すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)■
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すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)
すいゆう山歩会は、団塊世代の地域グループモデルとして2007年7月に発足したとよなか粋遊会の自主グループとして、同会メンバーの金澤さんの呼びかけによって、2008年7月に「山歩会」の名で誕生しました。例会は、原則として毎月第4火曜日に行っています。(2月と8月はお休み。2023年から1月と8月とに変更)
第1回から第38回(2015年10月)までは会長の金澤さんに毎回のコース設定や案内・連絡をお任せしてきましたが、金澤さんからの提案で、翌・第39回からは、メンバー全員で順番に計画・実施する「幹事当番制(月幹事輪番制)」で行っています。
●すいゆう山歩会 これまでの活動履歴一覧(2008年〜2023年)
●すいゆう山歩会 活動履歴(2008年〜2023年)(金澤さん作成)
●すいゆう山歩会 開催履歴一覧表(第1回〜100回)(吉田作成)
すいゆう山歩会(さんぽかい) (とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録K(2022年〜)
■〔2023(令和5)年〕
(2023年度の月幹事 : 5月 稲葉、6月 吉田、7月 塩崎、9月 本間、10月 杉本、11月 日野、12月 香川、2023年 2月 金澤、3月 大西、4月 伊藤、5月 松石)
■第102回 遊女塚から五色台古墳(神戸市垂水区) (幹事:本間)
2023年9月26日(火)
[集合時間/場所] 11時10分/山陽垂水駅改札口
[行程] 海神社 → 昼食(垂水漁港食堂) → 遊女塚・宝篋印塔(ほうきょういんとう)→ 五色塚古墳 → 山陽電車霞ヶ丘駅で解散
JR三宮駅で一緒になった伊藤さんと吉田は垂水駅に10時53分に着きましたが、間違って東出口に出てしまったので、集合場所の山陽垂水駅改札口へと急ぎました。11時前に改札口に着くと、集合時間の11時10分にはまだ十分時間があるというのに、すでに金澤さん、日野さん、香川さん、大西さん、杉本さん、塩崎さんの6人が首を長くして待っていました。ただ、まだ幹事の本間さんの姿が見当たりません。
それから待つこと10余分。11時10分のほぼ定刻に本間さんが稲葉さんを連れ立って山陽垂水駅の改札口から悠然と姿を現わしました。これで、本日の参加者10人全員が揃いました。本間さんから今日の行程について説明を受けたあと、早速、最初の訪問地「海神社」を目指して出発しました。
垂水駅の南口から直接、海神社の北西側に行ける道がありましたが、本間さんの「せっかくだから正面から入りましょう」という声に従って、南に向かい、全長がわずか50mほどしかない兵庫県道200号垂水停車場線を通って、いったん国道2号線に出て、東に100mほど歩くと、国道2号線沿いに石鳥居が立っていて、社号標には「官幣中社海神社」と刻まれていました。
石鳥居をくぐって、境内に足を踏み入れ、奥の拝殿に向かいました。
国道2号線沿いに立っている鳥居は「二の鳥居」で、振り返って南側の海のほうを見ると、100mほど先に朱塗りの大きな鳥居「一の鳥居」が立っているのが見えました。
かつて一の鳥居周辺は砂浜で、文字通り「海の神社」でしたが、1960年ごろから埋め立てが行われて、現在、鳥居の前面は、道路や水産会館があって、直接、海を見ることはできません。
拝殿脇で本間さんから海神社の謂れについて詳しい説明を受けました。
関連記事:海神社ホームページ>由緒
関連記事:神社と古事記>近代社格の官幣中社とは?
関連記事:Musubu-Goen>>神社・寺 Lifetime Trip>神社(関西)>(兵庫)海神社を訪問。神功皇后を創建由緒にもつ古い神社。おねがいごとも祈願してくれます!漁港の丼もオススメ!(α7V)
本間さんの解説を聞き終えると12時を回っていたので、そろそろおなかがすいてきました。
山歩会の昼食は、基本的には各自弁当を持参して屋外で食べることにしていますが、今回は、コース周辺に弁当を広げる場所がなく、探し当てたとしても9月の日差しは暑さが予想されるということで、本間さんの当初の計画では、海神社一の鳥居の南側にある「垂水漁港食堂」で、漁港自慢の「海の幸」をいただくことになっていました。ところが、残念なことに、直前の調べで火曜日が定休日であることがわかり、急遽、国道2号線沿いにある「くら蔵」に変更になりました。
涼しい店内でゆっくり昼食の時間を過ごしたあと、次の訪ね先「遊女塚・宝篋印塔」を目指しました。
「くら蔵」を出て、国道2号線を西に向かい、先ほど通ってきた県道200号垂水停車場線を北上して、いったん垂水駅まで戻りました。
ちなみに、県道200号垂水停車場線の北側の起点にあたるJR垂水駅南側ロータリー西側にある珈琲専門店「あんず」は、今から47年前の1976年8月の開店時、私(吉田)が“ヘルプ”のソフトバーテンダーとして開店を手伝った店です。自家焙煎の豆をサイフォンで淹れて飲ませる、昔懐かしい珈琲専門店ですが、店主の桝井さんは今もお元気でカウンターに立たれています。
関連記事:おしょぶ〜の〜と>【垂水駅 喫茶店巡り】>2022.11.11【垂水駅 喫茶店巡りE】駅前徒歩40秒!珈琲専門店「あんず」でゆっくり珈琲を!※YouTube動画あり
垂水駅を北側に抜けたあと、駅前西側広場を西に歩を進めると、北に向かって緩やかな坂道が続く「商大筋」に出ました。
石段を上ると西垂水墓地の全面が見え、そのほぼ中央部に高さ4mの宝篋印塔がそびえ立っていました。
本間さんが、昔、神戸市教育委員会で手に入れたという遊女塚宝篋印塔に関する「神戸市文化財調査報告書」を元に、宝篋印塔について詳しく解説されました。
関連記事:産経新聞>産経WEST>ライフ>地方>近畿 兵庫>2021/10/20 石仏は語る 船転覆で遊女ら溺死の伝説 神戸市垂水区の遊女塚
関連記事:遊女塚(ゆうじょづか)宝篋印塔 遊女塚(ゆうじょづか) (西垂水共同墓地) (神戸市垂水区仲田町1丁目1)
石塔の周りに陽を遮るものがなく、30度を超える陽射しを浴びながらの解説で、話すものも聞くものも汗まみれで、解説のあと、本間さんが「おやつ」を皆に配りました。
今日のために阪急大阪梅田本店で買ってきたという、金沢の有名和菓子店「きんつば中田屋」の「きんつば」。上品な甘さの特上の味わいで、みなさん、自然に笑顔が沸いてきました。
前回、7月の琵琶湖疏水ハイキングの折、幹事の塩崎さんからチューペットなど3度にわたる「配給品」があり、その丁寧な心配りに皆、感心したものでした。それが今回の「きんつば」につながったと思われますが、次回幹事へのプレッシャーがますます高まりますので、「配給品」は以前のように塩飴程度に戻したいものです。
きんつばで気も心もほぐされたあと、最後の訪問地「五色塚古墳」を目指しました。
方角的には、五色台古墳は、宝篋印塔があった西垂水墓地の西方にあるので、近道をしようと住宅地の中の狭い道を通るとかえって道に迷うので、いったん元の商大筋に戻りました。少し南に下ったあと、右に折れ、バス道沿いに西に向かって10分ほど歩いたところで「五色塚古墳」の矢印のある案内板が見えてきました。そこを左に折れて南に向かうと、5分もしないうちに五色塚古墳の後円部の小高い丘が目の前に現れました。
そこから古墳後円部の北西側を回って五色塚古墳管理事務所を訪ね、資料をいただいたあと、古墳をバックに記念の写真を撮りました。
バックに映っているのは五色塚古墳の前方後円墳全体の半分ほどにあたる後円部分で、写真の正面右側に前方部分が延びているわけです。
前方部の中ほどに続く階段を上って、まず前方部の端まで行き、ズラッと並んだ鰭つき円筒埴輪や鰭つき朝顔形埴輪越しに瀬戸内海、淡路島、さらに瀬戸大橋を眺め渡しました。
瀬戸内海を往来する船の姿を眼下に一望することができ、この古墳がこの場所に築かれた意味を知ることができました。
そのあと、古墳の真ん中まで戻り、石段を上って、後円部の上に立ちました。そこからは、東西南北すべてを見渡すことができ、東西の陸の要衝であることもわかりました。
関連記事:Feel KOBE 神戸公式観光サイト>2303.03.03 神戸に巨大な古墳があるって本当? 垂水区「五色塚古墳」に注目
陽射しはまだ容赦なく照りつけていましたが、古墳の上には涼やかな風が流れていて、目線を少し上にあげるだけで、様々な形をした雲を眺めることができました。はるか遠くの山際に夏雲が少し残っていましたが、あとは、ずいぶんと高い位置に浮かぶ、すじ雲、いわし雲、うろこ雲などで、雲だけ見ると、そこにはすでに秋の気配が漂っていました。
古墳の上で吹く風にしばし身体を休ませたあと、帰路に着くことにしました。
東に向かって垂水駅に戻るという選択肢もありましたが、距離的には西側にある山陽電車霞ヶ丘駅の方が近いということで、そちらに向かうことになり、10分ほど歩くと駅に着きました。2時50分に駅前で解散し、いつも通りマンホール探索を続ける吉田を残して、皆は電車に乗り、反省会の場所を探すことになりました。
資料:海神社、遊女塚・宝篋印塔、五色塚古墳、天皇在位と年齢(本間さん作成)
■第101回 琵琶湖疏水ハイキング(京都市山科) (幹事:塩崎)
2023年7月25日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅中央改札案内所付近
[行程] 09:16 JR大阪駅発―(新快速湖西線経由敦賀行)→ 09:19 新大阪→ 09:51 山科駅着
山科駅前 ―(20分)→ 毘沙門堂(拝観見学/30〜40分)―(20分)→ 疏水沿い散策(20分)→ 休憩・昼食― 疏水沿い散策(15分)→ 天智天皇陵― 疏水沿い散策(15分)→ 大本山本圀寺― 疏水沿い散策(15分)→ 地下鉄東西線御陵駅―(6分)→ 三条京阪駅―(30分)→ 阪急京都河原町駅
8時40分にJR大阪駅中央改札口前に行くと、すでに日野さん、伊藤さん、本間さん、稲葉さんの4人が待っていて、そのあと、大西さんと塩崎さんが姿を見せて、7人になりました。今日の参加者は、新大阪駅から乗り込む金澤さんを加えて、計8人。松石さんと杉本さんは所要でお休み。香川さんは、直前にコロナの濃厚接種者であることが判明して、残念ながら欠席となりました。
9時10分前に金澤さん以外の7人が揃ったので、予定よりも早い電車に乗ることもできましたが、新大阪駅から乗車する金澤さんのことを考えて、時間まで待って、予定通り9時16分発の新快速に乗車。で、新大阪駅で金澤さんと合流のはずでしたが、金澤さんの姿が見えず、金澤さんにスマホのラインで連絡をとると、なんと、「1本前の新快速に乗りました。到着地の山科駅の改札口でお待ちします」とのことでした。
予定通り9時51分にJR山科駅に着き、改札口で、無事、金澤さんと合流することができました。
山科駅前で塩崎さんのほうから、駅の北側にある毘沙門堂に行く前に、南側にある東本願寺山科別院、西本願寺山科別院、蓮如上人御廟所などを巡る1時間ほどのオプションコースの提案がありました。蓮如上人にまつわる由緒あるエリアということと、思ったより気温が高くなかったこともあって、全員が塩崎さんの提案を受け入れて、南に向かって歩を進めることになりました。
JRと並行して走る京阪電車山科駅の南側に出て、京都外環状線を南に下り、外環渋谷交差点の先を少し行ったところで西に折れてしばらく歩くと、目の前に「東御坊」の大きな石柱が現れました。
その先を進むと「真宗大谷派 山科別院長福寺」の表札がかかった門があり、その門をくぐると、広い境内の中央に立派なお堂が建っていました。
境内を10分ほど散策したあと、元来た道に戻り、「東御坊」の石柱の前で記念の写真を撮ったあと、次の訪問地に向かいました。
関連記事:YAHOO!ニュース>エキスパート>【京都市】山科区 蓮如上人と浄土真宗「東本願寺 山科別院」と徒歩240キロ「蓮如上人御影堂中」!
東御坊東側の道を南にしばらく歩いたところで西に曲がり、「蓮如上人御塚道」の文字のある石の道標が立つ細い道を進み、しばらく歩くと、右手に蓮如上人御廟所がありました。
関連記事:絶景かなドットコム>京都観光Index>山科区>「蓮如上人廟所」
御廟所を出たあと、山科小学校の北側の道を西に進み、安祥寺川という小川にかかる橋を渡ると、大きな公園(山科中央公園)がありました。その公園の東側を安祥寺川沿いに北に向かってしばらく歩いて公園に入ると目の前に小高い丘があり、そこが「山科本願寺土塁跡」でした。
蓮如上人が文明10年(1478年)に山科に再建した本願寺の寺域は東西800m、南北1km。周囲には幾重にも土塁や堀が廻らされていたが、天文元年(1532年)、細川晴元率いる軍勢による攻勢で焼け落ちたという。現在も残っている土塁(「御土居(おどい)」)の高さは6〜7m、最も高いところでは9mに及ぶとのこと。土塁には階段が設けられていて上ることができ、その上は遊歩道として整備されていました。
関連記事:日本経済新聞>2016年10月21日 小山に眠る要塞の謎 山科本願寺跡(時の回廊)
関連記事:遊心六中記>2019.04.16 探訪 京都・山科 山科本願寺旧地を巡る>10 山科本願寺土塁跡・同土塁跡南西角
土塁跡を散策したあと、公園を横切って元の道に戻り、山科小学校の東側を南に少し下ったところで東に向かってしばらく歩くと、右手に本願寺山科別院の正門に続く石畳が伸びていました。
石畳を踏み進んで正門をくぐると広大な境内が広がり、左手奥に立派な本堂が建っていました。
境内をざっと巡ったあと、正門前で記念の写真を撮りました。
この時点で10時半を少し回っていて、予定よりかなり時間を費やしてしまっていたので、最初の出発点に戻るべく、府道117号線(通称「醍醐街道」)を北に向かって急ぎましたが、正午に近づくにつれて気温が上昇していき、足取りも重くなってきました。
