すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)■
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すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)
すいゆう山歩会は、団塊世代の地域グループモデルとして2007年7月に発足したとよなか粋遊会の自主グループとして、同会メンバーの金澤さんの呼びかけによって、2008年7月に「山歩会」の名で誕生しました。例会は、原則として毎月第4火曜日に行っています。(2月と8月はお休み。2023年から1月と8月とに変更)
第1回から第38回(2015年10月)までは会長の金澤さんに毎回のコース設定や案内・連絡をお任せしてきましたが、金澤さんからの提案で、翌第39回から、メンバー全員で順番に計画・実施する「月幹事輪番制」で行っています。
■すいゆう山歩会 これまでの活動履歴一覧
すいゆう山歩会(さんぽかい) (とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録J(2021年〜)
■〔2022(令和4)年〕
(2022年度の月幹事 : 5月 塩崎、6月 金澤、7月 吉田、9月 稲葉、10月 松石、11月 日野、12月 大西、2023年 2月 伊藤、3月 本間、4月 香川)
(11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
■第95回 最明寺の滝から多田神社へ (兵庫県宝塚市・川西市) (幹事:大西)
2022年12月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/阪急宝塚線山本駅
[行程] 山本駅→最明寺滝→満願寺→多田神社→能勢電鉄多田駅(行程 8km)
行程終了後、多田駅近くの「餃子の王将」で、年末の反省会開催を予定
第95回山歩会は、大西さんの幹事で、「最明寺の滝から多田神社へ」。阪急山本駅をスタートして、最明寺滝→満願寺→多田神社とたどって、能勢電鉄多田駅まで歩く全8Kmのコース。今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、源流となる「清和源氏発祥の地・多田神社」を訪ねるプランということです。
阪急宝塚線山本駅に10時に集合。参加者は大西、日野、香川、金澤、塩崎、稲葉、本間、伊藤、杉本、吉田の10人でした。
10数分歩いたところで住宅地が途切れて山中道になり、石畳が続く渓流沿いの小道を緩やかに上っていきました。

そこから道は少しずつ上り坂の階段になっていて、5分ほど歩いたところで、道の両脇の樹々がなくなって磐座が姿を現し、その奥に最明寺の滝がありました。

滝を見ながら10分ほど休憩したあと、滝をバックに記念写真を撮り、満願寺を目指して再出発しました。

山荘から15分ほど歩いて、11時20分過ぎに神秀山満願寺南側の山門下の石段に到着しました。
満願寺は奈良時代に開創され、のちの968年(安和元年)に攝津守として多田の地に館を構えた源満仲が帰依したことから源氏一門の祈願所となり、大いに栄えたといいます。なお、満願寺に入る山門下の石段の数は、女性の厄年とされている33才に因んで33段になっていて、「女人厄除」の意味合いを持つものだそうです。
石段を上るとすぐ目の前に山門(仁王門)が姿を見せました。明治14年に建てられた山門は、一見中国風に見えるが、洋風を取り入れた建築様式で、全国的に珍しい、数少ない建築とのことです。
山門の両側に立っている仁王像は、鎌倉時代末期の作で、もともとは多田院南大門にあったものを、明治初年の神仏分離令によって、こちらに移転してきたものとのことです。その仁王像の前で、大西さんから詳しい説明を受けました。

そのあと金堂まで戻り、金堂の西側にある弘法大師像や九重石塔の前を通り、三廟(源満仲の末子の美女丸、藤原仲光と、その子・幸寿丸のお墓)の前で大西さんから祀られた3人に関する詳しい説明を受け、12時10分前に金堂をバックに記念の写真を撮りました。(パソコン画面の右枠を右に広げると金堂の全景を見ることができます)

金堂から少しだけ南に戻って、「せんじゅ桜の庭」と名付けられた庭園で、据えられた石や木の長椅子に腰かけて早めの昼食をとりました。

昼食を食べ始めたころから午前中差していた日が陰りはじめ、そうすると最高気温が10度の予報ゆえ、時折吹く風が肌を刺すように冷たく感じられ、昼食後、早々に歩行を再開しました。
12時半過ぎに金堂前まで戻り、先ほど説明を受けた「三廟」の横を通って「←満願寺 多田神社→」の案内板を目印に多田神社に向かう道を進んでいきました。
まもなく左手にゴルフ場が姿を現し、ゴルフ場を横に見ながら5分ほど歩いたところで墓地を挟んで二股に分かれる道があったので、迷いなく右に上っていきました。5分ほどたったところで、大西さんが「山道にしてはどうも道がよすぎる」ということで、インターネットの地図で確認すると、曲がり道を間違えたようで、今上ってきた坂道を下りました。そして、今度は二股道を左手にとって北に進み、しばらく行ったところで、「←多田神社 満願寺→」の案内板のあるゴルフ場脇の細い道に入っていくことができました。1時前になっていました。、
山中道を10分ほど歩いたところで、広大な敷地に一戸建て住宅が整然と立ち並ぶ「湯山台」に足を踏み入れました。その住宅地の中を15分ほど歩いたあと、住宅地わきに立つ「←満願寺 多田神社→」の看板に従って狭い村中道に入ると、10分ほどで県道12号川西篠山線(新道)に差し掛かり、その県道をまたいで、さらに村中道を10分ほど歩くと、1時半ごろ、目の前に、石の鳥居越しに赤い欄干のある「御社橋」が姿を表わし、その奥に石段と南大門とを望むことできました。
多田神社は、10世紀後半に武家社会の基礎を築いた清和源氏の祖・源満仲が天禄元年(970)に建立した「多田院」に由来し、満仲没後、多田院に御廟が営まれたことから、清和源氏の系譜に連なる鎌倉・室町・江戸の歴代幕府から「源家祖廟の寺」として崇敬を受けるという歴史を持つが、その後、明治時代に廃仏毀釈によって神社に改められて「多田神社」となった、とのことです。
門の両脇に吊り下げられた提灯には、源氏の旗印「笹りんどう」と徳川家の家紋の「三つ葉葵」とが仲良く並んでいました。
参道沿い立てられた案内板に多田神社の全景図が描かれていて、その横には童謡「大江山の鬼退治」の歌詞が6番まで書かれていました。

国指定文化財の隋神門をくぐると目の前に檜皮葺きの屋根を持つ拝殿が鎮座していました。
1時40分に、拝殿をバックに、パネルの後ろに並んで記念撮影をしました。
拝殿の奥に、扉などの建具が金金具で装飾された国指定文化財の御本殿があり、以前、大西さんが訪れたときには本殿まで行くことができたということでしたが、今回は、残念ながら、拝殿と本殿の間には柵が巡らされていて、入ることはできませんでした。
神社の南側を東西に走る県道130号多田停車場多田院線を東に向かい、真っすぐに20分ほど歩いたとこころで、能勢電鉄多田駅近くにある「餃子の王将」にたどり着くことができました。当初の予定では、そこで「反省会」を行う予定でしたが、なんと王将は満員で入れずに、代わりになる店を探す羽目になりました。さいわい、すぐ近くに空席のある店を見つけることができ、無事、反省会を行うことができました。吉田は、いつも通り、ひとり、マンホール旅を続けましたので、反省会のレポートは香川さんにお願いしました。
以下香川記: 多田神社参拝後は恒例の「反省会」。当初予定していた「餃子の王将」には入れませんでしたが、国道173号線沿いに「a王」という店を見つけて入り、餃子を主体にビールと紹興酒を楽しみました。
我々のテーブルは、お墓の扱いなど地味なテーマで話し合いながら、おのおの、自分の将来に思いを馳せました。一方、大西さんたちのテーブルは、粋遊会本隊の2023年度新会長の塩崎さんに本隊会員募集の取り組みについての要望から、オカリナ会や、吟遊会の活動現況まで話は多岐にわたり、さらにスポーツ、コロナ、食べ物等々目まぐるしく展開していった、とのことです。
ともあれ、今年の山歩会は無事終了し、来年2月28日の山歩会での再会を約して、散会しました。
関連記事:YAMAP>満願寺から多田神社・多太神社コース
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関連記事:多田神社 公式サイト
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■第94回 甲山(かぶとやま)森林公園散策と甲山(標高319m)登山 (兵庫県西宮市) (幹事:日野)
2022年11月22日(火)
[集合時間/場所] 午前9時30分/阪急今津線仁川駅
[行程] 9:40 仁川駅スタート(体操)→10:30 仁川地滑り跡と資料館見学→11:00 森林公園東入口→公園内散策→12:30 甲山登山→山頂で休憩、昼食(40分)→13:20 北山貯水池散策→甲山大師神呪寺(かんのうじ)見学→15:00 甲陽園駅ゴール・解散
久しぶりの甲山登山です。2010年1月に粋遊会「本隊」で、幹事・大宅さんで「関西学院大学・甲山森林公園散策&“甲山大師”神呪寺初詣」を行っていますので、ほぼ13年ぶり。そのときは神呪寺までで甲山には登っていなかったので、山頂まで登るのは今回が初めてでした。
当日の集合場所は、幹事からの事前の「案内」にはただ「阪急今津線仁川駅」とありましたが、仁川駅には出口が東と西の両方あり、一般的には阪神競馬場がある東口が「表口」ですが、「駅の西方にある甲山に登るのだから、当然、西口」と思って西口を出たメンバーのほうが多かったですが、「ハズレ」で、正解は東口。幹事によると「豊中方面から宝塚駅経由で仁川駅に降りたホーム側のすぐ目の前にある出口だから」というのが東口が正解の理由でした。
ともかく、東口前広場の一角でラジオ体操をして、9時48分に仁川駅前を出発しました。参加者は日野、金澤、大西、香川、吉田、伊藤、稲葉、本間、杉山、松石、塩崎の11人と今回から復帰の杉本さんの、合わせて12人でした。
「地すべり資料館」は27年前の阪神淡路大震災によって仁川百合野町地区に起きた大規模な地すべりによってもたらされた甚大な災害の記録と教訓を後世に残すために、震災の翌々年に開館した防災学習施設でした。
関連記事:兵庫県>防災・安心・安全>防災>防災対策>仁川百合野町地区地すべり資料館
10時45分に資料館を出て、資料館前で記念の写真を撮ったあと、いったん南東方向に向かい、途中で今度は北西方向に向きを変えて坂道を上ると、上ヶ原浄水場北側の車道に出ました。
経済産業省の近代化産業遺産(水道)に登録されている上ヶ原浄水場は、現在、PFI(民間資金を活用した社会資本整備)法に基づく事業方式による大掛かりな再整備等事業が行われていて、貯水されていませんでした。
関連記事:Ameba>生物浄化槽は素晴らしい>2009-01-26 上ヶ原浄水場(兵庫県神戸市・西宮市) 大正6年(1917)年から
関連記事:ウィキペディア>神戸水道
ゆるやかな坂になっている道を北西方向に向かって歩いていくと、道の両脇の樹々の一部が赤く色づいていました。
道の左手に、甲山大師に向かう「町石」が何基か立っていましたが、脇に添えられた説明板によると、13基あったはずの町石のうち何基かは「心ない者のために持ち去られたか、そのあとかたもない」とのことでした。
さらにしばらく歩いていき、11時過ぎにやっと森林公園の東入口にたどり着いたので、案内板を見ながら、現在地と、今後進むべき道の確認を行ったうえで、「軽登山道(Mountain Traile)」を北に向かって歩を進めていきました。
再び案内板があったので、コースを確かめ、左手に曲がると彫刻の道が延びていて、その先にはシンボルゾーンと名付けられた広い空間があり、中央に「愛の像」が建ち、その奥には甲山の山頂部が全容を現していました。
11時20分に「愛の像」をバックに記念撮影。後ろに見えるのが甲山の山頂です。
シンボルゾーンを北側に通り抜けたあと、当初の予定では、いろいろあるという「登山口」のうち、甲山の北東側にある登山口を目指して歩きましたが、なかなか見つけることができず、結局、いちばん整備されていて、わかりやすい「神呪寺裏側コース」をとることにし、神呪寺に向かうことになりました。
11時47分に甲山大師 神呪寺下に到着。
長い石段を上り、境内にある展望台で眺望を楽しんだあと、しばらく休憩。すでに12時前になっていたので、「ここで昼食をとろう」という者もいましたが、「ご飯を食べると、そのあと歩く気がなくなるので、頑張って山頂に着いて、そこで食べよう」という声が圧倒して、12時前に登山を再開しました。
急坂組は12時20分に山頂に到着。山頂はテニスコートが何面も入るほどの広い芝生の広場になっていて、周りを木々に囲まれているので眺望には恵まれないものの、ゆったりとできる場所でした。

