すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)■
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すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)
すいゆう山歩会は、団塊世代の地域グループモデルとして2007年7月に発足したとよなか粋遊会の自主グループとして、同会メンバーの金澤さんの呼びかけによって、2008年7月に「山歩会」の名で誕生しました。例会は、原則として毎月第4火曜日に行っています。(2月と8月はお休み。2023年から1月と8月とに変更)
第1回から第38回(2015年10月)までは会長の金澤さんに毎回のコース設定や案内・連絡をお任せしてきましたが、金澤さんからの提案で、翌・第39回からは、メンバー全員で順番に計画・実施する「幹事当番制(月幹事輪番制)」で行っています。
●すいゆう山歩会 これまでの活動履歴一覧(2008年〜2023年)
●すいゆう山歩会 活動履歴(2008年〜2023年)(金澤さん作成)
●すいゆう山歩会 開催履歴一覧表(第1回〜100回)(吉田作成)
すいゆう山歩会(さんぽかい) (とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録L(2023年〜)
■〔2024(令和6)年〕
(2024年度の月幹事 : 5月 本間、6月 塩崎、8月 香川、9月 伊藤、10月 金澤、11月 吉田、12月 杉本、2025年 2月 大西、3月 日野、4月 稲葉)
■第109回(再) だんじり祭りの町・岸和田城下散歩(幹事:伊藤)
2024年9月24日(火)
[集合時間/場所] 9時50分/南海なんば駅 3階 北改札口付近
[行程] 10時08分 なんば駅 ― 南海線空港急行 → 10時34分 岸和田駅 → 岸和田駅前通商店街 → 城見橋筋商店街 → 岸城神社 → 11時 岸和田城〈城内見学30分) → 11時30分 二の丸広場観光交流センター(食事、喫茶、買い物/50分) 12時20分 交流館発 → 12時25分 岸和田だんじり会館 (会館見学40分。だんじりのお囃子の太鼓(大小)鐘叩き体験あり) 13時05分 → 13時10分 天性寺(参拝10分) → まちづくりの館(10分休憩) → 吉田松陰逗留地の顕彰看板 → 本徳寺(明智光秀の子が建立) → 岸和田駅前通商店街 → 14時 岸和田駅着
[帰路] 14時06分 岸和田駅(南海特急サザン32号) → 14時29分 なんば駅(なんば駅改札出口にて、14時30分解散予定)
9時20分過ぎに集合場所の南海なんば駅北改札口前に行くと、伊藤さん、杉本さん、大西さんがいて、そのあと、金澤さん、香川さん、本間さん、稲葉さん、塩崎さんが現れ、最後に福嶋さんが姿を見せました。
日野さんは奥さんが体調不良で、看護のため欠席され、本日の参加者は総勢10人です。
予定通り、なんば駅発10時8分の関空快速に乗り、10時34分に岸和田駅に着いて、駅の中央口を西側に出て、北西側に延びる岸和田駅前通商店街に入っていきました。
5分ほど歩いたところで左に折れて、城見橋筋商店街を経て岸和田城に向かうのですが、伊藤さんが用意した「岸和田城周辺 まち歩きマップ」の中に、その曲がり角近くに「コシノ三姉妹の生家」の文字があるのを見つけたものがいて、そこに立ち寄ることにしました。
世界的にも有名なファッションデザイナー・コシノ3姉妹の生家(コシノ洋装店)は、NHK朝の連続テレビ「カーネーション」の舞台となってからは「コシノギャラリー」として多くの観光客が訪れていましたが、2019年3月に「まいどおおきに食堂」を展開する株式会社フジオフードシステムのプロデュースのもと、食堂としてリニューアルした、とのことです。現在も2階はミュージアムとして小篠綾子とコシノ3姉妹の思い出の写真や資料などが飾られているそうです。
関連記事:岸和田城周辺 まち歩きマップ
関連記事:Walkerplus>ニュース>2019年3月29日 「岸和田の新たな観光名所に」コシノ3姉妹の生家が「アヤコ食堂」としてリニューアルオープン!
「アヤコ食堂」の前でかなりの時間を費やしたあと、城見橋筋商店街を通って、11時過ぎに今日の最初の訪問地・岸城(きしき)神社に着きました。
岸城神社は岸和田城・三の丸にあり、祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱。岸和田祭発祥の宮とも。9月15日に催される例祭には神賑行事として各町から曳き出された地車(だんじり)が、旧・北大手門から城入りし、岸城神社に宮入りします。(境内立て札より)
照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱が祀られている本殿。本殿脇には地元高校生が描いた大絵馬が飾られていました。
岸城神社の参詣を終え、石の鳥居を出て西に向かうと、目の前に岸和田城の勇姿が目に飛び込んできました。さっそく、堀端に続く階段を下りて、岸和田城をバックに記念の写真を撮りました。
そのあと、堀端を南東側から南西側に回り、堀端を半周して北西側の城の入口に着きました。
城を南西側から眺めたところ。石垣の裾に「犬走り(狭い幅の通路)}があるのは珍しい。
城を北西側から眺めたところ。中央が天守閣。右は隅櫓。
城の入口近くにある城内位置図を眺めて、さまざまに思いを巡らせる。
予定では、橋を渡って城内見学をし、そのあとに昼食をとることになっていましたが、時間がすでに11時半になっていたので、先に昼食をとることにして、城のすぐ北西側にある二の丸広場観光交流センターに入りました。
二の丸広場観光交流センターの中にはカフェスペースがあり、そこは無料休憩所になっていて、椅子に座って、ゆっくり食事をとることができました。
興味をもった伊藤さんがビニール袋を買って、なんとか4、5本を袋に押し込んでいると、スタッフの女性がそばに来て、「まだまだ、まだまだ詰められる」と、袋からはみ出す水なすを無理に押し込んで、最終的に8本にもなりました。
続いて、塩崎さんもチャレンジし、同様に、袋からはみ出すほどの水なすをゲットしました。
土橋の入口両脇には、城の別称「猪伏山 千亀利(ちきり)城」の名が記されたあんどんが立っていました。
城の1階・2階の郷土資料展示室で、岸和田城の歴史やあゆみ、城と城下町の変革にまつわる多くの資料を見たあと、3階の展望台で西に大阪湾・淡路島、東に生駒山脈など、四周に広がる景色を眺め渡し、そのあと、展望台内のパネルの前で記念の写真を撮りました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>魅力想像部>観光課>岸和田城いまむかし
そのあと、天守閣の西方の隅櫓に入り、岸和田に古くから伝わる「蛸地蔵伝説」にまつわるビデオを見て、大蛸に乗った法師=地蔵の化身が戦乱や高波から岸和田の人々を守ったとされる物語に昔をしのぶことができました。
関連記事:Ameba>アメブロ>神も仏もあるもんや>2015年8月26日 蛸地蔵伝説
ビデオを見たあと、隅櫓をあとにし、櫓門をくぐって城の外に出て西方に向かいました。
従来モデルのお城を描いたデザインマンホールとともに、2022年11月に岸和田市制施行100周年を記念して作られたマンホールには岸和田城の別名「千亀利城」から名前をもらったマスコットキャラクター「ちきりくん」が描かれていました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>上下水道局>上下水道局総務課>【100周年カラーマンホールを探そう!】市制施行100周年記念マンホール蓋を設置しました(カラーマンホール探そうマップを追加しました)
展望広場西方の駐車場脇の細い道を通って大通りに出ると、目の前にだんじり会館がありました。
館内に入り、2階の展示室に足を踏み入れると、まず最初に、見事な装飾が施された旧紙屋町のだんじりを間近で見ることができました。
90年の歴史をもち、2011年に引退した旧大工町のだんじりも保存展示されていました。
体験コーナーにはだんじりの屋根を模したものもあり、伊藤さんが登って、大工方のポーズをとりました。
4階のだんじりシアターでは、大迫力の「3面シアター」で市内各所で繰り広げられるやりまわしの映像を存分に楽しむこともできました。
だんじり会館でたっぷり時間をとって様々な展示にもじっくり目を通したあと、2時前に館の前で記念の写真を撮りました。
関連記事:岸和田 だんじり会館
だんじり会館を出たあと、南西に向かって歩をとり、5分ほど歩いたところで北に向かい、光明寺の前で西に向かうと蛸地蔵天性寺がありました。
関連記事:岸和田市魅力発信サイト きしわだSIDE>天性寺
関連記事:日本伝承大鑑>大阪>天性寺 蛸地蔵
天性寺を出たあと、光明寺の南西角から北東にまっすぐ伸びる紀州街道に足を踏み入れ、昔ながらの民家や商家が建ち並ぶ街道を進んでいきました。
途中、街道沿いの休憩処「まちづくりの館」に立ち寄り、冷たいお茶の無料サービスをいただいて、涼をとりました。
関連記事:まちづくりの館
まちづくりの館でしばしくつろいだあと、再び紀州街道沿いに歩を進め、途中、吉田松陰逗留地の顕彰看板に足を止めたりしながら、さらに、街道を進んでいきました。ちなみに、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だった相馬九方を訪ね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在した、とのことです。
関連記事:岸ぶら ぶらぶら岸和田なんやこれ?>2,013年1月20日 岸和田「八重の桜」ゆかりの地、吉田松陰の逗留地
そのあと、紀州街道の、岸和田市役所の北方にある「きしわだ自然資料館」の前を通ったのですが、資料館はあいにくの休館日で見学することができませんでした。岸和田城に入場するときに購入した「3館共通券」(大人700円)は、岸和田城・だんじり会館・自然資料館の3館がセットになっていたので、自然資料館に入れなかったのは、とても残念なことでした。
関連記事:きしわだ自然資料館
紀州街道をさらに東に進んで、正覚寺、西方寺、本昌寺、円教寺などの寺が立ち並ぶ路地を通りましたが、明智光秀の肖像画を所蔵していることで有名な本徳寺には、肖像画は公開されておらず見ることができないので、予定を変更して、立ち寄りませんでした。
関連記事:ウィキペディア>本徳寺(岸和田市)
寺町から南に進むとまもなく岸和田駅前通商店街の北側の入口に着き、商店街を前に進み、3時前に岸和田駅に戻り着きました。
貝塚駅まで足を延ばしてマンホールの写真を撮るという吉田と別れて、みなは帰路に着き、一部有志は梅田で反省会を行いました。
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今回の反省会は、杉本さんおすすめの梅田の「大衆酒場天神大ホール」で行いました。
恒例のこの反省会も、先週の粋遊会本会(JR大回り乗車)は「かき氷」8人参加に対し、「ラッキー」の飲み会は3名という状況で、今回も4名のみの参加でした。
ともあれ、一旦飲み始めると、「これが健康維持の大きな力だ」ということで、身の回りのいろんなことを大きな声で話し合い、楽しく笑って 1時間強を過ごしましたが、その内容はもう憶えていません!悪しからず…(9月25日香川) 関連記事:大衆酒場 天神大ホール
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■第109回 箕面山麓周遊散歩 その4(幹事:香川)
2024年8月27日(火)(台風10号接近のため、中止になりました)
■第108回(再) 交通の要衝の地 八尾を歩く(幹事:塩崎)
2024年6月25日(火)
[集合時間/場所] 8時45分/JR大阪駅中央改札口案内所付近
[行程] 8:58 JR大阪駅 → 9:14 新今宮駅 9:25 ―(大和路快速)→ 9:36 久宝寺駅 9:40 → 9:45 志紀駅 JR志紀駅 → 弓削神社 → 由義寺 → JR志紀駅 → JR八尾駅 → 旧植田家住宅 → 渋川神社 → 物部守屋大連墳 → 大聖勝軍寺 → 昼食 → 跡部神社 → 真観寺(三好長慶墓所) → 寺内町(許麻神社・顕証寺・ふれあい館) → 近鉄八尾駅 → 近鉄鶴橋駅(解散)
今日の山歩会は「八尾散策」。「八尾は交通の要衝の地であったため、古代には争乱、中世では寺内町としての発展、近世は木綿づくりの供給地など、歴史上重要な場所でした」(塩崎)とのこと。
8時半過ぎに吉田が集合場所に着くと、すでに塩崎、日野、金澤、大西、香川、伊藤、本間、稲葉、杉本、福嶋の10名が集まっていて、予定より少し早く、総勢11人で改札内に入り、環状線のホームに向かいました。8時51分発の関空快速に乗って、新今宮駅に9時8分に着き、9時15分発の各駅停車の大和路線に乗り、予定より10分ほど早く9時34分に志紀駅に着くことができました。
志紀駅から北東方向に向かい、5分ほど歩いたところで弓削神社に着きました。
弓削神社は、社名の通り古代氏族弓削一族の氏神です。弓削神社は志紀駅を挟んで東西に2社ありますが、こちらは東側のほうでした。弓削神社境内で塩崎さんから弓削神社の歴史や弓削道鏡と称徳天皇との関係などについてザっと説明を受けました。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>弓削神社(東弓削)
関連記事:ウィキペディア>弓削神社(八尾市)
弓削神社を出たあと、大阪外環状線沿いに北東に向かってしばらく歩くと、「由義寺碑」と記された石碑が建っていました。
「由義寺(ゆげでら)は、「続日本紀」に登場する奈良時代の寺院で、称徳天皇が、道鏡の出身地である弓削の地に建立。称徳天皇は、由義寺とともに由義宮の造営を進め、西京としたが、その死去により計画は中止されました。その後、由義寺と由義宮の場所はわからなくなっていましたが、2015年に始まった八尾市曙川南土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査において、一辺が約20メートルの基壇が発見され、その大きさや出土した瓦などから由義寺の塔基壇と判明した」(石碑の下部に記された説明文より)、とのことです。
関連記事:八尾市>八尾の紹介>八尾の歴史遺産>文化財情報>由義寺(ゆげでら)について
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関連記事:八尾市>八尾の紹介>八尾の歴史遺産>文化財情報>由義寺跡(ゆげでらあと)の発見と調査成果について
そのあと、志紀駅まで戻って電車に乗り、八尾駅で降り、駅のすぐ南東側にある渋川神社を右に見ながら旧植田家住宅の前まで行きました。
植田家住宅は火曜日が休館日なので、残念ながら中に入ることはできませんでしたので、渋川神社に向かいました。
関連記事:福祉と寺社とこころのブログ>大阪編>渋川神社は八尾のパワースポット!物部氏祖神の神聖なエネルギーとは?
渋川神社を出たあと、八尾駅近くに戻り、そこから南西方向に20分ほど歩き、太子堂交差点を渡って、国道25号線(旧奈良街道)を西に向かうと、歩道橋の南方に「鏑矢塚」がありました。
「用明二年(587)に厩戸皇子(うまやどのおおじ)(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子(そがのうまこ)らは、渋河の地で物部守屋(もののべのもりや)の軍勢と戦います。稲城(いなき)を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却しますが、四天王に祈願すると、迹見赤檮(とみのいらい)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと『日本書紀』に記されています。鏑矢塚は、迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと『大聖勝軍寺略縁起』(1455)は伝えています。鏑矢とは、先端が植物の「かぶら」のような形をしている矢のことです。」(八尾市教育委員会作成の説明板より)
関連記事:すてまわり>鏑矢塚 -八尾市南太子堂-
歩道橋を北に渡って西に向かうとすぐに大聖勝軍寺がありましたが、勝軍寺の前で100mほど東に戻って、物部守屋大連墳(もものべのもりやおおむらじ ふん)を訪ねました。
天皇の跡継ぎ問題を巡って蘇我馬子や厩戸皇子(聖徳太子)らと戦って破れ、射殺された物部守屋のお墓ですが、この墓の整備にあたっては全国の神社が協力を惜しまなかったようで、墓を取り囲む玉垣には住吉大社、枚岡神社、春日大社、伏見稲荷大社、諏訪大社、宗像大社などなど全国各地の有名神社の名を見ることができました。
(※ 香川さん注:昨年10月山歩会の「千里丘陵さんぽ」で訪ねた千里の氏神 上新田天神社の玉垣もありました(^.^))
関連記事;八尾市観光データベース>名勝・史跡>物部守屋墳
関連記事;諏訪大社と諏訪神社>各地神社のメニュー>物部守屋墓 大阪府八尾市
関連記事;note>物部守屋大連の墓(もののべもりや おおむらじ)
そのあと、大聖勝軍寺に戻り、境内に入りました。山門の左右の柱には、右に「太子堂」、左に「大聖勝軍寺」の門札が掲げられていました。
大聖勝軍寺は、聖徳太子が物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護によっていくさに勝つたので、この寺を建てたといいます。聖徳太子の墓のある太子町の叡福寺の「上の太子」、羽曳野市の野中寺の「中の太子」に対して、大聖勝軍寺は「下の太子」と呼ばれています。
本堂の太子堂の扉は普段は閉まっていて、中に入ることはできませんが、当日は、寺の奥さんのご厚意で扉を開けていただき、ご本尊と対面することができました。正面中央に菩薩半跏思惟像(伝 如意輪観音像)、両脇に四天王を従えていました。
関連記事:河内西国霊場会>第一番 大聖勝軍寺
関連記事:いにしえの都 にっぽんの神社・パワースポット巡礼>神社紹介(ご利益別)>リラックス、癒し>大聖勝軍寺(太子堂)|八尾|厩戸皇子を救ったという神妙椋樹は必見!