そこで、どこかに涼みながら休憩できる場所はないかと探しながら歩いていたところ、山科駅の少し手前に「ラクト山科公園」という小さいながらも緑陰のある公園があり、ベンチもあったので、暫時休憩をとることにしました。
休憩中に幹事の塩崎さんからサプライズプレゼント!! 自宅から凍らせたまま持ってきたというスティックシャーベット(昔はやった「チューペット」のようなもの)を配られ、みな大喜びで“チューチュー”して、涼をとりました。
ちなみに、塩崎さんによると、「凍らせたシャーベットをできるだけ長時間持たせるために、保冷剤と保冷袋とを使用しました。当日はシャーベットのことが一番気になっていたので、できるだけ早くと最初の休憩時に配りました」とのことです。
公園でゆっくり休んで元気を取り戻し、11時半に歩行を再開しました。
京阪山科駅の東側まで戻り、京阪京津線の北側を線路沿いに東に向かって5分ほど歩いたところで北に向きを変え、JR東海道本線の高架をくぐって、北にさらに歩を進め、住宅地の中を通る参詣道を毘沙門堂に向かって歩いていきました。
参詣道のほぼまんなかあたりに、東西に流れる琵琶湖疏水が横たわっていて、安朱(あんしゅ)橋という名の橋が架かっていました。
安朱橋上からの眺め。写真左は京都市内東山方面。右は大津・琵琶湖方面。
安朱橋から、住宅地の中をさらに10分ほど歩き、12時前にやっと「毘沙門堂門跡」入口の極楽橋にたどり着くことができました。
さらに歩を進めると、その先に、本堂に続く急な石段が待っていました。
手前の石段は緩やかな傾斜ですが、途中から見上げるような急こう配になっていました。
(この写真の撮影は伊藤さん)
後半部分の石段の段数は56段。手すりをたよりに足元を確かめながらゆっくりと上っていきました。
(※ 台風7号の暴風で、8月15日、仁王門階段脇の大木(下の写真の右上の木)が根元から折れて階段をふさぎ、中央部の手すりも壊れたので、修復が完了するまで、当分の間、仁王門階段は通行禁止、とのことです)
石段を上り切ると、大きな提灯がぶら下がった朱塗りの仁王門があり、仁王門をくぐると正面に唐門と、その奥に本殿の姿がありました。
本殿に続く霊殿や震殿には狩野派の絵師が天井に描いた「八方にらみの龍」や、同じく狩野派の絵師による襖絵があり、その襖絵は、どの角度から見ても、鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法が用いられている珍しい襖絵ということで、拝観料を納めて、本殿に入り、霊殿や震殿を巡って襖絵や庭を拝観しました。
境内最奥の山すそに位置する庭園は、説明板によると「山裾せまる木立の枝間は暗く、さながら夜目に翠(みどり)を思わせるところから「晩翠園」と名付けられた」とのこと、谷川の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式の庭園は緑に覆われていて、ひんやりとした縁側に腰かけて、静かに庭を眺めながら、涼をとりました。下界の暑さを忘れてのんびり過ごす、至福のひと時でした。
関連記事:京都 山科 毘沙門堂門跡>境内のご案内
そのあと、石段下の道路わきで遅めの昼食をとりました。
昼食のあと、塩崎さんが今日2回目の「配給」としてヤクルトを皆に配り、さらにそのあと、午前中に休憩した小公園近くのコンビニで買ったという塩飴も取り出してきて3度目の配給。この度重なる配慮ぶりに感嘆の声が上がるとともに、「次の幹事にプレッシャーがかかる」との声も出されました。
昼食後の休憩を終えた時点で時間はすでに1時を回っていたので、次を急ぐことになり、日照りの厳しい参詣道を安朱橋まで戻り、そこから疏水沿いの道を西に向かいました。
山歩会での琵琶湖疏水ハイキングは2015年12月(幹事:香川さん)以来、2回目。
前回は、安朱橋からスタートして、南禅寺までを歩きましたが、肝心の疏水は改修中かなにかで水がまったく流れていない空堀状態で、枯れ葉が散り敷いていました。
今回、疏水は豊富に水をたたえ、それもかなりな早さで京都方面に流れていました。
コース沿いにはところどころ木々も繁って濃い緑もあり、水辺ゆえに涼しいと思いきや、最高気温が35度を上回ろうかという警報級の暑さのなか、木陰がないところは日差し厳しく、みな傘を差して、景色をゆっくり見る余裕もなく先を急いでいきました。
当初の予定では、疏水沿いにたたずむ安祥寺、護国寺、大本山本圀寺などにも立ち寄ることになっていましたが、暑さと、予定を大幅にタイムオーバーしていたこともあって、遠望するだけにして、かろうじて天智天皇陵だけは訪ねることにしました。
案内板に従って、疏水沿いの道を離れて、細い道を進んだあと、階段をゆるゆると下っていくと鬱蒼とした森が姿を現わし、まもなく目の前に石の門と木の柵とで造られた天智天皇陵門が姿を見せたので、陵に中に入っていきました。天智天皇陵を南側の正面入口からではなく、南側入口から北に向かって真っすぐに長く伸びる石畳の途中を東側から入っていくかたちになりました。
中臣鎌足らとともに蘇我入鹿を暗殺し、大化の改新を行った天智天皇(中大兄皇子)は、667年に近江大津宮に遷都。後年、山科の森に狩りに出かけたあと行方不明になり、沓が発見されたこの地に墓が築かれたという。
深い森に囲まれて静謐をたたえる参拝所。
ただ、参拝所の前は広いスペースに白砂が敷かれているだけで、照り返しもあり、暑さもひとしお。
唯一の日陰は参拝所前面中央部に建つ1本の樹のみ。参拝所なので、腰かけるところなどもなく、しかたなく、立ったまま、樹の下で休憩をとることになりました。
関連記事:トラベルlp>国内旅行>京都旅行>京都観光ガイド>山科・その他観光ガイド>天皇陵めぐりがプチブーム!?「天智天皇 山科陵」は京都最古の天皇陵
樹の下で暫時涼をとったあと、今日の訪問地はここで終わりにして、帰路に着くことに。御陵の西方に位置する地下鉄東西線の御陵駅を目指すことになりますが、不案内な道は迷うといけないので、元来た道を通って疏水沿いの道にいったん戻りました。北西方向に向かってしばらく歩くと、木陰に休憩所があり、ベンチもあったので、ベンチに腰を下ろして、ゆっくり休憩時間をとりました。休憩所脇の木に温度計が吊り下げられていたので見ると、32度を指していました。
10分ほど休憩したあと、天皇陵の北側を回るかたちで西に向かい、加藤清正の菩提所でもある本圀寺の姿を疏水越しに右手に遠く見ながら、さらに西に向かい、疏水の第2トンネルの少し手前で疏水に分かれて左手に曲がり、南方にある御陵駅を目指しました。
地元の人に尋ねたりしながら10分ほどで駅に着き、冷房のよく効いた電車に乗り、三条京阪駅まで行きました。京阪三条駅の改札口前で、京都市内に立ち寄るところがあるという大西さんと、いつもどおりマンホール探索を行う吉田を残し、あとの6人は、今日の「反省会」会場として予約をしている「喫茶・軽食 オブジェ」がある阪急京都線長岡京駅に向かうべく、阪急河原町駅へと急ぎました。
(この写真はお店のかたに撮っていただきました)
前回、「第100回山歩会」をお祝いする食事会でお世話になった長岡京市の「喫茶・軽食 オブジェ」は、店主のお人柄や料理メニューなど、山歩会メンバーの評判がすこぶるよく、今回の反省会でもお世話になることになりました。大いに盛り上がった反省会の様子は、幹事の塩崎さんのほうから報告していただきます。
【以下、塩崎さん記】 「前回の反省会時に店長に今回のことを話したところ「当日は素麺を用意して待っている」とのことでしたが、当日の天気と参加人数が確定してなかったので、実際に依頼の電話をしたのは3日前の土曜日夕刻。そして、25日当日の昼食時に参加人数と到着時刻とをお伝えしました。当日の献立については、店に着くまでは素麺だけかと思っていました。
ところが、実際に出てきたものは、鱧の湯引き、卵焼き、椎茸で挟んだハンバーグなど家庭料理風の品が数々、そして、最後の締めが大きなザルいっぱいに盛られた素麺。まったくの想定外だったので、大変驚きました。
参加者は、皆、疲れていたものの、アルコールが入って話もはずみ、すべて完食。途中から店長も参加し、和やかな雰囲気のうちに反省会を終えることができました。
店長は大変気さくなかたで、(青森県)津軽金木町出身とのこと。家庭料理風のメニューが出てきたのも納得しました。」 (吉田補記:ウィキペディアによると「津軽金木町は太宰治、吉幾三の出身地として知られ、津軽三味線の発祥地である」とのことである)
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当日、コースに新たに山科本願寺跡を追加しましたが、特に何事もなく無事に終わりホッとしています。
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【会長からもひとこと】炎天下のハイキングでしたが、塩崎幹事からいろいろな暑さ対策品を頂き、お陰様で全員脱落することなく琵琶湖疏水ハイキングを完歩することができました。終了後の反省会の生ビール、いつもより数倍美味しかったです! 素麺もご馳走でした。みんなの満足そうな笑顔で会を締められてよかったです。塩崎さん、ありがとうございました。またお疲れ様でした。
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資料:山科本願寺跡、蓮如上人御廟所、琵琶湖疎水、毘沙門堂、安祥寺、大本山本圀寺、天智天皇陵(塩崎さん作成)
■第100回 長岡京・花の寺 柳谷観音 楊谷寺(ようこくじ) あじさい鑑賞&西山古道ハイキング(京都府長岡京市・大山崎町) (幹事:吉田)
2023年6月27日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急京都線 西山天王山駅東口改札口前
[行程] 10:00 出発―20分→10:20 小倉神社―20分→10:40 天王山頂登山道との分岐点―(途中、一時、峠道から別れ、峠を越えて「浄土谷」に)30分→11:10 大佛乗願寺―(元の峠道に戻る)→40分→11:50 柳谷観音(楊谷寺)(志納料700円)境内で30分ほど紫陽花鑑賞→12:20 柳谷観音を出て少し歩いたところで昼食―12:50 再出発―5分→12:55西山古道―35分→13:30 立石橋―50分→14:20阪急長岡天神駅(※ 時刻はおおよその目安です)
10時に阪急京都線西山天王山駅東口に集合。吉田が幹事なので、いつもより10分ほど早く出かけたのに、阪急神戸線の電車に遅れが出ていたせいで十三駅での京都線への乗り継ぎ時に乗る予定でいた特急はすでに発車していて、結局、西山天王山駅には9時44分に着いて東口の改札を出ると、金澤、日野、大西、香川、伊藤、松石、稲葉、杉本の8人が改札口の外で待っていました。
吉田と同じ電車に乗っていた塩崎さんを入れて本日の参加者は総勢10人。
10時を待たずにハイキングを開始しました。
今日のコースは、阪急電鉄の「沿線おでかけ情報・ハイキングTOKK」 2016年秋号で紹介されていた「西山古道コース」(約10km、3時間10分)。途中に立ち寄る楊谷寺があじさい寺としても有名なので、この時期にピッタリと思って選びましたが、ネットの記事だけで「西山古道」を「整備の行き届いた、難易度の低いハイキングコース」と思い込んだことで、結果として、コース途中で“道迷い”に遭うなど、みなさんに大変なご迷惑をおかけしたことを最初にお詫びしておきます(吉田)。
関連記事:阪急電鉄 ハイキングTOKK 2016秋号 西山古道コース
関連記事:阪急電鉄 ハイキング 2016秋 西山古道コース Route Map
梅雨時ゆえに心配された雨にならずに雲間から薄日も差すような空のもと、そんなことになるとは思いもせず、軽快に歩行を開始しました。
西山天王山駅から「天王山・柳谷分岐」までの約40分間は、一昨年、2021年12月に行った「天王山登山」(幹事:稲葉さん)と同じコースでしたが、西山天王山駅から小倉神社までは前回通った車の通行の多い京都府道204号奥海印寺納所線ではなく、1本南側の団地の中を通る道を選んだところ、前回上ったダラダラ続く上り坂がなく、ほぼ平坦なまま10時10分過ぎに小倉神社北側の参詣道に出ることができ、とてもラッキーでした。
雨にはならかったものの気温も湿度も高く、駅前から10数分歩いただけで、皆、汗をかき、小倉神社境内の休憩所でしばし休憩をとりました。
休憩のあと、境内でラジオ体操をし、10時30分に割拝殿前で記念写真を撮りました。割拝殿の奥では「野焼き」をしていて、その煙が周囲に漂っていました。
関連記事:神社巡遊録>神社巡り>都道府県別>1.京都府>小倉神社(京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前)
10時35分に神社南側にある小さな橋を渡り、「天王山登山口」から山道に入っていきました。
ゆるやかな上り道を5分ばかり歩くと、右側に登り口があり、「久保川と天王山の森を守る会」が作った「ウエルカムボード」の下を通って山道を上っていきました。
ボードをくぐったあと、山道は少しずつ勾配を増していったので、息を切らしながら上っていきましたが、5分ほど歩いたところに「久保川と天王山の森を守る会」の「森の学舎」があり、その前にベンチが据えられていたので、しばし休憩しました。
湿度も高く、久しぶりの山歩きとあって、皆さん、すでにお疲れみたいです。
休憩のあと、柳谷分岐を目指してけわしい山道を再び上っていきましたが、なかなか「柳谷分岐」が現れず、「前回上ったとき、こんなに長く歩いたかなあ」、「前回、こんなにきつかったかな」などと考えながら、道標のない山道を黙々と上っていくと、11時過ぎにやっと道標が現れました。
「ここが今日一番の高所(300m)」と、笑顔で記念の写真を撮りました。
ホッと一息ついて、暫時休憩したあと、柳谷神社を目指して道標を右に折れて細い道に足を踏み出そうとしたところ、「そこではないみたい」という指摘があり、道標をよく見ると、「←天王山山頂方面 小倉神社駐車場方面→」とあり、ここはまだ「天王山山頂方面と小倉神社駐車場方面との途中」でしかなく、「柳谷分岐」ではありませんでした。
ガックリ肩を落としながら、黙々と山道を上り、15分ほど歩いて、やっと正真正銘の「柳谷分岐」に到着しました。