先着組は、残り4人が到着するまで食事するのを待とうとしましたが、約1名がフライングして食べ始めてしまったので、残りの者もあとに続くことに。結局、全員が揃ったのは、それから15分ほどもあとのことでした。

その前に、せっかくだからと、「二等三角点」の前で記念撮影しましたが、下山ルートを探しに先に出かけた3人は残念ながら写真に入ることができませんでいした。
1時20分ごろ、甲山自然観察池に到着。13年前の粋遊会本隊の時に撮ったのと同じ場所で記念の写真を撮りました。

甲山自然観察池からは甲山大師道(車道)を通り、しばらく歩くと先ほど通った神呪寺の階段下にたどり着きました。そこから今度は南に下り、1時40分過ぎに神呪寺の山門をくぐり、市街地を目指して「甲山大師道」を下りていきました。
大師道わきの畑の向こうに見える樹々の中に、数百の実をつけた見事な柿の木が立っていて、みな、感嘆の声を上げ、深まりゆく秋に感謝しながら通りすぎました。
有志数名は、杉本さんの「おかえりなさい会」を行うため、阪急豊中駅前の行きつけの居酒屋「ラッキー」を目指しました。
吉田は、いつも通り、電車に乗る皆と別れて、駅の西側の高台を通って越木岩神社まで足を延ばし、南方の住宅地の中を日が暮れるまで徘徊してマンホールの蓋の写真を撮り、5時前に夙川駅にたどり着きました。
関連記事:甲山森林公園>ハイキングマップ>仁川・甲東園方面〜県立甲山森林公園 ハイキングマップ
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■第93回 奈良の“きたまち”を歩く (幹事:松石)
2022年10月25日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/近鉄奈良駅 東改札口(地下1階)
[行程] 10:00 近鉄奈良駅 出発 → 春日大社 → 南大門 → 東大寺 → 手向山八幡宮 → 二月堂 → 正倉院(見学予定) → 12:00ごろ 正倉院近くの芝生広場で昼食 → 12:45ごろ 出発 → 転害門 → 向出醤油醸造元 → 北山十八間戸 → 旧奈良監獄 → 聖武天皇陵&光明皇后陵 → 奈良女子大学記念館 → 15:00から15:30ごろ 近鉄奈良駅で解散 (歩行距離 約12q、時間は目安です)
10時に近鉄奈良駅地下1階東改札口前に集合。松石、伊藤、吉田、杉山、金沢、日野、大西、稲葉、本間、塩崎の10人が参加。香川さんは前回に続いて体調不良で欠席でした。
駅前の行基像の前で松石さんが本日の行程を説明、そのあと、東向商店街から興福寺の境内を通って、春日大社へと向かいました。
興福寺北円堂はちょうど秋季の「特別開扉」中で、運慶晩年の傑作・弥勒如来像(国宝)などの秘宝・秘仏 特別開帳されているというポスターに足を止めて、見入りました。
(写真正面左の建物は2018年に再建された中金堂)
関連記事:Hatena Blog 仏教、ときどきワンダー観光>お寺の仏像>【奈良】興福寺 北円堂(春・秋に開扉) - 「無著・世親菩薩」は何度観ても感動
いったん三条通りに出て、そこから東に向かいました。
一の鳥居をくぐるとそこは春日大社の神域で、鬱蒼と茂る木々が荘厳な気配を漂わせていました。
関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社伏鹿手水所】鹿のモチーフから流れ出る水で身を清める
石段を上って、南門をくぐると、そこが参拝所です。
関連記事:春日大社>幣殿・舞殿
回廊にはさまざまな時代に寄進された「釣燈籠」が吊り下げられていましたが、その数は1,000基にものぼるということです。 関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社回廊】本殿一帯を取り囲む建物には美しい燈籠がずらりと並ぶ
若草山をバックに記念の写真を撮りましたが、残念ながら、かなりピンボケになりました。
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そのあと、旧暦2月にお水取り(修二会)が行われる二月堂にお参りしました。
二月堂にお参りしたあと、「二月堂裏参道」と呼ばれる土塀や石垣に囲まれた風情のある石畳の坂道を下り、正倉院に向かいました。
関連記事:
奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【二月堂裏参道】土塀に囲まれた美しく静かな「石畳」の道
東大寺塔頭 龍松院の南側の道路沿いに歩を進めていきました。秋の日差しを浴びて、足取りも軽やかです。
正倉院に入り、「正倉」外構をバックに記念写真。こちらも、残念ながら、かなりピンボケです。
関連記事:宮内庁>参賀・参観・申込>正倉院「正倉」外構
関連記事:初音の桐箪笥 株式会社 田中家具製作所>社長ブログ>東大寺 正倉院 「正倉」の豪壮な構えと端正な姿は必見です。
正倉院は宮内庁の管轄なので、道のあちこちに「宮」という宮内庁を示すマーク入りのマンホールが設置されていました。
まだ12時前でしたが、正倉院南側の芝生広場で昼食をとりました。この場所は大仏殿の北側にあたるところで、2011年5月に粋遊会の“本隊”で、金澤さんの幹事で「自然観察ガイドと歩く「奈良公園の自然」」を実施したときも、この場所で昼食をとったことを懐かしく思い出します。
食事のあと、約2名がトイレに行きたくなって周囲を探しましたが、近くにトイレはないみたいで、しかたなく、全員、昼食後早々に芝生広場をあとにして、トイレのある場所を目指して出発することになりました。
芝生広場から西に5分ほど歩き、松石さんが卒業した鼓阪(つざか)小学校
の南側を通ると轉害門(てがいもん)が姿を現し、その横を通り抜けて轉害門西側の芝生の北西隅にある「奈良市きたまち転害門観光案内所」でトイレをお借りしました。
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松石さんは観光案内所の方と鼓阪小など昔話を楽しまれていました。
トイレ休憩のあと、転害門から西に5分ほど行ったところで右に折れ、北西方向に向きを変え、途中、今年3月に川沿いに花見を楽しんだ佐保川の上流にかかる若草橋を渡り、そこから急な坂道を上って若草中学校(多聞城跡)の正門前にたどりつきました。
若草中学校正門前で「多聞城跡」の説明板に付された航空写真でこれから向かうグラウンドとの位置関係を確認する松石さん。
関連記事:奈良県歴史文化資源データベース いかす・なら>深める>奈良の城>多聞城
松石さんの最初の予定では、ご自身が昔、そうしたように、若草中学校の中に入り、その奥にある若草中グラウンドを突っ切って、その北側にある旧奈良監獄に向かうことになっていましたが、昔と違って今は学校の敷地内に許可なく入ることはできず、しかたなく、元来た道を途中まで下り、学校の東側の住宅地を通り抜け、グラウンドの東側の道に沿って北に向かいました。
途中で二手に分かれてしまいましたが、松石組は予定通り「北山十八軒戸」に立ち寄りました。北山十八軒戸は、昔は建物の近くまで近寄れたようですが、今は、金網に囲まれて敷地内に入れず、外から眺めるだけでした。
関連記事:あおによし>史跡>北山十八軒戸
ゆるやかな坂道を上ると左手に背の高い煉瓦塀が長く続き、そこが旧奈良監獄で、塀の高さは4.5mということでした。
西洋の城門風の表門の前で記念写真を撮りました。1908年(明治41年)に建てられた旧奈良監獄は老朽化などにより2017年に廃庁(閉鎖)となりましたが、星野リゾートによって、2025年3月に「監獄ホテル」に生まれ変わることになっています。

記念写真のあと、坂を下りて、塀の南東角で右に折れ、塀の南側の道路を西に進み、少し行ったところで左に曲がりました。そして、若草中学校の北側にあたる道沿いに南に向かい、かなり歩いたところで法蓮郵便局北側にある聖武天皇陵の入口に着き、聖武天皇陵とそのお后の仁正皇后陵とにお参りしました。
関連記事:城とか陵墓とか>聖武天皇陵
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写真左が仁正皇后(通称光明皇后)陵です。
そのあと、帰路につき、近鉄奈良駅を目指して南に向かい、途中、奈良女子大の前を通り、鍋屋町の初宮神社境内で行われていたミニバザール(5のつく日に行われる初宮五縁市)に立ち寄ったりしながら、予定より1時間早く、2時前に近鉄奈良駅に戻りつきました。出発地点の行基像の前で解散したあと、近鉄奈良駅地階の改札前商店街で、杉山さんが朝の集合前にリサーチして「午後2時開店」をチェックしていた立ち飲み居酒屋「蔵元 豊祝」で反省会を行いました。
当日の奈良の気温は、朝は10度を下回る寒さでしたが、日中は20度を超え、うっすら汗をかくほどの陽気でしたが、深まる秋の気配を感じながらの、さわやかで気持ちのいい奈良半日旅を満喫することができました。また、古都奈良のさまざまな時代の歴史に触れることもできました。小・中・高校期を奈良市内で過ごされ、「奈良きたまち」にお詳しい松石さんならではの好企画で、松石さんに感謝です。ちなみに、松石さんのご先祖は江戸時代に奈良で創業された油屋とのことです。
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■第92回 西国街道 大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コースハイキング (幹事:稲葉)
2022年9月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時半/阪急茨木市駅西口改札前
[行程] 茨木市駅前 10:48―(阪急バス)→郡バス停 11:06(料金220円)→郡バス停周辺(王将または吉野家)で早めの食事。食事後、国道171号線から西国街道に入り、郡山宿本陣跡→小野原(旧街道の面影がある)→箕面に入り、萱野三平邸跡ほか、街道沿いの高札跡・塚・本陣跡など、昔の参勤交代がたどった道を散策。最終、阪急桜井駅周辺を見て解散の予定。(徒歩11km)
10時半に阪急京都線茨木市駅北側「西口」改札前に集合。日野、吉田、金澤、大西、伊藤、塩崎、稲葉、本間の8名が参加。香川さんと松石さんのおふたりが体調不良などで欠席でした。
茨木市駅西口から阪急バスに乗車。インターネットの天気予報で大阪府は、昨夜までの「正午から雨」が、今朝になって「午後3時から雨」、「正午〜3時は曇り」に変わっていたので、早めに切り上げれば、なんとか雨に降られずにすみそうな感じでした。幹事の当初の予定では、郡バス停で降りて、「王将」か「吉野家」で早めの昼食を考えていたようですが、「午後から雨の予報なので、ともかく先にできるだけ歩こう。食事は雨が降り出してからでもできる」ということで、ひとつ先の中河原南口でバスを降り、国道171号線沿いに西に歩いて、下井町信号から西国街道に入り、11時過ぎに西国街道歩きを開始しました。うろこ雲が浮かぶ空には太陽も時折、顔をのぞかせていました。
写真右は下井町信号から西国街道に入って300mほどの、宿川原町1丁目の北角(三叉路)に立っている道標(石標)。東西に走る西国街道と南に延びる道祖本街道とが交差する場所で、道標の南西面に「茨木街道」、北西面に「國道第三號路線」の文字が読み取れました。(写真は北西面)
西国街道はきれいに舗装されていて、道幅もかなりありましたが、往時の道幅はもっと狭かったのではないかと思います。ちなみに、西国街道の道幅は「2間半(約4.5m)」という説が有力なようです。→関連記事:中国新聞デジタル>こちら編集局です あなたの声から>西国街道の道幅は「街歩きマップや説明板には2間半(約4・5メートル」
国指定史跡「郡山宿本陣(椿の本陣)」前で記念撮影。