12時前になり、昼食の時間ですが、事前の下見で塩崎さんが寺の奥さんにお願いしていて、境内の一隅にある集会所で昼食をとることができました。室内にはお湯の入ったポットと緑茶のティーバックやカフェオレのスティック、それに菓子まで用意され、さすが、高野山真言宗に属し、河内西国第一番霊場でもある勝軍寺、「おせったい」の気持ちにあふれていました。
ゆっくりと食事をさせていただいたあと、勝軍寺を辞し、国道25号線を西に向かいました。歩行の途中でおなかが痛くなっていた杉本さんは、残念ながら、ここでみんなと別れて、帰路に着きました。
勝軍寺を出てから20分ばかり歩いたところで小学校の角を北に折れ、しばらく歩くと跡部神社がありました。
跡部神社について、大阪府神社名鑑には「当社は延喜式内の神社であるが、創建の年月および御祭神は詳らかでない。しかし此の地は古の跡部郷であり、阿刀連がその祖神を祀ったものであろうと伝えられている。」と記されている、とのことです。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>跡部神社
関連記事:吉野へようこそ>続・神々の座す杜>式内社 跡部神社(路部神社)
跡部神社から北に少し歩いて、さらに西に向かうと5分ほどで真観寺に着きました。
真観寺境内には、三好長慶の墓がありました。三好長慶は戦国時代の武将で、河内・四条畷の飯盛山に築いた飯盛城を本拠に、その絶頂期の勢力は山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9か国に及んだといいます。
関連記事:八尾市観光データベース>真観寺
関連記事:大阪再発見!>史跡めぐり>名所・旧跡を訪ねて>三好長慶の墓
関連記事:ウィキペディア>三好長慶
真観寺を出たあと、今度は、JR久宝寺駅の北側一帯に広がる「久宝寺寺内町」を目指します。
近畿道の東側をシャープ八尾の建物を右手に見ながら北に向かって10分ほど歩き、さらにJR線の南側を東に向かって15分ほど歩くと久宝寺駅に着きました。
その久宝寺駅にかかる跨線橋を渡って駅の北側に抜け、北に向かって10分ほど歩くと、やっと久宝寺寺内町の南西角に位置する許麻神社(こまじんじゃ)にたどり着くことができました。この地は古くは高麗からの渡来民族が多く住み、祖霊として祭祀したのが許麻神社の社名の由来だそうです。
関連記事:八尾で暮らそう!>お寺・神社>静かな境内で過ごす癒しのひと時!久宝寺の 「許麻(こま)神社」
許麻神社の南の鳥居をくぐって境内に入ると、6月30日に行われる夏越の祓に備えて茅の輪が設置されていました。
東の鳥居をくぐって許麻神社を出ると正面に顕証寺があり、顕証寺の西側、さらに北側を5分ほどかけてグルっと回って東側の正面山門から顕証寺の境内に入りました。
顕証寺は、15世紀に本願寺蓮如上人によって西証寺として建立された寺内町の中核的寺院。久宝寺御坊とも呼ばれる巨大で立派なお寺です。
関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>顕証寺(けんしょうじ)
本堂をバックに記念の写真をとりました。
顕証寺を出たあと、安井道頓にまつわる碑があるという「寺内町ふれあい館(八尾市まちなみセンター)」を探し、地元の人に尋ねて、元来た道を少しばかり戻り、無事、ふれあい館を訪ね当て、「贈従五位 安井道頓・道卜 出生地」と書かれた石碑に巡り合うことができました。
道頓の碑の前でたむろしていると、ふれあい館の職員の方がリーフレット「久宝寺寺内町案内版」を持ってきてくださり、塩崎さんと安井道頓についてや、地内町や八尾の古い歴史について熱心に話し合っていました。ふれあい館の中の集会所では地元女性たちによる三味線のお稽古中で、夏祭りの準備か、華やかな音色が響いていました。
関連記事:河内彷徨 〜郷土を見にいく〜 >石碑>安井道頓出生地
関連記事:ウィキペディア>安成道頓
ふれあい館を出ると、あとは近鉄八尾駅を目指して、30分ほど、東に向って歩くばかりです。
途中、ふれあい館から5分ばかり歩いたところに、ふれあい館の職員の方から勧められた創業150年の老舗和菓子店「帯喜多」があったので店内に入り、名物の「あんまき」を食べたり、お土産に買ったりしました。
関連記事:ぎゃるまま日記/ギャルママ日記(関西グルメ情報&おでかけ情報)>グルメ>大阪府八尾市>あん巻きが美味しい!和菓子屋さん 帯喜太(おびきた)大阪府八尾市久宝寺
関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>久宝寺寺内町について>史跡>寺井戸
寺内町の通りなどには、糸車で糸を紡ぐ姉さんかぶりの女性を描いたカラーのデザインマンホールがたくさん敷設されていました。また、近鉄八尾駅やJR八尾駅前には大阪・関西万博のデザインマンホールが設置されていました。
3時過ぎに近鉄八尾駅に着きました。当初の予定では近鉄鶴橋駅で途中下車して反省会をすることになっていたのですが、なぜか「行きたい」と手を挙げる人が誰もいなくて、なんと、反省会は不成立。皆さん、相当のお疲れだったのでしょう。かく言う吉田も、予定では八尾駅で皆と別れて旧八尾街道をたどってJR加美駅まで1時間ほど歩いてマンホールの写真を撮るつもりでしたが、お天気が曇空だったことと、腰に痛みが出たこともあり、珍しく皆と一緒に帰路に着きました。
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■第108回 姫物語を追いながら猪飼野を歩く(大阪市) (幹事:本間)
2024年5月28日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第107回(再) いにしえの風景が残る京田辺を歩く(京田辺市) (幹事:伊藤)
2024年4月23日(火)
[集合時間/場所] 9時20分/JR大阪駅中央コンコース改札前付近
[行程] 9時46分 JR学研都市線・北新地駅発 ―(東西線区間快速木津行・49分) → 10時35分 京田辺駅着 → 10時40分 駅前発 ―(20分)→ お食事処「やまぼうし」(昼食・11時00〜11時55分)→ 12時発 → 12時10分 田辺公園着(公園散策、健康遊具で体ほぐし・45分)→ 13時 公園発 → 13時20分 酒屋神社着 ―(40分)→ 14時 観音寺着(観音寺拝観30分・日程があえば住職よりの説法有り) → 14時30分 観音寺発 → 14時40分 普賢寺ふれあいの駅着(野菜直売所・お土産等買い物) 15時発 ―(同志社校舎沿い)→ 15時40分 JR同志社前駅着 → 15時43分 JR同志社前発 ―(学研都市線快速宝塚行・46分)→16時29分 JR北新地駅着(16時30分頃解散予定)(全長約7.5Km)
9時20分にJR大阪駅中央改札口前に集合。9時前には伊藤、香川、金澤、日野、大西、本間、稲葉、吉田が集まり、そのあと塩崎、そして最後に福嶋が姿を現わし、今日の参加者は総勢10人。
地下街を南に歩いて、JR学研都市線北新地駅に着き、予定通りの9時46分発の区間快速に乗り、10時35分に京田辺駅に着きました。
(写真:伊藤)
明け方まで降っていた雨もやんでいて、予報では夕方から再び降り出すという雨が解散時までなんとかもってほしいと願いならが、歩行を開始しました。京田辺を歩くのは、昨年3月に伊藤さん幹事の粋遊会本会で一休寺などを訪ねたのに続いて2回目になります。
駅の西出口前から西に向かい、住宅地のなかを10数分歩いたところに尼ケ池というため池があり、その土手道を通って池の南側で土手を右に下りると樹々に囲まれた建物があり、そこが今日の昼食をとるお店「やまぼうし」でした。
11時前でしたので、店内の長テーブルが空いていて、そこに座ることができました。
(写真:伊藤)
前もって予約しておいた「ふわとろオムライス、サラダ、コーヒー付き」1,250円。
オムライスは、文字通り、ふわふわトロトロ。薄味の上品な味でした。
オムライスを食べたあと、壁一面のガラス窓越しに北側に広がる池を眺めながら、食後のコーヒーをゆっくり飲みました。
(写真:伊藤)
お昼前になり、店内が次第に混むようになってきたので、11時45分に店を出て、店の入口前で記念の写真を撮りました。
店の入口前に立っているのが、店名の由来の「やまぼうし」。苗から育てて40年の年代ものの木だそうです。
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【今回、昼食処に「やまぼうし」さんを決めた経緯】 元々は、一昨年、粋遊会の「一休寺をめぐる、京田辺散策コース」を担当幹事として企画した際、地元の観光案内パンフレットに載っていた「やまぼうし」さんを訪ねたところ、地元野菜をふんだんに使ったサラダ、デミグラスソースを使った「ふわっとろなオムライス」、食後のコーヒーと、その美味しさと、お得感のあるメニューに感動しました。会員の皆様にも、是非ご紹介したいと思い、何とか予約できないかと交渉しましたが、「大人数(17名)様の昼食はお受けかねます」と断られたため、やむなく昼食会場を他店(おうどん屋さん)に変更し、粋遊会を実施しました。
今年度、「いにしえの風景が残る京田辺をあるくコース」第2弾を「山歩会」幹事として企画した際、会の参加人数も10名程度と少人数となったこともあり、再度お店を訪ね、「何とか食事をさせていただきたい」とお願いしたところ、オーナーの方より、今回承諾をいただけものです!
【一口紹介メモ】 やまぼうし(京都府京田辺市田辺尼ケ池1−1。電話0774−62−5090)
店内の大きな窓から、穏やかな尼ケ池の水面を眺めて過ごす時間がとても贅沢♪〜「ふわっとろのオムライス」が女性客を中心に大人気!(駐車場は県内外ナンバーの車で常にいっぱいです!)
営業時間:火曜日〜金曜日 11:00〜15:30、土曜日 11:00〜16:00(定休日:日・月曜日) (伊藤)
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関連記事:山城地域の情報サイト>グルメ>ふわとろオムライスでしあわせ〜!田辺公園の近くの「やまぼうし」で楽しいランチタイム!【京田辺市】
11時45分に店を出て、京都府道22号八幡木津線沿いに南東方向に5分ほど歩くと、左手に健康広場のある田辺公園があり、そこに入って食後のくつろぎタイムをとりました。
園内の休憩場所で、金澤さんが用意したトランプを引いて、来年度の幹事の担当月を決めました。
園内には竹ノ脇池というため池があり、池に浮かぶ四阿でしばし時を過ごしました。池には大きな鯉がたくさん泳いでいました。
健康広場には市民の誰もが気軽に楽しんで健康づくりができるようにと20基の健康遊具があり、隣にはスケートボードが自由にできるスケートパークもありました。
公園でゆっくり時間を過ごしたあと、12時半過ぎに公園を出て、府道22号をさらに南下しました。
15分ほど歩いたところで府道を西に渡り、西に5分ほど歩いて酒屋神社にお参りしました。
酒屋神社の社伝によると、「神功皇后が通った時、3個の酒壺を神社背後の山上に安置し、諸神を祭り、再度通った時、社殿を創建。祭神は津速魂神と応仁天皇」とのことです。
関連記事:神社巡遊録>神社巡り>都道府県別>1.京都府>酒屋神社(京都府京田辺市興戸宮ノ前)
(写真:伊藤)
酒屋神社を出て、元来た道を少し戻ったあと、今度は南西方向に向きを変えて丘陵地の山中道を30分ほど歩きました。 ちょうどヤマフジが満開できれいでしたが、香川さんによると「ヤマフジは樹木にまとわりつくので、樹木にとってはよくない。ヤマフジが茂っているところは、周囲の山林が手入れされていない証拠」とのことでした。
竹林も手入れされていないようで、たけのこが伸び放題でした。
1時前に観音寺(普賢寺)にたどり着きました。
観音寺はちょうど御開帳中で、ご住職によるお寺の由緒などの説明のあと、厨子の扉が開けられ、等身大の国宝・十一面観音像を間近に拝むことができました。
そのあとも、ご住職からいろいろお話をうかがうことができました。
関連記事:雑文・ザンスのブログ>国宝(建物以外)>観音寺(京田辺市)の十一面観音立像をみてきた
関連記事:たびこふれ>近畿>滋賀>【12年に一度のご対面】国宝十一面観音(近畿)
(写真:伊藤)
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良弁の弟子で、東大寺の二月堂の「お水取り」の創始者である実忠和尚を第一世としています。平安時代から鎌倉時代にかけて度々焼失を繰り返しましたが、藤原氏の氏寺の興福寺とも関係が深かったこともあり、その都度再建されました。
しかし、1437年の焼失後は、かつての寺勢を回復するに至らず、本堂の「十一面観世音菩薩」をお祀りするお堂だけが建て直されました。このことから「大御堂観音寺」と呼ばれるようになり、現在に至っています。(南山城六山の一つです)
ご本尊の「十一面観音立像」は、木芯乾漆造りで彫刻されており、天平文化の栄華を今に伝える柔和な表情が特徴で、国宝に指定されています。
春には参道の桜並木と一面に広がる菜の花畑が、秋には紅葉が訪れる人を楽しませてくれます。
※千年以上にもわたり、無病息災、災難除け、心願成就の信仰を集めています。 (伊藤)
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お寺でいろいろとお話をお聞きしたあと、2時過ぎに本堂前で記念の写真を撮りました。
そのあと、普賢寺川にかかる観音寺橋を南に渡って西に5分ほど歩いて普賢寺農産物直売所「普賢寺 ふれあいの駅」を訪ねました。
商品はあまり多くはありませんでしたが、時節柄、朝掘りたけのこがたくさん並べられていました。
関連記事:普賢寺 ふれあいの駅
20分ほど直売所でぶらぶらしたあと、JR同志社前駅に向かう帰路に着き、観音寺橋を北に渡り、「水辺の散策路 普賢寺川 同志社ルート」と名付けられた普賢寺川北側の畑中の川沿い道を東に歩いていきました。
道端の畑にレンゲが満開でした。
20分ほど歩いたところで府道22号線(山手幹線)に出たので、左に曲がり、同志社大学を左手に見ながら北に向かい、ゆるやかな坂道を10分ほど歩いたところで右に折れ、10分ほど坂を下っていくと同志社前駅に無事、到着しました。
心配された雨に降られることもなく、道中、道路わきの畑の上をつばめが舞ったりもして、初夏とも見まごう陽気のなか、木々の新緑に彩られたひなびた郊外散歩を存分に楽しむことができました。
JRで北新地駅まで戻り、大阪梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの店「中華料理 金明飯店」に行き、反省会で大いに盛り上がりました。
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食事後の田辺公園で入念にストレッチ。そのおかげか、何とか時折痛くなる足を引きずりつつ、二万歩近い行程を踏破できたのは幸いでした。
食事場所を始め、幹事さんの入念な行程計画には敬服しました。また、国宝の十一面観音の柔和な眼差しに心癒され、思い出深い初参加の一日となり、感謝しています。
それにしても、皆さんの健脚には、驚きました。今後もよろしくお願いします。(福島成二)
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【幹事の感想】 今回、現地は一時予想降水確率60%でしたが、幸いにも雨に合うこともなく無事に開催でき、ほっとしています。
また、本来、山歩会は、お弁当持参が原則だと思っていますが、昨年の「粋遊会」の下見時にお伺いした食事処の「やまぼうし」さんの、ふわっとろオムライスがおいしかったので、この味を皆様にもご紹介したいと思いました。そこで、お店に予約のお願いをしたのですが、「大人数様のご予約はお受けできません」との返答をいただき、諦めざるを得ませんでした。今回は、参加人数が山歩会で少人数になったことから、下見時に再度チャレンジして交渉し、2年越しでお店のオーナーさんから何とかご承諾をいただき、食事処が確保でき良かったと思っています。
また、大御堂観音寺のご住職にも下見時お会いして、「山歩会」の開催当日「時間が合えば、お話等をお聞かせいただきたい」とお願いしていたところ、それも叶いました。
やはり、事前の下見は大切だと、つくづく思います。
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関連記事:京田辺市観光パンフレット(デジタルパンフレット)
■第107回 河津桜の淀城跡と 枝垂れ梅の鳥羽離宮跡を訪ねて(京都市) (幹事:大西)
2024年3月26日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第106回 大阪七福神ウォーク(大阪市) (幹事:金澤)
2024年2月27日(火)
[集合時間/場所] 10時30分/JR玉造駅・改札口前
[行程] 玉造駅⇒三光神社(寿老人)⇒長久寺(福禄寿)⇒高津公園(昼食)⇒法案寺(弁財天)⇒大乗坊(毘沙門天)⇒大国主神社(大黒天)⇒今宮戎(恵比寿天)⇒四天王寺・布袋堂(布袋尊)
2024年最初の山歩会は大阪七福神巡り。幹事の金澤さんが「2024年1年間の健康と招福開運を祈願して」企画されました。
集合はJR環状線玉造駅北改札口に10時半。10時10分過ぎに金澤、吉田、大西、日野、香川、伊藤が改札口に順次姿を現わし、続いて塩崎、本間、稲葉、杉本も到着。最後に今日が初参加の大石さんが10時25分に姿を見せて、本日の参加者は総勢11人となりました。なお、同じく本日初参加を表明していた福嶋さんは、急用ができて、残念ながら、急遽、欠席となりました。
西に向かって10分ほど歩いたところで、一つめの社寺・三光神社に到着。
階段を上がると本殿があり、本殿にお参りしたあと、長寿と幸福の神・寿老神像を挟んで写真に納まりました。
寿老神の腕に触って長寿を願う杉本さん(写真撮影:伊藤さん)
関連記事:三光神社境内に立っていた「大阪七福神めぐり」の絵看板(写真撮影:伊藤さん)
三光神社で大坂城に通じると言われる「真田の抜け穴」を覗いたり、真田幸村の銅像を眺めたりしたあと、神社を出て、少しだけ南に下り、そのあと、再び西に向かって10分ほど歩いて、餌差町交差点の北西角にある円珠庵を訪ねました。
七福神関連の社寺ではありませんが、せっかく大阪の古い町並みを歩くのだからコース周辺にある隠れた名所旧跡も訪ねてみたいという金澤さんが下見時に見つけた「おまけ」の一つです。
円珠庵は江戸時代初期の和学者 契沖が晩年に隠棲した庵ですが、境内にある鎌八幡は、境内の榎に鎌を打ち込めば願いが叶うという伝えがあり、太い幹に鎌がビッシリ打ち付けられている様は異様な光景でした。
関連記事:地元密着メディア みんなのじもと>大阪府>大阪市天王寺区>天王寺のパワースポット鎌八幡(円珠庵)で鎌を打ち縁切り&縁結び
そこから10分ほど歩いて上本町4丁目交差点を越えたところで、道路沿いの阪急オアシスに立ち寄ってトイレをお借りしました。今日の行程途中には公衆トイレがあまりなく、金澤さんが下見時に苦労して見つけたのがこの阪急オアシスでした。
そこからさらに西に5分ほど歩いた谷町7丁目交差点を越えたところに二つめの社寺・長久寺があるのですが、その前に、交差点の手前で南に折れて少し行き、ガソリンスタンド脇の細い路地の奥にある近松門左衛門の墓を訪ねました。
関連記事:大阪市>くらし>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習>歴史の散歩道>上町台地北コース>54.近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)墓
関連記事:日本経済新聞>コラム(地域)>近松門左衛門の墓 本物どれ?
中は狭いので、一度に5人しか入れないとのことで、2班に分かれて入り、福徳・長寿の神・福禄寿を拝みました。
長久寺を出て、西に向かい、最初の角を左に折れるとお寺が立ち並ぶ一帯で、そこを5分ほど南に歩いたところで右に曲がると、左手に梅林がありました。
そこは高津宮に隣接する高津公園の北東側の入口で、「花の公園」と書かれた石柱が立っていて、看板には「ここは、区を代表する花の名所です」とあり、古城、南高梅、甲州小梅など9品種・約180本の梅の木が植えられているとのことでした。
関連記事:日本1000公園>1837/1000 高津公園(大阪市中央区)
まだ12時前でしたが、他に昼食をとれる場所はないとのことで、ここで昼食をとることになりました。
梅の花は、早咲きのものは咲き終わっていたものの、多くはちょうど見頃で、白や濃い紅色やピンクの色を競っていました。
昼食後、暖かな日差しの中でしばし談笑。(写真:伊藤さん)
今日が初参加の大石さんは、弁当は各自持参ではなく、休憩地で販売されている弁当をみんなで購入するのだろうと思って、家から弁当を持参しておらず、しかたなくスマホで近くにある飲食店を探し、お好み焼きの店で食事をとったとのことでした。
梅を楽しみながらゆっくりと昼食をとったあと、三つめの社寺・法案寺を目指しましたが、その前に、せっかくだからと高津宮にも立ち寄ることにしました。
高津宮は、古典落語「高津の富」や「崇徳院」の舞台として知られ、境内にはある「高津の富亭」では落語会やイベントが今も行われています。境内には、「高津の富亭」に欠かさず出演していた故・五代目桂文枝を顕彰する碑も建っていました。
高津宮を西に出て、松屋町筋をまたぎ、阪神高速1号環状線の高架下をくぐったあと右に曲がり、道頓堀川にかかる下大和橋を渡りました。橋の北詰にある顕彰碑によると、下大和橋は正徳5年(1715)に初演された近松門左衛門の『生玉心中』の中で「大和橋出見世の場」の一場面になっているとのことです。
関連記事:ぐるりん関西>下大和橋の碑
下大和橋を渡ったあと西に向かって2分ほど歩くと右手に三つ目の社寺・法案寺がありました。
法案寺を出たあと、四つめの社寺・大乗坊を目指しますが、途中に公衆トイレがなく、代わりに金澤さんが苦労して見つけたのが「DOTON PLAZA」でした。
DOTON PLAZAは、増え続ける中国人などの外国人観光客目当てにコロナ前の2017年4月に開業した免税店を主体とした大型ショッピングモールでした。
関連記事:超高層ビル写真サイト OSAKAビル景>大阪市 DOTON PLAZA
DOTON PLAZAを出たあと、今度は南に向かい、日本橋北詰交差点、日本橋1丁目交差点を過ぎると左手に黒門市場が広がっています。
現役時代、日本橋に会社があったという大西さんは「このあたりは自分の庭みたいなもの」と昔を懐かしんでいました。
さらに南に歩いて日本橋1丁目交差点を右に曲がって西に向かい、すぐに左に曲がって少し行ったところに四つめの社寺・大乗坊がありました。
毘沙門天は金運・開運などの神ですが、日本の四大毘沙門天王像の一つである大乗坊の本尊・毘沙門天王立像は秘仏で、5月と11月の第2日曜日の年に2回のみ御開帳される、とのこと。残念ながら今回はお姿を拝見することはできませんでした。
そのあと、さらに南に下ると、道の両側にメイドカフェなどが立ち並ぶ一帯に。地下鉄堺筋線日本橋駅から恵美須町駅までの間の堺筋線(府道102号線)周辺の電気街「でんでんタウン」と、1本西側の通り「オタロード」は、東京の秋葉原と並ぶ、アニメやマンガなどポップカルチャーの聖地として賑わい、アニメグッズ、プラモデルなどの専門店やメイドカフェが建ち並んでいました。
関連記事:日本橋筋商店街振興組合/でんでんタウン/オタロード(日本橋筋西通商店会)
関連記事:OSAKA INFO>大阪まるわかり>日本橋オタロード
オタロードを通り抜けて、日本橋4丁目と5丁目の境目で西に向かい、南海電車の高架下、さらに阪神高速1号環状線の高架をくぐり、元町3丁目交差点を左に曲がって南に5分ほど歩いたところで右側に五つめの社寺・大国主神社の石の鳥居が見えてきました。
大国主は豊作の神、五穀豊穣や出世開運、縁結びなどのご利益がある、とのことです。
左が大国主神社の拝殿。右は敷津松之宮の拝殿。もともとこの地には敷津松之宮が先に建っていて、大国主神社は摂社としてあとから建てられたという経緯もあって、敷津松之宮のほうが立派なので、こちらが大国主神社と勘違いする人も多く、間違わないようにか、それぞれ「大黒様」、「氏神様」の張り紙がされていました(写真:伊藤さん)
関連記事:ウィキペディア>敷津松之宮
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境内には、徳川時代に木津川の開削などにより大阪の発展に寄与した木津勘助の銅像が建てられていました。
残すところあと二社寺です。
大国主神社を出て南に下り、大国交差点を左に曲がって東に向かい、南海高野線の高架をくぐると左手に六つめの社寺・今宮戎神社の広い境内が広がっていました。
関連記事:otent 大阪・和歌山のおでかけ情報は「いっぱいおでかけotent」>沿線トピック>今宮戎神社は商売繁盛の味方!十日戎や御朱印など知っておきたい情報まとめ
最後の七つめの社寺・四天王寺・布袋堂まではさらに20分ほど歩かないといけないので、それが無理な人はここでリタイアすると南海高野線の今宮戎駅がすぐ近くにあるということで、どうするか、みんなの意見を聞きました。
そろそろ限界という声も聞かれましたが、まだ2時前だったこともあり、最終的に全員が最後まで行くことになりました。
(写真:伊藤さん)
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恵美須交差点からさらに東に向かい、5分ほどで阪神高速の高架をくぐり、右手に天王寺動物園や一心寺を見ながらさらに10分ほど進むと四天王寺の大鳥居が目の前に姿を現わし、奥には朱塗りの西大門(極楽門)や五重塔の姿を見ることもできました。
布袋堂は西大門の手前の右側にひっそりとたたずんでいました。
布袋堂に祀られている「乳布袋尊」にお参りをしたあと、布袋堂の前に立つ「ちち布袋尊」の石碑を囲んで「七福神巡り満願成就達成」記念の写真をとりました。
関連記事:大阪観光usjガイド>四天王寺の乳布袋尊
そのあと、せっかくだからと西大門をくぐって四天王寺境内をぶらぶら散歩。ついでにお手洗いをお借りしたあと、元来た道に戻って四天王寺を出て、四天王寺前交差点を右に曲がって北に向かい、10分ほどで大阪メトロ谷町線四天王寺夕陽丘駅に着き、今日の歩行は終了。
途中、時折、強い風にも吹かれ、日陰ではかなり寒い思いもしましたが、日の当たるところでは心地よく町歩きを楽しむことができました。
玉造駅を出てから、昼食時間を入れて4時間あまり、8.5kmほどの歩行、お疲れさまでした。
地下鉄で東梅田駅まで行き、改札口で解散。今日が満80歳の誕生日で、それを祝って息子さん夫婦が準備した食事会に参加する日野さんと、所用で帰りを急ぐ本間・稲葉・吉田を除く7人は梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの中華料理店で反省会を行い、今日の一日を締めくくりました。
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コースは一年の健康と開運を祈願して七福神巡り。寿老人の三光神社からスタート。幸村像や真田の抜穴など、大坂の陣に思いがはせる。
その後幹事さんの先導で、次々と神々を巡る。街も巡る。神富貴長寿あり、福徳開運あり、知恵財宝あり通天閣あり…幸せのてんこ盛り。
一度にすべての御利益にあやかろうとは古人もずいぶん欲深い。だが、みなと一日おしゃべりをしながら巡る旅、本当の御利益は、そんな時間を通して繋がる人と人との関係なのだとはたと気が付く。最後の〆は四天王寺、笑門福来!