時折吹き過ぎる涼風に肌をなでられながら、しっかり休憩をとりました。

しばらく休憩したあと、柳谷方面への道を進んでいきました。下ったり、上ったりを繰り返しながら少しずつ高度を下げていき、12時前にアスファルト道に出ました。
そこから道をまたいで西方の柳谷観音に向かう山道には入らずに、乗願寺に寄り道するためそのままアスファルト道を南に向かってしばらく歩き、5分ほどで乗願寺に着きました。
本堂奥に高さ2.8mのやさしいお顔の金の大仏(おおぼとけ)(阿弥陀如来)が座っておられました。
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金澤・吉田・塩崎の3人は靴を脱いで本堂に上がり、大仏としばし対座。寺のかたともいろいろお話しさせていただきました。残り7人は本堂前の長椅子に座ってゆっくりくつろぎました。
しばらくくつろいだあと、元の道を引き返して、再び楊谷寺に向かう山道を先に進んでいきました。そこからは浄土谷ヤケ山地区の竹林や杉林の森が続き、15分ほど歩いたところで森を抜けて里山に出て、府道79号線に出ました。楊谷寺はもうすぐです。
本来はその府道をまたいで、再び山道に入るところを、数名が府道を南にずんずん進んでいってしまいました。楊谷寺の駐車場に出たところで、時間は12時半を過ぎていて、予定より1時間遅れ。楊谷寺を参拝したあととる予定だった昼食を駐車場脇の木陰でとることにしました。
ゆっくり食事を終えたあと、吉田が持参した、冷凍庫で保存した手づくりのヤマモモジュースと塩飴とで英気を養ったあと、1時過ぎに歩行を再開して、楊谷寺の本堂下の石段前に到着。「アジサイは先週、淡路島でたくさん見てきたので、もういい」という日野さんを石段下に残して、あとの9人は石段を上って本堂に。境内は広く、名物の紫陽花は左右の奥にあるということなので、30分間自由時間にして、各自好きなコースをたどることにしました。
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山門を入って右手にある阿弥陀堂右側の石段沿いにあじさいが咲き連なっていて、阿弥陀堂裏側の石垣にもたくさん咲いていました。
ちょうど4人が通りかかったので、写真に収めました。
石垣を上り切ったところで振り返ると、あじさいを前景に楊谷寺の全景を眺めることができました。
石段を上っていくと、奥の院の大提灯が出迎えてくれました。
境内各所にディスプレイされている楊谷寺“名物”の「花手水(はなちょうず)」。「花手水」は、神社やお寺で参拝前に手や口を清める場所である手水舎(ちょうずしゃ)などの手水鉢(ちょうずばち)に色鮮やかな花々を浮かべて飾るもので、インスタ映えする写真が撮れると全国的に話題を呼んでいますが、数年前に楊谷寺が全国で初めて行って話題となり、その後、全国の寺社が真似て、華やかさやアイディアを競い合うかたちになっています。
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1時40分に本堂前に戻り、石段を下りたところで日野さんも入れて全員で記念の写真を撮りました。
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さて、このあとが、いよいよ後半の「西山古道」ですが、手持ちの地図ではその「入口」がわかりにくく不安に思っていたところ、「先ほど食事をした駐車場の奥に西山古道入口の標識があった」というので、駐車場まで戻ると、たしかに「西山古道」の標識が立っていて、その矢印の先に猪避けの金網ゲートがあり、「ここから私有地」の看板も添えられていました。
金網の鎖をほどいて、13時50分に西山古道に足を踏み入れました。
100mほど歩くと二つ目の金網ゲートがあり、そこをくぐるとその先に「(左上)→柳谷観音0.2Km/(左下)←善峯寺43Km・ポンポン山47Km(西山古道)/(右)→立石橋22Km(西山古道) 経由光明寺・長岡天満宮方面」の「10番道標」が立っていたので、右に向かう道を先に進んでいきました。

ここまでは順調だったのですが、そのあと、「道迷い」に遭ってしまいました。
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そんなことになった原因として、今日は、終了後、「第100回山歩会を祝う食事会」を行うために阪急長岡天神駅近くの喫茶店を予約していて、その喫茶店には「遅くとも3時半までには行く」ことになっていました。なのに、ハイキングのほうが予定より1時間遅れの進行で、急がないと間に合わなくなってしまうという状況下で、焦る気持ちが冷静な判断を行う余裕をなくさせてしまっていたのです。
「10番道標」を右に曲がったあと、割と整備された広めの林道(森林作業道)が続いていたのですが、本来は、その途中で右に曲がる必要があったのを、知らぬ間にそのポイントを通り過ぎてしまったあと、さらにずんずん先に進んでいってしまいました。
実は、「10番道標」から数分歩いたばかりのところに左に180度近く折れ曲がる細い道があり、その道の木に打ち付けられた横長の表示板に「西山古道」の文字が見えたので、先を急ぐ人たちに引き返してその道を進むよう提案しましたが、「それは今来た道の案内板だろう」という声が多く、それに従うしかありませんでした。(帰宅して確認すると、阪急電鉄ハイキングの折に使用された「Route Map」には林道を大きく右に曲がる手前に「左の細い道に進む」というポイントが記されていましたので、その場所だったのかもしれませんが、今となっては、確かめようがありません。)
森林作業道わきの杉の木の、人の背丈を超える高さに打ち付けられた「←立石橋方面 柳谷観音方面→」という表示板が時折見えていたので、それを頼りに「西山古道を通らなくても、この道を進めば立石橋に早く着くだろう」とどんどん先を急いでいたのですが、次に姿を見せるはずの「11番道標」がなかなか姿を現わさないまま、突然、前方に進む道がなくなり、行き止まりになっていました。
行き止まりの少し手前の左手に沢に下る細い道がありましたが、2018年(平成30年)9月に関西地方を縦断して各地で甚大な風倒木被害をもたらした台風21号の影響か、道の先に倒木が何本も倒れて覆いかぶさっていて、そこを進むのは危険なような気がしました。かといって、いまさら元来た道を引き返すのもなんだしと思っていると、金澤さんと伊藤さんが「少しだけ様子を見てくる」と道を下っていきました。でも、しばらくたって引き返してきて、「行って行けないことはないと思うが、安全は保障できない」とのことで、やむなく今着た道を引き返すことにしました。
すでに2時半近くになっていて、「10番道標」まで戻ることは時間的に考えられず、どこまで引き返すかが問題でしたが、ここで力を発揮したのが、杉本さんのスマホに搭載されたスマホ用登山アプリ「YAMAP/ヤマップ」でした。そこに西山古道のルートも搭載されていて、杉本さんによると、「行き止まり地点から5分ほど戻ったところに、林道から「西山古道」へ入る道がある」とのことでした。
「ヤマップ」の指示に沿ってそちらに戻ると、林道から「西山古道」に分け入る地点に道標は見当たりませんでしたが、そこから細い上り道を上り切った地点の曲がり角に確かに「道標」(13番)が立っていました。西側の楊谷寺側からではなく、北側の立石橋側から楊谷寺を目指す人向けの道標としてはとても分かりやすい道標になっているわけです。
そこは、楊谷寺東方の入口からから立石橋までの「西山古道」(阪急ハイキングの目安時間は徒歩35分)のほぼ中間地点よりまだ楊谷寺寄りのところでしたが、その時点で時間は14時31分。そこから立石橋まで20〜25分、そして立石橋から阪急長岡天神駅までは徒歩で50分もあるので、15時30分に食事会場の喫茶店につくことはとても難しい事態になっていました。
ほかに脇道はないので、「ヤマップ」とその道標とを信頼して立石橋まで先を急ぐしかなく、その道を進むことにしました。
その先を少し進むと、道は下りこう配になり、足元に気をつけながら少しずつ下っていきました。
沢近くまで下ると、細く流れる川沿いの道を右に左に繰り返し何度も渡ることになりました。ただ、すべての“沢またぎ道”には手づくりの木橋が設置されていたので、道を間違えることなく、また、足元を濡らすこともなく先に進むことができたのは不幸中の幸いでした。精力的に古道整備に取り組まれている「京おとくに街おこしネットワーク」の皆さんに感謝です。
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“沢またぎ”がなくなり、少しだけ高度を上げて杉林の中を歩いていきましたが、なかなか立石橋に行き着かず、まだかまだかと思いながら歩くこと約30分。前方に小泉川が見え、その川にかかる細い鉄橋が姿を現わしましたが、その橋は立石橋ではなく、その橋を渡り小泉川を右に見ながら北に向かって少し歩いたところでやっと立石橋に到着です。ですが、時間はすでに3時直前でした。
立石橋を渡ったあとは、小泉川に沿って東に向かい、南北に走る京都縦貫道の下をくぐると西代里山公園の北側に出て、さらに東に進むと住宅の建ち並ぶ地域に出ました。
持参したMapionのマップ上にはバス停のマークがあるので、藁にもすがる思いで最寄りのバス停まで急ぎ、「上ノ町バス停」に3時20分に着いてバスの時刻表を見ると、阪急長岡天神駅経由のJR長岡京駅行の阪急バスは、午後9時以降は1時間に1本しか走っていないばかりか、なんと13時台で運行は終了してしまっていました。
でも、よく見ると、その下にもう1枚、長岡京市が運行するコミュニティバス「長岡京はっぴぃバス」の時刻表があり、13時台から16時台に1時間に1本走っていて、直近の到着・発車時間は15時23分とジャストタイミング。さらに、路線図を見ると、ラッキーなことに食事会を行う喫茶店が入居する「産業文化会館」前にもバス停がありました。
そこで、バスを待っていたら、道の向かい側のバス停に逆回りの長岡京はっぴぃバスが止まったので、運転手に「阪急長岡天神駅に行きますか」と尋ねると「行く」というので、こちらのバスに乗りました。帰宅したあと、ネットで調べてみると、この時間帯に逆回りのバスは運行されてなく、まるで狐につままれた感じですが、ともかく、そのバスに乗って、阪急長岡天神駅バス停で降り、そこから10分ほど歩いて、15時45分に「喫茶・軽食 オブジェ」に着くことができました、4時を過ぎるような大幅な延着という最悪の事態はなんとか避けることができ、店のかたや食事会を企画した日野さんにかける迷惑を最小限にとどめることができて、ほっと胸をなでおろました。
「第100回山歩会」をお祝いする食事会では、「第100回山歩会」の乾杯の音頭は幹事の吉田がとれということになり、まずは「かんぱーい!」と「山歩会第100回」を祝しました。
そのあと、山歩会発案者で代表の金澤さんが自作の「山歩会活動履歴」をもとに、2008年7月にたった4人で行った比良山系蓬莱山登山に始まるこの15年間を、節目節目に生起した数々の「事件」などにも触れながら、ざっと振り返りました。
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そのあと、金澤さんの提案で、参加者全員がそれぞれ、自分が幹事を担当した回で思い出に残る回の話を披露していきました。
「喫茶軽食 オブジェ」の店主と日野さんとに感謝、感謝です。
そして、金澤さん、お疲れさまでした。これからもよろしくお願いします。
「食事会」は大いに盛り上がり、結局、3時間近く、食べ・飲み、そして、おしゃべりして、6時半に名残を惜しみながらお開きにしました。
幹事の吉田の「リサーチ不足」で、一歩間違えれば“遭難”もあり得たような思わぬ事態となるなど、参加された皆さんにご心配・ご迷惑をおかけしましたが、杉本さんの「ヤマップ」と「長岡京はっぴぃバス」とのおかげで、なんとか最悪の事態を招くことだけは避けることができ、「第100回山歩会」とその後のとても意義深い「第100回山歩会記念食事会」を楽しく過ごすことができ、皆さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。
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■第99回 長岡京市を歩く(京都府) (幹事:稲葉)
2023年5月23日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急京都線 長岡天神駅改札口
[行程] 長岡天神駅→長岡天満宮→阪急西山天王山駅→昼食(駅近くの広場)→恵解山古墳公園→勝竜寺→勝竜寺城公園→神足神社→神足土塁公園→JR長岡京駅(解散予定15時ごろ)
10時に阪急長岡天神駅改札口に集合。今日の参加者は稲葉、本間、日野、大西、伊藤、杉本、そして吉田の総勢7人。金澤さんと松石さんとは他用のため、香川さんは発熱のため急遽、欠席。
10時前に参加者全員が揃ったので、さっそく出発しました。
阪急京都線西側を線路に沿って南にしばらく歩くと、東西に延びる参詣道で出ました。そこを右に曲がると正面に石の大鳥居が姿を見せていて、出発してから10分ほどで長岡天満宮の大鳥居下にたどり着きました。