さらに15分ほど歩き、大阪モノレール彩都線の豊川駅の南側を西に進むと、足元のマンホールのデザインが茨木市から箕面市に変わっていました。
豊川駅南側の信号から西に15分ほど歩いたところで、正午を過ぎ、道端に屋根つきのベンチがある公園(小野原東公園)を見つけて、そこに座り込んで、しばらく休憩しました。
10分ほど休憩したあと、歩行を再開したところ、公園のすぐ西側に春日神社御旅所がありました。小野原春日神社のお祭りの際にお神輿が立ち寄る場所とのことです。
左の写真は、小野原地区のとあるお屋敷の門前の小庭の芝生に配された庭石の間に埋められた甕の中(ビオトーブ)で姫睡蓮が清楚に花開いていたので、思わずパチリ!
御旅所から20分ほど歩いたところで、昼食をとる店を探すべく、いったん国道に出ました。すぐ前方に「王将」の看板が目に入ったので、足を急がせましたが、時分時とあって、店内入口にウェイティング客が込み合っていましたので、諦め、勝尾寺口バス停前にラーメン屋があったはずと前に進むと、「河童本舗」というラーメン店がありました。
「河童ラーメン(濃いめ、あっさり)」は税込み800円。運ばれてきたラーメンは細麺の分量がやや少なく、これで800円は少し高いかなと思いましたが、「替え玉」が無料で、その替え玉が元の麺よりも多く感じる分量で、これで800円、さらに揚げにんにく3粒がつき、キムチも無料とあっては、ほぼ満席なのも納得でした。
全員、おなか一杯になって、なかなか立ち上げることができず、降り出すかもしれない雨のことも忘れ、店内でゆっくりくつろいだあと、1時20分にやっと重い腰を上げて、街道歩きを再開しました。
以前(2021年6月、本間さん幹事の「ブラリ勝尾寺街道」)通ったことがある箕面墓地公園の北側を通り、今宮、西宿と通過して、2時前に萱野交差点に出たところで、本日の街道旅をいったん終了。帰りを千里中央に向かうグループ、阪急箕面駅を目指すグループ、それに、そのまま萱野三平邸跡まで西国街道歩きを続けるグループの3班に分かれて、いったん解散しました。
西国街道歩きを続けるグループは稲葉、金澤、吉田の3人だけになりましたが、再び歩き始めて間もなく大粒の雨が降り出しました。でも、その雨も数分で小やみになり、解散地点から10分ばかり歩いて萱野三平邸跡に着き、以前より整備されてきれいになった邸跡に入って、家屋敷をゆっくり見学し、そのあと今日二度目の「解散」をして、それぞれ帰路につきました。
関連記事:新之助のBlog 十三のいま昔を歩こう>
西国街道を歩く(15)小野原 笹川良一が生まれ育ち 川端康成がよく訪れた里
■第91回 近鉄てくてくまっぷ 恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング(大阪府八尾市&奈良県三郷町&平群町)(幹事:吉田)
2022年7月26日(火)
[集合時間/場所] 午前9時/JR大阪駅中央改札口前
[行程] 〔行き〕 〔電車〕 9:16 JR大阪駅―(天王寺行)→9:32 鶴橋駅(乗り換え)9:39 近鉄鶴橋
駅―(大阪線準急・五位堂行)→9:53 高安駅 9:55―(大阪線・大和朝倉行)→9:56恩智駅
〔徒歩〕10:00 恩智駅出発→10:11 恩智神社鳥居→10:20 石段→10:25 恩智神社左横から登り道
→10:30 山道開始→10:36 高安山分岐→10:54 竹林→10:57 ベンチ→11:07「左・恩智峠」&
「右・おおさか環状自然歩道」道標→11:08 高安山方面分岐→11:10 車道をくぐると左手に高安
山霊園→11:25 車道(4差路)に出る(近くにWCあり)ので、左手の緩やかな下りを進む→11:32
右手に池→11:37 石灯籠2基と丁石(二十五丁信貴山)→11:39 道標のない分岐点で左側の下
りの脇道を進む→11:42 左手に地蔵尊→11:45 (左)信貴生駒スカイライン料金所、(右)信貴山
門バス停→11:51 開運橋→11:58 鳥居→12:08 朝護孫子寺本堂(朝護孫子寺のどこかで昼食)
(※ ここまで 「YamaReco:信貴山(恩智駅〜恩智神社〜朝護孫子寺〜信貴山頂上〜信貴山下
駅)」を参考にしました)
(下り) 13:00 信貴山観光センター→13:02 仁王門→13:12ケーブル跡ハイキング道→13:27 ケー
ブル跡終点→13:43 近鉄信貴山下駅(途中で何度か休憩をはさみますので、実際には3時ごろ
に到着の予定です)
〔帰り〕 〔電車〕 15:16 近鉄信貴山下駅―(生駒線・王寺行)→15:18 王寺駅(乗り換え)15:30 JR
王寺駅―(大和路快速・天王寺行)→16:07 大阪駅
9時にJR大阪駅中央改札前に集合。金澤、香川、大西、吉田、日野、稲葉、本間、塩崎、伊藤の9人が参加。松石さんは「この夏始めた座禅を優先するので」と欠席されました。
大阪駅からJRに乗り、鶴橋駅で近鉄に乗り換えた際に駅員に訊いて、予定していた準急五位堂行には乗車せずに、乗り換えのない大和朝倉行普通電車に乗り、10時前に恩智駅に着きました。
恩智駅を降りて線路の東側を南に歩くと、すぐに恩智街道に出ました。東に向きを変えて、恩智川にかかる母木橋を渡ると、民家の間を縫うように恩智神社に続く参詣道が伸びていました。正面には高安山(488m)のなだらかな稜線が姿を見せていました。
鳥居からの坂道を10分ほど登ったところで、131段の長く急な石段が目の前に姿を現し、石段下で、みな、へたり込んでしまいました。「この石段を登ると、あとは急な坂道はありません」という幹事(吉田)にうながされて、休み休みしながらも、なんとか全員、急な石段を登っていきました。(※ 石段を登るのに精いっぱいで、肝心の石段の写真が撮れていません(´Д⊂ヽ
ほうほうのていで石段を登りきると、正面に平成12年に建て替えられた拝殿が出迎えてくれましたが、境内の一角にベンチが置かれていたのを見つけて、「参拝よりも、なにはさておき休憩」とベンチに座り、ホッと一息。そのあと、境内の水道の冷たい水をいただいたりしながら、ゆっくり、のんびり休憩しました。
休憩中、塩崎さんは、本殿前で掃除をされていたご住職にいろいろ質問して、恩智神社の由緒ある歴史について説明を受けていました。なんでも、当神社は、大和時代(470年頃)の創建で、およそ1500年余の歴史をもつ古社で、奈良の春日大社に負けず劣らずの格式をもつ河内全域の総氏神とのことのようです。
右手に見える山は高安山。
高安山方面分岐を過ぎ、 車道をくぐり、左手に高安山霊園を見ながらさらに進んで、1時前に、やっと「のどか村」南西角の車道に出ることができました。そこから「のどか村」の入口まで歩き、駐車場脇のベンチのある小公園で遅めの昼食をとりながら、ゆっくり休憩をしました。
昼食後、1時40分にハイキングを再開。南畑集落に向かう車道は遮るものがなく、もはやあきらめの境地で、陽に照らされながら歩を進めていきました。
車道を10分ほど歩いたところで南畑集落に入り、信貴山朝護孫子寺を目指しましたが、途中、村中道が左右に分岐しているところがいくつもあって、そのうちのひとつの「道標のない分岐点で左側の下りの脇道を進む」べきところを、左に下らずに、まっすぐ進んでしまっていました。道の右側にあるはずの「旅亭 十三屋」の建物がかなり離れた左手に見えたところで、コースを間違って進んでいることに気づきました。そこで、いったん進行を止めて、全員でコースの再確認をすべきでしたが、「やまっぷ」搭載のスマホを手にした大西さんがズンズン先へ進んでいくので、止めるタイミングを失ったまま、かなり前に進んでしまいました。その段階で、最初に予定していた参詣道コースをたどるべく「後戻り」を提案したところ、大西さんが「やまっぷ」を手に「このまま車道を行けば、すぐに信貴山にたどり着く。どの道を行こうが、目的地に早く着けばいいんでしょ!」と主張して、あわや一触即発の状態になりましたが、暑さの中、予定時間を大幅にオーバーしていましたので、大西さんに従うことにし、「事件」にならずにすみました(笑)

「参拝組」は、まず、「世界一福寅」の前で記念撮影。ところが、寅の首あたりにピントが合ってしまったみたいで、肝心のみんなの顔は完全にピンボケ状態で、よく見えません(´Д⊂ヽ
参道沿いにずらり立ち並ぶ石灯籠。全山で200基を超えるそうです。奥に見えるのが本堂です。
大寅の前で写真を撮ったあと、赤門をくぐり、本坊、成福院、三宝堂などを経て本堂まで行き、本堂の舞台から下界を見下ろしました。
境内に設置されていた温度計は37度を指していました。

