陵前
推古天皇陵の南東に位置する二子塚古墳は地元で「この古墳こそ、本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵である」と言い伝えられているそうです。

小野妹子墓は長く続く坂道の上にあるということで、遠藤さんと杉山さんがバスによるリタイアを申し出、バス停探しのため松石さんも同道することになりました。

近つ飛鳥・用明天皇河内磯長原陵前 近つ飛鳥・用明天皇河内磯長原陵前

科長神社・小野妹子墓は長い石段を上ったところにあり、そのあと訪ねた孝徳天皇陵(写真右)も長い坂道を上ったところにあり、かなり体力を消耗させられました。


孝徳天皇陵に立ち寄ったあと、坂道を下りて、竹内街道歴史資料館に立ち寄りました。資料館では、みなさんお疲れで、見学がてら、冷房のきいた館内で30分以上休憩し、疲労回復の時間をたっぷりとらせていただきました。

近つ飛鳥・竹内街道

3時に資料館を辞し、町役場前のバス停を目指して、竹内街道沿いに30分ほどゆるやかな坂道を下っていきました。


















<近つ飛鳥・竹内街道

近つ飛鳥・竹内街道

バスの発車時間まで20分ほどあったので、町役場に入り、入口の待合室に座って、休憩させていただきました。

そのあとバスに乗り、終点の近鉄貴志駅に4時10分前に着きました。富田林駅までさらに1時間半ほど歩いてマンホールの写真を撮るという吉田を残して、みなは電車に乗り、帰路に着きました。

「資料:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」」(塩崎雅彬作成)

関連記事:太子町観光・まちづくり協会>太子町 観光マップ

第88回 有馬富士(標高374m)登山(兵庫県三田市)(幹事:日野)
2022年4月26日(火) 5月3日(火)
[集合時間/場所] 午前9時20分/JR宝塚駅
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発→新三田駅 09:58着(運賃:330円)
     〔復路〕 JR新三田駅 16:02発→宝塚駅 16:23着(運賃:330円)
〔コース概要〕 宝塚駅―15分→10:10 新三田駅出発 → 10:40 県立有馬富士公園 → 11:30 「有馬富士登山道」の道標 → 芝生広場 → 登山口 → 頂上広場 → わんぱく砦 → 12:10 有馬富士山頂(昼食) → 千丈寺湖分岐 → 13:00 芝生広場 → 「有馬富士登山道」の道標 → 古民家 → 福島大池 → 13:40 公園散策(かやぶき民家、逆さ富士、小鳥・花木の鑑賞) → 14:20 パークセンター、自然学習センター見学 → 15:40 JR新三田駅

有馬富士登山。もともとは定例の4月第4火曜日(4月26日)に計画されたものでしたが、その日が雨だったので、これまでなら中止だったところを、今回は幹事の日野さんのたっての希望で「1週順延」で実施することになりました。

当日は幹事の思いが通じてか、見事に快晴。9時20分にJR宝塚駅改札口で待ち合わせ。日野、香川、伊藤、塩崎、本間、稲葉の6人に大西、吉田が最後に姿を見せて、総勢8人で出発しました。金澤さんは先に別の予定を入れていて、残念ながら欠席となりました。

有馬富士・ラジオ体操

予定より少し早く列車に乗り、9時40分に新三田駅に着き、駅の北側でいつも通り、伊藤さんが用意した携帯ラジオの音に合わせてラジオ体操をしました。

そのあと、「いざ、出発」となったところで、大通りに沿いに東に向かおうとする日野さんに対して、スマホの登山アプリ「YAMAP」をかざして「こちらが正解」と西に向かおうとする大西さんとで方針が分かれましたが、結局、最先端情報機器の威力を前に、大西さんに従うことになりました。
大通りをしばらく歩いたところで右に折れ、山すそに広がる里山の畑中道を北に向かいました。