こちらのミスで弁当を忘れ、高津の梅林で昼食を食べそこねたのはご愛嬌。大阪環状線のほぼ南東四半分を巡る、大変変化に富んだ濃密な旅でした。感謝(大石 淳)
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(幹事の感想)今回は本年最初の「すいゆう山歩会」。メンバーの健康(高齢化が進んだ?)と会の発展を願って「大阪七福神巡り」を企画しました。
実は4年前の2020年1月にも幹事となり、今回と同じものを計画しました。その時の下見では、日本橋のショッピングセンターに続々と中国人観光客を乗せた大型バスが入るのを見て、大阪の経済はさぞや発展するだろうと思いました。
しかし、直後に大阪でも初めてコロナ患者が発生したとのニュースが流れ、状況が一変。行動が制限され、もちろん「七福神巡り」も中止しました。それからまさか4年近くもマスク姿が常態化するとは想像もできませんでした。
そんな中、今回も年初の幹事役となり、再チャレンジの思いで「七福神巡り」を企画しました。
繁華街で道が分かりにくいのと、今回は特に全員トイレが近くなっていて、しかし街中はトイレが少ない。マーフィーの法則?「外出先で必要なときに限ってなかなか見つからない。」が心配で、トイレ確認の下見をしました。
前夜、天気予報は晴れるものの強風が吹き荒れる予想で、相当に寒そう。屋外の高津公園での昼食が心配になり、寒くてメンバーが気の毒と思い、急遽ポケットカイロを配ろうと決め準備しました。
さて、当日。家を出るときは寒かったものの、集合場所の玉造駅では陽が出て、心配した風も思ったほどではなく、ウォーキングにはちょうどいい。ラッキー!(なにせ天気も幹事の責任なのだ!?)
昼食の高津公園も日差しで暖かく、ちょうど梅が満開で、ニコニコと我々を歓迎してくれました。
10時半にスタートして、七福神を巡り、最後の四天王寺・布袋堂に2時半に到着。布袋尊に全員完歩の感謝を捧げ、全員の健康をお祈りして「大阪七福神巡り」を終了しました。
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資料:七福神信仰&大阪七福神(金澤さん作成)
関連記事:大阪七福神 地図(大阪七福神 社寺会事務局作成)
関連記事:住吉大社・御朱印>「大阪七福神巡り」で厄除・開運祈願!おすすめルートや御朱印帳(色紙・絵馬)もご紹介!>
■〔2023(令和5)年〕
(2023年度の月幹事 : 5月 稲葉、6月 吉田、7月 塩崎、9月 本間、10月 杉本、11月 日野、12月 香川、2023年 2月 金澤、3月 大西、4月 伊藤)
■第105回 箕面山麓散歩(大阪府箕面市) (幹事:香川)
2023年12月26日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急箕面駅
[行程] 前半:箕面駅前広場 → 聖天橋 → 聖天展望台(箕面の森ハイキングマップ B1)→ B21 → B2 → みのお山荘 → 才が原口(B11)(※ ここまでは2021年9月に実施した第83回山歩会(大西さん幹事)と同じルートです)→ 才ケ原池(昼食予定)
後半:才ケ原池 → B30 → 三ツ石(B31)→ G2 → G14 → 二十二曲がり → G13 → G12 → 医王岩(G1)→ G11 → 白島西
10時に阪急箕面駅集合。予定より家を早く出た吉田は、石橋阪大前駅からの箕面行の車両の中で日野さんと一緒になり、9時半過ぎに箕面駅に着きましたが、すでに大西さんが来ていました。そのあと、金澤さん、杉本さん、伊藤さんも到着。最後に幹事の香川さんが、乗る予定のバスに乗り遅れたとかで、10時10分前に姿を現わしました。
塩崎さんは風邪を引いて欠席。本間さんと稲葉さんの二人は「才が原口」で合流することになっていたので、10時前に7人で出発しました。
滝道を上り、箕面観光ホテル前の緑のふれあい広場脇でラジオ体操を行いました。
関連記事:箕面市>市政>市の概要>組織のご案内>上下水道局>上下水道局下水道室>報道資料 北摂地域の市町で初!大阪・関西万博デザイン マンホールふたを設置! 〜 大阪・関西万博開催に向けた機運醸成をめざして 〜 令和 5 年(2023 年)10 月 30 日(月)
聖天橋を渡って、南方に向かって歩き、そこから階段道を上ってしばらく坂を上っていくと、10時25分に聖天展望台に到着しました。
下界を見下ろしながら、しばし休憩したあと、記念の写真を撮りました。
気温は10度ほどと低く、冷たい風も時折吹いていましたが、日差しのあるところは暖かく、山歩きにはちょうどよいお天気でした。
聖天展望台から東に歩くと府道43号線(ドライブウェイ)に出ましたが、すぐ左手に北に向かって山道が延びていて、登り口脇に「B-21」の標識が立っていました。
しばらく上りが続きましたが、15分ほどで「みのお山荘」の西側に出て、そこからは、しばらく平坦な山中道が続きました。
11時15分に「B-11(才が原口)」に到着。
本間さんと稲葉さんがすでに着いて待っていました。
箕面駅に9時過ぎに着いて、本間さんの歩く速度に合わせてゆっくり上ってきたということです。
お昼から家の用事があるという大西さんが引き返すことになり、ここでお別れ。
あとの8人は才ケ原池に向かいました。
(撮影:伊藤さん)
才ケ原池の水位は、自然災害防止のため、夏過ぎから徐々に水位が下げられ、現在は、真夏の最盛期に比べて4mも下げられているということです。
関連記事:みのお山なみネット>才ケ原池とは
関連記事:みのお山なみネット>箕面の森を守ろう!>生き物の多様性保全>自然災害防止のため、才ヶ原池の水位を下げています。
才ケ原池を過ぎるとあとは下り道で、途中で昼食をとることができる場所がないということで、11時30分、才ケ原池の土手道で早めの昼食をとることになりました。
12時前に歩行を再開して、南に向かってしばらく歩くと三叉路があり、「「B-31」「ここは三ツ石」の看板が立っていました。
その三叉路を左に折れ、「二十二曲がり」に向かいました。足元には落ち葉がうずたかく積もっていて、しっかり踏みしめないと足を滑らせそうでした。
15分ほど歩くと四つ辻があり、「G-2」の看板が立っていました。
案内板を見て、「二十二曲がり」の入り口はもう少し南のほうにあることを確かめて、右側の道を下りていきました。
途中、見晴らしが開けた場所では、目の前に広がる大阪市街を見渡しながら談笑しました。あとはもう下るだけですので、余裕が感じられます。
そのあと、「二十二曲がり」にさしかかりましたが、比較的平坦な道が続きました。
そこからは少し急な下り坂が続いていましたが、枯れ葉がうずたかく積もっているところが多くて、不用意に足をのせると滑って危険なので、足元を確認しながら、一歩一歩下りていきました。
途中に、「医王岩」という巨大な岩がそびえたっていました。3つの巨岩が重なっていて、高さは25mに及ぶとのことです。
関連記事:神秘と感動の絶景を探し歩いて Beautiful superb view of Japan>医王岩・箕面の巨人像
「医王岩」を過ぎて、しばらく歩くと山道は終わり、住宅地に出て、1時15分過ぎにはバス道の白島西交差点まで下りてきました。
途中、腰を下ろして休憩するようなところもなく、ひたすら下ってきたこともあって、予定よりかなり早く下山したので、阪急豊中駅前のビルの中のお好み焼き店で忘年会を予約している3時にはまだ時間がたっぷりあるので、バスには乗らず、阪急箕面駅まで40分ほど歩くことになりました。
牧落駅まで歩いてマンホール探索を行う吉田と別れて、皆はバス道を西に向かいました。
お好み焼き店「JU:JU」(ジュジュ)で行われた忘年会は大いに盛り上がりました。
(以下、香川さん記) エトレ豊中のお好み焼き屋「JU:JU」で、6人の参加で忘年会を楽しみました。歓談が盛り上がり、「大変楽しく過ごすことができた」という感想もいただき、有意義な一日を過ごし、また来年以降の活動を約して解散しました。
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箕面の山麓ではまだいくつかのルートがあり、場合によっては繰り返しになってしまうかもしれませんが、森林浴でちょっとしたフィトンチッドの吸収が期待できるので、また次回もチャレンジしたいと思っています。(香川)
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関連記事:箕面の森ハイキングマップ みんなで守ろう! みのおのみどり(NPO法人みのお山麓保全委員会)
関連記事:講座企画塾 HOME>男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー>とよなか粋遊会>山歩会>これまでの活動履歴 >J(2021年)>第83回 近場の箕面の山を歩いてリフレッシュ!!(大阪府箕面市) (幹事:大西)
■第104回 京都・大文字山(標高465m)に登る(京都市左京区) (幹事:日野)
2023年11月28日(火)
[集合時間/場所] 9時45分/JR山科駅改札口
[往路] JR山科駅→京阪山科駅 → 蹴上駅 10:10 蹴上駅スタート → 10:30 日向大神宮 → 12:30 大文字山山頂(昼食・休憩30分) → 13:00 → 13:30 火床 → 14:10 銀閣寺 銀閣寺参詣(40分) 14:50
[帰路] 15:04 銀閣寺(バス) →15:28 阪急河原町
JR山科駅に9時45分集合。吉田の場合、阪急武庫之荘駅→梅田駅+JR大阪駅→山科駅ルートだと1,100円。一方、阪急で東向日駅まで行き、JR向日町駅まで歩いてJRに乗り換えると650円。時間は1時間ほど余計にかかるが、450円も安くなるので、8時に家を出て、9時10分すぎ、阪急東向日駅からJR向日町駅に向かっているところで日野さんから電話があり、「今、大阪駅にいるが、神戸線の信号故障で列車が止まって足止めをくい、動き出すのは9時半の見通し」とのこと。
9時20分すぎにJR向日町駅に着き、45分ごろ到着した普通列車で京都駅まで行き、米原方面行のホームに行くと新大阪駅から乗車した金澤さんと出会いました。そこから新快速列車のホームに移動すると、杉本さんに出会い、「大西さんもこのホームにいる」とのことでした。
京都駅で20分ほど待たされて電車に乗り、ひと駅先の山科駅で降りると、伊藤さんがひとりポツンと待っていました。新大阪駅で、信号トラブルが発生した時刻の直後に発車した新快速に乗り、あまり遅れることなく山科駅に着いたとのこと。そのあとの電車から大幅な遅れが発生したようです。
山科駅の改札でさらに待っていると、次の新快速に乗って日野、香川、塩崎、稲葉、本間の5人が姿を現わし、本日の参加者全員10人が勢ぞろい。京都市営地下鉄に乗り換え、5分ほどで蹴上駅に着き、地下駅から地上に出て、10時35分に歩行を開始。予定より25分遅れのスタートでした。
府道143号線を南に2分ほど歩くと左手に石段があり、左側に「青龍山安養寺」、右側に「式内 日向大神宮」と彫られた石柱が建っていて、その奥に石の鳥居が見えました。
石段を上って石畳を進んでいくと、疏水をまたぐ橋・大神宮橋があり、右下は蹴上船溜(ふなだまり)で、びわ湖疏水船二艘が係留されていました。
左手奥は蹴上インクラインの最上部になっていて、復元された船の台車の姿も見えました。
関連記事:KYOTO MASTERS>訪れる>まるで映画のワンシーン。「蹴上インクライン」で記憶に残る京都の桜を
大神宮橋を渡り、ゆるやかな石段を上っていきました。
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5分ほど休んだあと先に進むとまもなく坂道は終わり、左手に日向大神宮(ひむかい だいじんぐう)の姿が見えてきました。色づいたカエデの下をくぐって石段を登ると、右手に舞殿風の拝殿が姿を見せ、その奥に茅葺屋根を持つ外宮の板垣御門と外宮本殿が連なっていて、さらにその奥に内宮拝殿の姿も望むことができました。
(※この写真は2015年12月・第40回山歩会時に撮ったもの)
さっそく、板垣御門の前に並んで、記念の写真を撮りました。
土間拝殿の奥に見える本殿にお参りしたあと、石段を下りて、登山道に戻りました。
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ちなみに、この日向大神宮には、2015年12月に香川さんの幹事で「琵琶湖疏水ハイキング」を行った折、当初の予定では「山科疏水→日向大神宮→南禅寺・水路閣」だったところ、疏水第2トンネルから「山越え」の途中、道に迷って先に水路閣に出てしまい、そのあと北西側から日向大神宮に向かうという思い出があります。
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日向大神宮は紅葉の穴場スポットとかで、ちょうど紅葉の真っ盛りでした。
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11時8分。日向大神宮の石段を下りると、いよいよ大文字山登山のスタートです。大文字山山頂の標高は465m。山歩会もここ数年は近場の里山散策や、まち歩きばかりで、400m越えのハイキング登山は2020年2月の六甲・打越山(482m)、同年6月の能勢・三草山(564m)以来。その後3年を経ての体力(の衰え)が試されるルートです。
今、上っている「蹴上〜大文字山四つ辻〜銀閣寺」は、「伏見稲荷駅〜ケーブル比叡駅」間全24.6kmの「京都一周トレイル・東山コース」の一部になっていて、登山途中に軽装のランニングウエア姿で軽やかに駆け抜けていく人たちと何人もすれ違うことになります。
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道標のところで道は左右に分かれ、登山道は左手に延びる道を上ることになりますが、道標の右手から姿を現わす人が何人かいたので、お聞きすると「山科方面から登ってきた」とのこと。また、その途中に「伊勢大神宮遥拝所」があり、この遥拝所は、天智天皇陵、平安神宮、御所清和門、左大文字とほぼ一直線上に並んでいるとのこと。
本間さんは大文字山登山は体力的に無理と判断して諦められたものの、「せっかくなので、遥拝所には行ってみる」ということで、ここで本間さんとはお別れで、残り9人が山頂を目指すことになりました。
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そこから先の登山道は杉や檜の木立に囲まれたり石ころ道で、とても歩きにくい道でした。5年前の2018年9月の台風21号は京阪神地域の山々に大きな倒木被害をもたらしましたが、ここ大文字山も例外ではなく、根こそぎ倒れた大きな木の根っこが道の片側に連なり、風の怖さを見せつけられる思いでした。
足元の悪さと、思ったよりも急な坂道が続いて、平坦道に差しかかったところで、たまらず休憩。
スタートしてからまだ30分ほどしかたっていないのに、皆さん、すでにお顔に疲労の色が‥‥(^^;
日野さんからいただいた今回の案内状には「大文字山は、登山が初めての人や小さい子どもでも気軽に登れます」とありましたが、果たして、このあと、どうなりますことやら‥‥
登山道は途中、なんども道が分かれていましたが、分岐点には「トレイル」のナンバープレイトが立っていて、道に迷うようなことはありませんでした。
「東山37」の標識のところで右に折れると、今度は急な下り坂になっていて、すべりそう坂道をストックを頼りに恐る恐る下りていきました。
下り道を下りきって、しばらく平坦道を進むと、道が7方向に分かれる「思案処(思案ケ辻)」に差し掛かりました。「山火事注意」の赤い横断幕がかけられた下をくぐる道が大文字山への登り道であることを確認して、再び休憩しました。11時45分。日向大神宮下からまだ35分。山頂までの行程のまだ1/3しか歩いていません、山頂はまだまだ先です(T_T)
休憩のあと、長く続く坂道を上る途中で12時になり、そろそろおなかがすいてきましたが、食事をとれるような場所が見当たらず、とりあえず、またまた休憩。
12時7分。見晴らしのいいところがありましたが、坂道の途中。下界の風景はまだ南方の山科の市街地で、山頂まではまだまだということを知らされました。
12時35分。坂道の途中ながら、なんとか腰を下ろせる倒木がある場所に出くわし、分散して腰かけて、やっと遅い昼食をとることができました。
日野さんが日ごろからご愛食の「山崎製パンの薄皮つぶあんぱん」でした。 関連記事:ツギノジダイ>トレンド>2013.010.05 5個→4個になった薄皮つぶあんぱん、重さは変わらず? 疑問の背景にパンの特性
今年夏の「琵琶湖疏水ハイキング」(幹事:塩崎さん)から「恒例」になってしまった「おやつ」。エスカレートする一方、そろそろ終わりにしようという声もあるなかで、今回、日野さんからも、また「おやつ」の提供が。
みなさんおいしく召し上がりましたが、この「悪習」?がいつまで続くことやら。(※ その後、会長の金澤さんから「おやつは11月度をもって最終とします」との伝達がありました)
午前中は陽が射して、上着を一枚脱ぐ人もいましたが、食事をとっている最中に、上空に厚い雲が折り重なって陽が陰り、気温が少しずつ下がっていくようでした。
食事を終え、多少元気を取り戻して、北東に延びる山道をさらに30分ほど上っていきました。途中でT字の分岐に突き当たったので、そこを西に折れて歩いていくと、山頂間近を思わせるような平坦なところに出て、しばらく歩いていると、午後1時40分、やっと頂上にたどりつくことができました。
京都市内を見下ろす山頂からの眺望は、山すその低山の連なりが目の前に横たわっていて邪魔になり、天気が悪くなり、陽が陰ってきたのと相まって、期待したほどではありませんでした。
とはいえ、久々に山頂を極めた満足感に浸りながら、しばしくつろぎのひと時を過ごしました。
そのあと、大文字山の記念碑を囲んで記念撮影。国土交通省の3等三角点は記念碑とは別のところにあり、写真左奥にぽつんと見えているのが、その三角点です。
頂上でゆっくり時間を過ごしたあと、今度は大文字の火床を通って銀閣寺に続く下山道をたどります。西向きに、落ち葉の重なる樹間の坂道を、足元を気にしながら下っていくと、20分ほどで突然視界が開け、指呼の間に、紅葉した樹々と、その向こうに京都市内が視界いっぱいに広がっていました。昼過ぎからお天気が悪くなり、雲が広がって薄暗くなってきていたのが、誠に残念です。
大文字の「大」の字の一番上の部分の火床の後ろに並んで、記念の写真を撮りました。折から、山すそから冷たい風が吹きあがってきていて、皆さん、震えながら写真に納まりました。
(写真撮影:杉本さん)
そのあと、大文字の火床をつないで長く続く急な石段を市内を見下ろしながら下りていきました。山すその樹々の紅葉の赤や黄の色どりが美しく、これで日差しに恵まれていれば、「京の錦秋、まさにたけなわ」を文字通り堪能できたのにと、それが残念でした。
関連記事:Ameba>アメブロ>京都の春夏秋冬とプラスα>大文字山に登り「送り火」の火床に立つ
さらに下ると、銀閣寺に続く山中道になっていて、途中、小公園では一段と色鮮やかな紅葉を見ることができました。
午後3時過ぎ。火床の最上段から降り始めて50分、やっと銀閣寺にたどりつくことができました。
銀閣寺の門前で記念撮影をしたあと、日野さんが、みんなに「このあと、銀閣寺に入るか、それとも入らずに帰路に着くか」を尋ねたところ、全員が「入らずに帰路に着く」に手を挙げました。それだけ今日はみなさん大変お疲れだったということでしょう。
そのあと、いつも通りマンホール探索のため三条まで歩くという吉田を残して、みんなは銀閣寺道バス停から四条河原町行のバスに乗りました。
4時半過ぎに河原町に着き、所用で帰りを急ぐ日野さんを見送り、あとの7人は新京極の中華飯店で反省会を行いました。
(写真撮影:伊藤さん)
(以下伊藤さん記)
新京極をぶらぶらと散策したあと、中華料理屋(店主、中国上海出身) (店名不明)に入り、ワンタンスープや小籠包をつまみ、ビールなどで一杯やりながら、本日の反省会を行いました。
本日の大文字山のコースは、十数年前にも実施したことがあるそうですが、その時は、何ら問題なくスイスイと登れたのに、本日は少しきつかった!しんどかった!とのこと。
結論として、皆さん歳をとった!と感じたとのことで、やはり、寄る年波には勝てません!