3時前に猪上神社の前で合流したあと、仁王門をバックに記念撮影しました。そのあと、住宅地を東に向かって、「ケーブル跡ハイキング道」を目指しました。
「ケーブル跡ハイキング道」の入口で記念撮影。
東信貴鋼索線(通称 東信貴ケーブル/信貴山下駅―信貴山駅間 1.7km)は1922年(大正11年)に開業し、1983年(昭和58年)に廃止されました。なお、1930年に開業した西信貴鋼索線(通称 西信貴ケーブル/信貴山口駅―高安山駅間 1.3km)は現在も運行されています。
ハイキング道は信貴山駅から近鉄信貴山下駅までの中間点まででしたが、ハイキング道の東端に木々が茂る空き地があり、椅子が置かれて休憩できるようになっていたので、涼風に吹かれながら、ゆっくり休憩をしました。
そのあと、広い車道になっている急な坂道をまっすぐに下っていき、予定より1時間遅れて、4時前に 近鉄信貴山下駅に着き、帰途につきました。
山歩会もメンバーのほとんどが後期高齢者となり、体力の衰えは隠しがたく、山歩きが月ごとにキビシくなってきていて、残念ながら、今回の信貴山が「山納め」となり、これからは、街道歩きなど、起伏の少ない「まち歩き」を楽しむことになりそうです。
関連記事:近鉄 てくてくまっぷ 大阪-C 恩智越・信貴山朝護孫子寺コース
関連記事:エナガ先生の講義メモ>恩智神社の参道S恩智街道・恩智(八尾市)
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■第90回 交野山(341m)・国見山(284m)ハイキング(大阪府交野市&枚方市)(幹事:金澤)
2022年6月28日(火)
[集合時間/場所] 午前9時10分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR北新地駅 09:32―東西線快速同志社前行→津田駅 10:05(470円)
津田駅前―(25分)→国見山登山口―(1時間)→国見山―(15分)→白旗池―(20
分)→交野山―(30分)→八葉蓮華寺分岐ー(35分)→くろんど園地すいれん池―
(1時間)→京阪私市駅(歩行約4時間)
〔復路〕 京阪私市駅→枚方市駅→淀屋橋駅(560円)
9時10分にJR大阪駅中央改札口前に集合。参加者は金澤、伊藤、吉田、大西、日野、香川、稲葉、塩崎の8人。松石さんと本間さんが欠席でした。
JR北新地駅まで歩いて、予定通り9時32分の東西線快速同志社前行に乗り、10時5分に津田駅に到着。駅の出口は西側にありましたが、駅の北側にある線路下の通路をくぐって駅の東側に出ました。住宅地を北側に少し歩くと東西を走る太い道路に出て、そこから15分ほど歩いて、第二京阪道路の下をくぐったところで左に曲がり、高速道に沿って伸びる道路を北に向かって5分ほど歩き、道路わきでラジオ体操をしました。天気は快晴でしたが、気温が高く(天気予報では、交野市の最高気温は32度!)、この時点ですでに、みな、汗をかいていました。
体操のあとのストレッチも終えて、10時45分に「国見山登山口」の標識のところで高速道沿いの道を右に折れ、細い道を登っていきました。
ゆるやかな細道をしばらく歩くと、左手に工場らしき大きな建物が何棟も現れ、そのうちのひとつに「仁丹」の文字がありました。さらにしばらく歩くと、右手に小さな池が現れ、下見歩き済みの金澤さんによれば、有料の釣り池とのことでした。
そこを過ぎると、少し登り勾配の山道になりましたが、道沿いにところどころ冷たい山水が流れていて、何人かはその冷たい水に手やタオルや帽子を濡らして、涼をとりました。
11時20分。杉林の中の少し風の通るところで、休憩がてら現在位置を確認。
そのあと、あまり手入れのされていない杉林が続いたところで、右手に階段のある分岐に差し掛かり、標識には「階段を登って、国見山山頂」とありました。日野さんが先遣隊をかってでて、階段を登っていきましたが、「山頂まではさらに階段が続いている」ということで、全員、国見山登頂は諦めて、先を急ぐことになりました。
そこから30分ほど進んだところで白旗池が姿を現しました。
時間がすでに12時近くになっていたので、池の上を通ってくる涼風にあたりながら、少し早めの昼食をとることにしました。
昼食のあと、長めの休憩をとったあと、ハイキングを再開。
途中、「交野いきものふれあいの里」を通りましたが、「いきものふれあいセンター」でトイレをお借りし、トイレの冷たい水で手や首を冷やしたあと、センター横のビオトーブで、水生植物や水中昆虫を観察しながら、子どものころを思い出しました。
そのあと、すぐに「交野山(こうのさん)入口」に着きました。標識には「ここより約20分、標高差100メートルの登り」とありました。
正面に見えるのが交野山(341m)です。
そこからしばらく歩くと、道は急な登り坂になりました。「標高差100メートルの登り」の始まりです。
石段の途中で、しばし休憩。
登り坂を上り切ったところに大きな岩・観音岩が姿を見せ、そこが交野山の頂上でした。
頂上の観音岩の上で記念撮影。
観音岩の上で360度の眺望を楽しみながらしばらく休憩したあと、1時過ぎにハイキングを再開。その前に、「交野山」の山頂標識の前でも記念撮影。岩の付け根あたりの低木ではカラスアゲハが群舞していました。

右手に棚田を見ながらしばらく歩くと、右側に「くろんど園地」のゲートがあったので、足を踏み入れていきました。

「カタクリの森」など、広大な「くろんど園地」の北西部を通ったあと、渓流沿いの山道を下っていくと、途中、東屋があったので、休憩しました。

そのあと、尺治川沿いの沢道をさらに下り、しばらく歩いたところで、やっと市街地に出ました。
解散地の京阪私市駅前で、JR河内磐船駅までさらに1時間ばかり歩いてマンホールの蓋の写真を撮るという吉田を残して、みなは、電車に乗り、JR大阪駅近くの居酒屋に立ち寄って、久しぶりの反省会を行いました。
関連記事:r271-635>生駒縦走歩道の最北端・国見山・交野山とくろんど園地
■第89回 歴史ウォーク「河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」を歩く」(大阪府羽曳野市&太子町)(幹事:塩崎)
2022年5月24日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発―天王寺行内回り→天王寺駅着 09:58→近鉄阿部野橋駅―南
大阪線準急→上ノ太子駅 09:53着
〔復路〕 近鉄貴志駅―長野線→阿部野橋駅
〔コース概要〕 上ノ太子駅―15分→壺井八幡宮通法寺・源氏三代の墓―40分→叡福寺―5分→和みの広場(昼食)―10分→用明天皇陵―20分→推古天皇陵
―5分→二子塚古墳―20分→科長神社小野妹子墓孝徳天皇陵―5分→竹内街道歴史資料館―5分→道の駅―20分→六枚橋交差点太子町役場―15分(バス)→近鉄長野線貴志駅―26分(準急)→阿倍野駅
いつもよりかなり早く、朝8時20分に、JR大阪駅中央改札口前に集合。塩崎、金澤、日野、香川、吉田、大西、遠藤、杉山、伊藤、本間、稲葉の11人が集まる。近鉄阿部野橋駅で合流する松石さんを加えて、総勢12人。大阪駅で予定より1本早い電車に乗ることができましたが、近鉄阿部野橋駅で、改札口がいくつもあって、松石さんと合流するのに時間がかかり、結局、予定通りの準急電車に乗って、10時前に上ノ太子駅に到着しました。
駅の南側広場には、昨年12月に建立されたばかりの青銅製の聖徳太子像が建っていて、古いお札でよく見た姿で我々を出迎えてくれました。
そこから羽曳野市内を西方に向かい、15分ほどで壷井八幡宮に着き、若干名を階段下に残して、急な石段を上がっていきました。
そのあと、先ほどの急な階段を降りたあと、南に10分ほど歩いて、源頼義の墓のある通法寺跡に着きました。
「源氏三代」について詳しく書かれた説明板を読みながら、900年前の戦乱に明け暮れた世に思いをはせました。
小山の一番奥にある源頼信の墓。その奥には、将軍綱吉の学僧で、「生類憐みの令」を公布させた大僧正隆光(りゅうこう)の墓もありました。
関連記事:平家物語・義経伝説の史跡を巡る>通法寺跡・源氏三代の墓
この時点でスタートから1時間が経っていましたが、少し西に戻って南に向かい、太井川にかかる松本橋を渡ったところで川沿いに東に向かいました。
太井川橋を過ぎると町中道になり、さらにしばらく歩いて、11時35分に聖徳太子の御廟がある叡福寺に到着しました。
石段を上って、南大門をくぐると、広い境内にたくさんの建物が建っていました。