有馬富士

有馬富士有馬富士











しばらく歩くと、山すその川沿い道に出て、道なりに20分ほど歩いていきました。
写真右は、道路わきの樹木から垂れ下がる山藤の薄紫の見事な花房。



まもなく、福島大池と、その奥に有馬富士の全貌が姿を現してきました。

有馬富士&福島大池

有馬富士&福島大池
有馬富士と福島大池をバックに記念撮影。

その先の進路について、左手の、有馬富士の頂上を目指して大池西側園路を進むコースか、右手の、有馬富士公園「出合いのゾーン」の中を通るコースをとるかで再び意見が分かれましたが、今回は幹事の当初方針を容れて、「出合いのゾーン」北側の湖畔沿いを歩むことになりました。

有馬富士・松風の休憩所・花山院の歌碑

湖岸近くの「松風の休憩所」で涼風に吹かれながら、しばし休憩。花山院(花山天皇 の追号)の歌碑「有馬富士 ふもとの雲は海に似て 波かと聞けば小野の松風」を挟んで記念撮影。

















有馬富士

福島大池の東沿いの道に出ると、真正面に有馬富士がなだらかな山容を見せ、そこから少し歩いたところに「有馬富士登山道」の道標があり、やっと登山道の登り口にたどり着くことができました。時刻は11時を少し過ぎていました。















そこからなだらかな山道を少し歩くと、有馬富士を取り巻く複数の登山道の案内図があったので、その中の「フィトンチッドの小道を通ろう」ということになりました。ところが、途中、車道に出たあと、道のわきにある「登山口」の道標を探しながら前に進んだものの、なかなか道標が見当たらず、結局、かなり行き過ぎてから引き返すことになりました。「登山口」の道標を見過ごしたのは、その横に立っていた「まむし注意」の看板と、山麓周遊道への分岐を示す看板との両方に気をとられて、肝心の「登山口」の道標を、全員、見落としたことが理由とわかりました。

有馬富士・登山ルート

いよいよ、登山道を登り始めましたが、ほぼ直登になっていて、みな、久しぶりの山登りなので、かなりきつく感じました。
途中、なんどか休憩をはさみ、半分ほど行ったところで、上から下りてきた女性に聞くと、「あと30分くらいだが、最後の10分くらいが岩場になっていて、そこがかなり急で、怖かった」とのことでした。

















ほぼまっすぐ上に延びる登山道をしばらく登っていくと、いったん「頂上広場」と名付けられた平地に出ました。その先が「わんぱく砦」のようです。
当初は、頂上で昼食をとることにしていましたが、心臓に病を抱える本間さんに岩場登りは無理と判断して、本間さんを「広場」に残し、頂上まで行ったあと、引き返して、「広場」で昼飯をとることにして、残りの7人で岩場に向かうことにしました。

「広場」からすぐに、その「わんぱく砦」と名付けられた岩場の下に着きました。「わんぱく砦」という名前なので「子どもでも登れ」、さらに「10分ほど」ということなので、気軽に登り始めましたが、思ったよりもかなり急で、早々に大西さんが登頂を断念して、「頂上広場」に引き返すことになりました。
有馬富士・わんぱく砦

残りの6人は岩場登りを続けましたが、岩を手でつかんでよじ登るような感じで、悪戦苦闘しましたが、全員、なんとか頂上にたどりつくことができました。
下で待つ大西さんに「無事、頂上に着いた」と電話をすると、「本間さんが岩場に向かっている」とのこと。「それは危険だ」と、稲葉さんと香川さんが様子を見に行こうとして、ちょうど下から登ってきた女性に話を聞くと「白髪のおじいさんが岩場の途中で動けなくなっている」とのことでしたので、塩崎さんが下まで降りていくことにしました。