「今後、当番幹事は、現在のメンバーの歳に応じた少し楽なコースを選んで計画を立てましょう!」と、皆さん、お互いに確認しあいました。
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現会長の金澤さんが「山歩きを始めよう」との発案で、2008年6月、4人で、いきなり滋賀県比良山系の蓬莱山(標高1,174m)に初挑戦しました。
その後、金澤会長の強力な指導のもと、正式名称「とよなか山歩会」(現・すいゆう山歩会)が発足。以来、歴史を積み重ねて、今回の京都・大文字山(第105回)まで繋がってきたのだと思うと、大変感慨深いです。
今回の山歩きについては、本会(とよなか粋遊会)で2008年5月、会員10人で大文字山に登ったことを思い出します。
当時は、散策程度と気軽に考えて、軽装&運動靴で同じコースを登りました。皆、険しい道とはまったく感じず、疲れもなかったようで、大文字の火床から余裕をもって京都市内を眺め、感動したものでした。しかし、今回は、途中、何度も休憩しながらのしんどい山登りで、ゆっくり眺める余裕もなく、15年の歳月を経て、体は寄る年波に勝てない…と実感しました。参考に、私、当時64歳、今79歳(来年2月80歳)、トホホ‥‥(日野)
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(今後の「山歩会」について)
大文字山ハイクお疲れ様でした。山頂から見た京都市街の絶景は忘れられません。幹事の日野さんありがとうございました。幹事役を最後まで無事に努めていただき、感謝致します。
さて、昼食時に日野さんからお話の出た山歩会の企画内容の件ですが、皆様のご意見の大半は、全員が参加できる体力にあった企画を選定しよう、とのことだったと思います。
帰宅後、粋遊会(本会)で過去に大文字山に登った時期を確認すると、2008年5月でした。15年前。その時は、コースのしんどさは全く印象になく、火床で京都市街を眺めながら、ワイワイ言いながら弁当を食べた楽しい記憶しかありません。時の流れを感じます。体力の衰えは事実(現実?)です。
そこで、来年からはコースの難易度を少し下げて、全員が最後まで歩ける企画に変更への徹底をお願いします。例えば、山なら登りはバスやケーブルカーを利用する企画とか、淀川下り、太子道、西国街道歩きなどの企画シリーズものの復活とか、また、本間さんの歴史案内シリーズとか、いろいろあるのではないでしょうか?
皆様のお知恵次第で、まだまだネタはいっぱいあります。(幹事の力量が試される?)
私は2月の幹事ですが、大阪環状線歩きシリーズを始めようかなと思っています。
なお、例のおやつの件、日野さんから美味しいアンパンをいただいた11月度をもって最終といたします。皮が柔らかくて、餡が特別美味しかったです。過去にいただいた幹事の皆様と合わせてお礼申し上げます。ありがとうございました。
健康のため、これからもドンドン歩きましょう。(金澤)
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関連記事:YAMAPub>山一覧>近畿地方>京都>【初心者の方もオススメ!】蹴上駅⇒大文字山⇒銀閣寺 登山ルート
■第103回 千里丘陵さんぽ 千里3大公園とときどき野外彫刻(大阪府吹田市・豊中市) (幹事:杉本)
2023年10月24日(火)
[集合時間/場所] 10時 / 阪急千里線北千里駅 改札口前
[行程](当初プランは、北千里駅 → 千里北公園 → 千里中央公園 → 上新田天神社 → 旧上新田小学校 → 千里南公園 → 14:00 大阪北急行桃山台駅(解散)、でしたが、当日、予定変更で、以下のコースになりました)
[行程]北千里駅 → 千里北公園 → 展望台 → 千里中央公園 → 千里南公園→ 旧上新田小学校→ 上新田天神社 → 千里中央駅(解散)
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(今回の企画の狙い) 今回の「千里丘陵さんぽ」は、@多くの会員が常日頃散歩したりして馴染みの深い千里丘陵の再発見 A豊中出身の彫刻家 新宮晋(すすむ)氏の作品を中心とした野外彫刻を訪ねること Bこれまでは神戸や京都の山歩きが多かったので、近所でのハイキングを、と企画しました。
最初の予定からコースを変更したのは、@距離を少し短くし、A多くの会員が帰宅しやすいように解散地点を桃山台駅から千里中央駅にしたためでした。(杉本)
関連記事:千里丘陵のさんぽ(当初プランコース)
関連記事:さんぽ会(当日さんぽコース)
関連記事:Susumu Shigu
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当日朝、吉田は阪急武庫之荘駅9時10分発の電車に乗り,北千里駅に9時51分に着く予定でした。ところが、武庫之荘駅に着くと、阪急神戸線の電車は7時40分に六甲駅近くで発生した人身事故のために動いておらず、いつ運転再開するかわからないとのこと。しかたなく、日野さんに電話をかけて、「集合時間の10時には到底間に合いそうもありません。コースはわかっているので、運転が再開されたら、あとから追いかけますので、皆さんは予定通り出発してください」とお伝えしました。
当日、北千里駅に集まったのは、金澤、日野、香川、大西、稲葉、本間、杉本の7人。10時前に駅を出て北に向かい、10分ほどで千里北公園に着きました。
関連記事:大阪府北摂地域の公園情報サイト Coco Parks>吹田市 千里北公園
入口を入ると広大な芝生が広がり、その芝生を一望するところに下村非文の歌碑を刻んだ石碑がありました。その石碑の前に座って、今日1枚目の記念写真を撮りました。
(杉本敬信さん撮影)
この石碑は、「山茶花(さざんか)俳句会により、21世紀を背負って立つ青年への餞(はなむけ)として、1970年の成人の日に建てられました。「丘の上に来て 風は秋 雲は秋」と刻まれています。」(以上、吹田市公式ウェブサイト「千里北公園」より引用)
北公園の西方にある蓮間池にはバンやカルガモのほか、冬にはカモ類などの水鳥が多く見られるそうです。
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そのころ吉田は、武庫之荘駅を9時40分に動き出した電車に予定より30分ほど遅れて乗り、途中、何度か特急の通過待ちを繰り返したすえ、10時45分に千里線北千里のひとつ南側の駅・山田駅に着きました。そこから日野さんに電話をかけると、「千里北公園を出て、千里中央公園を目指しているところ」というので、千里中央公園のなかのどこかで合流することにしました。予定では12時前に千里中央公園に着いて、そこで昼食をとることになっていたので、それには間に合いそうでした。
北千里公園を出た7人は南に戻り、北千里駅の北側で右に曲がってすぐに左に折れ、古江台のニュータウンの中を南北に走る「古江路」を通って千里中央公園の北東側に向かいました。
吉田は山田駅からまっすぐ西に向かい、11時10分に千里中央公園の南東角に到着。公園内での合流場所を決めるべく日野さんに電話すると、周辺の地理に詳しい本間さんに代わられ、「公園の北東角にある展望台に向かっているので、そこで合流しましょう」ということになりました。
吉田は、古江台中学校の北西角から千里中央公園の中に入り、「桜の丘」を通って北に向かうと展望台に向かう矢印がありましたが、マンホールの写真を撮るために公園の北側を東西に走る道路に出ました。その道を東に向かって進んでいると公園の北東角の四辻に出てました。そこでふと左手を見ると、緩やかな坂道を上ってくる7人の姿が目に入り、無事、合流することができました。
古江台2丁目から千里中央公園にかけてはかなりな高台にあり、眺望の開けたところで東方に目をやると、遠く正面は万博公園で、太陽の塔や大観覧車の姿を見ることもできました。
「この展望台は、当時整備が進められていた千里ニュータウンを一望できる場所として、1966年に建設されたもの。しかし、2018年6月に発生した大阪北部地震の影響により、階段部分等が損傷。耐震診断の結果、一部、基準を満たしていないことがわかり、以降立ち入り禁止となっています。」とのこと。(「「ENJOY EXPO」 〜万博記念公園エリアの地域情報サイト」から引用)
しかたなく、展望台の駐車場で休憩がてら、遠望を楽しむことにしました。
関連記事:「ENJOY EXPO」 〜万博記念公園エリアの地域情報サイト>千里中央公園が再整備に向けて動き出すみたい!現地の様子を見てきた!
そのあと、展望台の西側に広がる「冒険の森」の中に作られた全長150mのローラー滑り台の横の木製の長い階段を南に降りていきました。
関連記事:るるぶKids>千里中央公園(豊中市)の総延長150mもある巨大ローラー滑り台で思いっきり遊ぼう
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冒険の森を抜けたあと、さらに南に向かい、食事をとる「桜の丘」を目指しましたが、「桜の丘」の東側にある安場池(やすばいけ)にオシドリが集団で飛来してきているという杉本さんの情報に、皆期待して池のほとりに向かいました。
このときのために、杉本さんが道中でドングリをたくさん拾ってきていて、みんなに分配して、準備完了。それぞれ池に投げ込んで、池の周りの茂みの中に隠れているオシドリがドングリ目指して集まってくるのを今か今かと待ちました。
ところが、運悪く、すぐ近くで公園の雑草を刈る作業が行われていて、大きなモーター音が間断なく鳴り響いていて、そのせいか、オシドリは結局、姿を現わしてはくれませんでした。
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ドングリはオシドリの大好物。運がよければ我々の様な?オシドリ夫婦が見られるかと大いに期待したが、全く反応なく、空振り。
ちょうど近くで公園に委託された業者が機械を使って雑草刈り中で、その騒音を警戒して寄ってこなかったのだろうか?残念!(金澤)
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オシドリウォッチングを諦めて、西側の丘の中ほどのなだらかな階段を上ると、広々とした広場があり、そこが「桜の丘」でした。
時間はちょうど12時前。丘の中心部にある木製ベンチに腰かけて、さっそく昼食をとることにしました。日差しが強く、上着を一枚脱いで、半袖になる人もいました。
昼食を食べ終わるころ、幹事の杉本さんがリュックから何やら取り出して、みなに配り始めました。
日野さんが配給を待ちきれず、ベンチから立ち上がって、みずから所望してきました。
杉本さんが持参して、みんなに配ったのは、奄美名物の「黒砂糖餅」でした。
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幹事のお菓子配布には伏線があり、今年の夏の「琵琶湖疏水ハイキング」で幹事の塩崎さんがチューペット(スティックシャーベット)や塩飴など熱中症対策も考えたおやつを配っていただいた。今まで、そこまでの配慮はなかったので、一同大いに感謝・感激した。
それ以来、メンバーの冗談からおやつ期待の声?が高まり、先月も幹事の本間さんに金沢銘菓・中田屋の「きんつば」をご馳走になった。杉本さんにも今回、相当なプレッシャーだったそうで、物産展でいいのがあってよかったと、ホットされたとのことだ。
その苦労を思いつつ、みんなで鹿児島名菓を美味しくいただいたのは勿論である。
山歩会に幹事のおやつ提供の習慣はなく、あくまでご厚意からのものである。(会長談)
さて、次月、幹事はどうなさるのか?のネタで大いに盛り上がった。(金澤)
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皆が食後の休憩時間をゆっくりと過ごすなか、吉田は、ひとり先に公園を抜け出して、予定のコースを西に向かいました。というのは、この先の、千里中央公園と千里中央地区とを結ぶ歩行者専用道路「こぼれび通り」南側の再開発地区に建つ高層棟「UR千里グリーンヒルズ東町」の敷地のどこかにUR都市機構のカラーマンホールが設置されているという情報を得ていたからです。
で、何気なく、お昼前に「展望台」で杉本さんに会ったときに「コースを変更しました」と言って手渡されたマップを見たところ、なんと、新しいコースは、千里中央公園から西には向かわず南に進路をとって千里南公園に向かうようになっていました。
愕然としながら、日野さんに電話をかけ、「今から追いかけますが、追いつくまで30分から1時間ほどかかります」と伝えると、日野さんから「勝手なことをするから、こんなことになるんだ」と冷たい声が返ってきました。
吉田を除く7人は食後の休憩を終え、豊中市立千里体育館東側の小高い丘に上り、流 政之作の巨大な石の彫刻作品「あほんだら獅子」を見学しました。
「「あほだら獅子」は、1970年、千里ニュータウンの完成記念モニュメントの1つとして、大阪府と(財)大阪府千里センター(当時は千里開発センター)によって設置されたものの1つで」、「頭の長さが4m75cm、重さが130トンという大きな石の獅子頭(ししがしら)」、「千里は大阪の鬼門に当たるところ。その厄よけ鬼門払いのため、というのも獅子頭を据えた理由である」とのことです。(すべて、Web site「ディスカバー千里」より引用)
その前で記念の写真を撮りました。
(杉本さん撮影)
関連記事:ディスカバー千里>千里ニュータウンの彫刻「あほんだら獅子」「PONTA」作者によるマンハッタンの作品
関連記事:TNN 豊中報道.2>千里体育館北側の千里中央公園に変な名前のモニュメントがある/あほんだら??ディスカバー千里>千里ニュータウンの彫刻「あほんだら獅子」「PONTA」作者によるマンハッタンの作品
そのあと、古江台中学校の北西角あたりで千里中央公園を出ました。そして、学校の北側、さらに東側に沿って歩を進め、中国道の下をくぐって津雲台に出て、大阪府道121号線の東側の側道を通って千里南公園に向かいました。
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お優しい心がけに感激! 最近、餌を求めて熊の出没事件が絶えないが、そこは元々彼らのテリトリーだ。
人間と熊とのうまい共生方法がないものだろうか?(金澤)
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一方、吉田はもともとのコースに沿って、新阪急ホテルからまっすぐ南に向かい、1時前に天神社に着き、そこから南東方向に上新田の住宅街の中を縫いながら千里南公園を目指しました。
府道121号線の津雲台2丁目信号にたどり着いたので、南に下って千里南公園に急ぎ、すでに公園に着いているであろう7人に連絡をとったところ、「まだ公園に向かって歩いているところ」とのことでしたので、津雲台2丁目信号まで戻ってみなを迎え、無事、合流することができました。
千里南公園では、杉本さんの「もしかしたら、カワセミの姿が見えるかもしれない」という声に促されて、公園の中にある牛ヶ首池
に向かいました。
カワセミが姿を見せるという小島の茂みに目を凝らして待ちましたが、そう簡単には見ることができないようで、結局、姿を現わしてはくれませんでした。
カワセミ見物は諦めて、大きな木の下で記念写真を撮り、先を急ぐことにしました。
関連記事:地域NEWS 号外NET 吹田>2015/08/24 自然豊かなまち「吹田市」。コバルトブルーの美しい野鳥【カワセミ】が千里南公園で観察できます!
関連記事:Saraのファインダー 〜煌めきを見つけて〜>2020-08-13 カワセミに会える? 千里南公園〜
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2時過ぎに千里南公園を西側に抜けたあと、121号線を北に200mほど戻ったところで西に曲がって竹見台に入り、千里グリーンヒルズ竹見台の中の道を北上しました。半日歩いた疲れで、みなさん肩が落ちています。
竹見台を北に抜けたところで、吉田はみなと別れ、千里グリーンヒルズ竹見台の中にあるUR都市機構の別の絵柄のカラーマンホールの探索に向かいました。
7人は上新田の住宅地の中に入ったあと、予定のコースの残りの2つの施設のうち、新田小学校はスキップして、天神社に向かってまっすぐ北に向かうか、それとも、少しだけ寄り道にはなるけれど 2つとも立ち寄るかで意見が分かれました。結局、「せっかくここまで来たんだから、どちらにも寄りましょうや」という意見が勝って、北に向かわずに西に歩をとり、緩やかに右にカーブを描きながら10分ほど歩くと、道の左手に旧新田小学校が建っていました。
旧新田小学校校舎は、明治33年(1900年)に建造された大阪府内で現存する最古の木造平屋建ての校舎で、大阪府の指定文化財になっています。
なお、旧新田小学校校舎は、山歩会で2021年6月、本間さんが幹事の「ブラリ勝尾寺街道」で、すでに一度、外観だけでしたが、見学したことがあります。→すいゆう山歩会 これまでの記録J(2021年) (※上記校舎写真は2021年6月に撮ったものです)
関連記事:SMILE LOG>大阪>大阪最古の木造校舎「旧新田小学校」の歴史と建築を訪ねる
旧新田小学校校舎の外観を眺めたあと、今度は北に向かって住宅地の中の細い道を10分あまり歩くと、上新田天神社に着きました。
天神社の鳥居の前で記念の写真を撮ったあと、千里中央駅に向かい、15分ほどで駅にたどり着きました。皆さんかなり、疲れていて、帰りを急ぎましたが、まだ余力のある4人は千里中央の居酒屋「八角」に立ち寄って「反省会」を行い、疲労回復をはかりました。
関連記事:千里の氏神 上新田天神社 千里の天神さん
竹見台でみんなと別れた吉田は、千里グリーンヒルズ竹見台101号棟周辺でUR都市機構のカラーマンホール5種を、無事、発見したあと、千里中央駅近くのUR都市機構千里営業センターまで足を延ばして、UR都市機構のマンホールカードをいただき、さらに、千里中央駅西側の遊歩道に敷設されているという豊中市の「あめ」の文字の入ってマチカネワニのデザインマンホールも、無事、発見して、写真に収めることができました。
いろいろとありましたが、今日は一日お天気に恵まれて、とても有意義な「さんぽ」を存分に楽しむことができました。
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1970年から千里中央に住んで、半世紀が過ぎた。
今回、いつも車や自転車で通り過ぎているところを2万歩を超えて歩いてみて、とても緑が多く、住むのに良い町と実感した。
また、坂や階段が意外に多い街だということも。
(通算100回を超えた山歩会の感想)
夏は熱中症との闘いであり、山歩きは上り坂と下り坂に苦しむので、おのずと街歩きが多くなってくるのはやむを得ないと思う。
月に1回の貴重なイベントであり、また、帰りの反省会も大きな楽しみである。
できるだけ続けていきたい。(香川)
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なだらかだと思っていた千里丘陵も結構上り下りが多く、
歩数も2万歩以上の長距離となり、
私を含め皆さんもとても疲れました。
ほんとうにお疲れさまでした。(杉本)
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■第102回 遊女塚から五色台古墳(神戸市垂水区) (幹事:本間)
2023年9月26日(火)
[集合時間/場所] 11時10分/山陽垂水駅改札口
[行程] 海神社 → 昼食(垂水漁港食堂) → 遊女塚・宝篋印塔(ほうきょういんとう)→ 五色塚古墳 → 山陽電車霞ヶ丘駅で解散
JR三宮駅で一緒になった伊藤さんと吉田は垂水駅に10時53分に着きましたが、間違って東出口に出てしまったので、集合場所の山陽垂水駅改札口へと急ぎました。11時前に改札口に着くと、集合時間の11時10分にはまだ十分時間があるというのに、すでに金澤さん、日野さん、香川さん、大西さん、杉本さん、塩崎さんの6人が首を長くして待っていました。ただ、まだ幹事の本間さんの姿が見当たりません。
それから待つこと10余分。11時10分のほぼ定刻に本間さんが稲葉さんを連れ立って山陽垂水駅の改札口から悠然と姿を現わしました。これで、本日の参加者10人全員が揃いました。本間さんから今日の行程について説明を受けたあと、早速、最初の訪問地「海神社」を目指して出発しました。
垂水駅の南口から直接、海神社の北西側に行ける道がありましたが、本間さんの「せっかくだから正面から入りましょう」という声に従って、南に向かい、全長がわずか50mほどしかない兵庫県道200号垂水停車場線を通って、いったん国道2号線に出て、東に100mほど歩くと、国道2号線沿いに石鳥居が立っていて、社号標には「官幣中社海神社」と刻まれていました。
石鳥居をくぐって、境内に足を踏み入れ、奥の拝殿に向かいました。
国道2号線沿いに立っている鳥居は「二の鳥居」で、振り返って南側の海のほうを見ると、100mほど先に朱塗りの大きな鳥居「一の鳥居」が立っているのが見えました。
かつて一の鳥居周辺は砂浜で、文字通り「海の神社」でしたが、1960年ごろから埋め立てが行われて、現在、鳥居の前面は、道路や水産会館があって、直接、海を見ることはできません。
拝殿脇で本間さんから海神社の謂れについて詳しい説明を受けました。
関連記事:海神社ホームページ>由緒
関連記事:神社と古事記>近代社格の官幣中社とは?