スタート地点から1時間40分、ほぼ歩き詰めで、やっと腰かけて休憩することができました。
境内北側の二天門の奥に太子の御廟がありました。直径54.3m、高さ7.2mの円墳で、横穴式石室に聖徳太子と母后・穴穂部間人皇女、妃・膳部大郎女の三体を合葬した三骨一廟とのことです。
御廟の前で記念撮影をしました。
それまで、晴天で、30度近いうえに風がなく、全員、汗をかいて、少々バテ気味でしたが、クローバーの植えられた「和みの広場」には涼やかな風が吹いていて、汗も引き、くつろいだ気分でゆっくり昼食タイムを過ごすことができました。
12時40分に広場を後にして、まず用明天皇陵に向かいました。
用明天皇河内磯長原陵にお参りしたあと、今後のコースについてチェックして、まだコースがかなり残っていることを確認しました。
そのあと、町中を20分ほど歩いて推古天皇陵を訪ね、近くにある二子塚古墳のわきを通って、小野妹子墓を目指しました。
推古天皇陵の南東に位置する二子塚古墳は地元で「この古墳こそ、本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵である」と言い伝えられているそうです。
小野妹子墓は長く続く坂道の上にあるということで、遠藤さんと杉山さんがバスによるリタイアを申し出、バス停探しのため松石さんも同道することになりました。
孝徳天皇陵に立ち寄ったあと、坂道を下りて、竹内街道歴史資料館に立ち寄りました。資料館では、みなさんお疲れで、見学がてら、冷房のきいた館内で30分以上休憩し、疲労回復の時間をたっぷりとらせていただきました。
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バスの発車時間まで20分ほどあったので、町役場に入り、入口の待合室に座って、休憩させていただきました。
そのあとバスに乗り、終点の近鉄貴志駅に4時10分前に着きました。富田林駅までさらに1時間半ほど歩いてマンホールの写真を撮るという吉田を残して、みなは電車に乗り、帰路に着きました。
「資料:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」」(塩崎雅彬作成)
■第88回 有馬富士(標高374m)登山(兵庫県三田市)(幹事:日野)
2022年4月26日(火) 5月3日(火)
[集合時間/場所] 午前9時20分/JR宝塚駅
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発→新三田駅 09:58着(運賃:330円)
〔復路〕 JR新三田駅 16:02発→宝塚駅 16:23着(運賃:330円)
〔コース概要〕 宝塚駅―15分→10:10 新三田駅出発 → 10:40 県立有馬富士公園 → 11:30 「有馬富士登山道」の道標 → 芝生広場 → 登山口 → 頂上広場 → わんぱく砦 → 12:10 有馬富士山頂(昼食) → 千丈寺湖分岐 → 13:00 芝生広場 → 「有馬富士登山道」の道標 → 古民家 → 福島大池 → 13:40 公園散策(かやぶき民家、逆さ富士、小鳥・花木の鑑賞) → 14:20 パークセンター、自然学習センター見学 → 15:40 JR新三田駅
有馬富士登山。もともとは定例の4月第4火曜日(4月26日)に計画されたものでしたが、その日が雨だったので、これまでなら中止だったところを、今回は幹事の日野さんのたっての希望で「1週順延」で実施することになりました。
当日は幹事の思いが通じてか、見事に快晴。9時20分にJR宝塚駅改札口で待ち合わせ。日野、香川、伊藤、塩崎、本間、稲葉の6人に大西、吉田が最後に姿を見せて、総勢8人で出発しました。金澤さんは先に別の予定を入れていて、残念ながら欠席となりました。
予定より少し早く列車に乗り、9時40分に新三田駅に着き、駅の北側でいつも通り、伊藤さんが用意した携帯ラジオの音に合わせてラジオ体操をしました。
そのあと、「いざ、出発」となったところで、大通りに沿いに東に向かおうとする日野さんに対して、スマホの登山アプリ「YAMAP」をかざして「こちらが正解」と西に向かおうとする大西さんとで方針が分かれましたが、結局、最先端情報機器の威力を前に、大西さんに従うことになりました。
大通りをしばらく歩いたところで右に折れ、山すそに広がる里山の畑中道を北に向かいました。
しばらく歩くと、山すその川沿い道に出て、道なりに20分ほど歩いていきました。
写真右は、道路わきの樹木から垂れ下がる山藤の薄紫の見事な花房。
まもなく、福島大池と、その奥に有馬富士の全貌が姿を現してきました。
有馬富士と福島大池をバックに記念撮影。
その先の進路について、左手の、有馬富士の頂上を目指して大池西側園路を進むコースか、右手の、有馬富士公園「出合いのゾーン」の中を通るコースをとるかで再び意見が分かれましたが、今回は幹事の当初方針を容れて、「出合いのゾーン」北側の湖畔沿いを歩むことになりました。
そこからなだらかな山道を少し歩くと、有馬富士を取り巻く複数の登山道の案内図があったので、その中の「フィトンチッドの小道を通ろう」ということになりました。ところが、途中、車道に出たあと、道のわきにある「登山口」の道標を探しながら前に進んだものの、なかなか道標が見当たらず、結局、かなり行き過ぎてから引き返すことになりました。「登山口」の道標を見過ごしたのは、その横に立っていた「まむし注意」の看板と、山麓周遊道への分岐を示す看板との両方に気をとられて、肝心の「登山口」の道標を、全員、見落としたことが理由とわかりました。
途中、なんどか休憩をはさみ、半分ほど行ったところで、上から下りてきた女性に聞くと、「あと30分くらいだが、最後の10分くらいが岩場になっていて、そこがかなり急で、怖かった」とのことでした。
ほぼまっすぐ上に延びる登山道をしばらく登っていくと、いったん「頂上広場」と名付けられた平地に出ました。その先が「わんぱく砦」のようです。
当初は、頂上で昼食をとることにしていましたが、心臓に病を抱える本間さんに岩場登りは無理と判断して、本間さんを「広場」に残し、頂上まで行ったあと、引き返して、「広場」で昼飯をとることにして、残りの7人で岩場に向かうことにしました。
「広場」からすぐに、その「わんぱく砦」と名付けられた岩場の下に着きました。「わんぱく砦」という名前なので「子どもでも登れ」、さらに「10分ほど」ということなので、気軽に登り始めましたが、思ったよりもかなり急で、早々に大西さんが登頂を断念して、「頂上広場」に引き返すことになりました。
残りの6人は岩場登りを続けましたが、岩を手でつかんでよじ登るような感じで、悪戦苦闘しましたが、全員、なんとか頂上にたどりつくことができました。
下で待つ大西さんに「無事、頂上に着いた」と電話をすると、「本間さんが岩場に向かっている」とのこと。「それは危険だ」と、稲葉さんと香川さんが様子を見に行こうとして、ちょうど下から登ってきた女性に話を聞くと「白髪のおじいさんが岩場の途中で動けなくなっている」とのことでしたので、塩崎さんが下まで降りていくことにしました。
残りの5人は、寸時、頂上からの眺めを楽しんだあと、昼食をとりました。
昼食のあと、「有馬富士山頂」の標識をバックに記念写真を撮ろうとしましたが、頂上の標識のところに30代の父親と男の子が昼食をとっていたので、声をかけると「べつにここで写真をとらなくてもいいでしょ」と場所を変える気配を見せないので、かなり険悪な気配になりました。結局、その二人が写り込む感じで記念写真を撮ることになりました。それにしても、山のマナーを守らない、というより、知らない人が山に登るのは困りものです。
本間さんたちとは「かやぶき民家」で合流の予定でしたが、その手前の芝生広場で合流することができました。
「かやぶき民家」前の広場には鯉のぼりが、さわやかな5月の風を受けて、気持ちよさそうに泳いでいました。棚田を取り囲む木々は、新緑のつややかな早緑色に光り輝いていました。
「かやぶき民家」でしばらく休憩したあと、福島大池西側園路を通って、出会いのゾーンに戻り、ガーデン階段を上って、「自然学習センター」に立ち寄り、自然学習を楽しみました。
ガーデン階段の最上段で、有馬富士をバックに記念撮影。よく見ると有馬富士の山頂部が少しとがっているのがわかります。そのあたりが「わんぱく砦」です。
帰りは、県道570号有馬富士公園線を通り、3時前に新三田駅に帰り着きました。マンホールの蓋の写真を撮るために神戸電鉄三田線三田本町まであと2時間ほど歩くという吉田を残して、みんなは電車に乗り、帰路につきました。
「わんぱく砦」で少しもたつきましたが、文字通り五月晴れの好天に恵まれ、風薫る風と新緑に包まれて、とても快適な山旅でした。
山ツツジの季節には少し早かったのだけが心残りでした。
関連記事:春も夏も昌も冬も…有馬富士公園
関連記事:有馬富士公園イラストマップ>出合いのゾーン マップ
■第87回(再) 奈良・郡山城下町散策&郡山城址公園(日本さくら名所100選)〜佐保川(全5キロ、1,000本のソメイヨシノ)
〜大仏鉄道記念公園(枝垂れ桜)
桜堪能ハイキング(奈良県大和郡山市&奈良市)(幹事:吉田)
2022年3月29日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前(8時36分出発)
[行程]〔往路〕 JR大阪駅環状内回り08:36発→新今宮08:54着(乗り換え)大和路線快速・加茂行08:56発→郡山駅09:29着(運賃:730円)
〔徒歩行程〕09:30JR郡山駅出発―郡山城下町散策(50分)→10:20郡山城入口→郡山城内散策(30分)→10:50郡山城出口―(30分)→11:20奈良口―佐保川観桜前半(50分)→12:10県立図書情報館(昼食30分)―12:40再出発―佐保川観桜中盤(30分)→13:10新二条橋―佐保川観桜終盤(川路桜など本日一番の見どころ)(30分)→13:40大仏鉄道記念公園(休憩10分)―13:50再出発―(30分)→14:20奈良県庁西―興福寺(20分)→14:40近鉄奈良駅(全5時間10分(うち徒歩4時間30分))(※ 所要時間はおおよその目安)
〔復路〕 近鉄奈良駅14:57―(500円)→鶴橋駅15:32着(乗り換え)JR鶴橋駅15:36発―(180円)→大阪駅15:51帰着
JR大阪駅中央改札口前に8時20分に集合。本間、松石、金澤、稲葉、日野、香川、大西、塩崎、遠藤、伊藤、吉田の常連組に、平地での花見とあって、吉田(貫)さんと沖田さんとが参加して、総勢は13人に。大阪駅で予定より少し早い電車に乗りましたが、新今宮駅での奈良線への乗り換えで予定通りの電車に乗って、郡山駅に9時半に着きました。
駅前で記念撮影したあと、郡山城の外堀を利用して整備された「外堀緑地
」を北門「冠木門」から入って、南に歩を進めました。
そのあと、郡山の「城下町」を小1時間、あちこち寄り道する予定でしたが、途中で道を間違えてしまって、あっと言う間にお城の近くにまで来てしまいました。市役所の南方で、「NHKの「グレーテルのかまど」という番組で観て、良さそうだったので、ぜひ行きたい」という香川さんの要望に応えて「本家 菊屋」に立ち寄り、名物の「
秀吉のうぐい餅」や桜餅などを、皆さん、おみやげに買われたようです。
菊屋で思ったよりも時間をとられましたが、ほぼ予定通りに郡山城跡公園入口に到着。「お城まつり」の開催中を知らせるゲートをくぐって、内堀に沿って歩を進めました。
(写真上左は追手向櫓、右は追手門)
極楽橋の中ほどに並んで、記念の写真を撮りました。
その途中、少しだけ寄り道をして、大和郡山市上下水道部庁舎に立ち寄り、金魚が描かれた大和郡山市のマンホールカードを全員に「おみやげ」としてプレゼントしました。
上下水道部庁舎を出て、20分ほど歩き、12時前にやっと佐保川に到着。桜はおおむね7、8分咲きでしたが、木によってはほぼ満開状態のものもあって、なかなかの見ごたえがありました。
川土手には菜の花も満開で、桜のピンクと菜の花の黄色のコントラストも映えて、両者に挟まれて記念の写真を撮りました。
最初の予定では県立図書情報館付近で昼食をとる予定にしていましたが、県立図書情報館の手前に石段が設けられた河原があり、すでに1時前になっていましたので、そこで昼食をとることにしました。昼食のあと、金澤さんが用意したトランプによる「抽選」で今年度の月幹事の担当月を決めました。