(左の写真は長岡天満宮のホームページから転載)
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中堤を奥に進んで左手に曲がると正面奥の社殿に向かう道に出ましたが、その手前右手に「紅葉庭園 錦景苑」という庭園があったので、まずそこに入ることにしました。
苑内には四阿(あずまや)や池(弁天池)があり、池を囲むように紅葉が葉を茂らせるこの公園は、平成19年(2007年)に整備された回遊式庭園とのこと。それから16年の年月を経て、苑内はすでに古びた風情を漂わせていました。
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そのあと、ゆるやかな石段を上って長岡天満宮の社殿(本殿)にお参りしました。
この本殿は、昭和16年(1941年)に京都平安神宮から拝領移築した素木(しらき)の建物を、平成10年(1998年)に朱塗りにして、増改築されたものだそうです。
社殿をバックに記念写真を撮ったあと、天満宮の西側にある「長岡禅塾」に向かおうとしましたが、道がよくわからず、気がつくと「錦水亭」という割烹料理店の前に出てしまいました。
その道を先に進むと、長岡天神の南東側の入口に出てしまいました。
丹波街道からは八条ヶ池に浮かぶように建つ錦水亭の数寄屋造りのお座敷を眺めることができる
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そこから八条ケ池を西に見ながら丹波街道を北に向かいましたが、先頭を行く幹事の稲葉さんを含む4人が先ほどくぐった大鳥居の前を通ってさらに北に向かっていたので、吉田が稲葉さんに「行き過ぎなので大鳥居まで引き返すよう」伝えたところ、あとの3人がなぜか激怒して、稲葉さんに対して「幹事は他人の意見に左右されずに、自分が思うように行けばいいんだからね」と大声で叱りつけていました
これには、20日に稲葉さんから吉田宛に「先日(長岡京市内の予定のコースを下見に)歩いてみたのですが、当方の地図判りにくく、お願いなのですが、長岡京市のMapion地図の印刷よろしくお願いします」というメールを受けて用意した地図を朝、長岡天神駅の改札口で稲葉さんに手渡したのを見た3人が、この間の事情を知らずに、「今日は吉田が稲葉を操ろうとしている」とでも邪推したのかもしれませんが、明らかに私がとがめだてされているのがわかって、愉快ではありませんでした。
ともかく3人をなんとかなだめ、大鳥居まで戻って中堤を渡り、先ほどとは別のルートをたどるべく、境内に入る手前で右に折れて、八条ヶ池の中を回廊風に架かる「水上橋」を歩むことにしました。
水上橋の上から、白い花が咲く栴檀の木や、友好都市・寧波市から送られた「西湖紅蓮」の花などを眺めながら歩を進めると、八条ヶ池の北西部の小道に出ました。
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ところが、そこから長岡禅塾に至る道がわかりにくく、杉本さんのスマホなどを頼りに長岡禅塾の裏口らしきところになんとかたどり着きましたが、何の表示もなく、自由に立ち入れる雰囲気ではありません。約2名が無断侵入を試みましたが、結局、中に入ることをあきらめました。
(帰宅して調べたところ、地図に卍のマークがあったので寺院(宗教施設)と思っていた長岡禅塾は公益財団法人の“禅道場”で、関係者以外が自由に出入りできる施設ではありませんでした。吉田のリサーチ不足で、皆さんにご迷惑をおかけして、すみませんでした。 関連記事:長岡禅塾)
そのあと、竹林(農地竹林・タケノコ畑)が続く「柳谷通」を西に進み、昼食をとる広場のある阪急西山天王山駅を目指すことになりました。
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「柳谷通」を長岡第五小学校の手前の四辻で左に曲がったあと幹事の稲葉さんは、太鼓山通りを経て、昔の街道の面影が多少とも残る御陵道、そして丹波街道を通るコースに沿って西山天王山駅へと向かう道を歩いていきました。
道路沿いの水がはられた水田はすでに田植えを終えていて、小さな早苗が風にそよいでいました。
ところが、西山天王山駅に少しでも早く着きたい数名が、稲葉さんのガイドに従わずに、目的地への最短コースを求めて杉本さんのスマホの「経路・ルート検索アプリ(道案内アプリ)」が指し示すルートをとるように強硬に主張して、勝手に別の道を進んでいきました。そこで、稲葉さんもしかたなく途中で予定のコースをあきらめて、スマホのルートアプリが指示する京都縦貫道沿いの道に向かうことになりました。
(スマホの「ルート検索アプリ」は目的地への最短コース、それも車が通る道を選ぶのであって、途中の風景を楽しみながら、ときには寄り道・回り道もありというハイキングや“まちあるき”には不向きなツールではないかと思います。「ルートアプリ」の利用は、確実に道に迷ってしまったときなど、それも、幹事のほうからの要請がある場合に限定して、それ以外は、あくまで「参考まで」にとどめるべきではないでしょうか。金澤さんが常々おっしゃられるように、「(目的地に着くのを急ぐのではなく)途中の風景をもっと楽しみましょうよ」)
縦貫道沿いの道に出たあと、高架をくぐると、小泉川の左岸沿いの河畔遊歩道「下海印寺樽井緑道」に出ました。その道を通って駅を目指しましたが、お天気もいいので、駅に着く前に川沿いで食事をとることに予定変更しました。
「乙訓景観十景」のひとつに選ばれた「下海印寺樽井緑道」。写真右奥に見える黄色い花は、2006年に「特定外来生物」に指定されたオオキンケイギク(大金鶏菊)(洋名:コレオプシス)です。
関連記事:なぜオオキンケイギクが特定外来生物に指定されたのか(環境省)
右岸に渡る飛び石を挟んで両岸に石段が見えたので、石段に腰かけて食事をとることしました。
食事のあと、吉田が次回「第100回!山歩会 長岡京・花の寺 柳谷観音楊谷寺 あじさい鑑賞&西山古道ハイキング」の案内を配ったところ、今回の山歩会の案内に稲葉さんが「第100回山歩会」と間違えて書いてあったのをよりどころに、約3人が、「次回が100回と間違いなく言えるのか?」「次回が100回とだれが決めたのか?」「今回が100回と書いてあるから、それでいいではないか!」とかさにかかって言いつのるので、吉田が「中止になった回は数えずに、次回、同じ回数にするということが徹底してなくて回数に混乱が生じているが、次回が100回で間違いない」と言うと、「中止になった回を数えないなんて、だれが決めたのか?」「普通は中止になっても回数は数えるものではないか」「中止した分も入れて、数え直して!」、果ては、「だったら、今回が100回と、ここで今、決めよう!」などと執拗に吉田に迫りました。
そのような道理に合わない理不尽な言いがかりに吉田がどうしても首肯しなかったところ、「(今回欠席の)会長の金澤さんに確かめる。(それまで、次回が100回かどうかは持ち越しにする)」ということにされてしまいました。私のことはまったく信用・信頼されてないみたいで、悲しくなります。
そんな、すったもんだの“事件”のあと、12時過ぎに、次の訪問地・恵解山(いげのやま)古墳を目指して、再出発することになりました。
西山天王山駅南方の踏切を渡ったところで、駅のトイレに行った吉田を待つため、残りのメンバーは駅南東部の京都縦貫道高架下にある「調子馬ノ池八角公園」でしばらく休憩することにしました。
公園の一角に「馬ノ池の水」の表示がある水道でたくさんのポリ容器に水を汲んでいるカップルがいたので、何に使うのかと聞いてみると、「普段の生活に使うが、とてもおいしい」とのこと。そばにあった説明板を見ると、「馬ノ池の水」はもともとこの地(調子八角)に湧き出ていた池の水で、この水道も「地下水100%の水道水」とありました。
その水を手ですくって飲もうとしている伊藤さんにカメラを向けると、いつものポーズでもう片方の手でVサインをしようとする動作と水を飲むタイミングとがどうしても合わず、何度もトライしましたが、結局、カメラのほうに顔を向けることはできませんでした。
調子馬ノ池八角公園での休憩のあと、恵解山古墳を目指して、歩行を再開しましたが、公園を取り囲む道路が複雑で東西南北がわかりにくく、かなり迷うことになりました。
最終的に、稲葉さんが下見時の記憶をたどって、遠くに見えた東海道線のガードを目指して東に向かうことになりました。
恵解山古墳に行く前に、「下見時に偶然見つけたところで、みなさんにぜひ案内したいところがもう1か所がある」ということで、少しだけ寄り道してその「長岡京市立 中山修一記念館」まで足を延ばしましたが、無情にも「火曜日定休」で中に入れず、外観をうかがうことしかできませんでした。
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中山修一記念館からは、元の道に戻らず、直接北に向かう細い道をたどりましたが、道は次第にさらに細くなり、最後は人ひとりがどうにか通れるような狭い通路になりました。でも、ともかく道はあるのだから先に行ってみようということで、クネクネと曲がる道を進んでいくと、やや太い道に出たので、ホッとして右手を見ると見ると、正面に恵解山古墳が姿を見せていました。
ところが、なぜか先頭を行っていたはずの稲葉さんの姿が前方になく、結局、稲葉さんは途中で別の道に曲がってしまい、遠回りしたあとみんなと合流することになったというわけでした。
「史跡 恵解山古墳(いげのやまこふん)」の解説板の前で古墳をバックに記念の写真を撮りました。
そのあと、墳丘の上まで上っていきました。全長128mの前方後円墳の後円部は墓地になっていて、後円部を除く部分が公園として整備されていました。
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次に、後円部の北側を下って恵解山通りを東に向かい、犬川に架かる橋を渡って勝竜寺を目指しました。その辺りは「城下」の町とあって鍵の手道など道が複雑に入り組んでいて、何度来ても迷うところですが、Mapion地図と、これまで何度も迷ったことのある吉田の案内とで、今回は一度も迷わずに勝竜寺にたどり着くことができました。
勝竜寺は大同元年(806年)に唐の国から帰朝した弘法大師(空海)が、唐の長安で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わる、勝運・ぼけ封じのお寺です。また、神仏習合の名残から、境内東側には勝竜寺地区の氏神をまつる春日神社も建っていました。
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境内の一角に「ぼけ封じ観世音菩薩」立像が建っていて、その前にたたずむ杉本さんの後姿に向けてシャッターを切ったところ、偶然振り返った杉本さんの目がカメラ目線になってしまいました。
勝竜寺を出て、南側の道を東に進み、そのあと北に向かって「ガラシャ通り」を進むと、勝竜寺城の南東側の堀端に出ることができました。
(写真の勝竜寺城は今年2月に訪ねたときに撮ったもので、植栽のツツジの葉がまだ冬色です)
堀端に沿って西に進み、正門をくぐって勝竜寺城公園内に入り、勝竜寺城でトイレをお借りしたあと、公園内のベンチに座って、しばらく休憩をとりました。
(みなさん、ちょっとお疲れです)
休憩のあと、今日、最後の訪問地「神足(こうたり)神社」に向かうべく、勝竜寺城公園北側の道に出て、右に折れ、再びガラシャ通りに出ました。
ガラシャ通りを北に向かって数分歩くと、右手に「神足公園」の案内板が見えました。案内板手前の道を東に向かうと、すぐ右手に勝竜寺城の「土塁」が姿を見せていました。
勝竜寺城本丸の北東に位置する土塁・空堀跡を東側から眺めたところ。手前が空堀。奥が土塁。東西50mに延びる土塁頂部の幅は約3.4m、裾部の幅は約7.5m、高さは約6mだそうです。
さらに奥に進むと「神足神社」の社殿がありました。
神足神社は平安時代からある古い神社ですが、「神の足」と書くことから、足の健康や怪我を防ぐご利益があるとされ、スポーツ選手の参拝もあるそうです。
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神足神社にお参りしたあと、ガラシャ通りを北に10分ほど進むとJR長岡京駅ですが、JRより阪急のほうが帰宅には都合のよい人が多く、阪急長岡天神駅目指して30分近くを歩くことにしました。
途中、JRの線路西側を南北に走る西国街道を10分ほど歩くと、JR長岡京駅と阪急長岡天神駅とを結ぶ大通り「天神通り」に出ました。そこから今度は西に向かって歩きながら、反省会向けに一杯飲める店を探し、阪急長岡天神駅にほど近くで「産業文化会館喫茶室」を見つけました。メニューにビールがあることを確認し、マンホール探索を続ける吉田を除いて店に入り、反省会を行いました。
未明に降った雨が明け方には上がり、10時の出発時には曇りだった空から午後には陽も射してきました。気温は暑くもなく、寒くもなく。少し強めでしたが初夏の風が心地よく吹いて、気候的には申し分のないハイキング日和でした。ただ、途中、いろいろあって、とてもとても疲れました。
資料(稲葉さん作成):長岡京市/神足神社/神足土塁群/勝龍寺公園/勝龍寺/恵解山古墳/長岡天満宮
■第98回 住吉大社周遊&長居植物園散策(大阪市) (幹事:香川)
2023年4月25日(火)
[集合時間/場所] 10時/南海電鉄南海線住吉大社駅改札口
[行程] 住吉大社→住吉行宮跡―(徒歩3km)→大阪市立長居植物園(長居公園内)―(植物園内で昼食)→長居公園入口で解散(15時ごろ)
3月の京都(八坂・円山公園〜三条・若一神社)に続き、今回も「山歩き」ではなく「まち歩き」。
前夜の天気予報では「降水確率50%。午前中は小雨(降水量1mm)、3時過ぎから本降り(降水量3mm)」とあったので、「中止」もありえましたが、24日(月)夕方5時に香川さんから「山ではなくまち歩きなので、予定通り決行します」と早々と連絡があり、実施されることになりました。
9時50分までに南海電鉄住吉大社駅改札口前に今日の参加者全員が集合。メンバーは香川、大西、吉田、金澤、伊藤、日野、稲葉、本間、塩崎の9人でした。
駅構内東出口前の周辺案内図の前で香川さんが今日の行程について説明。「途中、雨の降り方次第では、住吉大社〜長居公園は徒歩ではなく市バス乗車に変更し、その場合、住吉行宮跡見学は省略します」とのことでした。
運よく、雨は小やみになっていたので、さっそく歩行を開始。
土産物店が並ぶ通路を抜けて左に折れると、道路を挟んですぐ目の前に「住吉大社」の大きな石柱が立っていて、正面奥に西大鳥居(一の鳥居)と赤い欄干の太鼓橋をうかがうことができました。
西大鳥居をくぐり、表参道を進むと、神池に架かる太鼓橋(正式名称は「反橋(そりはし)」)が目の前にそそり立っていました。雨が降る前にと、太鼓橋の前でまず記念の写真を撮りました。
反橋の長さは約20m、高さは約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度。この橋を渡るだけで「お祓い(おはらい)」になるとの信仰もあるということです。勾配はたしかに急で、のぼりはともかく、おりるときは足を滑らせそうで、そろりそろりと下りていきました。
関連記事:住吉大社・御朱印>住吉大社「反端(太鼓橋)」
境内に入る前に、香川さんから住吉大社の由緒などについての詳しい説明がありました。
ちなみに、この石の鳥居の柱は円柱ではなく四角になっていて、全国的にもとても珍しいもののようですが、住吉大社の境内ではほかにも何基か角柱の鳥居が立っていました。
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石の鳥居をくぐって約3万坪(10ha)の広大な境内に足を踏み入れると、目の前に巨大な第三本宮とその右手に第四本宮が建っていて、第三本宮の奥には第二、さらに奥に第一本宮と、巨大な本宮が4棟並んでいました。
奥まで進んで、まずは第一本宮にお参りしました。第一本宮の祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)です。
さらに第三本宮にお参りしました。第三本宮の祭神は表筒男命(うわつつのおのみこと)です。