有馬富士・頂上からの眺め

残りの5人は、寸時、頂上からの眺めを楽しんだあと、昼食をとりました。
昼食のあと、「有馬富士山頂」の標識をバックに記念写真を撮ろうとしましたが、頂上の標識のところに30代の父親と男の子が昼食をとっていたので、声をかけると「べつにここで写真をとらなくてもいいでしょ」と場所を変える気配を見せないので、かなり険悪な気配になりました。結局、その二人が写り込む感じで記念写真を撮ることになりました。それにしても、山のマナーを守らない、というより、知らない人が山に登るのは困りものです。

有馬富士・頂上からの眺め

有馬富士・下り

そのあと、行きとは違ったコースで下山しました。こちらは岩場はありませんでしたが、急な階段が続いていて、「上り」だったらけっこうキツイように思えました。でも、先ほどの岩場を下りることを考えると、こちらが下りでよかったというのが実感です。

















本間さんたちとは「かやぶき民家」で合流の予定でしたが、その手前の芝生広場で合流することができました。

有馬富士・かやぶき民家

その先、立ち寄った「かやぶき民家」は、もともとどこかにあった古い「かやぶき民家」を移築したのではなく、貝原知事時代の兵庫県が2001年に有馬富士公園を開設するに際して、非常に立派なかやぶき屋根も含めて、まったく一から造り上げたものだそうです。
「かやぶき民家」前の広場には鯉のぼりが、さわやかな5月の風を受けて、気持ちよさそうに泳いでいました。棚田を取り囲む木々は、新緑のつややかな早緑色に光り輝いていました。


「かやぶき民家」でしばらく休憩したあと、福島大池西側園路を通って、出会いのゾーンに戻り、ガーデン階段を上って、「自然学習センター」に立ち寄り、自然学習を楽しみました。

有馬富士・ガーデン階段

ガーデン階段の最上段で、有馬富士をバックに記念撮影。よく見ると有馬富士の山頂部が少しとがっているのがわかります。そのあたりが「わんぱく砦」です。

帰りは、県道570号有馬富士公園線を通り、3時前に新三田駅に帰り着きました。マンホールの蓋の写真を撮るために神戸電鉄三田線三田本町まであと2時間ほど歩くという吉田を残して、みんなは電車に乗り、帰路につきました。

「わんぱく砦」で少しもたつきましたが、文字通り五月晴れの好天に恵まれ、風薫る風と新緑に包まれて、とても快適な山旅でした。
山ツツジの季節には少し早かったのだけが心残りでした。

関連記事:春も夏も昌も冬も…有馬富士公園
関連記事:有馬富士公園イラストマップ>出合いのゾーン マップ

第87回(再) 奈良・郡山城下町散策&郡山城址公園(日本さくら名所100選)佐保川(全5キロ、1,000本のソメイヨシノ)大仏鉄道記念公園(枝垂れ桜) 桜堪能ハイキング(奈良県大和郡山市&奈良市)(幹事:吉田)
2022年3月29日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前(8時36分出発)
[行程]〔往路〕 JR大阪駅環状内回り08:36発→新今宮08:54着(乗り換え)大和路線快速・加茂行08:56発→郡山駅09:29着(運賃:730円) 〔徒歩行程〕09:30JR郡山駅出発―郡山城下町散策(50分)→10:20郡山城入口→郡山城内散策(30分)→10:50郡山城出口―(30分)→11:20奈良口―佐保川観桜前半(50分)→12:10県立図書情報館(昼食30分)―12:40再出発―佐保川観桜中盤(30分)→13:10新二条橋―佐保川観桜終盤(川路桜など本日一番の見どころ)(30分)→13:40大仏鉄道記念公園(休憩10分)―13:50再出発―(30分)→14:20奈良県庁西―興福寺(20分)→14:40近鉄奈良駅(全5時間10分(うち徒歩4時間30分))(※ 所要時間はおおよその目安)
〔復路〕 近鉄奈良駅14:57―(500円)→鶴橋駅15:32着(乗り換え)JR鶴橋駅15:36発―(180円)→大阪駅15:51帰着