そのあと、遠藤、吉田貫、沖田の3人が「リタイア」したいというので、県立図書情報館前のバス乗り場に全員で寄り道して、バス停でバスの発車時刻を見ると、バスは1時間に1本しかありませんでしたが、さいわい、30分後の1時20分発というのがあったので、リタイア組はそのバスに乗ることにしました。他のメンバーは県立図書情報館に立ち寄って、しばらくトイレ休憩をしました。
バスに乗る3人を残して、ハイキングを再開。近鉄新大宮駅手前の三条通高橋のところで、奈良が地元の松石さんが早退することになり、残りの9人で「終盤」の「一番の見どころ」を目指しました。
近鉄線路を越えたところで佐保川の流れが南北方向から東西方向になるあたりから幹の太さが大きな桜が増えるようになり、川幅も少し狭いので、両岸から川に枝垂れ落ちる桜が、より見事に感じられるようになりました。
その中で、江戸時代末期に植えられ「樹齢170年」という「川路桜
」は風格を感じることができ、その「川路桜」をバックに記念写真を撮りました。
そのあと、大仏鉄道記念公園
まで足を延ばし、今回のお花見ハイキングの掉尾を飾る一本桜の枝垂れ桜を楽しみました。こちらもまさに満開で、ちょうどよい時に来ることができて、ラッキーでした。
お花見の余韻に浸りながら、奈良女子大学の北側と東側を巡って、3時前に近鉄奈良駅に到着。最初の予定では興福寺にも立ち寄るつもりでしたが、皆さん、もう十分に満足、ということで、改札前で「解散」。いつも通り、もう少しマンホール探索を続けるという吉田を残して、みんなは帰路につき、途中、JR鶴橋駅で途中下車して、駅近くの居酒屋「味祢屋(みねや)」に立ち寄り、「反省会」で大いに盛り上がりました。
味祢屋は金澤さんの行きつけのお店で、山歩会でも時折、利用してきましたが、コロナのせいもあって、味祢屋を訪れたのは2016年9月に香川さんが幹事の室生寺・大野寺ハイキングの帰り以来ということで、5年半ぶりでしたが、お店の大将はわれわれのことを覚えてくれていました。
解説資料:郡山城/佐保川の桜並木/奈良県立図書資料館/川路桜/大仏鉄道記念公園
関連記事:一般社団法人大和郡山市観光協会公式ウェブサイト 金魚とお城のまち やまとこおりやま>観光マップダウンロード>城下町巡りマップ
関連記事:ウィキペディア フリー百科事典>郡山城(大和国)
■第87回 三輪山登山(登拝)(奈良県桜井市)(幹事:塩崎)
2022年1月25日(火)(※ 新型コロナの感染急拡大で、大阪府など関西3府県が政府に「まん延防止等重点措置」の適用を要請することになったので、中止になりました)
■〔2021(令和3)年〕
(12月:大山崎天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地、6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
■第86回 天王山(270m)登山(京都府大山崎町)(幹事:稲葉)
2021年12月28日(火)
[集合時間/場所] 午前10時半/阪急京都線 西山天王山駅 改札口前
[行程]西山天王山駅前→小倉神社→柳谷分岐→天王山山頂(山崎城跡)で食事→酒解神社→十七烈士の墓→旗立松展望台→宝積寺→妙喜庵→離宮八幡宮→歴史資料館→大山崎駅前で解散
阪急京都線西山天王山駅に10時30分に集合。事前に配布された案内に集合場所は「改札口前」とありましたが、改札口は北西側の西改札口と南東側の東改札口とがありました。どちらを選ぶか各人の判断は分かれましたが、最終的に全員、西改札口に集まりました。参加者は金澤、日野、香川、塩崎、伊藤、松石、遠藤、稲葉、吉田の9人。大西さんと本間さんのお二人が欠席でした。
すいゆう山歩会で天王山に登るのは、2018年7月(第61回/幹事:塩崎さん)に続いて2回目。前回は南側のJR山崎駅から登り、宝積寺で一休みしたあと、山頂を目指し、そのあと、ほぼ同じルートを引き返して南側の瓦窯跡登山口に下りましたが、今回は、北側の小倉神社脇から登って山頂に至り、そこから南側に下りてJR山崎駅まで歩くという「逆コース」をたどるということです。
西山天王山駅を10時30分に出発し、登山口のある小倉神社を目指して、高速道路の下の道を北に向かい、長岡東インター信号を東に向かってかなり進んだところで、どうも道を間違ったみたいで、地元の人に聞いて、元の道に戻ることになりました。ところが、またまた間違った道をたどっているみたいで、さらに別の人に尋ねて、再度、逆戻りして、やっと本来のスタート地点である小倉橋にたどり着くことができ、予定より30分ほど遅れての再スタートとなりました。(写真下右側の朱塗りの橋が西山天王山駅の南西側にある小倉橋。小泉川の川土手には水仙が咲き始めていました)
小倉橋から西に向かって住宅地を15分ほど歩いて、小倉神社に着きました。延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社のひとつといわれる小倉神社の背後の竹林の中には鳥居前古墳という4世紀末頃に築かれた前方後円墳があり、参詣道もうっそうとした木々に覆われていました。
小倉神社境内でトイレ休憩ののち、記念撮影。駅前を出発してからすでに1時間近く歩いていて、体は十分あったまっていました。
登り口をしばらく歩くと視界が広がり、山崎城の礎石らしきものが散らばる平地に出たので、そこで礎石や切り株に腰かけて遅めの昼食をとることにしました。
気温は10度以下だったので、食事中、じっとしているとさすがに冷えてきて、さきほど脱いだ服を着込むことになり、そこそこに昼食を切り上げ、「天下分け目の天王山」ののぼりがはためく天王山山頂に立って記念写真を撮ったあと、早々に下山することにしました。
とにかく寒くて、よく見ると、皆、寒さで表情が固まっているのがわかります。
1時15分すぎに下山を開始し、途中、自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)脇を通過したあと、旗立松展望台から三川合流地点を眺め、さらに下りたところにある三川合流展望台では、目前に合流地点を確認することができました。
一番手前が桂川。その次の宇治川は細くて、あまりよく見えません、その宇治川と一番奥を流れる木津川との間の堤(太閤堤)にズラッと並んで見えるのが、近年、桜の名所として全国に名を知れ渡らせた「背割り桜」。奥に横たわっている山の頂には岩清水八幡宮が建っています。
当初の予定では、下りの途中で宝積寺の横を通ることになっていましたが、落ち葉が積み重なって足場の悪い坂道に気をとられて、道を違えて、前回、2018年に通った観音寺の横を通るコースを経て、2時すぎに史跡大山崎瓦窯跡公園側の「登山口」にたどり着きました。
展望台から眼下の三川をさらに間近に見渡したあと、住宅地を通って、阪急大山崎駅まで歩き、すぐ近くにある大山崎町歴史資料館(大山崎ふるさとセンター)を訪ねましたが、あいにく定休日だったので、仕方なく、駅に戻って解散しました。
マンホール探索を続けるため東向日駅に向かう吉田以外は、今年最後ということで、阪急高槻市駅で途中下車して、駅近くの居酒屋でささやかに「反省会」を行いました。
参考記事:「おおやまざき散策マップ」(大山崎ふるさとガイドの会作成)
参考記事:大山崎町>各課などの窓口>企画財政課>企画財政課 企画観光課>観光>町の観光スポット>「天下分け目の天王山」ハイキングコース>天王山ハイキングコースのご案内
■第85回 ケーブルカーで登る六甲山(兵庫県神戸市)(幹事:金澤)
2021年11月23日(火・休)
[集合時間/場所] 午前9時半/阪急神戸線六甲駅 改札口前
[行程]神戸市バス 16系統B乗場「六甲ケーブル下駅行き」―(15分)→六甲ケーブル下駅―(30分)→六甲山山上駅―(30分)→クラブハウス前―(30分)→六甲ガーデンテラス―(30分)→極楽茶屋跡―(1時間30分)→六甲山最高峰→一軒茶屋(昼食)―(魚屋道(ととやみち)・1時間30分)→有馬稲荷神社―(15分)→有馬温泉
阪急六甲駅に9時半に集合。金澤、日野、香川、塩崎、遠藤、伊藤、稲葉、本間、吉田の9人が参加し、術後療養中の大西さんは欠席でした。
駅南側の神戸市バス乗り場で「六甲ケーブル下駅行き」のバスに乗り、15分ほどで六甲ケーブル「六甲ケーブル下駅」に到着しました。
休日で、紅葉の盛りとあって、家族連れや若いグループでいっぱいで、立席も入れて2両で200人乗れるケーブルカーは満員でした。
10分で六甲山上駅に着き、駅近くの見晴らしのいい駐車場でラジオ体操をしてから、徒歩を開始しました。(写真右は、ケーブルカーからの眺め)
予報では神戸市の最高気温は12度で、かなりの寒さを覚悟しましたが、空は晴れ渡り、陽がさんさんと降り注いでいて、バスやケーブルの中は暖かく、山上も風が思ったほどではなく、快適に歩を進めることができました。
「サンライズドライブウェイ」に沿ってしばらく歩いたあと、山中道に入っていきました。
ちなみに、クラブハウス前から六甲最高峰までは「六甲全山縦走路」をなぞることになります。
縦走路を進んでいくと、道の脇に「みよし観音」が建っていました。
なんでも、1964(昭和39)年2月に、大阪国際空港発徳島空港行の日東航空機が尼崎市田能の畑に不時着後炎上した事故で殉職したフライトアテンダントの麻畠美代子さんを悼んで建てられたもので、不時着した田能ではなく、六甲山中に像が建てられたのは、航空機の目的地徳島に行く路線が見られることで選ばれたのだろう、とのことです。
さらに歩を進めて、いったんバス道(県道16号明石神戸宝塚線/六甲山上道路)に出て、「見晴らしのテラス」で休憩がてら、眼下の眺望をしばし楽しみました。
そのあと、六甲山ジンギスカンパレスと六甲山頂の「六甲枝垂れ」の間を通って六甲ガーデンテラスを超えたところで右に曲がり、縦走路をさらに進んで、展望公園・極楽茶屋跡に向かいました。
バス道の脇道をしばらく歩いたところで再び縦走路に入って六甲山最高峰を目指しましたが、最初のアップダウンを越えたところで、最高峰からのルートを駆け降りてきた女性に道のりの険しさの程度を聞くと、「あと4回ほど急な階段を登り下りする」ということでしたので、このまま縦走路を進むグループと、平坦なバス道を進むグループとに分かれることになりました。ちなみに縦走路組は香川、伊藤、吉田の3人だけでした、
12時半に一軒茶屋近くで全員が合流して、少し遅めの昼食をとりました。昼食をとりだしたころから陽が陰りはじめ、寒さに震えながらの昼食でしたが、途中、吉田が持参した鹿肉の甘辛炒め煮がおすそ分けされました。。
それでも、無事、有馬温泉の有馬稲荷神社にたどり着きました。最後のほうは、日野さんを先頭に口笛を吹きながらの軽快な下山となりました。
(左)有馬稲荷神社の石段 (右)石段下の道路沿いの紅葉
有馬温泉では、金の湯に入る予定でしたが、紅葉狩りの観光客でいっぱいだったので、入浴は諦めて、そのまま帰ることになりました。
(左)紅葉に彩られた万年橋 (右)観光客でいっぱいの有馬温泉街
予定していた3時55分発の大阪行き阪急高速バスは予約でいっぱいで、次は4時40分まで待たないといけないということでしたので、しかたなく、電車(有馬電鉄)で帰ることにして、有馬電鉄の乗り場を目指して歩いていると、三ノ宮行の路線バスが止まっていて、3時15分発だということで、急遽、そのバスに乗ることにしました。すぐに発車で、待つことなく帰路につくことになりました。
●アルバム「六甲山から有馬温泉へ」(遠藤次郎さん作成)を見る(アルバムを見るための「合い言葉」はtoyonakaです)
参考記事:六甲山楽図−登山ハイキングマップ
■第84回 箕面山麓周遊(大阪府箕面市)(幹事:香川)
2021年10月23日(火・休)
[集合時間/場所] 午前10時前後/阪急バス 外院バス停前
[行程] 前半:外院2丁目交差点→箕面の森ハイキングマップC12―(ウツギ谷)→G4→G21→C19・しらみ地蔵(昼食)
後半:しらみ地蔵→G21→G3―(谷山尾根)→G29→G5→G28→G6・白姫神社→白島
10時前後に阪急バス外院バス停前に集合。南方の千里中央バス停から先に着いた8人が、西方の箕面バス停から20分あとに着く人を待つかたちに。大西さんが心臓手術のあとまだ時間がたっていなくて欠席になったので、箕面組は吉田一人でした。
しばらく住宅地を歩くと、民家が少なくなり、イノシシ対策の柵を通り抜けると、山道が始まりました。