最期に、第三本宮の右側(南側)に建つ第四本宮にお参りしました。こちらの祭神は、第十四代仲哀天皇の后の神功皇后でした。
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このあと、住吉大社の境内を巡り歩くわけですが、広い境内には摂社・末社が合わせて27社もあるので、そのうちのいくつかを訪ねることにしました。
第四本宮の南東側から反時計回りに、まず、良縁の神「侍者社(おもとしゃ)の前を通って、パワースポット、「五大力石守(まもり)」のある「五所御前」に向かいました。
第一本宮の南側に位置する場所に、1本の杉の木を囲んで小さな石の鳥居と玉垣があり、その玉垣の中に玉砂利が敷き詰められていました。その玉砂利の中から「五」「大」「力」と一文字ずつ書かれた小さな石を3文字揃えて探し出して、社務所に持っていき、お守袋をいただいて(初穂料300円)、願い事を唱えながらお守袋に石を入れて肌身離さず持つと願いが叶うということでした。
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そのあと、住吉大社の東奥に位置する「楠君社(なんくんしゃ)」にお参りしました。(「楠君社」の「君」の文字は、正しくは「王」編に「君」)
楠君社の両脇には樹齢1,000年を超すという大楠が天上に向かって高々と枝を広げていました。

ちなみに、招福猫は手招きしている手が右手のものと左手のものとがあり、右手は「お金招き(商売繁盛)」、左手は「人招き(家内安全)」とのこと。皆さんそれぞれどちらを選ばれたのでしょう。
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楠君社の前を西に少し歩いたあと、今度は北に向かい、境内北側に建ち並ぶ摂社・末社のうち、一寸法師のいわれのある「種貸社(たねかししゃ)」にも立ち寄りました。

社の奥まで歩を運ぶと、大きな朱塗りのお椀の後ろに、一寸法師にまつわる話と一寸法師が描かれた顔出し看板があったので、全員を代表して吉田が顔を出して写真に納まりました。


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境内をぐるりと一回りしたところで、南大鳥居をくぐって、10時40分に住吉大社の境内を出ました。
南参道の両側にも江戸時代から現代にいたるまで全国から寄進された大きな石灯籠が列をなしていました。ちなみに、境内に立つ石灯籠の数は全部で600基を超えるということです。
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南に向かってしばらく歩き、細井川にかかる新墨江橋を渡って長居公園通りまで出て、そこから東に5分ほど歩くと墨江一丁目のバス停がありました。そこで長居公園に行くバスに乗る予定でしたが、長居公園通りを挟んで南向かいのちょうど目の前に住吉行宮(あんぐう)跡の石垣と楠が見えました。バスがやってくる時間まで20分ほどあり、雨も小やみになっていたので、「せっかく目の前にあるのだから立ち寄っていこう」という声が多く上がり、立ち寄ることにしました。
行宮は、天皇の行幸時、あるいは政変などの理由で御所を失った場合に、一時的な宮殿として建設もしくは使用された施設ことをいい(ウィキペディアから)、南北朝時代の正平7年(文和(ぶんな)元年・1352年)に後村上天皇が吉野からここに移って住吉大社神主津守氏の邸内にあった正印殿(しょういんでん)を行宮にし、再び吉野に移るまでの約9年間、ここが行宮であったというわけです。
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バス停に戻り、まもなくやってきたバスに乗って長居公園前で降り、長居公園の南西角から公園敷地に足を踏み入れました。左手にヤンマーフィールド長居、その奥にヤンマースタジアム長居というふたつの巨大な競技場を遠くに見やりながら10分ほど歩くと、長居植物園正門前にたどり着き、入園料200円を支払って中に入りました。
発券所でもらった「開花情報(令和5年4月19日現在)」のリーフレットを見ると、ウツギやシャクヤクなどが「咲き始め」で、ツツジ、シャクナゲ、ノダフジ、ハナミズキ、ボタンなどが「見頃」、ツバキやドウダンツツジなどは「見頃過ぎ」とありました。
大西さんが「先週のテレビのニュース番組で、長居植物公園のネモフィラがちょうど見頃と、きれいな映像を映していたので、まず、そこに行きたい!」と言うので、最初にネモフィラコーナーに足を向けることにしました。
ネモフィラは約2,000坪の野外常設ミュージアムで4月8日から5月7日までの季節限定の「フェア」として開催されているもので、2万5千株のネモフィラがまさに今が盛りと咲き誇っていました。
フジ棚の下でネモフィラを眺めながら長椅子に腰かけて、しばらく休憩をとりました。
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休憩のあと、近くにあるバラ園をのぞくと園全体のバラが咲き揃うにはまだ少し早いようでしたが、コーナーによっては咲いているところもあったので、バラ園の中を通り抜けていくことにしました。
まだ蕾のものも多くあるなかで、早咲きのバラが見事に花開いて、美しさを競い合っていました。
バラ園の東側入口にあるシャクヤク園もちょうど見頃で、ボタンと見まがう大輪のシャクヤクが華美を誇っていました。
バラ園を西に通り抜けて大池のほとりに出て、大池に沿って「芝生広場」を北に向かい「休憩所」を目指しました。休憩所で昼食をとる予定でしたが、ベンチがあるところには天井がなく、ベンチも濡れていたので、そこで昼食をとることをあきらめざるをえませんでした。
適当な場所を求めて、芝生広場をさらに北に歩いたところで、大きな樹々が立ち並ぶ一角があり、小雨なら防げそうなくらいに葉が茂った木の下に木製の椅子・テーブルが3セット並んでいたので、そこで昼食をとることにしました。
昼食のあと、さらに北に向かうとシャクナゲ園があり、いろんな色のシャクナゲがちょうど見頃で、ジャストタイミングでした。
シャクナゲ園からにさらに北に向かうとメタセコイアの森があり、そのあたりが植物園の北東の奥で、そこから「水辺の散歩道」に沿って西に進むとアジサイ園がありました。アジサイはまだ花をつけていませんでしたが、アジサイ園の中にある同じアジサイ科のウツギが咲き始めていて、甘い香りを漂わせていました。
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そのあと、まだ花の咲いていないハナショウブ園などの横を通って大池を一回りして、入口近くに戻ったあと、「自然史博物館」の中にある「花と緑と自然の情報センター」も訪ねることにしました。
「花と緑と自然の情報センター」1階「ひふみホール」の「自然のエリア」で常設展示されている「ネイチャースクエア・大阪の自然誌」をゆっくり見て回りました。
北摂から生駒、和泉へと地域を主な山ごとに区切って自然の特色を解説する「山地」のコーナー、生き物のすみ場所をタイプ別に紹介する「丘陵」、「平野」のコーナー、そしてこれらの地域をつなぐ「水辺」のコーナーなどがありました。
「山地」で紹介されている北摂・生駒・和泉各地域の山々の山名を見るとそのほとんどを山歩会でこれまで登っていて、山歩会の15年の歴史を誇らしく思ったものでした。
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そのあと、NHKテレビの朝ドラで現在放送中の「らんまん」にちなんで開催中の特別展「MAKINO博〜牧野博士のふるさと・高知県」も見学しました。
「自然史博物館」を出ると、外は雨がパラパラと降っていましたが、そう大して大降りになることもなく小ぶりのままで、2時すぎに長居公園南西側入り口に戻り、解散しました。
早朝から降り出した雨は、出発地点の住吉大社駅では小やみになっていて、時折ぱらつきはしたものの、全体の7〜8割は傘をささなくてもいい状態だったので、結果的に香川さんの判断のおかげで、とても楽しく、有意義な一日を過ごすことができました。香川さんに感謝です。
■第97回 平家の夢の跡〜街中巡り(京都市) (幹事:本間)
2023年3月28日(火)
[集合時間/場所] 9時55分/阪急京都線高槻市駅プラットホームの待合室
[行程] @阪急京都河原町駅→(四条通)→八坂神社・円山公園(忠盛燈籠・祇園堂)(この間、円山公園で昼食)→A(東大路通)→崇徳天皇御廟→六道珍皇寺→六波羅蜜寺→B(大和大路通)→耳塚→C(七条通→西大路通)→若一神社
今日は本間さんの幹事で「平家の夢の跡〜京都街中巡り」と題して、東山区の祇園から下京区の西大路八条まで総計8.5kmを歩く予定です。
9時55分に阪急京都線高槻市駅のプラットホームの待合室に金澤、香川、本間、稲葉、伊藤、塩崎、杉本、大賀、吉田の9人が集合。10時3分発の特急電車に乗り込むと、日野さんがその電車に乗っていて、総勢10人になりました。大西さんと松石さんとのお二人は今日はお休みです。
10時24分に京都河原町駅に到着。本間さんから今日のコースについての簡単な説明を受けたあと、階段を上がって四条通に出て、八坂神社を目指して東に向かいました。
高瀬川沿いの桜並木がちょうど満開。青空に映え、鴨川の両岸の桜も咲き揃って、私たちを迎えてくれました。今年の京都の桜は3月18日に「開花」して、24日が「満開」。満開から1週間が「見ごろ」なので、絶好のタイミングでの京都歩きとなりました。
11時前に八坂神社に到着。西楼門をくぐり、本殿(拝殿)と舞殿の間を通ってさらに東に進み、末社の一つ大神宮社の前で、隣接して立つ「忠盛燈籠」について本間さんの最初の解説がありました。ここが今日の「平家の夢の跡」コースのスタート地点です。
(日本伝承大鑑 忠盛灯籠、八坂神社参道 祇園商店街振興組合 祇園点景 忠盛燈籠などより)
本間さんのお話をお聞きしたあと、境内を東に進んで玉光門をくぐるとそこは円山公園。満開の桜と食べ物屋台が眼前に広がっていました。

正面にそそり立つ樹高10mを超える「祇園枝垂桜」もまさに満開。
満開の桜の下で昼食をとりました。 関連記事:桜日和>京都>円山公園 祇園枝垂桜

桜を楽しみながら、ゆっくり昼食をとったあと、枝垂桜をバックに記念撮影。
枝垂桜をフレームの中に収めることに気をとられてカメラを左に寄せたときにシャッターを切ったので、右端の人物が枠からはみ出てしまいました。大賀さん、ごめんなさい。
円山公園南側を西に向かって進み、「ねねの道」を南に向かってすぐのところに「平家の夢の跡」Aの「京都祇園堂」があり、その前で本間さんの「祇園女御」についての解説をお聞きしました。
関連記事:源平史蹟の手引き>白河法皇>祇園堂〈京都府京都市〉
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祇園堂の入口右手に「祇園女御供養塔」が建てられています。
そのあと、八坂神社南側の道を西に向かい、南楼門前を通り過ぎ、東大路通を横切って少し行ったところで南に向かう道をしばらく歩くと、今日3つめの「平家の夢の跡」「崇徳天皇御廟」があり、崇徳上皇や讃岐の白峰御陵の話などをお聞きしました。
関連記事:トラベルJP>国内旅行>京都旅行>京都観光ガイド>京都・祇園・山科観光ガイド>京都最強の縁切り神社!「安井金毘羅宮」は悪縁を切り良縁を結ぶご利益さん

東大路通を西に折れる道を数本早く曲がってしまったみたいですが、そのおかげで安井金毘羅宮の周りをグルっと一周し、神社脇の桜並木を楽しむことができました。
東大路通の清水道信号の南北の道路の北側の建物と建物の間から清水寺の五重塔が顔をのぞかせていました。
「平家の夢の跡」C「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」の門前に立つ「六道の辻」の碑の前で、本間さんから「六道」について詳しい説明を受けました。

日野さんが、六道を覚えるために6つの道の頭文字を好きな「テニス」にかこつけて「て・に・しゅら・ち・が・じ」と覚えるとよいと提案されましたが、皆さん、すんなり覚えられたでしょうか。
六道珍皇寺境内の焔魔堂には小野篁と閻魔大王の木造が祀られていて、六道珍皇寺の庭には「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」とがあるとのことです。
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珍皇寺の境内で少し休憩をとったあと、珍皇寺前の道を西に向かい、左に折れると「平家の夢の跡」D「六波羅蜜寺」がありました。
応和3年(963)創建の六波羅蜜寺は、天暦5年(951)に空也上人が開いた西光寺を起源とし、平忠盛の時代には広大な境内に平家一門の邸館5,200余館を構える隆盛ぶりを見せていたとのこと。
その後、寿永2年(1183)に平家が都落ちした際に兵火を受け、諸堂はことごとく焼け落ちたが、唯一、本堂のみ消失を免れ、開創1,000年を記念した1969年の解体修理を経て、今に姿をとどめている、とのことです。
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六波羅蜜寺からは南に向かい、五条通に出たあと少しだけ西に歩いて東山郵便局の東側の道を南に進んでいくと、左手に豊国神社の広大な敷地が姿を見せました。その前で右に折れると、巨大な五輪石塔「耳塚」が立っていました。
耳塚は、当初は鼻塚といわれ、豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(1592〜93・1597〜98)で、秀吉軍は戦功の証として朝鮮人の鼻と耳を切り取り、塩や酢に漬けて日本に送り、その鼻と耳がこの地に埋められて、1597年(慶長2)に塚が造られ、耳塚と呼ばれたとのこと。現在の巨大な五輪石塔は江戸時代の初めに建てられたものという。本間さんから文禄・慶長の役にまつわる話をいろいろお聞きしたあと、耳塚西側の道を南に進み、七条通で右に曲がって西に歩くと七条大橋のたもとに出ました。
時刻は1時40分。昼食時の休憩をはさんだとはいえ、歩き始めてすでに3時間。本日最後の「平家の夢の跡」E「若一神社」までの残りの行程を聞くと、距離にして3.7km、時間にしてまだ1時間以上歩くと聞いて、進行継続をためらう者が出て、ここで進行継続組5人と進行終了組5人との二手に分かれることになり、進行終了組は帰路につくべく京阪七条駅に向かう階段を下りていきました。
進行継続組は七条大橋を渡り、七条通を西に進んでいきましたが、七条河原町信号の南西角で、50〜60年代のレトロ風な装いをもつアメリカンポップなコーヒー店が目につき、思わず皆「入ろう!」と、どんな店かよく確かめもせずに入りましたが、これが大当たり!!
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そのあと、東本願寺を右手に見ながら新町→西洞院→堀川とさらに西に進み、続いて西本願寺を右手に見ながら、大宮→壬生と進み、JR山陰本線の梅小路京都西駅の北側で高架をくぐり、七条通をさらに西に進んでいきました。七条通は大きな通りですが、道路わきに立ち並ぶ店々は店構えに一昔前の雰囲気を残すものも多く、ウインドーショッピングを楽しみながら、歩いていきました。
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源為義の墓は路地の突き当りに建つ権現寺によって護持されているとのこと。
その権現寺の門前にかわいらしいお地蔵さん(しあわせ地蔵?)が立っていたので、お地蔵さんを囲んで記念撮影させていただきました。
そのあと、七条通を七本松→御膳と進み、西大路七条信号で左に折れて西大路通を南に向かってしばらく歩くと、西大路八条信号手前の道路にはみ出るように枝を広げる大きな楠が見えてきました。平清盛公お手植えの楠で、「若一(にゃくいち)神社」のご神木。樹齢は850年とのことです。
境内の奥にある祖霊社などにもお参りしたあと、境内に据えられた長椅子に腰かけて、今日の疲れを癒しました。