JR大阪駅中央改札口前に8時20分に集合。本間、松石、金澤、稲葉、日野、香川、大西、塩崎、遠藤、伊藤、吉田の常連組に、平地での花見とあって、吉田(貫)さんと沖田さんとが参加して、総勢は13人に。大阪駅で予定より少し早い電車に乗りましたが、新今宮駅での奈良線への乗り換えで予定通りの電車に乗って、郡山駅に9時半に着きました。

郡山・佐保川花見

駅前で記念撮影したあと、郡山城の外堀を利用して整備された「外堀緑地 」を北門「冠木門」から入って、南に歩を進めました。

大和郡山・外堀緑地・郡山城外堀跡 大和郡山・外堀緑地・北門「冠木門」

そのあと、郡山の「城下町」を小1時間、あちこち寄り道する予定でしたが、途中で道を間違えてしまって、あっと言う間にお城の近くにまで来てしまいました。市役所の南方で、「NHKの「グレーテルのかまど」という番組で観て、良さそうだったので、ぜひ行きたい」という香川さんの要望に応えて「本家 菊屋」に立ち寄り、名物の「 秀吉のうぐい餅」や桜餅などを、皆さん、おみやげに買われたようです。

大和郡山・本家 菊屋 大和郡山・本家 菊屋

菊屋で思ったよりも時間をとられましたが、ほぼ予定通りに郡山城跡公園入口に到着。「お城まつり」の開催中を知らせるゲートをくぐって、内堀に沿って歩を進めました。

大和郡山・郡山城跡 大和郡山・郡山城跡

郡山城跡は、2017年に天守台石垣が修理・修景され、昨年3月には、再建整備工事が進められていた極楽橋 も完成していて、以前と比べると、見違えるほどきれいになっていました。
(写真上左は追手向櫓、右は追手門)

大和郡山・郡山城跡
極楽橋の中ほどに並んで、記念の写真を撮りました。

大和郡山市のマンホールカード

郡山城跡公園内をゆっくり散策したので、だいぶ時間をとられてしまい、予定より30分ほど遅く郡山城跡公園入口に戻り、佐保川に向かいました。
その途中、少しだけ寄り道をして、大和郡山市上下水道部庁舎に立ち寄り、金魚が描かれた大和郡山市のマンホールカードを全員に「おみやげ」としてプレゼントしました。

上下水道部庁舎を出て、20分ほど歩き、12時前にやっと佐保川に到着。桜はおおむね7、8分咲きでしたが、木によってはほぼ満開状態のものもあって、なかなかの見ごたえがありました。
佐保川の桜
川土手には菜の花も満開で、桜のピンクと菜の花の黄色のコントラストも映えて、両者に挟まれて記念の写真を撮りました。
佐保川の桜

佐保川の桜

佐保川の桜

佐保川の桜

佐保川の桜

そこから、5キロ、両岸に咲き揃う1,000本の桜を堪能しました。前半(南側)は車の通行が多くて、のんびり桜を楽しむことができませんでしたが、ほぼ中間地点にあたる県立図書情報館以北は両岸に遊歩道が設けられていて、ゆっくり桜を楽しむことができました。

最初の予定では県立図書情報館付近で昼食をとる予定にしていましたが、県立図書情報館の手前に石段が設けられた河原があり、すでに1時前になっていましたので、そこで昼食をとることにしました。昼食のあと、金澤さんが用意したトランプによる「抽選」で今年度の月幹事の担当月を決めました。
そのあと、遠藤、吉田貫、沖田の3人が「リタイア」したいというので、県立図書情報館前のバス乗り場に全員で寄り道して、バス停でバスの発車時刻を見ると、バスは1時間に1本しかありませんでしたが、さいわい、30分後の1時20分発というのがあったので、リタイア組はそのバスに乗ることにしました。他のメンバーは県立図書情報館に立ち寄って、しばらくトイレ休憩をしました。