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本間さんの解説を聞き終えると12時を回っていたので、そろそろおなかがすいてきました。
山歩会の昼食は、基本的には各自弁当を持参して屋外で食べることにしていますが、今回は、コース周辺に弁当を広げる場所がなく、探し当てたとしても9月の日差しは暑さが予想されるということで、本間さんの当初の計画では、海神社一の鳥居の南側にある「垂水漁港食堂」で、漁港自慢の「海の幸」をいただくことになっていました。ところが、残念なことに、直前の調べで火曜日が定休日であることがわかり、急遽、国道2号線沿いにある「くら蔵」に変更になりました。
涼しい店内でゆっくり昼食の時間を過ごしたあと、次の訪ね先「遊女塚・宝篋印塔」を目指しました。
「くら蔵」を出て、国道2号線を西に向かい、先ほど通ってきた県道200号垂水停車場線を北上して、いったん垂水駅まで戻りました。
ちなみに、県道200号垂水停車場線の北側の起点にあたるJR垂水駅南側ロータリー西側にある珈琲専門店「あんず」は、今から47年前の1976年8月の開店時、私(吉田)が“ヘルプ”のソフトバーテンダーとして開店を手伝った店です。自家焙煎の豆をサイフォンで淹れて飲ませる、昔懐かしい珈琲専門店ですが、店主の桝井さんは今もお元気でカウンターに立たれています。
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垂水駅を北側に抜けたあと、駅前西側広場を西に歩を進めると、北に向かって緩やかな坂道が続く「商大筋」に出ました。
石段を上ると西垂水墓地の全面が見え、そのほぼ中央部に高さ4mの宝篋印塔がそびえ立っていました。
本間さんが、昔、神戸市教育委員会で手に入れたという遊女塚宝篋印塔に関する「神戸市文化財調査報告書」を元に、宝篋印塔について詳しく解説されました。
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石塔の周りに陽を遮るものがなく、30度を超える陽射しを浴びながらの解説で、話すものも聞くものも汗まみれで、解説のあと、本間さんが「おやつ」を皆に配りました。
今日のために阪急大阪梅田本店で買ってきたという、金沢の有名和菓子店「きんつば中田屋」の「きんつば」。上品な甘さの特上の味わいで、みなさん、自然に笑顔が沸いてきました。
前回、7月の琵琶湖疏水ハイキングの折、幹事の塩崎さんからチューペットなど3度にわたる「配給品」があり、その丁寧な心配りに皆、感心したものでした。それが今回の「きんつば」につながったと思われますが、次回幹事へのプレッシャーがますます高まりますので、「配給品」は以前のように塩飴程度に戻したいものです。
きんつばで気も心もほぐされたあと、最後の訪問地「五色塚古墳」を目指しました。
方角的には、五色台古墳は、宝篋印塔があった西垂水墓地の西方にあるので、近道をしようと住宅地の中の狭い道を通るとかえって道に迷うので、いったん元の商大筋に戻りました。少し南に下ったあと、右に折れ、バス道沿いに西に向かって10分ほど歩いたところで「五色塚古墳」の矢印のある案内板が見えてきました。そこを左に折れて南に向かうと、5分もしないうちに五色塚古墳の後円部の小高い丘が目の前に現れました。
そこから古墳後円部の北西側を回って五色塚古墳管理事務所を訪ね、資料をいただいたあと、古墳をバックに記念の写真を撮りました。
バックに映っているのは五色塚古墳の前方後円墳全体の半分ほどにあたる後円部分で、写真の正面右側に前方部分が延びているわけです。
前方部の中ほどに続く階段を上って、まず前方部の端まで行き、ズラッと並んだ鰭つき円筒埴輪や鰭つき朝顔形埴輪越しに瀬戸内海、淡路島、さらに瀬戸大橋を眺め渡しました。
瀬戸内海を往来する船の姿を眼下に一望することができ、この古墳がこの場所に築かれた意味を知ることができました。
そのあと、古墳の真ん中まで戻り、石段を上って、後円部の上に立ちました。そこからは、東西南北すべてを見渡すことができ、東西の陸の要衝であることもわかりました。
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陽射しはまだ容赦なく照りつけていましたが、古墳の上には涼やかな風が流れていて、目線を少し上にあげるだけで、様々な形をした雲を眺めることができました。はるか遠くの山際に夏雲が少し残っていましたが、あとは、ずいぶんと高い位置に浮かぶ、すじ雲、いわし雲、うろこ雲などで、雲だけ見ると、そこにはすでに秋の気配が漂っていました。
古墳の上で吹く風にしばし身体を休ませたあと、帰路に着くことにしました。
東に向かって垂水駅に戻るという選択肢もありましたが、距離的には西側にある山陽電車霞ヶ丘駅の方が近いということで、そちらに向かうことになり、10分ほど歩くと駅に着きました。2時50分に駅前で解散し、いつも通りマンホール探索を続ける吉田を残して、皆は電車に乗り、反省会の場所を探すことになりました。
資料:海神社、遊女塚・宝篋印塔、五色塚古墳、天皇在位と年齢(本間さん作成)
■第101回 琵琶湖疏水ハイキング(京都市山科) (幹事:塩崎)
2023年7月25日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅中央改札案内所付近
[行程] 09:16 JR大阪駅発―(新快速湖西線経由敦賀行)→ 09:19 新大阪→ 09:51 山科駅着
山科駅前 ―(20分)→ 毘沙門堂(拝観見学/30〜40分)―(20分)→ 疏水沿い散策(20分)→ 休憩・昼食― 疏水沿い散策(15分)→ 天智天皇陵― 疏水沿い散策(15分)→ 大本山本圀寺― 疏水沿い散策(15分)→ 地下鉄東西線御陵駅―(6分)→ 三条京阪駅―(30分)→ 阪急京都河原町駅
8時40分にJR大阪駅中央改札口前に行くと、すでに日野さん、伊藤さん、本間さん、稲葉さんの4人が待っていて、そのあと、大西さんと塩崎さんが姿を見せて、7人になりました。今日の参加者は、新大阪駅から乗り込む金澤さんを加えて、計8人。松石さんと杉本さんは所要でお休み。香川さんは、直前にコロナの濃厚接種者であることが判明して、残念ながら欠席となりました。
9時10分前に金澤さん以外の7人が揃ったので、予定よりも早い電車に乗ることもできましたが、新大阪駅から乗車する金澤さんのことを考えて、時間まで待って、予定通り9時16分発の新快速に乗車。で、新大阪駅で金澤さんと合流のはずでしたが、金澤さんの姿が見えず、金澤さんにスマホのラインで連絡をとると、なんと、「1本前の新快速に乗りました。到着地の山科駅の改札口でお待ちします」とのことでした。
予定通り9時51分にJR山科駅に着き、改札口で、無事、金澤さんと合流することができました。
山科駅前で塩崎さんのほうから、駅の北側にある毘沙門堂に行く前に、南側にある東本願寺山科別院、西本願寺山科別院、蓮如上人御廟所などを巡る1時間ほどのオプションコースの提案がありました。蓮如上人にまつわる由緒あるエリアということと、思ったより気温が高くなかったこともあって、全員が塩崎さんの提案を受け入れて、南に向かって歩を進めることになりました。
JRと並行して走る京阪電車山科駅の南側に出て、京都外環状線を南に下り、外環渋谷交差点の先を少し行ったところで西に折れてしばらく歩くと、目の前に「東御坊」の大きな石柱が現れました。
その先を進むと「真宗大谷派 山科別院長福寺」の表札がかかった門があり、その門をくぐると、広い境内の中央に立派なお堂が建っていました。
境内を10分ほど散策したあと、元来た道に戻り、「東御坊」の石柱の前で記念の写真を撮ったあと、次の訪問地に向かいました。
関連記事:YAHOO!ニュース>エキスパート>【京都市】山科区 蓮如上人と浄土真宗「東本願寺 山科別院」と徒歩240キロ「蓮如上人御影堂中」!
東御坊東側の道を南にしばらく歩いたところで西に曲がり、「蓮如上人御塚道」の文字のある石の道標が立つ細い道を進み、しばらく歩くと、右手に蓮如上人御廟所がありました。
関連記事:絶景かなドットコム>京都観光Index>山科区>「蓮如上人廟所」
御廟所を出たあと、山科小学校の北側の道を西に進み、安祥寺川という小川にかかる橋を渡ると、大きな公園(山科中央公園)がありました。その公園の東側を安祥寺川沿いに北に向かってしばらく歩いて公園に入ると目の前に小高い丘があり、そこが「山科本願寺土塁跡」でした。
蓮如上人が文明10年(1478年)に山科に再建した本願寺の寺域は東西800m、南北1km。周囲には幾重にも土塁や堀が廻らされていたが、天文元年(1532年)、細川晴元率いる軍勢による攻勢で焼け落ちたという。現在も残っている土塁(「御土居(おどい)」)の高さは6〜7m、最も高いところでは9mに及ぶとのこと。土塁には階段が設けられていて上ることができ、その上は遊歩道として整備されていました。
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関連記事:遊心六中記>2019.04.16 探訪 京都・山科 山科本願寺旧地を巡る>10 山科本願寺土塁跡・同土塁跡南西角
土塁跡を散策したあと、公園を横切って元の道に戻り、山科小学校の東側を南に少し下ったところで東に向かってしばらく歩くと、右手に本願寺山科別院の正門に続く石畳が伸びていました。
石畳を踏み進んで正門をくぐると広大な境内が広がり、左手奥に立派な本堂が建っていました。
境内をざっと巡ったあと、正門前で記念の写真を撮りました。
この時点で10時半を少し回っていて、予定よりかなり時間を費やしてしまっていたので、最初の出発点に戻るべく、府道117号線(通称「醍醐街道」)を北に向かって急ぎましたが、正午に近づくにつれて気温が上昇していき、足取りも重くなってきました。
そこで、どこかに涼みながら休憩できる場所はないかと探しながら歩いていたところ、山科駅の少し手前に「ラクト山科公園」という小さいながらも緑陰のある公園があり、ベンチもあったので、暫時休憩をとることにしました。
休憩中に幹事の塩崎さんからサプライズプレゼント!! 自宅から凍らせたまま持ってきたというスティックシャーベット(昔はやった「チューペット」のようなもの)を配られ、みな大喜びで“チューチュー”して、涼をとりました。
ちなみに、塩崎さんによると、「凍らせたシャーベットをできるだけ長時間持たせるために、保冷剤と保冷袋とを使用しました。当日はシャーベットのことが一番気になっていたので、できるだけ早くと最初の休憩時に配りました」とのことです。
公園でゆっくり休んで元気を取り戻し、11時半に歩行を再開しました。
京阪山科駅の東側まで戻り、京阪京津線の北側を線路沿いに東に向かって5分ほど歩いたところで北に向きを変え、JR東海道本線の高架をくぐって、北にさらに歩を進め、住宅地の中を通る参詣道を毘沙門堂に向かって歩いていきました。
参詣道のほぼまんなかあたりに、東西に流れる琵琶湖疏水が横たわっていて、安朱(あんしゅ)橋という名の橋が架かっていました。
安朱橋上からの眺め。写真左は京都市内東山方面。右は大津・琵琶湖方面。
安朱橋から、住宅地の中をさらに10分ほど歩き、12時前にやっと「毘沙門堂門跡」入口の極楽橋にたどり着くことができました。
さらに歩を進めると、その先に、本堂に続く急な石段が待っていました。
手前の石段は緩やかな傾斜ですが、途中から見上げるような急こう配になっていました。
(この写真の撮影は伊藤さん)
後半部分の石段の段数は56段。手すりをたよりに足元を確かめながらゆっくりと上っていきました。
(※ 台風7号の暴風で、8月15日、仁王門階段脇の大木(下の写真の右上の木)が根元から折れて階段をふさぎ、中央部の手すりも壊れたので、修復が完了するまで、当分の間、仁王門階段は通行禁止、とのことです)
石段を上り切ると、大きな提灯がぶら下がった朱塗りの仁王門があり、仁王門をくぐると正面に唐門と、その奥に本殿の姿がありました。
本殿に続く霊殿や震殿には狩野派の絵師が天井に描いた「八方にらみの龍」や、同じく狩野派の絵師による襖絵があり、その襖絵は、どの角度から見ても、鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法が用いられている珍しい襖絵ということで、拝観料を納めて、本殿に入り、霊殿や震殿を巡って襖絵や庭を拝観しました。
境内最奥の山すそに位置する庭園は、説明板によると「山裾せまる木立の枝間は暗く、さながら夜目に翠(みどり)を思わせるところから「晩翠園」と名付けられた」とのこと、谷川の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式の庭園は緑に覆われていて、ひんやりとした縁側に腰かけて、静かに庭を眺めながら、涼をとりました。下界の暑さを忘れてのんびり過ごす、至福のひと時でした。
関連記事:京都 山科 毘沙門堂門跡>境内のご案内
そのあと、石段下の道路わきで遅めの昼食をとりました。
昼食のあと、塩崎さんが今日2回目の「配給」としてヤクルトを皆に配り、さらにそのあと、午前中に休憩した小公園近くのコンビニで買ったという塩飴も取り出してきて3度目の配給。この度重なる配慮ぶりに感嘆の声が上がるとともに、「次の幹事にプレッシャーがかかる」との声も出されました。
昼食後の休憩を終えた時点で時間はすでに1時を回っていたので、次を急ぐことになり、日照りの厳しい参詣道を安朱橋まで戻り、そこから疏水沿いの道を西に向かいました。
山歩会での琵琶湖疏水ハイキングは2015年12月(幹事:香川さん)以来、2回目。
前回は、安朱橋からスタートして、南禅寺までを歩きましたが、肝心の疏水は改修中かなにかで水がまったく流れていない空堀状態で、枯れ葉が散り敷いていました。
今回、疏水は豊富に水をたたえ、それもかなりな早さで京都方面に流れていました。
コース沿いにはところどころ木々も繁って濃い緑もあり、水辺ゆえに涼しいと思いきや、最高気温が35度を上回ろうかという警報級の暑さのなか、木陰がないところは日差し厳しく、みな傘を差して、景色をゆっくり見る余裕もなく先を急いでいきました。
当初の予定では、疏水沿いにたたずむ安祥寺、護国寺、大本山本圀寺などにも立ち寄ることになっていましたが、暑さと、予定を大幅にタイムオーバーしていたこともあって、遠望するだけにして、かろうじて天智天皇陵だけは訪ねることにしました。
案内板に従って、疏水沿いの道を離れて、細い道を進んだあと、階段をゆるゆると下っていくと鬱蒼とした森が姿を現わし、まもなく目の前に石の門と木の柵とで造られた天智天皇陵門が姿を見せたので、陵に中に入っていきました。天智天皇陵を南側の正面入口からではなく、南側入口から北に向かって真っすぐに長く伸びる石畳の途中を東側から入っていくかたちになりました。
中臣鎌足らとともに蘇我入鹿を暗殺し、大化の改新を行った天智天皇(中大兄皇子)は、667年に近江大津宮に遷都。後年、山科の森に狩りに出かけたあと行方不明になり、沓が発見されたこの地に墓が築かれたという。
深い森に囲まれて静謐をたたえる参拝所。
ただ、参拝所の前は広いスペースに白砂が敷かれているだけで、照り返しもあり、暑さもひとしお。
唯一の日陰は参拝所前面中央部に建つ1本の樹のみ。参拝所なので、腰かけるところなどもなく、しかたなく、立ったまま、樹の下で休憩をとることになりました。
関連記事:トラベルlp>国内旅行>京都旅行>京都観光ガイド>山科・その他観光ガイド>天皇陵めぐりがプチブーム!?「天智天皇 山科陵」は京都最古の天皇陵
樹の下で暫時涼をとったあと、今日の訪問地はここで終わりにして、帰路に着くことに。御陵の西方に位置する地下鉄東西線の御陵駅を目指すことになりますが、不案内な道は迷うといけないので、元来た道を通って疏水沿いの道にいったん戻りました。北西方向に向かってしばらく歩くと、木陰に休憩所があり、ベンチもあったので、ベンチに腰を下ろして、ゆっくり休憩時間をとりました。休憩所脇の木に温度計が吊り下げられていたので見ると、32度を指していました。
10分ほど休憩したあと、天皇陵の北側を回るかたちで西に向かい、加藤清正の菩提所でもある本圀寺の姿を疏水越しに右手に遠く見ながら、さらに西に向かい、疏水の第2トンネルの少し手前で疏水に分かれて左手に曲がり、南方にある御陵駅を目指しました。
地元の人に尋ねたりしながら10分ほどで駅に着き、冷房のよく効いた電車に乗り、三条京阪駅まで行きました。京阪三条駅の改札口前で、京都市内に立ち寄るところがあるという大西さんと、いつもどおりマンホール探索を行う吉田を残し、あとの6人は、今日の「反省会」会場として予約をしている「喫茶・軽食 オブジェ」がある阪急京都線長岡京駅に向かうべく、阪急河原町駅へと急ぎました。
(この写真はお店のかたに撮っていただきました)
前回、「第100回山歩会」をお祝いする食事会でお世話になった長岡京市の「喫茶・軽食 オブジェ」は、店主のお人柄や料理メニューなど、山歩会メンバーの評判がすこぶるよく、今回の反省会でもお世話になることになりました。大いに盛り上がった反省会の様子は、幹事の塩崎さんのほうから報告していただきます。
【以下、塩崎さん記】 「前回の反省会時に店長に今回のことを話したところ「当日は素麺を用意して待っている」とのことでしたが、当日の天気と参加人数が確定してなかったので、実際に依頼の電話をしたのは3日前の土曜日夕刻。そして、25日当日の昼食時に参加人数と到着時刻とをお伝えしました。当日の献立については、店に着くまでは素麺だけかと思っていました。
ところが、実際に出てきたものは、鱧の湯引き、卵焼き、椎茸で挟んだハンバーグなど家庭料理風の品が数々、そして、最後の締めが大きなザルいっぱいに盛られた素麺。まったくの想定外だったので、大変驚きました。
参加者は、皆、疲れていたものの、アルコールが入って話もはずみ、すべて完食。途中から店長も参加し、和やかな雰囲気のうちに反省会を終えることができました。
店長は大変気さくなかたで、(青森県)津軽金木町出身とのこと。家庭料理風のメニューが出てきたのも納得しました。」 (吉田補記:ウィキペディアによると「津軽金木町は太宰治、吉幾三の出身地として知られ、津軽三味線の発祥地である」とのことである)
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【幹事からのひとこと】 猛暑日の中での疏水べりのハイキング。歩くのに負担のかからないコースを選定したものの、熱中症対策と単調なコースに如何に変化をつけるかにひと苦労しました。
当日、コースに新たに山科本願寺跡を追加しましたが、特に何事もなく無事に終わりホッとしています。
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【会長からもひとこと】炎天下のハイキングでしたが、塩崎幹事からいろいろな暑さ対策品を頂き、お陰様で全員脱落することなく琵琶湖疏水ハイキングを完歩することができました。終了後の反省会の生ビール、いつもより数倍美味しかったです! 素麺もご馳走でした。みんなの満足そうな笑顔で会を締められてよかったです。塩崎さん、ありがとうございました。またお疲れ様でした。
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資料:山科本願寺跡、蓮如上人御廟所、琵琶湖疏水、毘沙門堂、安祥寺、大本山本圀寺、天智天皇陵(塩崎さん作成)
■第100回 長岡京・花の寺 柳谷観音 楊谷寺(ようこくじ) あじさい鑑賞&西山古道ハイキング(京都府長岡京市・大山崎町) (幹事:吉田)
2023年6月27日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急京都線 西山天王山駅東口改札口前
[行程] 10:00 出発―20分→10:20 小倉神社―20分→10:40 天王山頂登山道との分岐点―(途中、一時、峠道から別れ、峠を越えて「浄土谷」に)30分→11:10 大佛乗願寺―(元の峠道に戻る)→40分→11:50 柳谷観音(楊谷寺)(志納料700円)境内で30分ほど紫陽花鑑賞→12:20 柳谷観音を出て少し歩いたところで昼食―12:50 再出発―5分→12:55西山古道―35分→13:30 立石橋―50分→14:20阪急長岡天神駅(※ 時刻はおおよその目安です)
10時に阪急京都線西山天王山駅東口に集合。吉田が幹事なので、いつもより10分ほど早く出かけたのに、阪急神戸線の電車に遅れが出ていたせいで十三駅での京都線への乗り継ぎ時に乗る予定でいた特急はすでに発車していて、結局、西山天王山駅には9時44分に着いて東口の改札を出ると、金澤、日野、大西、香川、伊藤、松石、稲葉、杉本の8人が改札口の外で待っていました。
吉田と同じ電車に乗っていた塩崎さんを入れて本日の参加者は総勢10人。
10時を待たずにハイキングを開始しました。
今日のコースは、阪急電鉄の「沿線おでかけ情報・ハイキングTOKK」 2016年秋号で紹介されていた「西山古道コース」(約10km、3時間10分)。途中に立ち寄る楊谷寺があじさい寺としても有名なので、この時期にピッタリと思って選びましたが、ネットの記事だけで「西山古道」を「整備の行き届いた、難易度の低いハイキングコース」と思い込んだことで、結果として、コース途中で“道迷い”に遭うなど、みなさんに大変なご迷惑をおかけしたことを最初にお詫びしておきます(吉田)。
関連記事:阪急電鉄 ハイキングTOKK 2016秋号 西山古道コース
関連記事:阪急電鉄 ハイキング 2016秋 西山古道コース Route Map
梅雨時ゆえに心配された雨にならずに雲間から薄日も差すような空のもと、そんなことになるとは思いもせず、軽快に歩行を開始しました。
西山天王山駅から「天王山・柳谷分岐」までの約40分間は、一昨年、2021年12月に行った「天王山登山」(幹事:稲葉さん)と同じコースでしたが、西山天王山駅から小倉神社までは前回通った車の通行の多い京都府道204号奥海印寺納所線ではなく、1本南側の団地の中を通る道を選んだところ、前回上ったダラダラ続く上り坂がなく、ほぼ平坦なまま10時10分過ぎに小倉神社北側の参詣道に出ることができ、とてもラッキーでした。
雨にはならかったものの気温も湿度も高く、駅前から10数分歩いただけで、皆、汗をかき、小倉神社境内の休憩所でしばし休憩をとりました。
休憩のあと、境内でラジオ体操をし、10時30分に割拝殿前で記念写真を撮りました。割拝殿の奥では「野焼き」をしていて、その煙が周囲に漂っていました。
関連記事:神社巡遊録>神社巡り>都道府県別>1.京都府>小倉神社(京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前)
10時35分に神社南側にある小さな橋を渡り、「天王山登山口」から山道に入っていきました。
ゆるやかな上り道を5分ばかり歩くと、右側に登り口があり、「久保川と天王山の森を守る会」が作った「ウエルカムボード」の下を通って山道を上っていきました。
ボードをくぐったあと、山道は少しずつ勾配を増していったので、息を切らしながら上っていきましたが、5分ほど歩いたところに「久保川と天王山の森を守る会」の「森の学舎」があり、その前にベンチが据えられていたので、しばし休憩しました。
湿度も高く、久しぶりの山歩きとあって、皆さん、すでにお疲れみたいです。