宮司さんか神社のパンフレットを持ってきてくれたので、説明を受けながら、しばし懇談させていただきましたが、「京都には古いいわれのある場所がいっぱいあるので、名の通った観光名所ばかりでなく、もっといろんなところを巡り歩いてほしい」とのことでした。
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若一神社西側の「平清盛公西八条殿跡」の石碑の横に並んで記念の写真を撮ったあと、帰路につき、JR京都線西大路駅に向かいました。
西大路駅構内で吉田は、大阪に向かう4人と別れて京都駅まで戻り、駅の南東部から京阪東福寺駅まで1時間ほどを徘徊して、マンホールを探索しました。
資料(本間さん作成):関係時期の天皇/平氏の棟梁/忠盛燈籠・祇園堂・崇徳天皇御廟・六道珍皇寺・六波羅蜜寺・耳塚・若一神社
■第96回 三好山(芥川山城跡) (182.6m)〜摂津峡ハイキング(大阪府高槻市) (幹事:伊藤)
2023年2月28日(火)
[集合時間/場所] 10時45分/JR高槻駅中央改札口
[行程] 駅北の高槻市営バス2番乗り場から 51番系統のバスに乗り、11:02発―(20分)→塚脇バス停(三好山登山口)到着 (バス料金220円)→11:30 塚脇スタート―(40分)→12:10 三好山(芥川山城跡)着→山頂にて昼食(12:10〜13:00)→13:00 山頂スタート―(上のロルート/15分)→上の口到着(摂津峡入り口)→13:20 摂津峡廻リスタート(摂津峡:白滝、山水館、摂津峡公園桜広場)→下の口→14:40 塚脇バス停着
[帰路] 14:47 高槻市営バス塚脇発―(20分)→15:10 JR高槻市駅着(駅前解散)
第96回山歩会は、伊藤さんの企画で、「冬の一日、自然の中をゆっくりと歩」くべく、近場(高槻市)の三好山(標高182.6m)〜天下の名勝 摂津峡を廻る「ぶらリハイキングコース」。
三好山には、織田信長に先んじて天下(当時の畿内)統一をなしたとされる三好長慶(ながよし)の芥川山城跡もあり、日本の歴史に触れあう楽しみもある、とのことです。
10時45分にJR高槻駅中央改札口に集合。伊藤、金澤、日野、香川、大西、本間、稲葉、杉本、吉田、松石、塩崎の総勢11人が参加。
JR高槻駅北側のバス乗り場で15分ほど待ったあと、11時2分発の「塚脇(摂津峡)行」の市営の循環バスに乗り、塚脇バス停で降り、バス停前のスペースでラジオ体操を行いました。
写真後方右手にこれから登る三好山の山すそが見えます。
左手に竹藪を見ながらゆるやかな上りのアスファルト道を15分ほど歩いたところで、右側の道脇に「三好芥川城の会」が作成した「三好山へ 40分(三好長慶 1553年 入城)」と書かれた案内板が立っていて、そこが「登山口」でした。
「芥川山城推定復元図」のパネルがその後ろにあって、「三好芥川城」に対する地元の人たちの熱意が伝わってきました。

「登山口」から先は山道で、左手にのどかな里山の景色、さらにその向こうには時折、高槻市街が姿をのぞかせていました。
木立の中の山中道を歩むと土塁らしいものも眼前に現れるようになってきて、いやが上にも山城跡入城への期待感が高まっていきました。
そこから数分歩いたところで見晴らしのいい、広く平らな場所に出ました。曲輪のようです。

記念写真を撮ったあと、高槻市街を見下ろしながら、しばし休憩。
高槻市街の奥にはあべのハルカスなど大阪市内の高層ビル群、さらに遠くには生駒の山並みを見ることもできました。
その曲輪を出て、階段状の細い道を上っていくと「三好山へ 6分」の看板が。

道を上り切ったところに、さらに見晴らしのよい広場のようなところがありました。
伐採した丸太で作られた椅子がたくさん並べられていたので、そこで昼食をとることにしました。
春を思わせるようなポカポカ陽気のなか、吹く風も心地よく、おしゃべりを楽しみながら、たっぷり時間をかけて食事をしたあと、記念写真を撮りました。

昼食を撮った広場に「三好山 芥川山城 182.6m」と書かれた看板があったので、てっきり、そこが頂上だと思っていましたが、そこは頂上ではなく、曲輪で、そこからさらに一段上がったところに城の主郭と山頂とがありました。

「広場」の北側に一段高い場所があり、こちらが主郭(本丸)があった「城山城跡」、かつ「山頂」。写真左手に見えているのは三好長慶が祀られている祠です。関連記事:朝日新聞デジタル>2020年11月5日 三好長慶のほこら、住民が再建 台風で損壊 久秀も合祀
1時過ぎに山を下りることに。しばらくの間、先ほど上ってきた道を下り、10分ほど行ったところにあった分岐点で左に折れました。

「芥川山城跡入口」の看板の下に掲示されている「芥山城跡へのルート」や「芥川山城跡 縄張り図」を見ながら、今日、たどってきた道のりを確認しました。
「脇道」に入ると、芥川を左に見る「摂津峡」沿いの道になっていました。
摂津峡は、10年前の2013年9月に、その年の6月に始めた「東海自然歩道散歩」(約100キロ)の第3回として、「(JR富田駅→)中萩谷バス停→摂津峡・白滝→下の口→原立石→神峰山寺(かぶさんじ)→本山寺→ポンポン山→杉谷→吉峰寺(→阪急東向日駅)」コースの一部として歩いたことがあります。→ とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」(さんぽかい)の記録B(2013年)
また、粋遊会「本隊」でも、翌、2014年5月に「水と緑の名勝地「摂津峡公園」ハイキングと摂津峡温泉「祥風苑」入浴&昼食(幹事:山口さん)」を行っています。
(写真左が夫婦岩。右側の小さな滝をはさんだ二つの岩が夫婦岩とのことです)
途中、山口誓子の句碑「流蛍の 自力で水を 離れ飛ぶ」があり、その前でしばらく休憩しました。
関連記事:株式会社小阪工務店>高槻Life>高槻・摂津峡・蛍の光


そのあと、塚脇橋を渡って摂津峡大通りに出て、「美人の湯 祥風苑」の前を通りました。希望者があれば「温泉入浴」のオプションも用意されていましたが、希望者は1名しかなく、全員、帰路を急ぐことになり、2時40分に出発地点のバス停に戻り着きました。
マンホール探索のため、高槻駅までさらに1〜2時間歩くという吉田を残し、あとの10人はまもなくやったきた47分発の高槻駅行きのバスに乗り、帰路に着きました。
一日中ずっとお天気はよく、徒歩開始時は低かった気温も徐々に高くなり、山の上を吹き過ぎる風は肌に気持ちよく、空は晴れ渡り、絶好のハイキング日和でした
わずか1週間前、粋遊会「本隊」の天王寺茶臼山&動物園ハイキングで寒風に身を震わせたことがウソのように感じられる、とても快適な1日でした。
関連記事:高槻市のイロイロに迫るヒマつぶしサイト。 高槻スクランブル>スポット>2018/05-16 高槻で気軽にハイキング登山!芥川山城跡『三好山』(塚脇バス停スタート)
関連記事:お城を知って、巡って、つながるサイト 城びと>記事一覧>【続日本100名城 芥川山城(芥川城)編】戦国時代末期の特徴が残る!「天下人」三好長慶の居城
関連記事:古代から幕末まで 日本全国のお城・城跡訪問記 城めぐりチャンネル>2016/02/24 芥川山城 [1/3] 巨大な大手石垣跡と、城下一望の主郭跡へ。
■〔2022(令和4)年〕
(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
■第95回 最明寺の滝から多田神社へ (兵庫県宝塚市・川西市) (幹事:大西)
2022年12月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/阪急宝塚線山本駅
[行程] 山本駅→最明寺滝→満願寺→多田神社→能勢電鉄多田駅(行程 8km)
行程終了後、多田駅近くの「餃子の王将」で、年末の反省会開催を予定
第95回山歩会は、大西さんの幹事で、「最明寺の滝から多田神社へ」。阪急山本駅をスタートして、最明寺滝→満願寺→多田神社とたどって、能勢電鉄多田駅まで歩く全8Kmのコース。今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、源流となる「清和源氏発祥の地・多田神社」を訪ねるプランということです。
阪急宝塚線山本駅に10時に集合。参加者は大西、日野、香川、金澤、塩崎、稲葉、本間、伊藤、杉本、吉田の10人でした。
10数分歩いたところで住宅地が途切れて山中道になり、石畳が続く渓流沿いの小道を緩やかに上っていきました。

そこから道は少しずつ上り坂の階段になっていて、5分ほど歩いたところで、道の両脇の樹々がなくなって磐座が姿を現し、その奥に最明寺の滝がありました。

滝を見ながら10分ほど休憩したあと、滝をバックに記念写真を撮り、満願寺を目指して再出発しました。

山荘から15分ほど歩いて、11時20分過ぎに神秀山満願寺南側の山門下の石段に到着しました。
満願寺は奈良時代に開創され、のちの968年(安和元年)に攝津守として多田の地に館を構えた源満仲が帰依したことから源氏一門の祈願所となり、大いに栄えたといいます。なお、満願寺に入る山門下の石段の数は、女性の厄年とされている33才に因んで33段になっていて、「女人厄除」の意味合いを持つものだそうです。
石段を上るとすぐ目の前に山門(仁王門)が姿を見せました。明治14年に建てられた山門は、一見中国風に見えるが、洋風を取り入れた建築様式で、全国的に珍しい、数少ない建築とのことです。
山門の両側に立っている仁王像は、鎌倉時代末期の作で、もともとは多田院南大門にあったものを、明治初年の神仏分離令によって、こちらに移転してきたものとのことです。その仁王像の前で、大西さんから詳しい説明を受けました。

そのあと金堂まで戻り、金堂の西側にある弘法大師像や九重石塔の前を通り、三廟(源満仲の末子の美女丸、藤原仲光と、その子・幸寿丸のお墓)の前で大西さんから祀られた3人に関する詳しい説明を受け、12時10分前に金堂をバックに記念の写真を撮りました。(パソコン画面の右枠を右に広げると金堂の全景を見ることができます)

金堂から少しだけ南に戻って、「せんじゅ桜の庭」と名付けられた庭園で、据えられた石や木の長椅子に腰かけて早めの昼食をとりました。

昼食を食べ始めたころから午前中差していた日が陰りはじめ、そうすると最高気温が10度の予報ゆえ、時折吹く風が肌を刺すように冷たく感じられ、昼食後、早々に歩行を再開しました。
12時半過ぎに金堂前まで戻り、先ほど説明を受けた「三廟」の横を通って「←満願寺 多田神社→」の案内板を目印に多田神社に向かう道を進んでいきました。
まもなく左手にゴルフ場が姿を現し、ゴルフ場を横に見ながら5分ほど歩いたところで墓地を挟んで二股に分かれる道があったので、迷いなく右に上っていきました。5分ほどたったところで、大西さんが「山道にしてはどうも道がよすぎる」ということで、インターネットの地図で確認すると、曲がり道を間違えたようで、今上ってきた坂道を下りました。そして、今度は二股道を左手にとって北に進み、しばらく行ったところで、「←多田神社 満願寺→」の案内板のあるゴルフ場脇の細い道に入っていくことができました。1時前になっていました。、
山中道を10分ほど歩いたところで、広大な敷地に一戸建て住宅が整然と立ち並ぶ「湯山台」に足を踏み入れました。その住宅地の中を15分ほど歩いたあと、住宅地わきに立つ「←満願寺 多田神社→」の看板に従って狭い村中道に入ると、10分ほどで県道12号川西篠山線(新道)に差し掛かり、その県道をまたいで、さらに村中道を10分ほど歩くと、1時半ごろ、目の前に、石の鳥居越しに赤い欄干のある「御社橋」が姿を表わし、その奥に石段と南大門とを望むことできました。
多田神社は、10世紀後半に武家社会の基礎を築いた清和源氏の祖・源満仲が天禄元年(970)に建立した「多田院」に由来し、満仲没後、多田院に御廟が営まれたことから、清和源氏の系譜に連なる鎌倉・室町・江戸の歴代幕府から「源家祖廟の寺」として崇敬を受けるという歴史を持つが、その後、明治時代に廃仏毀釈によって神社に改められて「多田神社」となった、とのことです。
門の両脇に吊り下げられた提灯には、源氏の旗印「笹りんどう」と徳川家の家紋の「三つ葉葵」とが仲良く並んでいました。
参道沿い立てられた案内板に多田神社の全景図が描かれていて、その横には童謡「大江山の鬼退治」の歌詞が6番まで書かれていました。