出発してから30分ほどのところで「C-12」の分岐点にさしかかり、説明版を見ながら、コースを確認します。
さらにウツギ谷を上って、「G-4」地点を越え、「G-21」にさしかかり、もう少しで「しらみ地蔵」です。

11時半に「C-19」の「しらみ地蔵」に到着。しらみ地蔵の周辺は少し切り開かれていて、しらみ地蔵を囲むように木の切り株が10数個並べられていたので、みんなはそこに腰かけて昼食をとりました。木々の間を通り抜けてくるさわやかな風を受けながら、ゆったりとした、とても気持ちのいい時間を過ごしたあと、しらみ地蔵の前で記念の写真を撮りました。
関連記事:馬糞風リターンズ>シラミ地蔵異聞


そこから白島3丁目のバス停まで行きましたが、都合のよいバスの便がなく、南に下って、白島2丁目バス停まで歩いて、解散。さらにマンホール探索歩きをする吉田を残して、あとの8人は千里中央行のバスに乗りました。
■第83回 近場の箕面の山を歩いて リフレッシュ!!(大阪府箕面市)(幹事:大西)
2021年9月28日(火)
[集合時間/場所] 午前10時 阪急箕面線箕面駅 改札口
[行程] 箕面駅前広場→聖天橋→聖天展望台(箕面の森ハイキングマップB1)→B21→B2→みのお山荘→才が原口(B11)→B22―林道才が原線→B25→こもれび展望台(B10)→箕面ビジターセンター(B26)→B27→雲隣展望台(B8)→B5→箕面大滝→滝道を箕面駅まで下る(帰着予定:午後3時ごろ)
3月、6月に続いて、またまた箕面の山を歩く。阪急箕面駅に10時集合。参加者は9人。
今回は、箕面市役所 箕面営業室が発行している「箕面の森ハイキングマップ」の最新版(2021年3月発行)の「コース1:ハイキングビギナーコース」として紹介されている、約8km、2.8時間の「緑と水に癒されるハイキング初心者向けコース」をたどります。
駅前広場でラジオ体操をしたあと、「箕面 東海自然歩道 西の起点」の石碑の前で記念撮影してから、曇り空の中、滝道を上っていきました。
聖天橋を渡って、西江寺・箕面山荘方面ルートをたどると10分ほどで聖天展望台に着きました。

箕面には無数のハイキングコースがありますが、コース途中の分岐点には「箕面自然休養林管理運営協議会」が作成した「箕面の森の道標」がくまなく立てられているので、道に迷うことなく先に進むことができます。

ここからは林道才ヶ原線を通って、「B-10」のこもれび展望台を目指します。
箕面の山麓保全活動をされている方々が大勢休んでおられましたが、その中に、粋遊会会員のHさんの姿もありました。

12時半過ぎに箕面ビジターセンターに着き、広々としたもみじ広場の炊事棟で遅めの昼食をとりました。

関連記事:箕面の森ハイキングマップ MINOH FOREST HIKING MAP(2021年3月発行 箕面市役所 箕面営業室)
関連記事:箕面の森ハイキングマップ みんなで守ろう! みのおのみどり(NPO法人みのお山麓保全委員会)
■第82回 北大阪急行・千里中央駅〜緑地公園間ハイキング(大阪府豊中市)(幹事:伊藤)
2021年7月27日(火)
[集合時間/場所] 午前11時/千里中央駅バス停広場(阪急百貨店側)
[コース] 千里中央駅バス停広場→千里南町公園(ラジオ体操、柔軟体操等実施、痛快歩道歩き体験)→島熊山窯跡→二ノ切池公園(ゆうひの広場で昼食)→ジオ緑地公園沿い→服部緑地→日本民家集落博物館前→レストハウス(自由時間 1時間)→東中央広場→緑地公園駅西口
11時に千里中央駅バス停広場(阪急百貨店側)に集合。参加者は、ご自宅近くの二ノ切池公園北入口で合流する松石さんを入れて12人。
昔懐かしい「千里セルシー」の2階広場を通って新御堂を西に抜け、進路を南に変え、11時15分に千里南町公園に到着。
藤棚の下で、伊藤さん持参の携帯ラジオから流れる音に合わせてラジオ体操「第1」と「第2」を行い、そのあと、しばらく休憩。勇気のある人は、大小の玉石を30mにわたって円形に敷きつめた歩道「健康歩道「フムトラーク」」に挑戦し、足裏のツボへの「痛快」マッサージを体験しました。
そのあと、西に向かい、坂道を上って島熊山窯跡を見学。地元の歴史に詳しい本間さんから解説を受けたあと、再び南に向かい、二ノ切池公園に到着。「湧飛(ゆうひ)の広場」と名づけられた階段状の構造物を上ったところにある半円形のベンチに座って、ソーシャルディスタンスを保ちながら、お弁当。
二ノ切池公園を出たあと、伊藤さんがお住いの住宅の横を通り、さらに東泉丘から西泉丘にかけての高級住宅地を40分ほど歩き、服部緑地の北側沿いの遊歩道を歩いていきました。
1時半に服部緑地に入り、日本民家集落博物館の前で記念撮影しました。
そのあと、当初予定のレストハウスには向かわずに、円形花壇の北東部の小高いところに設けられた休憩所まで歩いて、緑の丘を通り抜けてくる涼風に吹かれながらしばらく休憩しました。
写真左は、服部緑地のほぼ中央部に位置する円形花壇と、それを取り巻く広場。円形花壇ではチューリップやバラなど季節の花が楽しめるようです。
休憩のあと、すぐ近くの「サクラの杜」の中にある「長興寺焔硝蔵場跡」を訪ねて、再び本間さんの解説を受けました。
北大阪急行電鉄の緑地公園駅に向かうグループと阪急宝塚線の曽根駅方面に向かうグループとに分かれ、曽根駅方面に向かう日野・大西・吉田は、途中、西中央広場の売店で今年の初かき氷(イチゴミルク400円)を食べました。
当日は30度を超える暑さでしたが、街中と違って、緑の森や丘を吹き抜けてくる涼風に癒されながらの快適な半日ハイキングでした。
■第81回(再々) ブラリ勝尾寺街道(大阪府豊中市・吹田市・箕面市)(幹事:本間)
2021年6月29日(火)
[集合時間・場所] 午前11時30分/千里中央駅バス停広場(阪急百貨店側)
[コース] 千里中央駅→天神社→旧新田小学校校舎→徳林院→千里中央公園(昼食)→蓮間配水場→峠の茶屋→西国街道→大鳥居
(全行程 徒歩 13,000歩くらい)
千里中央駅バス広場に11時半に集合。参加者は10人。塩崎さんはワクチン接種の日と重なって、残念ながら不参加になりました。
千里中央駅の東側を南下して北新田橋で中国道を跨ぎ、天神社の西側をさらに南下して上新田1丁目の住宅地の細い道を歩いていくと、今日最初の道標に出会いました。
そこから西に少し歩を進めるとすぐに今日二つ目の道標に出会います。
「右 ざい所(在所) 左 大阪へ三リ(里)」と刻まれています。
道に沿って「とよなかウォーキングコース」の表示板もありました。
さらに南に歩いて大阪府道2号線との交差点を南に渡ると旧新田小学校校舎がありました。
明治33年(1900年)に建設された校舎は昭和48年まで使用され、現在、大阪府の指定文化財になっています。全国に残っている明治時代の学校は洋風や擬洋風のものが多いなかで、瓦屋根の純和風の本格建築の小学校は珍しいみたいです。
そのあと、東に方向を変え、徳林院(尼寺)の前を通って、勝尾寺街道沿いに北に歩を進めていくと、新田小学校東側の三差路で、新たな道標に出会いました。
上新田村は寛永3年(1626年)に開かれた村で、千里山の丘陵地帯に初めて開かれた村とのことです。
そのあと、中国道に出て東に向かい、上新田橋を北に渡ると北東側に緑豊かな千里中央公園が広がっていました。
千里中央公園で12時半過ぎに遅めの昼食をとり、そのあと、涼風に吹かれながら1時間ほどのんびり休憩をしました。うち二人は、しっかりお昼寝もしたみたいです。
(左)ソテツの花
(右)タイサンボクの花