休憩のあと、柳谷分岐を目指してけわしい山道を再び上っていきましたが、なかなか「柳谷分岐」が現れず、「前回上ったとき、こんなに長く歩いたかなあ」、「前回、こんなにきつかったかな」などと考えながら、道標のない山道を黙々と上っていくと、11時過ぎにやっと道標が現れました。
「ここが今日一番の高所(300m)」と、笑顔で記念の写真を撮りました。
ホッと一息ついて、暫時休憩したあと、柳谷神社を目指して道標を右に折れて細い道に足を踏み出そうとしたところ、「そこではないみたい」という指摘があり、道標をよく見ると、「←天王山山頂方面 小倉神社駐車場方面→」とあり、ここはまだ「天王山山頂方面と小倉神社駐車場方面との途中」でしかなく、「柳谷分岐」ではありませんでした。
ガックリ肩を落としながら、黙々と山道を上り、15分ほど歩いて、やっと正真正銘の「柳谷分岐」に到着しました。
時折吹き過ぎる涼風に肌をなでられながら、しっかり休憩をとりました。
しばらく休憩したあと、柳谷方面への道を進んでいきました。下ったり、上ったりを繰り返しながら少しずつ高度を下げていき、12時前にアスファルト道に出ました。
そこから道をまたいで西方の柳谷観音に向かう山道には入らずに、乗願寺に寄り道するためそのままアスファルト道を南に向かってしばらく歩き、5分ほどで乗願寺に着きました。
本堂奥に高さ2.8mのやさしいお顔の金の大仏(おおぼとけ)(阿弥陀如来)が座っておられました。
関連記事:travel.jp>国内>近畿地方>京都>長岡京・向日>長岡京・向日 旅行記>京都・西山乗願寺の大仏(おおぼとけ)と楊谷寺(ようこくじ)へ
金澤・吉田・塩崎の3人は靴を脱いで本堂に上がり、大仏としばし対座。寺のかたともいろいろお話しさせていただきました。残り7人は本堂前の長椅子に座ってゆっくりくつろぎました。
しばらくくつろいだあと、元の道を引き返して、再び楊谷寺に向かう山道を先に進んでいきました。そこからは浄土谷ヤケ山地区の竹林や杉林の森が続き、15分ほど歩いたところで森を抜けて里山に出て、府道79号線に出ました。楊谷寺はもうすぐです。
本来はその府道をまたいで、再び山道に入るところを、数名が府道を南にずんずん進んでいってしまいました。楊谷寺の駐車場に出たところで、時間は12時半を過ぎていて、予定より1時間遅れ。楊谷寺を参拝したあととる予定だった昼食を駐車場脇の木陰でとることにしました。
ゆっくり食事を終えたあと、吉田が持参した、冷凍庫で保存した手づくりのヤマモモジュースと塩飴とで英気を養ったあと、1時過ぎに歩行を再開して、楊谷寺の本堂下の石段前に到着。「アジサイは先週、淡路島でたくさん見てきたので、もういい」という日野さんを石段下に残して、あとの9人は石段を上って本堂に。境内は広く、名物の紫陽花は左右の奥にあるということなので、30分間自由時間にして、各自好きなコースをたどることにしました。
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山門を入って右手にある阿弥陀堂右側の石段沿いにあじさいが咲き連なっていて、阿弥陀堂裏側の石垣にもたくさん咲いていました。
ちょうど4人が通りかかったので、写真に収めました。
石垣を上り切ったところで振り返ると、あじさいを前景に楊谷寺の全景を眺めることができました。
石段を上っていくと、奥の院の大提灯が出迎えてくれました。
境内各所にディスプレイされている楊谷寺“名物”の「花手水(はなちょうず)」。「花手水」は、神社やお寺で参拝前に手や口を清める場所である手水舎(ちょうずしゃ)などの手水鉢(ちょうずばち)に色鮮やかな花々を浮かべて飾るもので、インスタ映えする写真が撮れると全国的に話題を呼んでいますが、数年前に楊谷寺が全国で初めて行って話題となり、その後、全国の寺社が真似て、華やかさやアイディアを競い合うかたちになっています。
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1時40分に本堂前に戻り、石段を下りたところで日野さんも入れて全員で記念の写真を撮りました。
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さて、このあとが、いよいよ後半の「西山古道」ですが、手持ちの地図ではその「入口」がわかりにくく不安に思っていたところ、「先ほど食事をした駐車場の奥に西山古道入口の標識があった」というので、駐車場まで戻ると、たしかに「西山古道」の標識が立っていて、その矢印の先に猪避けの金網ゲートがあり、「ここから私有地」の看板も添えられていました。
金網の鎖をほどいて、13時50分に西山古道に足を踏み入れました。
100mほど歩くと二つ目の金網ゲートがあり、そこをくぐるとその先に「(左上)→柳谷観音0.2Km/(左下)←善峯寺43Km・ポンポン山47Km(西山古道)/(右)→立石橋22Km(西山古道) 経由光明寺・長岡天満宮方面」の「10番道標」が立っていたので、右に向かう道を先に進んでいきました。
ここまでは順調だったのですが、そのあと、「道迷い」に遭ってしまいました。
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そんなことになった原因として、今日は、終了後、「第100回山歩会を祝う食事会」を行うために阪急長岡天神駅近くの喫茶店を予約していて、その喫茶店には「遅くとも3時半までには行く」ことになっていました。なのに、ハイキングのほうが予定より1時間遅れの進行で、急がないと間に合わなくなってしまうという状況下で、焦る気持ちが冷静な判断を行う余裕をなくさせてしまっていたのです。
「10番道標」を右に曲がったあと、割と整備された広めの林道(森林作業道)が続いていたのですが、本来は、その途中で右に曲がる必要があったのを、知らぬ間にそのポイントを通り過ぎてしまったあと、さらにずんずん先に進んでいってしまいました。
実は、「10番道標」から数分歩いたばかりのところに左に180度近く折れ曲がる細い道があり、その道の木に打ち付けられた横長の表示板に「西山古道」の文字が見えたので、先を急ぐ人たちに引き返してその道を進むよう提案しましたが、「それは今来た道の案内板だろう」という声が多く、それに従うしかありませんでした。(帰宅して確認すると、阪急電鉄ハイキングの折に使用された「Route Map」には林道を大きく右に曲がる手前に「左の細い道に進む」というポイントが記されていましたので、その場所だったのかもしれませんが、今となっては、確かめようがありません。)
森林作業道わきの杉の木の、人の背丈を超える高さに打ち付けられた「←立石橋方面 柳谷観音方面→」という表示板が時折見えていたので、それを頼りに「西山古道を通らなくても、この道を進めば立石橋に早く着くだろう」とどんどん先を急いでいたのですが、次に姿を見せるはずの「11番道標」がなかなか姿を現わさないまま、突然、前方に進む道がなくなり、行き止まりになっていました。
行き止まりの少し手前の左手に沢に下る細い道がありましたが、2018年(平成30年)9月に関西地方を縦断して各地で甚大な風倒木被害をもたらした台風21号の影響か、道の先に倒木が何本も倒れて覆いかぶさっていて、そこを進むのは危険なような気がしました。かといって、いまさら元来た道を引き返すのもなんだしと思っていると、金澤さんと伊藤さんが「少しだけ様子を見てくる」と道を下っていきました。でも、しばらくたって引き返してきて、「行って行けないことはないと思うが、安全は保障できない」とのことで、やむなく今着た道を引き返すことにしました。
すでに2時半近くになっていて、「10番道標」まで戻ることは時間的に考えられず、どこまで引き返すかが問題でしたが、ここで力を発揮したのが、杉本さんのスマホに搭載されたスマホ用登山アプリ「YAMAP/ヤマップ」でした。そこに西山古道のルートも搭載されていて、杉本さんによると、「行き止まり地点から5分ほど戻ったところに、林道から「西山古道」へ入る道がある」とのことでした。
「ヤマップ」の指示に沿ってそちらに戻ると、林道から「西山古道」に分け入る地点に道標は見当たりませんでしたが、そこから細い上り道を上り切った地点の曲がり角に確かに「道標」(13番)が立っていました。西側の楊谷寺側からではなく、北側の立石橋側から楊谷寺を目指す人向けの道標としてはとても分かりやすい道標になっているわけです。
そこは、楊谷寺東方の入口からから立石橋までの「西山古道」(阪急ハイキングの目安時間は徒歩35分)のほぼ中間地点よりまだ楊谷寺寄りのところでしたが、その時点で時間は14時31分。そこから立石橋まで20〜25分、そして立石橋から阪急長岡天神駅までは徒歩で50分もあるので、15時30分に食事会場の喫茶店につくことはとても難しい事態になっていました。
ほかに脇道はないので、「ヤマップ」とその道標とを信頼して立石橋まで先を急ぐしかなく、その道を進むことにしました。
その先を少し進むと、道は下りこう配になり、足元に気をつけながら少しずつ下っていきました。
沢近くまで下ると、細く流れる川沿いの道を右に左に繰り返し何度も渡ることになりました。ただ、すべての“沢またぎ道”には手づくりの木橋が設置されていたので、道を間違えることなく、また、足元を濡らすこともなく先に進むことができたのは不幸中の幸いでした。精力的に古道整備に取り組まれている「京おとくに街おこしネットワーク」の皆さんに感謝です。
関連記事:京おとくに街おこしネットワーク>西山古道整備>古道整備記録(2018年3月19日〜2023年6月26日)
“沢またぎ”がなくなり、少しだけ高度を上げて杉林の中を歩いていきましたが、なかなか立石橋に行き着かず、まだかまだかと思いながら歩くこと約30分。前方に小泉川が見え、その川にかかる細い鉄橋が姿を現わしましたが、その橋は立石橋ではなく、その橋を渡り小泉川を右に見ながら北に向かって少し歩いたところでやっと立石橋に到着です。ですが、時間はすでに3時直前でした。
立石橋を渡ったあとは、小泉川に沿って東に向かい、南北に走る京都縦貫道の下をくぐると西代里山公園の北側に出て、さらに東に進むと住宅の建ち並ぶ地域に出ました。
持参したMapionのマップ上にはバス停のマークがあるので、藁にもすがる思いで最寄りのバス停まで急ぎ、「上ノ町バス停」に3時20分に着いてバスの時刻表を見ると、阪急長岡天神駅経由のJR長岡京駅行の阪急バスは、午後9時以降は1時間に1本しか走っていないばかりか、なんと13時台で運行は終了してしまっていました。
でも、よく見ると、その下にもう1枚、長岡京市が運行するコミュニティバス「長岡京はっぴぃバス」の時刻表があり、13時台から16時台に1時間に1本走っていて、直近の到着・発車時間は15時23分とジャストタイミング。さらに、路線図を見ると、ラッキーなことに食事会を行う喫茶店が入居する「産業文化会館」前にもバス停がありました。
そこで、バスを待っていたら、道の向かい側のバス停に逆回りの長岡京はっぴぃバスが止まったので、運転手に「阪急長岡天神駅に行きますか」と尋ねると「行く」というので、こちらのバスに乗りました。帰宅したあと、ネットで調べてみると、この時間帯に逆回りのバスは運行されてなく、まるで狐につままれた感じですが、ともかく、そのバスに乗って、阪急長岡天神駅バス停で降り、そこから10分ほど歩いて、15時45分に「喫茶・軽食 オブジェ」に着くことができました、4時を過ぎるような大幅な延着という最悪の事態はなんとか避けることができ、店のかたや食事会を企画した日野さんにかける迷惑を最小限にとどめることができて、ほっと胸をなでおろました。
「第100回山歩会」をお祝いする食事会では、「第100回山歩会」の乾杯の音頭は幹事の吉田がとれということになり、まずは「かんぱーい!」と「山歩会第100回」を祝しました。
そのあと、山歩会発案者で代表の金澤さんが自作の「山歩会活動履歴」をもとに、2008年7月にたった4人で行った比良山系蓬莱山登山に始まるこの15年間を、節目節目に生起した数々の「事件」などにも触れながら、ざっと振り返りました。
関連記事:すいゆう山歩会 活動履歴
そのあと、金澤さんの提案で、参加者全員がそれぞれ、自分が幹事を担当した回で思い出に残る回の話を披露していきました。
「喫茶軽食 オブジェ」の店主と日野さんとに感謝、感謝です。
そして、金澤さん、お疲れさまでした。これからもよろしくお願いします。
「食事会」は大いに盛り上がり、結局、3時間近く、食べ・飲み、そして、おしゃべりして、6時半に名残を惜しみながらお開きにしました。
幹事の吉田の「リサーチ不足」で、一歩間違えれば“遭難”もあり得たような思わぬ事態となるなど、参加された皆さんにご心配・ご迷惑をおかけしましたが、杉本さんの「ヤマップ」と「長岡京はっぴぃバス」とのおかげで、なんとか最悪の事態を招くことだけは避けることができ、「第100回山歩会」とその後のとても意義深い「第100回山歩会記念食事会」を楽しく過ごすことができ、皆さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。
関連記事:NPO法人 京おとくに・街おこしネットワーク>京都大原野、西山古道・天王山縦走ハイキングマップ
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■第99回 長岡京市を歩く(京都府) (幹事:稲葉)
2023年5月23日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急京都線 長岡天神駅改札口
[行程] 長岡天神駅→長岡天満宮→阪急西山天王山駅→昼食(駅近くの広場)→恵解山古墳公園→勝竜寺→勝竜寺城公園→神足神社→神足土塁公園→JR長岡京駅(解散予定15時ごろ)
10時に阪急長岡天神駅改札口に集合。今日の参加者は稲葉、本間、日野、大西、伊藤、杉本、そして吉田の総勢7人。金澤さんと松石さんとは他用のため、香川さんは発熱のため急遽、欠席。
10時前に参加者全員が揃ったので、さっそく出発しました。
阪急京都線西側を線路に沿って南にしばらく歩くと、東西に延びる参詣道で出ました。そこを右に曲がると正面に石の大鳥居が姿を見せていて、出発してから10分ほどで長岡天満宮の大鳥居下にたどり着きました。
大鳥居下の石段を上り、八条ヶ池の中堤にかかる橋を渡って、境内に入っていきました。中堤の両側には樹齢170年前後と推定される樹高2.5mのキリシマツツジが列をなしていて、開花中には全国から観光客が訪れるそうです。残念ながら見ごろは例年は4月末。今年は4月中旬に満開となり、一か月前にすでに咲き終えていて、緑の色を濃くした葉叢が茂るばかりでした。
(左の写真は長岡天満宮のホームページから転載)
関連記事:長岡天満宮>令和5年キリシマツツジ
中堤を奥に進んで左手に曲がると正面奥の社殿に向かう道に出ましたが、その手前右手に「紅葉庭園 錦景苑」という庭園があったので、まずそこに入ることにしました。
苑内には四阿(あずまや)や池(弁天池)があり、池を囲むように紅葉が葉を茂らせるこの公園は、平成19年(2007年)に整備された回遊式庭園とのこと。それから16年の年月を経て、苑内はすでに古びた風情を漂わせていました。
関連記事:Eternal Rose(エターナルローズ)>長岡天満宮 錦景苑 本殿 八条ヶ池 ふれあい回遊のみち 紅葉 19
そのあと、ゆるやかな石段を上って長岡天満宮の社殿(本殿)にお参りしました。
この本殿は、昭和16年(1941年)に京都平安神宮から拝領移築した素木(しらき)の建物を、平成10年(1998年)に朱塗りにして、増改築されたものだそうです。
社殿をバックに記念写真を撮ったあと、天満宮の西側にある「長岡禅塾」に向かおうとしましたが、道がよくわからず、気がつくと「錦水亭」という割烹料理店の前に出てしまいました。
その道を先に進むと、長岡天神の南東側の入口に出てしまいました。
丹波街道からは八条ヶ池に浮かぶように建つ錦水亭の数寄屋造りのお座敷を眺めることができる
関連記事:Premium関西>錦水亭(京都府)アクセス抜群。大自然に包まれた池畔のお座敷で、至福の京会席を
そこから八条ケ池を西に見ながら丹波街道を北に向かいましたが、先頭を行く幹事の稲葉さんを含む4人が先ほどくぐった大鳥居の前を通ってさらに北に向かっていたので、吉田が稲葉さんに「行き過ぎなので大鳥居まで引き返すよう」伝えたところ、あとの3人がなぜか激怒して、稲葉さんに対して「幹事は他人の意見に左右されずに、自分が思うように行けばいいんだからね」と大声で叱りつけていました
これには、20日に稲葉さんから吉田宛に「先日(長岡京市内の予定のコースを下見に)歩いてみたのですが、当方の地図判りにくく、お願いなのですが、長岡京市のMapion地図の印刷よろしくお願いします」というメールを受けて用意した地図を朝、長岡天神駅の改札口で稲葉さんに手渡したのを見た3人が、この間の事情を知らずに、「今日は吉田が稲葉を操ろうとしている」とでも邪推したのかもしれませんが、明らかに私がとがめだてされているのがわかって、愉快ではありませんでした。
ともかく3人をなんとかなだめ、大鳥居まで戻って中堤を渡り、先ほどとは別のルートをたどるべく、境内に入る手前で右に折れて、八条ヶ池の中を回廊風に架かる「水上橋」を歩むことにしました。
水上橋の上から、白い花が咲く栴檀の木や、友好都市・寧波市から送られた「西湖紅蓮」の花などを眺めながら歩を進めると、八条ヶ池の北西部の小道に出ました。
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ところが、そこから長岡禅塾に至る道がわかりにくく、杉本さんのスマホなどを頼りに長岡禅塾の裏口らしきところになんとかたどり着きましたが、何の表示もなく、自由に立ち入れる雰囲気ではありません。約2名が無断侵入を試みましたが、結局、中に入ることをあきらめました。
(帰宅して調べたところ、地図に卍のマークがあったので寺院(宗教施設)と思っていた長岡禅塾は公益財団法人の“禅道場”で、関係者以外が自由に出入りできる施設ではありませんでした。吉田のリサーチ不足で、皆さんにご迷惑をおかけして、すみませんでした。 関連記事:長岡禅塾)
そのあと、竹林(農地竹林・タケノコ畑)が続く「柳谷通」を西に進み、昼食をとる広場のある阪急西山天王山駅を目指すことになりました。
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「柳谷通」を長岡第五小学校の手前の四辻で左に曲がったあと幹事の稲葉さんは、太鼓山通りを経て、昔の街道の面影が多少とも残る御陵道、そして丹波街道を通るコースに沿って西山天王山駅へと向かう道を歩いていきました。
道路沿いの水がはられた水田はすでに田植えを終えていて、小さな早苗が風にそよいでいました。
ところが、西山天王山駅に少しでも早く着きたい数名が、稲葉さんのガイドに従わずに、目的地への最短コースを求めて杉本さんのスマホの「経路・ルート検索アプリ(道案内アプリ)」が指し示すルートをとるように強硬に主張して、勝手に別の道を進んでいきました。そこで、稲葉さんもしかたなく途中で予定のコースをあきらめて、スマホのルートアプリが指示する京都縦貫道沿いの道に向かうことになりました。
(スマホの「ルート検索アプリ」は目的地への最短コース、それも車が通る道を選ぶのであって、途中の風景を楽しみながら、ときには寄り道・回り道もありというハイキングや“まちあるき”には不向きなツールではないかと思います。「ルートアプリ」の利用は、確実に道に迷ってしまったときなど、それも、幹事のほうからの要請がある場合に限定して、それ以外は、あくまで「参考まで」にとどめるべきではないでしょうか。金澤さんが常々おっしゃられるように、「(目的地に着くのを急ぐのではなく)途中の風景をもっと楽しみましょうよ」)
縦貫道沿いの道に出たあと、高架をくぐると、小泉川の左岸沿いの河畔遊歩道「下海印寺樽井緑道」に出ました。その道を通って駅を目指しましたが、お天気もいいので、駅に着く前に川沿いで食事をとることに予定変更しました。
「乙訓景観十景」のひとつに選ばれた「下海印寺樽井緑道」。写真右奥に見える黄色い花は、2006年に「特定外来生物」に指定されたオオキンケイギク(大金鶏菊)(洋名:コレオプシス)です。
関連記事:なぜオオキンケイギクが特定外来生物に指定されたのか(環境省)
右岸に渡る飛び石を挟んで両岸に石段が見えたので、石段に腰かけて食事をとることしました。
食事のあと、吉田が次回「第100回!山歩会 長岡京・花の寺 柳谷観音楊谷寺 あじさい鑑賞&西山古道ハイキング」の案内を配ったところ、今回の山歩会の案内に稲葉さんが「第100回山歩会」と間違えて書いてあったのをよりどころに、約3人が、「次回が100回と間違いなく言えるのか?」「次回が100回とだれが決めたのか?」「今回が100回と書いてあるから、それでいいではないか!」とかさにかかって言いつのるので、吉田が「中止になった回は数えずに、次回、同じ回数にするということが徹底してなくて回数に混乱が生じているが、次回が100回で間違いない」と言うと、「中止になった回を数えないなんて、だれが決めたのか?」「普通は中止になっても回数は数えるものではないか」「中止した分も入れて、数え直して!」、果ては、「だったら、今回が100回と、ここで今、決めよう!」などと執拗に吉田に迫りました。
そのような道理に合わない理不尽な言いがかりに吉田がどうしても首肯しなかったところ、「(今回欠席の)会長の金澤さんに確かめる。(それまで、次回が100回かどうかは持ち越しにする)」ということにされてしまいました。私のことはまったく信用・信頼されてないみたいで、悲しくなります。
そんな、すったもんだの“事件”のあと、12時過ぎに、次の訪問地・恵解山(いげのやま)古墳を目指して、再出発することになりました。
西山天王山駅南方の踏切を渡ったところで、駅のトイレに行った吉田を待つため、残りのメンバーは駅南東部の京都縦貫道高架下にある「調子馬ノ池八角公園」でしばらく休憩することにしました。
公園の一角に「馬ノ池の水」の表示がある水道でたくさんのポリ容器に水を汲んでいるカップルがいたので、何に使うのかと聞いてみると、「普段の生活に使うが、とてもおいしい」とのこと。そばにあった説明板を見ると、「馬ノ池の水」はもともとこの地(調子八角)に湧き出ていた池の水で、この水道も「地下水100%の水道水」とありました。
その水を手ですくって飲もうとしている伊藤さんにカメラを向けると、いつものポーズでもう片方の手でVサインをしようとする動作と水を飲むタイミングとがどうしても合わず、何度もトライしましたが、結局、カメラのほうに顔を向けることはできませんでした。
調子馬ノ池八角公園での休憩のあと、恵解山古墳を目指して、歩行を再開しましたが、公園を取り囲む道路が複雑で東西南北がわかりにくく、かなり迷うことになりました。
最終的に、稲葉さんが下見時の記憶をたどって、遠くに見えた東海道線のガードを目指して東に向かうことになりました。
恵解山古墳に行く前に、「下見時に偶然見つけたところで、みなさんにぜひ案内したいところがもう1か所がある」ということで、少しだけ寄り道してその「長岡京市立 中山修一記念館」まで足を延ばしましたが、無情にも「火曜日定休」で中に入れず、外観をうかがうことしかできませんでした。
関連記事:長岡京市>市政情報>市の歴史>中山修一記念館>中山修一記念館について
関連記事:知の冒険>博物館>人生を懸けた長岡京発掘!中山修一記念館でその人生を学ぶ!