国指定文化財の隋神門をくぐると目の前に檜皮葺きの屋根を持つ拝殿が鎮座していました。
1時40分に、拝殿をバックに、パネルの後ろに並んで記念撮影をしました。
拝殿の奥に、扉などの建具が金金具で装飾された国指定文化財の御本殿があり、以前、大西さんが訪れたときには本殿まで行くことができたということでしたが、今回は、残念ながら、拝殿と本殿の間には柵が巡らされていて、入ることはできませんでした。
神社の南側を東西に走る県道130号多田停車場多田院線を東に向かい、真っすぐに20分ほど歩いたとこころで、能勢電鉄多田駅近くにある「餃子の王将」にたどり着くことができました。当初の予定では、そこで「反省会」を行う予定でしたが、なんと王将は満員で入れずに、代わりになる店を探す羽目になりました。さいわい、すぐ近くに空席のある店を見つけることができ、無事、反省会を行うことができました。吉田は、いつも通り、ひとり、マンホール旅を続けましたので、反省会のレポートは香川さんにお願いしました。
以下香川記: 多田神社参拝後は恒例の「反省会」。当初予定していた「餃子の王将」には入れませんでしたが、国道173号線沿いに「a王」という店を見つけて入り、餃子を主体にビールと紹興酒を楽しみました。
我々のテーブルは、お墓の扱いなど地味なテーマで話し合いながら、おのおの、自分の将来に思いを馳せました。一方、大西さんたちのテーブルは、粋遊会本隊の2023年度新会長の塩崎さんに本隊会員募集の取り組みについての要望から、オカリナ会や、吟遊会の活動現況まで話は多岐にわたり、さらにスポーツ、コロナ、食べ物等々目まぐるしく展開していった、とのことです。
ともあれ、今年の山歩会は無事終了し、来年2月28日の山歩会での再会を約して、散会しました。
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■第94回 甲山(かぶとやま)森林公園散策と甲山(標高319m)登山 (兵庫県西宮市) (幹事:日野)
2022年11月22日(火)
[集合時間/場所] 午前9時30分/阪急今津線仁川駅
[行程] 9:40 仁川駅スタート(体操)→10:30 仁川地滑り跡と資料館見学→11:00 森林公園東入口→公園内散策→12:30 甲山登山→山頂で休憩、昼食(40分)→13:20 北山貯水池散策→甲山大師神呪寺(かんのうじ)見学→15:00 甲陽園駅ゴール・解散
久しぶりの甲山登山です。2010年1月に粋遊会「本隊」で、幹事・大宅さんで「関西学院大学・甲山森林公園散策&“甲山大師”神呪寺初詣」を行っていますので、ほぼ13年ぶり。そのときは神呪寺までで甲山には登っていなかったので、山頂まで登るのは今回が初めてでした。
当日の集合場所は、幹事からの事前の「案内」にはただ「阪急今津線仁川駅」とありましたが、仁川駅には出口が東と西の両方あり、一般的には阪神競馬場がある東口が「表口」ですが、「駅の西方にある甲山に登るのだから、当然、西口」と思って西口を出たメンバーのほうが多かったですが、「ハズレ」で、正解は東口。幹事によると「豊中方面から宝塚駅経由で仁川駅に降りたホーム側のすぐ目の前にある出口だから」というのが東口が正解の理由でした。
ともかく、東口前広場の一角でラジオ体操をして、9時48分に仁川駅前を出発しました。参加者は日野、金澤、大西、香川、吉田、伊藤、稲葉、本間、杉山、松石、塩崎の11人と今回から復帰の杉本さんの、合わせて12人でした。
「地すべり資料館」は27年前の阪神淡路大震災によって仁川百合野町地区に起きた大規模な地すべりによってもたらされた甚大な災害の記録と教訓を後世に残すために、震災の翌々年に開館した防災学習施設でした。
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10時45分に資料館を出て、資料館前で記念の写真を撮ったあと、いったん南東方向に向かい、途中で今度は北西方向に向きを変えて坂道を上ると、上ヶ原浄水場北側の車道に出ました。
経済産業省の近代化産業遺産(水道)に登録されている上ヶ原浄水場は、現在、PFI(民間資金を活用した社会資本整備)法に基づく事業方式による大掛かりな再整備等事業が行われていて、貯水されていませんでした。
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ゆるやかな坂になっている道を北西方向に向かって歩いていくと、道の両脇の樹々の一部が赤く色づいていました。
道の左手に、甲山大師に向かう「町石」が何基か立っていましたが、脇に添えられた説明板によると、13基あったはずの町石のうち何基かは「心ない者のために持ち去られたか、そのあとかたもない」とのことでした。
さらにしばらく歩いていき、11時過ぎにやっと森林公園の東入口にたどり着いたので、案内板を見ながら、現在地と、今後進むべき道の確認を行ったうえで、「軽登山道(Mountain Traile)」を北に向かって歩を進めていきました。
再び案内板があったので、コースを確かめ、左手に曲がると彫刻の道が延びていて、その先にはシンボルゾーンと名付けられた広い空間があり、中央に「愛の像」が建ち、その奥には甲山の山頂部が全容を現していました。
11時20分に「愛の像」をバックに記念撮影。後ろに見えるのが甲山の山頂です。
シンボルゾーンを北側に通り抜けたあと、当初の予定では、いろいろあるという「登山口」のうち、甲山の北東側にある登山口を目指して歩きましたが、なかなか見つけることができず、結局、いちばん整備されていて、わかりやすい「神呪寺裏側コース」をとることにし、神呪寺に向かうことになりました。
11時47分に甲山大師 神呪寺下に到着。
長い石段を上り、境内にある展望台で眺望を楽しんだあと、しばらく休憩。すでに12時前になっていたので、「ここで昼食をとろう」という者もいましたが、「ご飯を食べると、そのあと歩く気がなくなるので、頑張って山頂に着いて、そこで食べよう」という声が圧倒して、12時前に登山を再開しました。
急坂組は12時20分に山頂に到着。山頂はテニスコートが何面も入るほどの広い芝生の広場になっていて、周りを木々に囲まれているので眺望には恵まれないものの、ゆったりとできる場所でした。

先着組は、残り4人が到着するまで食事するのを待とうとしましたが、約1名がフライングして食べ始めてしまったので、残りの者もあとに続くことに。結局、全員が揃ったのは、それから15分ほどもあとのことでした。

その前に、せっかくだからと、「二等三角点」の前で記念撮影しましたが、下山ルートを探しに先に出かけた3人は残念ながら写真に入ることができませんでいした。
1時20分ごろ、甲山自然観察池に到着。13年前の粋遊会本隊の時に撮ったのと同じ場所で記念の写真を撮りました。

甲山自然観察池からは甲山大師道(車道)を通り、しばらく歩くと先ほど通った神呪寺の階段下にたどり着きました。そこから今度は南に下り、1時40分過ぎに神呪寺の山門をくぐり、市街地を目指して「甲山大師道」を下りていきました。
大師道わきの畑の向こうに見える樹々の中に、数百の実をつけた見事な柿の木が立っていて、みな、感嘆の声を上げ、深まりゆく秋に感謝しながら通りすぎました。
有志数名は、杉本さんの「おかえりなさい会」を行うため、阪急豊中駅前の行きつけの居酒屋「ラッキー」を目指しました。
吉田は、いつも通り、電車に乗る皆と別れて、駅の西側の高台を通って越木岩神社まで足を延ばし、南方の住宅地の中を日が暮れるまで徘徊してマンホールの蓋の写真を撮り、5時前に夙川駅にたどり着きました。
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■第93回 奈良の“きたまち”を歩く (幹事:松石)
2022年10月25日(火)
[集合時間/場所] 午前10時/近鉄奈良駅 東改札口(地下1階)
[行程] 10:00 近鉄奈良駅 出発 → 春日大社 → 南大門 → 東大寺 → 手向山八幡宮 → 二月堂 → 正倉院(見学予定) → 12:00ごろ 正倉院近くの芝生広場で昼食 → 12:45ごろ 出発 → 転害門 → 向出醤油醸造元 → 北山十八間戸 → 旧奈良監獄 → 聖武天皇陵&光明皇后陵 → 奈良女子大学記念館 → 15:00から15:30ごろ 近鉄奈良駅で解散 (歩行距離 約12q、時間は目安です)
10時に近鉄奈良駅地下1階東改札口前に集合。松石、伊藤、吉田、杉山、金沢、日野、大西、稲葉、本間、塩崎の10人が参加。香川さんは前回に続いて体調不良で欠席でした。
駅前の行基像の前で松石さんが本日の行程を説明、そのあと、東向商店街から興福寺の境内を通って、春日大社へと向かいました。
興福寺北円堂はちょうど秋季の「特別開扉」中で、運慶晩年の傑作・弥勒如来像(国宝)などの秘宝・秘仏 特別開帳されているというポスターに足を止めて、見入りました。
(写真正面左の建物は2018年に再建された中金堂)
関連記事:Hatena Blog 仏教、ときどきワンダー観光>お寺の仏像>【奈良】興福寺 北円堂(春・秋に開扉) - 「無著・世親菩薩」は何度観ても感動
いったん三条通りに出て、そこから東に向かいました。
一の鳥居をくぐるとそこは春日大社の神域で、鬱蒼と茂る木々が荘厳な気配を漂わせていました。
関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社伏鹿手水所】鹿のモチーフから流れ出る水で身を清める
石段を上って、南門をくぐると、そこが参拝所です。
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回廊にはさまざまな時代に寄進された「釣燈籠」が吊り下げられていましたが、その数は1,000基にものぼるということです。 関連記事:奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【春日大社回廊】本殿一帯を取り囲む建物には美しい燈籠がずらりと並ぶ
若草山をバックに記念の写真を撮りましたが、残念ながら、かなりピンボケになりました。
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そのあと、旧暦2月にお水取り(修二会)が行われる二月堂にお参りしました。
二月堂にお参りしたあと、「二月堂裏参道」と呼ばれる土塀や石垣に囲まれた風情のある石畳の坂道を下り、正倉院に向かいました。
関連記事:
奈良まちあるき 風景紀行>観光スポット・みどころ>【二月堂裏参道】土塀に囲まれた美しく静かな「石畳」の道
東大寺塔頭 龍松院の南側の道路沿いに歩を進めていきました。秋の日差しを浴びて、足取りも軽やかです。
正倉院に入り、「正倉」外構をバックに記念写真。こちらも、残念ながら、かなりピンボケです。
関連記事:宮内庁>参賀・参観・申込>正倉院「正倉」外構
関連記事:初音の桐箪笥 株式会社 田中家具製作所>社長ブログ>東大寺 正倉院 「正倉」の豪壮な構えと端正な姿は必見です。
正倉院は宮内庁の管轄なので、道のあちこちに「宮」という宮内庁を示すマーク入りのマンホールが設置されていました。
まだ12時前でしたが、正倉院南側の芝生広場で昼食をとりました。この場所は大仏殿の北側にあたるところで、2011年5月に粋遊会の“本隊”で、金澤さんの幹事で「自然観察ガイドと歩く「奈良公園の自然」」を実施したときも、この場所で昼食をとったことを懐かしく思い出します。
食事のあと、約2名がトイレに行きたくなって周囲を探しましたが、近くにトイレはないみたいで、しかたなく、全員、昼食後早々に芝生広場をあとにして、トイレのある場所を目指して出発することになりました。
芝生広場から西に5分ほど歩き、松石さんが卒業した鼓阪(つざか)小学校
の南側を通ると轉害門(てがいもん)が姿を現し、その横を通り抜けて轉害門西側の芝生の北西隅にある「奈良市きたまち転害門観光案内所」でトイレをお借りしました。
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松石さんは観光案内所の方と鼓阪小など昔話を楽しまれていました。
トイレ休憩のあと、転害門から西に5分ほど行ったところで右に折れ、北西方向に向きを変え、途中、今年3月に川沿いに花見を楽しんだ佐保川の上流にかかる若草橋を渡り、そこから急な坂道を上って若草中学校(多聞城跡)の正門前にたどりつきました。
若草中学校正門前で「多聞城跡」の説明板に付された航空写真でこれから向かうグラウンドとの位置関係を確認する松石さん。
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松石さんの最初の予定では、ご自身が昔、そうしたように、若草中学校の中に入り、その奥にある若草中グラウンドを突っ切って、その北側にある旧奈良監獄に向かうことになっていましたが、昔と違って今は学校の敷地内に許可なく入ることはできず、しかたなく、元来た道を途中まで下り、学校の東側の住宅地を通り抜け、グラウンドの東側の道に沿って北に向かいました。
途中で二手に分かれてしまいましたが、松石組は予定通り「北山十八軒戸」に立ち寄りました。北山十八軒戸は、昔は建物の近くまで近寄れたようですが、今は、金網に囲まれて敷地内に入れず、外から眺めるだけでした。
関連記事:あおによし>史跡>北山十八軒戸
ゆるやかな坂道を上ると左手に背の高い煉瓦塀が長く続き、そこが旧奈良監獄で、塀の高さは4.5mということでした。
西洋の城門風の表門の前で記念写真を撮りました。1908年(明治41年)に建てられた旧奈良監獄は老朽化などにより2017年に廃庁(閉鎖)となりましたが、星野リゾートによって、2025年3月に「監獄ホテル」に生まれ変わることになっています。