千里中央公園は「千里ニュータウン」開発に伴って作られた公園だそうです。「千里中央公園案内図」の前で、地元の歴史に詳しい本間さんから千里ニュータウン開発に関する蘊蓄をいろいろ披露していただきました。
千里中央公園を北に通り抜けたあと、豊中市と吹田市の市境の道「千里さくら通り」を北に進んで、蓮間配水池、峠の茶屋と進んでいきました。
「千里さくら通り」の北の端から箕面市に入り、住宅地を少し進むと西国街道に出会い、そこを東に進んでいきました。
途中、今宮3丁目で箕面墓地公園の北側を通りかかり、「納骨堂 申込受付中」の看板の横で、笑顔で記念撮影しました。
2時半に勝尾寺の大鳥居にたどり着いて、解散。阪急石橋行と千里中央行のバスとに分かれて、帰路に着きました。
当日は、明け方にひと雨あり、天気予報は「午後は曇り、一時夕立のおそれあり」でしたが、途中、何度か雲行きが怪しくなるときはありましたが、結局、雨はまったく降らず、思った以上に陽が射して、みな汗をかくほどの暑さでした。
関連記事:ブラリ勝尾寺街道(本間 進作成)
関連記事:ちょっとぶらぶら>勝尾寺街道〜その3 豊中・上新田〜箕面・今宮
関連記事:北摂の街道・道標 その歴史を後世に伝える>道標5基「見本のまち」上新田のみどころ
■第81回(再) 継体天皇陵、古代歴史館巡り(大阪府高槻市)(幹事:金澤)
2021年5月25日(火)(※ 大阪府に出されているコロナウイルス対応の緊急事態宣言が5月31日まで延長されたため、中止になりました)
■第81回 箕面山を歩いて千里川の源流を探す(大阪府箕面市)(幹事:大西)
2021年4月27日(火)(※ コロナウイルス感染拡大のため、中止になりました)
■第80回 勝尾寺・帝釈寺
周遊散策(大阪府箕面市)(幹事:香川)
2021年3月23日(火)
[集合時間・場所] 午前10時/阪急バス小野原バス停横ケンタッキー・フライド・チキン駐車場
[行程] 往路 @小野原〜帝釈寺北住宅地の中を街歩き A粟生外院の旧参道を勝尾寺まで B勝尾寺横の勝尾寺園地で昼食
復路 C勝尾寺からウツギ谷を経由して外院2丁目まで下り坂 D帝釈寺を参拝して、国道171号線の新家バス停まで
国道171号線の小野原バス停前に10時に集合。バス停そばのケンタッキー・フライド・チキン駐車場でラジオ体操をしたあと、粟生新家、粟生間谷西の住宅地を北に向かって歩き、箕面粟生第3団地の中を通って西に向かい、帝釈寺北信号の南側にある皿池公園でひと休みしました。
そのあと、数々ある箕面山の自然歩道のなかではもっとも東に位置する、帝釈寺北信号から北に伸びるコースをたどって勝尾寺を目指して歩を進めていきました。
北方正面になだらかな稜線を見せる箕面山を目指して歩き始めるとすぐにそれまでの住宅地の様相が一変して、道の両側一面に田畑が広がり、のどかな里山風景となりました。上部左側の写真は歩き始めて最初に目に入った「箕面の森の道標」。この道が勝尾寺参道の一部であることがわかります。
里山のため池に満開の山桜が大きく枝を広げていました。箕面山は山のあちこちに山桜が咲いていて、山仲間の間では秋のモミジだけでなく春の山桜の名所として知られています。
帝釈寺北信号から30分ほど歩いたところに見晴らしのよいところがあり、再び、ひと休み。
ここが「旧参道」と「古参道」との分岐点で、最初の計画では旧参道を上る予定でしたが、時間はかかるけれど道が比較的なだらかだという「古参道」を上ることにしました。
参道の途中にある「町石」のひとつ、四町石。「アク(不空成就如来)阿闍梨圓経」と刻まれていました。参道は途中まではどこにでもあるような普通の山道でしたが、途中から急な登り坂になっていて、その急坂を登りきると一転して、今度は急な下り坂が延々と続いていました。
その急な段々道を下りきったところで目の前に勝尾寺が姿を現すという仕掛けになっていました。
勝尾寺は何度もお参りした人が多く、今回は勝尾寺にはお参りせずに、勝尾寺の東側にある勝尾寺園地まで足を延ばし、そこで昼食をとりました。昼食時には杉本さんと丸山さんが山用の小型ガスバーナーを用意していて、水・コーヒー粉・コーヒーカップなどを持参したメンバーは食後のコーヒーを楽しむことができました。上部右側の写真は、次回、5月山歩会の「箕面山中に千里川の源流をたどるコース」について意見を交わし合う大西、本間、香川のお三方。
食事後の休憩を終えて、復路につく前に勝尾寺園地内で記念写真。
昼食のあと、復路は、今度は勝尾寺参道の急坂を延々と登ったあと、ウツギ谷を通る自然歩道を下っていきました。途中、倒木がいたるところにあり、2017年10月の超大型台風21号や2018年9月の台風21号の爪痕がいまだ完全には癒えていないことを知らされました。
箕面の山々を我が庭のごとくに何度も歩き、歴史にも詳しい本間さんが道中の各所でガイド役を務められ、いろいろと詳しく解説していただきました。写真はしらみ地蔵について語る本間さん。
外院3丁目信号から帝釈寺北信号まではバス道沿いを東に向かって歩き、そこから再び南に下って、帝釈寺にお参りがてら小休止しました。聖徳太子の創建と伝えられる帝釈寺境内には樹齢約500年のヤマモモの大樹が影を広げていました。
そのあと、さらに南に下り、4時過ぎに勝尾寺口バス停に着き、阪急石橋駅行きのバスに乗って、帰路につきました。当日は快晴で、気温は18度くらい。風がないと暑く感じるほどの陽気でしたが、杉の木が茂った谷地は気温が低くて少しひんやりとするほどで、とても快適な山歩きの一日でした。
●アルバム(杉本敬信さん作成)を見る(アルバムを見るための「合い言葉」はtoyonakaです)
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■番外編 阪急豊中から
千里川下流沿いに尼崎市立農業公園までハイキング (幹事:丸山)
2021年2月23日(火・祝)
[行程] 阪急豊中駅→西に400m→千里川左岸→大阪国際空港南端→原田大橋→猪名川左岸→尼崎市立農業公園 (歩行距離:往復約10km、3時間40分(休憩時間を除く))
10時に阪急豊中駅改札口前に集合。アップダウンのない平地の散策とあって、レギュラーメンバーのほかに、矢原さん、鈴山さん、杉山さんも参加して、総勢14人で出発。阪急の高架沿いに西に400mほど歩いて千里川信号を左に曲がり、千里川左岸の堤防道を南に下っていきました。
千里川は、猪名川の支流で、箕面市の箕面山から流れ出し、豊中市の北西部を流れて猪名川に合流する一級河川。改修工事が何度も行われて、川土手にも遊歩道が設けられていました。道路沿いの梅の花がちょうど見ごろを迎えていました。
途中で右岸に渡り、歩き始めから30分くらいたったところで土手道は大阪国際空港の南端沿いに進むことになり、途中で人がたくさんいるところに出くわし、よく見ると、大きなカメラを持った人が何人もいました。ここは、大阪国際空港滑走路の南側の「原田進入灯橋」があるところで、頭のすぐ上を航空機が通り過ぎていくポイントとして有名なところだそうです。(写真下左は進入灯)
滑走路を背景に記念写真を撮りました。
我々も頭の上を通り過ぎる飛行機を見ようとしばらく待ちましたが、残念ながら、なかなかやってこないので、あきらめて先を急ぎました。
さらに南に下り、原田大橋の南方にある千里川と猪名川との合流地点を南下する予定でしたが、川土手の改修工事中で通行止めになっていて、しかたなく後戻り。クリーンランドの前の道を西に向かい、クリーンランドひろばでトイレ休憩したあと、猪名川左岸の土手沿い道をさらに西に進んでいきました。
田能遺跡を右に見たあと、猪名川橋を渡って、右岸にある尼崎市農業公園に到着。
農業公園はボタン、バラ、ハナショウブのほか、桜、梅、アジサイなど多彩な花が楽しめる公園で、梅林には130本の梅の木があり、白梅も紅梅も、もう少しで満開という感じで、ちょうど見ごろでした。
梅の花を堪能したあと、公園南西部の芝生広場まで歩いて、ふじ棚の下のベンチで弁当を食べ、ゆったりとした時間を過ごしました。幹事の丸山さんが日本酒を持参してくれていたので、思わぬ梅見酒となりました。平安時代以降、花見といえば桜ですが、奈良時代以前は梅の花見だったそうです。
晴れ時々曇り、最高気温は14〜15度。風が冷たくて気温よりは寒く感じましたが、風がないところではうっすら汗をかくくらいの陽気で、コロナ禍の運動不足を解消するには、まずまずのハイキング日和でした。
●アルバム(杉本敬信さん作成)を見る(アルバムを見るための「合い言葉」はtoyonakaです)
関連記事:icotto 心みちるたび>大阪府>もう手が届きそう!迫力の着陸シーン!伊丹空港横「千里川土手」
■第79回 身近な里山・池田五月山散策(大阪府池田市)(幹事:杉本)
2021年1月26日(火)
[行程] てるてる広場―5分→池田駅前公園(体操)―10分→辻ヶ池公園―45分→大文字火床・展望台―(自然とのふれあいコース)15分→五月山動物園(昼食予定)―10分→池田城址公園―30分→呉服神社
―5分→阪急池田駅(解散) (歩行距離:約9km、高低差:約250m)
10時に阪急池田駅前の「てるてる広場」に集合。大阪・兵庫・京都に新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が出ていましたが、アウトドアであり、感染予防対策をしっかりとるということで、メンバー12人全員の参加となりました。
池田駅前公園に移動してラジオ体操を行ったあと、辻ケ池公園を経て五月丘の住宅地を上っていきましたが、坂道が長く続き、気温も高くなってきて、上着を一枚脱ぐ人が増えていきました。
駅前公園をスタートしてから30分ほどたったところで、五月山公園の入口の道標のあるスロープを上り、駐車場となっている少し見晴らしいいところで最初の休憩をとり、そのあと、「五月平高原コース」を上り始めましたが、最初から急な石段が長く続いていて、途中で一度休憩することになりました。
(左)五月平高原コース登り口の案内板で今日一日の散策コースをチェックする
(右)五月平高原コースを黙々と上っていく
さらに10分ほど歩いて「大文字火床・展望台」に到着。大阪湾から六甲山まで広がるすばらしい展望に、みな感嘆の声をあげました。(目の前に並んでいるのが大文字の「火床」)
大文字火床・展望台からの眺望。大阪市内から生駒山や金剛山まで眺めることができました。
(※ 画面を右に広げるともう少し広い範囲を見ることができます)
しばらく休憩したあと、すぐ上方の五月平展望台まで行ったあと、さらに上方の広場まで行ってお弁当にしました。
展望台上方の広場で弁当を食べたあと、冬の日差しを浴びながら、のんびりとくつろぎました。
昼食のあと、トイレのある駐車場まで歩き、そこから「自然とのふれあいコース」を下り、途中、フィールドアスレティックにあるような「吊り橋」渡りを楽しんだあと、「五月台」という展望台で北西方向の猪名川上流部の展望を楽しみ、かなり遠くの山々の連なりまで見ることができました。
そのあと、「大一文字火床」がある秀望台で南方向の展望を楽しんだあと、「大文字コース」の石段を下り、五月山体育館の横を通って池田城址公園を訪れる予定でしたが、公園入口まで来て、火曜日は定休日で休みということがわかって、ガックリ。
仕方なくそのまま坂道を下り、町の中心部を西に横切って猪名川まで歩き、河原道を南に下り、阪急の高架をくぐったところで東に方向を変え、呉羽神社にお参りしたあと、2時半過ぎに解散しました。
天気予報では「午前中は晴れ、午後から雲が厚くなり、3時を過ぎてから小雨が降り出し、6時以降本格的に降る」となっていましたが、ほぼ天気予報通りで、散会するまで雨に降られずにすみました。
●アルバム(杉本敬信さん作成)を見る(アルバムを見るための「合い言葉」はtoyonakaです)
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■とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
●2021年(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地、6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
●2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
●2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
●2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
●2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
●2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
●2015年(12月:琵琶湖疎水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
●2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
●2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
●2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
●2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)
男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
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●男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定
●これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
●2018(H30)年〜
●2017(H29)年
●2016(H28)年 ●2015(H27)年
●2014(H26)年 ●2013(H25)年
●2012(H24)年 ●2011(H23)年
●2010(H22)年 ●2009(H21)年
●2008(H20)年 ●2007(H19)年
●2006(H18)年 ●2005(H17)年
●2004(H16)年 ●2003(H15)年
●2002(H14)年 ●2001(H13)年
●2000(H12)年 ●1999(H11)年
●〜1998(H10)年
●第3次男女共同参画基本計画
(2010年12月17日閣議決定)
●男性問題を考える上での諸概念
*「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
*男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景 *充実した人生のために必要なもの
●「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)
●男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
*「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
*「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
*「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
*「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)
●関連記事
*はいじ:男性向け講座(2008.2)
●団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
*団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
*(城陽市)おとこのわいわい日曜塾
●男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
E-mail:ptokei04@s5.dion.ne.jp
TEL/FAX:06-4980-1128
携帯電話:080-5709-1944
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