中山修一記念館からは、元の道に戻らず、直接北に向かう細い道をたどりましたが、道は次第にさらに細くなり、最後は人ひとりがどうにか通れるような狭い通路になりました。でも、ともかく道はあるのだから先に行ってみようということで、クネクネと曲がる道を進んでいくと、やや太い道に出たので、ホッとして右手を見ると見ると、正面に恵解山古墳が姿を見せていました。
ところが、なぜか先頭を行っていたはずの稲葉さんの姿が前方になく、結局、稲葉さんは途中で別の道に曲がってしまい、遠回りしたあとみんなと合流することになったというわけでした。
「史跡 恵解山古墳(いげのやまこふん)」の解説板の前で古墳をバックに記念の写真を撮りました。
そのあと、墳丘の上まで上っていきました。全長128mの前方後円墳の後円部は墓地になっていて、後円部を除く部分が公園として整備されていました。
関連記事:長岡京市>市政情報>市の歴史>国史跡乙訓古墳群・恵解山古墳
次に、後円部の北側を下って恵解山通りを東に向かい、犬川に架かる橋を渡って勝竜寺を目指しました。その辺りは「城下」の町とあって鍵の手道など道が複雑に入り組んでいて、何度来ても迷うところですが、Mapion地図と、これまで何度も迷ったことのある吉田の案内とで、今回は一度も迷わずに勝竜寺にたどり着くことができました。
勝竜寺は大同元年(806年)に唐の国から帰朝した弘法大師(空海)が、唐の長安で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わる、勝運・ぼけ封じのお寺です。また、神仏習合の名残から、境内東側には勝竜寺地区の氏神をまつる春日神社も建っていました。
関連記事:真言宗 恵解山 勝龍寺(えげさん しょうりゅうじ)
境内の一角に「ぼけ封じ観世音菩薩」立像が建っていて、その前にたたずむ杉本さんの後姿に向けてシャッターを切ったところ、偶然振り返った杉本さんの目がカメラ目線になってしまいました。
勝竜寺を出て、南側の道を東に進み、そのあと北に向かって「ガラシャ通り」を進むと、勝竜寺城の南東側の堀端に出ることができました。
(写真の勝竜寺城は今年2月に訪ねたときに撮ったもので、植栽のツツジの葉がまだ冬色です)
堀端に沿って西に進み、正門をくぐって勝竜寺城公園内に入り、勝竜寺城でトイレをお借りしたあと、公園内のベンチに座って、しばらく休憩をとりました。
(みなさん、ちょっとお疲れです)
休憩のあと、今日、最後の訪問地「神足(こうたり)神社」に向かうべく、勝竜寺城公園北側の道に出て、右に折れ、再びガラシャ通りに出ました。
ガラシャ通りを北に向かって数分歩くと、右手に「神足公園」の案内板が見えました。案内板手前の道を東に向かうと、すぐ右手に勝竜寺城の「土塁」が姿を見せていました。
勝竜寺城本丸の北東に位置する土塁・空堀跡を東側から眺めたところ。手前が空堀。奥が土塁。東西50mに延びる土塁頂部の幅は約3.4m、裾部の幅は約7.5m、高さは約6mだそうです。
さらに奥に進むと「神足神社」の社殿がありました。
神足神社は平安時代からある古い神社ですが、「神の足」と書くことから、足の健康や怪我を防ぐご利益があるとされ、スポーツ選手の参拝もあるそうです。
関連記事:開運日和>神足神社の紹介 京都府長岡京市
神足神社にお参りしたあと、ガラシャ通りを北に10分ほど進むとJR長岡京駅ですが、JRより阪急のほうが帰宅には都合のよい人が多く、阪急長岡天神駅目指して30分近くを歩くことにしました。
途中、JRの線路西側を南北に走る西国街道を10分ほど歩くと、JR長岡京駅と阪急長岡天神駅とを結ぶ大通り「天神通り」に出ました。そこから今度は西に向かって歩きながら、反省会向けに一杯飲める店を探し、阪急長岡天神駅にほど近くで「産業文化会館喫茶室」を見つけました。メニューにビールがあることを確認し、マンホール探索を続ける吉田を除いて店に入り、反省会を行いました。
未明に降った雨が明け方には上がり、10時の出発時には曇りだった空から午後には陽も射してきました。気温は暑くもなく、寒くもなく。少し強めでしたが初夏の風が心地よく吹いて、気候的には申し分のないハイキング日和でした。ただ、途中、いろいろあって、とてもとても疲れました。
資料(稲葉さん作成):長岡京市/神足神社/神足土塁群/勝龍寺公園/勝龍寺/恵解山古墳/長岡天満宮
■第98回 住吉大社周遊&長居植物園散策(大阪市) (幹事:香川)
2023年4月25日(火)
[集合時間/場所] 10時/南海電鉄南海線住吉大社駅改札口
[行程] 住吉大社→住吉行宮跡―(徒歩3km)→大阪市立長居植物園(長居公園内)―(植物園内で昼食)→長居公園入口で解散(15時ごろ)
3月の京都(八坂・円山公園〜三条・若一神社)に続き、今回も「山歩き」ではなく「まち歩き」。
前夜の天気予報では「降水確率50%。午前中は小雨(降水量1mm)、3時過ぎから本降り(降水量3mm)」とあったので、「中止」もありえましたが、24日(月)夕方5時に香川さんから「山ではなくまち歩きなので、予定通り決行します」と早々と連絡があり、実施されることになりました。
9時50分までに南海電鉄住吉大社駅改札口前に今日の参加者全員が集合。メンバーは香川、大西、吉田、金澤、伊藤、日野、稲葉、本間、塩崎の9人でした。
駅構内東出口前の周辺案内図の前で香川さんが今日の行程について説明。「途中、雨の降り方次第では、住吉大社〜長居公園は徒歩ではなく市バス乗車に変更し、その場合、住吉行宮跡見学は省略します」とのことでした。
運よく、雨は小やみになっていたので、さっそく歩行を開始。
土産物店が並ぶ通路を抜けて左に折れると、道路を挟んですぐ目の前に「住吉大社」の大きな石柱が立っていて、正面奥に西大鳥居(一の鳥居)と赤い欄干の太鼓橋をうかがうことができました。
西大鳥居をくぐり、表参道を進むと、神池に架かる太鼓橋(正式名称は「反橋(そりはし)」)が目の前にそそり立っていました。雨が降る前にと、太鼓橋の前でまず記念の写真を撮りました。
反橋の長さは約20m、高さは約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度。この橋を渡るだけで「お祓い(おはらい)」になるとの信仰もあるということです。勾配はたしかに急で、のぼりはともかく、おりるときは足を滑らせそうで、そろりそろりと下りていきました。
関連記事:住吉大社・御朱印>住吉大社「反端(太鼓橋)」
太鼓橋を渡ると目の前に階段があり、その上に石造りの鳥居(二の鳥居)が立っていて、その奥に朱色の幸寿門、さらにその奥に本宮も姿を見せていました。
境内に入る前に、香川さんから住吉大社の由緒などについての詳しい説明がありました。
ちなみに、この石の鳥居の柱は円柱ではなく四角になっていて、全国的にもとても珍しいもののようですが、住吉大社の境内ではほかにも何基か角柱の鳥居が立っていました。
関連記事:神社人>神社のススメ>鳥居について
関連記事:文化遺産オンライン>住吉大社幸寿門
石の鳥居をくぐって約3万坪(10ha)の広大な境内に足を踏み入れると、目の前に巨大な第三本宮とその右手に第四本宮が建っていて、第三本宮の奥には第二、さらに奥に第一本宮と、巨大な本宮が4棟並んでいました。
奥まで進んで、まずは第一本宮にお参りしました。第一本宮の祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)です。
さらに第三本宮にお参りしました。第三本宮の祭神は表筒男命(うわつつのおのみこと)です。
最期に、第三本宮の右側(南側)に建つ第四本宮にお参りしました。こちらの祭神は、第十四代仲哀天皇の后の神功皇后でした。
関連記事:住吉大社・御朱印>住吉大社の御祭神「住吉大神」とその後利益を徹底解説!
このあと、住吉大社の境内を巡り歩くわけですが、広い境内には摂社・末社が合わせて27社もあるので、そのうちのいくつかを訪ねることにしました。
第四本宮の南東側から反時計回りに、まず、良縁の神「侍者社(おもとしゃ)の前を通って、パワースポット、「五大力石守(まもり)」のある「五所御前」に向かいました。
第一本宮の南側に位置する場所に、1本の杉の木を囲んで小さな石の鳥居と玉垣があり、その玉垣の中に玉砂利が敷き詰められていました。その玉砂利の中から「五」「大」「力」と一文字ずつ書かれた小さな石を3文字揃えて探し出して、社務所に持っていき、お守袋をいただいて(初穂料300円)、願い事を唱えながらお守袋に石を入れて肌身離さず持つと願いが叶うということでした。
私(吉田)も試しに石探しに挑戦してみました。最初はなかなか見つけ出すことができませんでしたが、玉砂利の奥深くにまで手を入れて根気よくかき混ぜながら探していると、まず最初に「力」の石が見つかり、そのあと、「大」の石も。そのあと「力」と「大」が続いて、なかなか「五」の文字を探し出すことができませんでしたが、10個目くらいにやっと「五」の石を探し当てて「五・大・力」と揃えることができました。それらの石は、写真を撮るだけして元の玉砂利の中に埋め戻してあげました。
関連記事:住吉大社・御朱印>【パワースポット】住吉大社「五大力石」のご利益で願いが叶う!?