バスに乗る3人を残して、ハイキングを再開。近鉄新大宮駅手前の三条通高橋のところで、奈良が地元の松石さんが早退することになり、残りの9人で「終盤」の「一番の見どころ」を目指しました。

佐保川の桜
近鉄線路を越えたところで佐保川の流れが南北方向から東西方向になるあたりから幹の太さが大きな桜が増えるようになり、川幅も少し狭いので、両岸から川に枝垂れ落ちる桜が、より見事に感じられるようになりました。
その中で、江戸時代末期に植えられ「樹齢170年」という「川路桜 」は風格を感じることができ、その「川路桜」をバックに記念写真を撮りました。
佐保川の桜・川路桜

佐保川の桜・川路桜

そのあと、大仏鉄道記念公園 まで足を延ばし、今回のお花見ハイキングの掉尾を飾る一本桜の枝垂れ桜を楽しみました。こちらもまさに満開で、ちょうどよい時に来ることができて、ラッキーでした。

大仏鉄道記念公園の一本桜の枝垂れ桜

お花見の余韻に浸りながら、奈良女子大学の北側と東側を巡って、3時前に近鉄奈良駅に到着。最初の予定では興福寺にも立ち寄るつもりでしたが、皆さん、もう十分に満足、ということで、改札前で「解散」。いつも通り、もう少しマンホール探索を続けるという吉田を残して、みんなは帰路につき、途中、JR鶴橋駅で途中下車して、駅近くの居酒屋「味祢屋(みねや)」に立ち寄り、「反省会」で大いに盛り上がりました。

居酒屋「味祢屋(みねや)」

味祢屋は金澤さんの行きつけのお店で、山歩会でも時折、利用してきましたが、コロナのせいもあって、味祢屋を訪れたのは2016年9月に香川さんが幹事の室生寺・大野寺ハイキングの帰り以来ということで、5年半ぶりでしたが、お店の大将はわれわれのことを覚えてくれていました。

解説資料:郡山城/佐保川の桜並木/奈良県立図書資料館/川路桜/大仏鉄道記念公園

関連記事:一般社団法人大和郡山市観光協会公式ウェブサイト 金魚とお城のまち やまとこおりやま>観光マップダウンロード>城下町巡りマップ
関連記事:ウィキペディア フリー百科事典>郡山城(大和国)

第87回 三輪山登山(登拝)(奈良県桜井市)(幹事:塩崎)
2022年1月25日(火)(※ 新型コロナの感染急拡大で、大阪府など関西3府県が政府に「まん延防止等重点措置」の適用を要請することになったので、中止になりました)

とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
2023年(10月:千里丘陵さんぽ、9月:遊女塚から五色台古墳、7月:琵琶湖疏水ハイキング、6月(第100回):長岡京・楊谷寺あじさい鑑賞&西山古道ハイキング、5月:長岡京市を歩く、4月:住吉大社&長居植物園、3月:京都・平家の夢の跡巡り、2月:三好山(芥川城跡)〜摂津峡ハイキング)
2022年(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
2021年後半(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地)
2021年前半(6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
2015年(12月:琵琶湖疏水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)

男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー

男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定

これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
2018(H30)年〜
2017(H29)年
2016(H28)年 2015(H27)年
2014(H26)年 2013(H25)年
2012(H24)年 2011(H23)年
2010(H22)年 2009(H21)年
2008(H20)年 2007(H19)年
2006(H18)年 2005(H17)年
2004(H16)年 2003(H15)年
2002(H14)年 2001(H13)年
2000(H12)年 1999(H11)年
〜1998(H10)年

第3次男女共同参画基本計画
  (2010年12月17日閣議決定)

男性問題を考える上での諸概念
「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景
充実した人生のために必要なもの

「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)

男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)

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はいじ:男性向け講座(2008.2)

団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
(城陽市)おとこのわいわい日曜塾

男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
 
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
 E-mail:ptokei04@s5.dion.ne.jp
 TEL/FAX:06-4980-1128
 携帯電話:080-5709-1944


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