そのあと、住吉大社の東奥に位置する「楠君社(なんくんしゃ)」にお参りしました。(「楠君社」の「君」の文字は、正しくは「王」編に「君」)
楠君社の両脇には樹齢1,000年を超すという大楠が天上に向かって高々と枝を広げていました。
ちなみに、招福猫は手招きしている手が右手のものと左手のものとがあり、右手は「お金招き(商売繁盛)」、左手は「人招き(家内安全)」とのこと。皆さんそれぞれどちらを選ばれたのでしょう。
関連記事:おにぎりフェイス>大阪>住吉大社の楠君社まいり、初辰さんの招き猫(招福猫)
楠君社の前を西に少し歩いたあと、今度は北に向かい、境内北側に建ち並ぶ摂社・末社のうち、一寸法師のいわれのある「種貸社(たねかししゃ)」にも立ち寄りました。
社の奥まで歩を運ぶと、大きな朱塗りのお椀の後ろに、一寸法師にまつわる話と一寸法師が描かれた顔出し看板があったので、全員を代表して吉田が顔を出して写真に納まりました。
関連記事:CDEATORS>トレンドカルチャー>【大阪市住吉区】一寸法師発祥の地は住吉大社境内にある「種貸社」だった! お参りの後はお椀のお舟に乗ろう
関連記事:住吉大社>末社(侍者社、楠君社、種貸社など)
関連記事:住吉大社>摂社
境内をぐるりと一回りしたところで、南大鳥居をくぐって、10時40分に住吉大社の境内を出ました。
南参道の両側にも江戸時代から現代にいたるまで全国から寄進された大きな石灯籠が列をなしていました。ちなみに、境内に立つ石灯籠の数は全部で600基を超えるということです。
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関連記事:Ameba>住吉大社 石灯籠
南に向かってしばらく歩き、細井川にかかる新墨江橋を渡って長居公園通りまで出て、そこから東に5分ほど歩くと墨江一丁目のバス停がありました。そこで長居公園に行くバスに乗る予定でしたが、長居公園通りを挟んで南向かいのちょうど目の前に住吉行宮(あんぐう)跡の石垣と楠が見えました。バスがやってくる時間まで20分ほどあり、雨も小やみになっていたので、「せっかく目の前にあるのだから立ち寄っていこう」という声が多く上がり、立ち寄ることにしました。
行宮は、天皇の行幸時、あるいは政変などの理由で御所を失った場合に、一時的な宮殿として建設もしくは使用された施設ことをいい(ウィキペディアから)、南北朝時代の正平7年(文和(ぶんな)元年・1352年)に後村上天皇が吉野からここに移って住吉大社神主津守氏の邸内にあった正印殿(しょういんでん)を行宮にし、再び吉野に移るまでの約9年間、ここが行宮であったというわけです。
関連記事;宮内庁管理陵墓の探訪記録 新陵墓探訪記>宮都>住吉行宮
バス停に戻り、まもなくやってきたバスに乗って長居公園前で降り、長居公園の南西角から公園敷地に足を踏み入れました。左手にヤンマーフィールド長居、その奥にヤンマースタジアム長居というふたつの巨大な競技場を遠くに見やりながら10分ほど歩くと、長居植物園正門前にたどり着き、入園料200円を支払って中に入りました。
発券所でもらった「開花情報(令和5年4月19日現在)」のリーフレットを見ると、ウツギやシャクヤクなどが「咲き始め」で、ツツジ、シャクナゲ、ノダフジ、ハナミズキ、ボタンなどが「見頃」、ツバキやドウダンツツジなどは「見頃過ぎ」とありました。
大西さんが「先週のテレビのニュース番組で、長居植物公園のネモフィラがちょうど見頃と、きれいな映像を映していたので、まず、そこに行きたい!」と言うので、最初にネモフィラコーナーに足を向けることにしました。
ネモフィラは約2,000坪の野外常設ミュージアムで4月8日から5月7日までの季節限定の「フェア」として開催されているもので、2万5千株のネモフィラがまさに今が盛りと咲き誇っていました。
ネモフィラ園の北側に広がるフジ棚のノダフジ(フジの別名)もちょうど見頃で、きれいに咲き揃っていて、見事でした。
フジ棚の下でネモフィラを眺めながら長椅子に腰かけて、しばらく休憩をとりました。
関連記事:ウィキペディア>フジ(植物)
休憩のあと、近くにあるバラ園をのぞくと園全体のバラが咲き揃うにはまだ少し早いようでしたが、コーナーによっては咲いているところもあったので、バラ園の中を通り抜けていくことにしました。
まだ蕾のものも多くあるなかで、早咲きのバラが見事に花開いて、美しさを競い合っていました。
バラ園の東側入口にあるシャクヤク園もちょうど見頃で、ボタンと見まがう大輪のシャクヤクが華美を誇っていました。
バラ園を西に通り抜けて大池のほとりに出て、大池に沿って「芝生広場」を北に向かい「休憩所」を目指しました。休憩所で昼食をとる予定でしたが、ベンチがあるところには天井がなく、ベンチも濡れていたので、そこで昼食をとることをあきらめざるをえませんでした。
適当な場所を求めて、芝生広場をさらに北に歩いたところで、大きな樹々が立ち並ぶ一角があり、小雨なら防げそうなくらいに葉が茂った木の下に木製の椅子・テーブルが3セット並んでいたので、そこで昼食をとることにしました。
昼食のあと、さらに北に向かうとシャクナゲ園があり、いろんな色のシャクナゲがちょうど見頃で、ジャストタイミングでした。
シャクナゲ園からにさらに北に向かうとメタセコイアの森があり、そのあたりが植物園の北東の奥で、そこから「水辺の散歩道」に沿って西に進むとアジサイ園がありました。アジサイはまだ花をつけていませんでしたが、アジサイ園の中にある同じアジサイ科のウツギが咲き始めていて、甘い香りを漂わせていました。
関連記事:ウツギの花
関連記事:「葉で調べる樹木の見分け方」>夏編2「ウツギ」(林 将之)
そのあと、まだ花の咲いていないハナショウブ園などの横を通って大池を一回りして、入口近くに戻ったあと、「自然史博物館」の中にある「花と緑と自然の情報センター」も訪ねることにしました。
「花と緑と自然の情報センター」1階「ひふみホール」の「自然のエリア」で常設展示されている「ネイチャースクエア・大阪の自然誌」をゆっくり見て回りました。
北摂から生駒、和泉へと地域を主な山ごとに区切って自然の特色を解説する「山地」のコーナー、生き物のすみ場所をタイプ別に紹介する「丘陵」、「平野」のコーナー、そしてこれらの地域をつなぐ「水辺」のコーナーなどがありました。
「山地」で紹介されている北摂・生駒・和泉各地域の山々の山名を見るとそのほとんどを山歩会でこれまで登っていて、山歩会の15年の歴史を誇らしく思ったものでした。
関連記事:大阪市立自然史博物館>ネイチャースクエア・大阪の自然誌
そのあと、NHKテレビの朝ドラで現在放送中の「らんまん」にちなんで開催中の特別展「MAKINO博〜牧野博士のふるさと・高知県」も見学しました。
「自然史博物館」を出ると、外は雨がパラパラと降っていましたが、そう大して大降りになることもなく小ぶりのままで、2時すぎに長居公園南西側入り口に戻り、解散しました。
早朝から降り出した雨は、出発地点の住吉大社駅では小やみになっていて、時折ぱらつきはしたものの、全体の7〜8割は傘をささなくてもいい状態だったので、結果的に香川さんの判断のおかげで、とても楽しく、有意義な一日を過ごすことができました。香川さんに感謝です。
■第97回 平家の夢の跡〜街中巡り(京都市) (幹事:本間)
2023年3月28日(火)
[集合時間/場所] 9時55分/阪急京都線高槻市駅プラットホームの待合室
[行程] @阪急京都河原町駅→(四条通)→八坂神社・円山公園(忠盛燈籠・祇園堂)(この間、円山公園で昼食)→A(東大路通)→崇徳天皇御廟→六道珍皇寺→六波羅蜜寺→B(大和大路通)→耳塚→C(七条通→西大路通)→若一神社
今日は本間さんの幹事で「平家の夢の跡〜京都街中巡り」と題して、東山区の祇園から下京区の西大路八条まで総計8.5kmを歩く予定です。
9時55分に阪急京都線高槻市駅のプラットホームの待合室に金澤、香川、本間、稲葉、伊藤、塩崎、杉本、大賀、吉田の9人が集合。10時3分発の特急電車に乗り込むと、日野さんがその電車に乗っていて、総勢10人になりました。大西さんと松石さんとのお二人は今日はお休みです。
10時24分に京都河原町駅に到着。本間さんから今日のコースについての簡単な説明を受けたあと、階段を上がって四条通に出て、八坂神社を目指して東に向かいました。
高瀬川沿いの桜並木がちょうど満開。青空に映え、鴨川の両岸の桜も咲き揃って、私たちを迎えてくれました。今年の京都の桜は3月18日に「開花」して、24日が「満開」。満開から1週間が「見ごろ」なので、絶好のタイミングでの京都歩きとなりました。
11時前に八坂神社に到着。西楼門をくぐり、本殿(拝殿)と舞殿の間を通ってさらに東に進み、末社の一つ大神宮社の前で、隣接して立つ「忠盛燈籠」について本間さんの最初の解説がありました。ここが今日の「平家の夢の跡」コースのスタート地点です。
(日本伝承大鑑 忠盛灯籠、八坂神社参道 祇園商店街振興組合 祇園点景 忠盛燈籠などより)
本間さんのお話をお聞きしたあと、境内を東に進んで玉光門をくぐるとそこは円山公園。満開の桜と食べ物屋台が眼前に広がっていました。
正面にそそり立つ樹高10mを超える「祇園枝垂桜」もまさに満開。
満開の桜の下で昼食をとりました。 関連記事:桜日和>京都>円山公園 祇園枝垂桜
桜を楽しみながら、ゆっくり昼食をとったあと、枝垂桜をバックに記念撮影。
枝垂桜をフレームの中に収めることに気をとられてカメラを左に寄せたときにシャッターを切ったので、右端の人物が枠からはみ出てしまいました。大賀さん、ごめんなさい。
枝垂桜の南方路上に、2021年3月に設置された「ポケモンマンホール(ピィ、ププリン、ピチュー)」があったので、枝垂桜をバックにしっかり写真に収めました。
円山公園南側を西に向かって進み、「ねねの道」を南に向かってすぐのところに「平家の夢の跡」Aの「京都祇園堂」があり、その前で本間さんの「祇園女御」についての解説をお聞きしました。
関連記事:源平史蹟の手引き>白河法皇>祇園堂〈京都府京都市〉
関連記事:中世歴史めぐり>奈良・京都>祇園女御 〜白河法皇の寵妃〜
祇園堂の入口右手に「祇園女御供養塔」が建てられています。
そのあと、八坂神社南側の道を西に向かい、南楼門前を通り過ぎ、東大路通を横切って少し行ったところで南に向かう道をしばらく歩くと、今日3つめの「平家の夢の跡」「崇徳天皇御廟」があり、崇徳上皇や讃岐の白峰御陵の話などをお聞きしました。
崇徳天皇御廟から次に向かう六道珍皇寺の間には縁切寺で有名な安井金毘羅宮があり、そこは横切れないので、いったん東大路通に出て、東山安井信号を南に向かい、安井金毘羅宮の南側を西に向かいましたが、なんと、さきほど通った道に戻り出てしまいました。
関連記事:トラベルJP>国内旅行>京都旅行>京都観光ガイド>京都・祇園・山科観光ガイド>京都最強の縁切り神社!「安井金毘羅宮」は悪縁を切り良縁を結ぶご利益さん
東大路通を西に折れる道を数本早く曲がってしまったみたいですが、そのおかげで安井金毘羅宮の周りをグルっと一周し、神社脇の桜並木を楽しむことができました。
再び東大路通に出て、南に向かい、清水道信号を右に曲がってしばらく歩くと、今度は間違いなく「六道珍皇寺」の門前にたどり着きました。
東大路通の清水道信号の南北の道路の北側の建物と建物の間から清水寺の五重塔が顔をのぞかせていました。
「平家の夢の跡」C「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」の門前に立つ「六道の辻」の碑の前で、本間さんから「六道」について詳しい説明を受けました。
日野さんが、六道を覚えるために6つの道の頭文字を好きな「テニス」にかこつけて「て・に・しゅら・ち・が・じ」と覚えるとよいと提案されましたが、皆さん、すんなり覚えられたでしょうか。
六道珍皇寺境内の焔魔堂には小野篁と閻魔大王の木造が祀られていて、六道珍皇寺の庭には「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」とがあるとのことです。
関連記事:ふらふら京都散歩>京都の寺院>六道珍皇寺 | 冥界への入口!冥土通い&黄泉がえりの井戸
関連記事:歴史人>日本史>戦国>閻魔大王は鬼なのか? 大王の秘書となった小野篁とは何者か?
珍皇寺の境内で少し休憩をとったあと、珍皇寺前の道を西に向かい、左に折れると「平家の夢の跡」D「六波羅蜜寺」がありました。
応和3年(963)創建の六波羅蜜寺は、天暦5年(951)に空也上人が開いた西光寺を起源とし、平忠盛の時代には広大な境内に平家一門の邸館5,200余館を構える隆盛ぶりを見せていたとのこと。
その後、寿永2年(1183)に平家が都落ちした際に兵火を受け、諸堂はことごとく焼け落ちたが、唯一、本堂のみ消失を免れ、開創1,000年を記念した1969年の解体修理を経て、今に姿をとどめている、とのことです。
関連記事:TABI CHANNEL>東アジア・中国・台湾>日本>京都>「六波羅蜜寺」の見どころを徹底取材!願掛け石や手書きおみくじなど
六波羅蜜寺からは南に向かい、五条通に出たあと少しだけ西に歩いて東山郵便局の東側の道を南に進んでいくと、左手に豊国神社の広大な敷地が姿を見せました。その前で右に折れると、巨大な五輪石塔「耳塚」が立っていました。
耳塚は、当初は鼻塚といわれ、豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(1592〜93・1597〜98)で、秀吉軍は戦功の証として朝鮮人の鼻と耳を切り取り、塩や酢に漬けて日本に送り、その鼻と耳がこの地に埋められて、1597年(慶長2)に塚が造られ、耳塚と呼ばれたとのこと。現在の巨大な五輪石塔は江戸時代の初めに建てられたものという。本間さんから文禄・慶長の役にまつわる話をいろいろお聞きしたあと、耳塚西側の道を南に進み、七条通で右に曲がって西に歩くと七条大橋のたもとに出ました。
時刻は1時40分。昼食時の休憩をはさんだとはいえ、歩き始めてすでに3時間。本日最後の「平家の夢の跡」E「若一神社」までの残りの行程を聞くと、距離にして3.7km、時間にしてまだ1時間以上歩くと聞いて、進行継続をためらう者が出て、ここで進行継続組5人と進行終了組5人との二手に分かれることになり、進行終了組は帰路につくべく京阪七条駅に向かう階段を下りていきました。
進行継続組は七条大橋を渡り、七条通を西に進んでいきましたが、七条河原町信号の南西角で、50〜60年代のレトロ風な装いをもつアメリカンポップなコーヒー店が目につき、思わず皆「入ろう!」と、どんな店かよく確かめもせずに入りましたが、これが大当たり!!
おいしいコーヒーで英気を養ったあと、2時半前に店を出て、進行を再開。コーヒー店のすぐ西側に店を構える和菓子屋さんの店先にふと目をやると、ショーウィンドーにおしいそうな粒あんをいっぱいまぶした特大のおはぎが! 普通のおはぎの3倍くらいの大きさで、重さはなんと1個240gという。なのに値段は1個390円と超お買い得!! お店の名前は「京菓子司 松屋」さん。「東本願寺御用達」の老舗とのこと。伊藤さんが奥さんへのお土産に買い求めました。(イラストは参考です。実物は下の「豆なブログ」を見て、ご想像ください)
関連記事:豆なブログ>あんこもの、豆・豆料理探検>松屋のおはぎは240g
そのあと、東本願寺を右手に見ながら新町→西洞院→堀川とさらに西に進み、続いて西本願寺を右手に見ながら、大宮→壬生と進み、JR山陰本線の梅小路京都西駅の北側で高架をくぐり、七条通をさらに西に進んでいきました。七条通は大きな通りですが、道路わきに立ち並ぶ店々は店構えに一昔前の雰囲気を残すものも多く、ウインドーショッピングを楽しみながら、歩いていきました。
関連記事:ガイドブックに載らない京都>史跡・旧跡>源為義墓・権現寺 六条判官の墓
源為義の墓は路地の突き当りに建つ権現寺によって護持されているとのこと。
その権現寺の門前にかわいらしいお地蔵さん(しあわせ地蔵?)が立っていたので、お地蔵さんを囲んで記念撮影させていただきました。
そのあと、七条通を七本松→御膳と進み、西大路七条信号で左に折れて西大路通を南に向かってしばらく歩くと、西大路八条信号手前の道路にはみ出るように枝を広げる大きな楠が見えてきました。平清盛公お手植えの楠で、「若一(にゃくいち)神社」のご神木。樹齢は850年とのことです。
境内の奥にある祖霊社などにもお参りしたあと、境内に据えられた長椅子に腰かけて、今日の疲れを癒しました。
宮司さんか神社のパンフレットを持ってきてくれたので、説明を受けながら、しばし懇談させていただきましたが、「京都には古いいわれのある場所がいっぱいあるので、名の通った観光名所ばかりでなく、もっといろんなところを巡り歩いてほしい」とのことでした。
関連記事:京都のお墨付き>京都で話題>名所・観光地>若一神社 (にゃくいち)@京都「平清盛の楠の祟りと座敷わらし」の神社で初詣
若一神社西側の「平清盛公西八条殿跡」の石碑の横に並んで記念の写真を撮ったあと、帰路につき、JR京都線西大路駅に向かいました。
西大路駅構内で吉田は、大阪に向かう4人と別れて京都駅まで戻り、駅の南東部から京阪東福寺駅まで1時間ほどを徘徊して、マンホールを探索しました。
資料(本間さん作成):関係時期の天皇/平氏の棟梁/忠盛燈籠・祇園堂・崇徳天皇御廟・六道珍皇寺・六波羅蜜寺・耳塚・若一神社
■第96回 三好山(芥川山城跡) (182.6m)〜摂津峡ハイキング(大阪府高槻市) (幹事:伊藤)
2023年2月28日(火)
[集合時間/場所] 10時45分/JR高槻駅中央改札口
[行程] 駅北の高槻市営バス2番乗り場から 51番系統のバスに乗り、11:02発―(20分)→塚脇バス停(三好山登山口)到着 (バス料金220円)→11:30 塚脇スタート―(40分)→12:10 三好山(芥川山城跡)着→山頂にて昼食(12:10〜13:00)→13:00 山頂スタート―(上のロルート/15分)→上の口到着(摂津峡入り口)→13:20 摂津峡廻リスタート(摂津峡:白滝、山水館、摂津峡公園桜広場)→下の口→14:40 塚脇バス停着
[帰路] 14:47 高槻市営バス塚脇発―(20分)→15:10 JR高槻市駅着(駅前解散)
第96回山歩会は、伊藤さんの企画で、「冬の一日、自然の中をゆっくりと歩」くべく、近場(高槻市)の三好山(標高182.6m)〜天下の名勝 摂津峡を廻る「ぶらリハイキングコース」。
三好山には、織田信長に先んじて天下(当時の畿内)統一をなしたとされる三好長慶(ながよし)の芥川山城跡もあり、日本の歴史に触れあう楽しみもある、とのことです。
10時45分にJR高槻駅中央改札口に集合。伊藤、金澤、日野、香川、大西、本間、稲葉、杉本、吉田、松石、塩崎の総勢11人が参加。
JR高槻駅北側のバス乗り場で15分ほど待ったあと、11時2分発の「塚脇(摂津峡)行」の市営の循環バスに乗り、塚脇バス停で降り、バス停前のスペースでラジオ体操を行いました。
写真後方右手にこれから登る三好山の山すそが見えます。
左手に竹藪を見ながらゆるやかな上りのアスファルト道を15分ほど歩いたところで、右側の道脇に「三好芥川城の会」が作成した「三好山へ 40分(三好長慶 1553年 入城)」と書かれた案内板が立っていて、そこが「登山口」でした。
「芥川山城推定復元図」のパネルがその後ろにあって、「三好芥川城」に対する地元の人たちの熱意が伝わってきました。
「登山口」から先は山道で、左手にのどかな里山の景色、さらにその向こうには時折、高槻市街が姿をのぞかせていました。
木立の中の山中道を歩むと土塁らしいものも眼前に現れるようになってきて、いやが上にも山城跡入城への期待感が高まっていきました。
その山中道を25分ほど歩いたところに「史蹟 城山城跡」と彫られた石柱が立っていました。
そこから数分歩いたところで見晴らしのいい、広く平らな場所に出ました。曲輪のようです。
記念写真を撮ったあと、高槻市街を見下ろしながら、しばし休憩。
高槻市街の奥にはあべのハルカスなど大阪市内の高層ビル群、さらに遠くには生駒の山並みを見ることもできました。
その曲輪を出て、階段状の細い道を上っていくと「三好山へ 6分」の看板が。
道を上り切ったところに、さらに見晴らしのよい広場のようなところがありました。
伐採した丸太で作られた椅子がたくさん並べられていたので、そこで昼食をとることにしました。
春を思わせるようなポカポカ陽気のなか、吹く風も心地よく、おしゃべりを楽しみながら、たっぷり時間をかけて食事をしたあと、記念写真を撮りました。
昼食を撮った広場に「三好山 芥川山城 182.6m」と書かれた看板があったので、てっきり、そこが頂上だと思っていましたが、そこは頂上ではなく、曲輪で、そこからさらに一段上がったところに城の主郭と山頂とがありました。
「広場」の北側に一段高い場所があり、こちらが主郭(本丸)があった「城山城跡」、かつ「山頂」。写真左手に見えているのは三好長慶が祀られている祠です。関連記事:朝日新聞デジタル>2020年11月5日 三好長慶のほこら、住民が再建 台風で損壊 久秀も合祀
1時過ぎに山を下りることに。しばらくの間、先ほど上ってきた道を下り、10分ほど行ったところにあった分岐点で左に折れました。
10分も歩くと家々が点在する集落にさしかかり、そこが芥川山城跡へのもう一つのルート「上の口ルート」の「入口」になっていました。
「芥川山城跡入口」の看板の下に掲示されている「芥山城跡へのルート」や「芥川山城跡 縄張り図」を見ながら、今日、たどってきた道のりを確認しました。
集落の中を通り、芥川にかかる摂津峡大橋を渡ってしばらく歩いて、坂道を下ると、今は無き「料理旅館 喜楽荘」の看板とともに「危険! 落石・倒木の恐れあり 通行注意」の看板が立っていました。2018年9月に関西地方に甚大な被害をもたらした台風21号は、三好山や摂津峡にも倒木や落石など大きな爪痕を残し、長い間、立入禁止になっていたようです。
「脇道」に入ると、芥川を左に見る「摂津峡」沿いの道になっていました。
摂津峡は、10年前の2013年9月に、その年の6月に始めた「東海自然歩道散歩」(約100キロ)の第3回として、「(JR富田駅→)中萩谷バス停→摂津峡・白滝→下の口→原立石→神峰山寺(かぶさんじ)→本山寺→ポンポン山→杉谷→吉峰寺(→阪急東向日駅)」コースの一部として歩いたことがあります。→ とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」(さんぽかい)の記録B(2013年)
また、粋遊会「本隊」でも、翌、2014年5月に「水と緑の名勝地「摂津峡公園」ハイキングと摂津峡温泉「祥風苑」入浴&昼食(幹事:山口さん)」を行っています。
(写真左が夫婦岩。右側の小さな滝をはさんだ二つの岩が夫婦岩とのことです)
途中、山口誓子の句碑「流蛍の 自力で水を 離れ飛ぶ」があり、その前でしばらく休憩しました。
関連記事:株式会社小阪工務店>高槻Life>高槻・摂津峡・蛍の光
そのあと、南に向かい、山水館の前を通り、河原のバーベキューガーデンを見下ろしたりしながら、さらに下ると、摂津峡公園の脇に出ました。トイレがあったので、トイレ休憩をかねて、道端でしばらくのんびりしました。
そのあと、塚脇橋を渡って摂津峡大通りに出て、「美人の湯 祥風苑」の前を通りました。希望者があれば「温泉入浴」のオプションも用意されていましたが、希望者は1名しかなく、全員、帰路を急ぐことになり、2時40分に出発地点のバス停に戻り着きました。
マンホール探索のため、高槻駅までさらに1〜2時間歩くという吉田を残し、あとの10人はまもなくやったきた47分発の高槻駅行きのバスに乗り、帰路に着きました。
一日中ずっとお天気はよく、徒歩開始時は低かった気温も徐々に高くなり、山の上を吹き過ぎる風は肌に気持ちよく、空は晴れ渡り、絶好のハイキング日和でした
わずか1週間前、粋遊会「本隊」の天王寺茶臼山&動物園ハイキングで寒風に身を震わせたことがウソのように感じられる、とても快適な1日でした。
関連記事:高槻市のイロイロに迫るヒマつぶしサイト。 高槻スクランブル>スポット>2018/05-16 高槻で気軽にハイキング登山!芥川山城跡『三好山』(塚脇バス停スタート)
関連記事:お城を知って、巡って、つながるサイト 城びと>記事一覧>【続日本100名城 芥川山城(芥川城)編】戦国時代末期の特徴が残る!「天下人」三好長慶の居城
関連記事:古代から幕末まで 日本全国のお城・城跡訪問記 城めぐりチャンネル>2016/02/24 芥川山城 [1/3] 巨大な大手石垣跡と、城下一望の主郭跡へ。
■とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
●2022年(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
●2021年後半(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地)
●2021年前半(6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
●2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
●2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
●2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
●2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
●2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
●2015年(12月:琵琶湖疏水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
●2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
●2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
●2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
●2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)
男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
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●男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定
●これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
●2018(H30)年〜
●2017(H29)年
●2016(H28)年 ●2015(H27)年
●2014(H26)年 ●2013(H25)年
●2012(H24)年 ●2011(H23)年
●2010(H22)年 ●2009(H21)年
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●2004(H16)年 ●2003(H15)年
●2002(H14)年 ●2001(H13)年
●2000(H12)年 ●1999(H11)年
●〜1998(H10)年
●第3次男女共同参画基本計画
(2010年12月17日閣議決定)
●男性問題を考える上での諸概念
*「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
*男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景 *充実した人生のために必要なもの
●「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)
●男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
*「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
*「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
*「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
*「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)
●関連記事
*はいじ:男性向け講座(2008.2)
●団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
*団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
*(城陽市)おとこのわいわい日曜塾
●男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
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