記念写真のあと、坂を下りて、塀の南東角で右に折れ、塀の南側の道路を西に進み、少し行ったところで左に曲がりました。そして、若草中学校の北側にあたる道沿いに南に向かい、かなり歩いたところで法蓮郵便局北側にある聖武天皇陵の入口に着き、聖武天皇陵とそのお后の仁正皇后陵とにお参りしました。
関連記事:城とか陵墓とか>聖武天皇陵
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写真左が仁正皇后(通称光明皇后)陵です。
そのあと、帰路につき、近鉄奈良駅を目指して南に向かい、途中、奈良女子大の前を通り、鍋屋町の初宮神社境内で行われていたミニバザール(5のつく日に行われる初宮五縁市)に立ち寄ったりしながら、予定より1時間早く、2時前に近鉄奈良駅に戻りつきました。出発地点の行基像の前で解散したあと、近鉄奈良駅地階の改札前商店街で、杉山さんが朝の集合前にリサーチして「午後2時開店」をチェックしていた立ち飲み居酒屋「蔵元 豊祝」で反省会を行いました。
当日の奈良の気温は、朝は10度を下回る寒さでしたが、日中は20度を超え、うっすら汗をかくほどの陽気でしたが、深まる秋の気配を感じながらの、さわやかで気持ちのいい奈良半日旅を満喫することができました。また、古都奈良のさまざまな時代の歴史に触れることもできました。小・中・高校期を奈良市内で過ごされ、「奈良きたまち」にお詳しい松石さんならではの好企画で、松石さんに感謝です。ちなみに、松石さんのご先祖は江戸時代に奈良で創業された油屋とのことです。
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■第92回 西国街道 大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コースハイキング (幹事:稲葉)
2022年9月27日(火)
[集合時間/場所] 午前10時半/阪急茨木市駅西口改札前
[行程] 茨木市駅前 10:48―(阪急バス)→郡バス停 11:06(料金220円)→郡バス停周辺(王将または吉野家)で早めの食事。食事後、国道171号線から西国街道に入り、郡山宿本陣跡→小野原(旧街道の面影がある)→箕面に入り、萱野三平邸跡ほか、街道沿いの高札跡・塚・本陣跡など、昔の参勤交代がたどった道を散策。最終、阪急桜井駅周辺を見て解散の予定。(徒歩11km)
10時半に阪急京都線茨木市駅北側「西口」改札前に集合。日野、吉田、金澤、大西、伊藤、塩崎、稲葉、本間の8名が参加。香川さんと松石さんのおふたりが体調不良などで欠席でした。
茨木市駅西口から阪急バスに乗車。インターネットの天気予報で大阪府は、昨夜までの「正午から雨」が、今朝になって「午後3時から雨」、「正午〜3時は曇り」に変わっていたので、早めに切り上げれば、なんとか雨に降られずにすみそうな感じでした。幹事の当初の予定では、郡バス停で降りて、「王将」か「吉野家」で早めの昼食を考えていたようですが、「午後から雨の予報なので、ともかく先にできるだけ歩こう。食事は雨が降り出してからでもできる」ということで、ひとつ先の中河原南口でバスを降り、国道171号線沿いに西に歩いて、下井町信号から西国街道に入り、11時過ぎに西国街道歩きを開始しました。うろこ雲が浮かぶ空には太陽も時折、顔をのぞかせていました。
写真右は下井町信号から西国街道に入って300mほどの、宿川原町1丁目の北角(三叉路)に立っている道標(石標)。東西に走る西国街道と南に延びる道祖本街道とが交差する場所で、道標の南西面に「茨木街道」、北西面に「國道第三號路線」の文字が読み取れました。(写真は北西面)
西国街道はきれいに舗装されていて、道幅もかなりありましたが、往時の道幅はもっと狭かったのではないかと思います。ちなみに、西国街道の道幅は「2間半(約4.5m)」という説が有力なようです。→関連記事:中国新聞デジタル>こちら編集局です あなたの声から>西国街道の道幅は「街歩きマップや説明板には2間半(約4・5メートル」
国指定史跡「郡山宿本陣(椿の本陣)」前で記念撮影。

さらに15分ほど歩き、大阪モノレール彩都線の豊川駅の南側を西に進むと、足元のマンホールのデザインが茨木市から箕面市に変わっていました。
豊川駅南側の信号から西に15分ほど歩いたところで、正午を過ぎ、道端に屋根つきのベンチがある公園(小野原東公園)を見つけて、そこに座り込んで、しばらく休憩しました。
10分ほど休憩したあと、歩行を再開したところ、公園のすぐ西側に春日神社御旅所がありました。小野原春日神社のお祭りの際にお神輿が立ち寄る場所とのことです。
左の写真は、小野原地区のとあるお屋敷の門前の小庭の芝生に配された庭石の間に埋められた甕の中(ビオトーブ)で姫睡蓮が清楚に花開いていたので、思わずパチリ!
御旅所から20分ほど歩いたところで、昼食をとる店を探すべく、いったん国道に出ました。すぐ前方に「王将」の看板が目に入ったので、足を急がせましたが、時分時とあって、店内入口にウェイティング客が込み合っていましたので、諦め、勝尾寺口バス停前にラーメン屋があったはずと前に進むと、「河童本舗」というラーメン店がありました。
「河童ラーメン(濃いめ、あっさり)」は税込み800円。運ばれてきたラーメンは細麺の分量がやや少なく、これで800円は少し高いかなと思いましたが、「替え玉」が無料で、その替え玉が元の麺よりも多く感じる分量で、これで800円、さらに揚げにんにく3粒がつき、キムチも無料とあっては、ほぼ満席なのも納得でした。
全員、おなか一杯になって、なかなか立ち上げることができず、降り出すかもしれない雨のことも忘れ、店内でゆっくりくつろいだあと、1時20分にやっと重い腰を上げて、街道歩きを再開しました。
以前(2021年6月、本間さん幹事の「ブラリ勝尾寺街道」)通ったことがある箕面墓地公園の北側を通り、今宮、西宿と通過して、2時前に萱野交差点に出たところで、本日の街道旅をいったん終了。帰りを千里中央に向かうグループ、阪急箕面駅を目指すグループ、それに、そのまま萱野三平邸跡まで西国街道歩きを続けるグループの3班に分かれて、いったん解散しました。
西国街道歩きを続けるグループは稲葉、金澤、吉田の3人だけになりましたが、再び歩き始めて間もなく大粒の雨が降り出しました。でも、その雨も数分で小やみになり、解散地点から10分ばかり歩いて萱野三平邸跡に着き、以前より整備されてきれいになった邸跡に入って、家屋敷をゆっくり見学し、そのあと今日二度目の「解散」をして、それぞれ帰路につきました。
関連記事:新之助のBlog 十三のいま昔を歩こう>
西国街道を歩く(15)小野原 笹川良一が生まれ育ち 川端康成がよく訪れた里
■第91回 近鉄てくてくまっぷ 恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング(大阪府八尾市&奈良県三郷町&平群町)(幹事:吉田)
2022年7月26日(火)
[集合時間/場所] 午前9時/JR大阪駅中央改札口前
[行程] 〔行き〕 〔電車〕 9:16 JR大阪駅―(天王寺行)→9:32 鶴橋駅(乗り換え)9:39 近鉄鶴橋
駅―(大阪線準急・五位堂行)→9:53 高安駅 9:55―(大阪線・大和朝倉行)→9:56恩智駅
〔徒歩〕10:00 恩智駅出発→10:11 恩智神社鳥居→10:20 石段→10:25 恩智神社左横から登り道
→10:30 山道開始→10:36 高安山分岐→10:54 竹林→10:57 ベンチ→11:07「左・恩智峠」&
「右・おおさか環状自然歩道」道標→11:08 高安山方面分岐→11:10 車道をくぐると左手に高安
山霊園→11:25 車道(4差路)に出る(近くにWCあり)ので、左手の緩やかな下りを進む→11:32
右手に池→11:37 石灯籠2基と丁石(二十五丁信貴山)→11:39 道標のない分岐点で左側の下
りの脇道を進む→11:42 左手に地蔵尊→11:45 (左)信貴生駒スカイライン料金所、(右)信貴山
門バス停→11:51 開運橋→11:58 鳥居→12:08 朝護孫子寺本堂(朝護孫子寺のどこかで昼食)
(※ ここまで 「YamaReco:信貴山(恩智駅〜恩智神社〜朝護孫子寺〜信貴山頂上〜信貴山下
駅)」を参考にしました)
(下り) 13:00 信貴山観光センター→13:02 仁王門→13:12ケーブル跡ハイキング道→13:27 ケー
ブル跡終点→13:43 近鉄信貴山下駅(途中で何度か休憩をはさみますので、実際には3時ごろ
に到着の予定です)
〔帰り〕 〔電車〕 15:16 近鉄信貴山下駅―(生駒線・王寺行)→15:18 王寺駅(乗り換え)15:30 JR
王寺駅―(大和路快速・天王寺行)→16:07 大阪駅
9時にJR大阪駅中央改札前に集合。金澤、香川、大西、吉田、日野、稲葉、本間、塩崎、伊藤の9人が参加。松石さんは「この夏始めた座禅を優先するので」と欠席されました。
大阪駅からJRに乗り、鶴橋駅で近鉄に乗り換えた際に駅員に訊いて、予定していた準急五位堂行には乗車せずに、乗り換えのない大和朝倉行普通電車に乗り、10時前に恩智駅に着きました。
恩智駅を降りて線路の東側を南に歩くと、すぐに恩智街道に出ました。東に向きを変えて、恩智川にかかる母木橋を渡ると、民家の間を縫うように恩智神社に続く参詣道が伸びていました。正面には高安山(488m)のなだらかな稜線が姿を見せていました。
鳥居からの坂道を10分ほど登ったところで、131段の長く急な石段が目の前に姿を現し、石段下で、みな、へたり込んでしまいました。「この石段を登ると、あとは急な坂道はありません」という幹事(吉田)にうながされて、休み休みしながらも、なんとか全員、急な石段を登っていきました。(※ 石段を登るのに精いっぱいで、肝心の石段の写真が撮れていません(´Д⊂ヽ
ほうほうのていで石段を登りきると、正面に平成12年に建て替えられた拝殿が出迎えてくれましたが、境内の一角にベンチが置かれていたのを見つけて、「参拝よりも、なにはさておき休憩」とベンチに座り、ホッと一息。そのあと、境内の水道の冷たい水をいただいたりしながら、ゆっくり、のんびり休憩しました。
休憩中、塩崎さんは、本殿前で掃除をされていたご住職にいろいろ質問して、恩智神社の由緒ある歴史について説明を受けていました。なんでも、当神社は、大和時代(470年頃)の創建で、およそ1500年余の歴史をもつ古社で、奈良の春日大社に負けず劣らずの格式をもつ河内全域の総氏神とのことのようです。
右手に見える山は高安山。
高安山方面分岐を過ぎ、 車道をくぐり、左手に高安山霊園を見ながらさらに進んで、1時前に、やっと「のどか村」南西角の車道に出ることができました。そこから「のどか村」の入口まで歩き、駐車場脇のベンチのある小公園で遅めの昼食をとりながら、ゆっくり休憩をしました。
昼食後、1時40分にハイキングを再開。南畑集落に向かう車道は遮るものがなく、もはやあきらめの境地で、陽に照らされながら歩を進めていきました。
車道を10分ほど歩いたところで南畑集落に入り、信貴山朝護孫子寺を目指しましたが、途中、村中道が左右に分岐しているところがいくつもあって、そのうちのひとつの「道標のない分岐点で左側の下りの脇道を進む」べきところを、左に下らずに、まっすぐ進んでしまっていました。道の右側にあるはずの「旅亭 十三屋」の建物がかなり離れた左手に見えたところで、コースを間違って進んでいることに気づきました。そこで、いったん進行を止めて、全員でコースの再確認をすべきでしたが、「やまっぷ」搭載のスマホを手にした大西さんがズンズン先へ進んでいくので、止めるタイミングを失ったまま、かなり前に進んでしまいました。その段階で、最初に予定していた参詣道コースをたどるべく「後戻り」を提案したところ、大西さんが「やまっぷ」を手に「このまま車道を行けば、すぐに信貴山にたどり着く。どの道を行こうが、目的地に早く着けばいいんでしょ!」と主張して、あわや一触即発の状態になりましたが、暑さの中、予定時間を大幅にオーバーしていましたので、大西さんに従うことにし、「事件」にならずにすみました(笑)

「参拝組」は、まず、「世界一福寅」の前で記念撮影。ところが、寅の首あたりにピントが合ってしまったみたいで、肝心のみんなの顔は完全にピンボケ状態で、よく見えません(´Д⊂ヽ
参道沿いにずらり立ち並ぶ石灯籠。全山で200基を超えるそうです。奥に見えるのが本堂です。
大寅の前で写真を撮ったあと、赤門をくぐり、本坊、成福院、三宝堂などを経て本堂まで行き、本堂の舞台から下界を見下ろしました。
境内に設置されていた温度計は37度を指していました。

3時前に猪上神社の前で合流したあと、仁王門をバックに記念撮影しました。そのあと、住宅地を東に向かって、「ケーブル跡ハイキング道」を目指しました。
「ケーブル跡ハイキング道」の入口で記念撮影。
東信貴鋼索線(通称 東信貴ケーブル/信貴山下駅―信貴山駅間 1.7km)は1922年(大正11年)に開業し、1983年(昭和58年)に廃止されました。なお、1930年に開業した西信貴鋼索線(通称 西信貴ケーブル/信貴山口駅―高安山駅間 1.3km)は現在も運行されています。
ハイキング道は信貴山駅から近鉄信貴山下駅までの中間点まででしたが、ハイキング道の東端に木々が茂る空き地があり、椅子が置かれて休憩できるようになっていたので、涼風に吹かれながら、ゆっくり休憩をしました。
そのあと、広い車道になっている急な坂道をまっすぐに下っていき、予定より1時間遅れて、4時前に 近鉄信貴山下駅に着き、帰途につきました。
山歩会もメンバーのほとんどが後期高齢者となり、体力の衰えは隠しがたく、山歩きが月ごとにキビシくなってきていて、残念ながら、今回の信貴山が「山納め」となり、これからは、街道歩きなど、起伏の少ない「まち歩き」を楽しむことになりそうです。
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■第90回 交野山(341m)・国見山(284m)ハイキング(大阪府交野市&枚方市)(幹事:金澤)
2022年6月28日(火)
[集合時間/場所] 午前9時10分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR北新地駅 09:32―東西線快速同志社前行→津田駅 10:05(470円)
津田駅前―(25分)→国見山登山口―(1時間)→国見山―(15分)→白旗池―(20
分)→交野山―(30分)→八葉蓮華寺分岐ー(35分)→くろんど園地すいれん池―
(1時間)→京阪私市駅(歩行約4時間)
〔復路〕 京阪私市駅→枚方市駅→淀屋橋駅(560円)
9時10分にJR大阪駅中央改札口前に集合。参加者は金澤、伊藤、吉田、大西、日野、香川、稲葉、塩崎の8人。松石さんと本間さんが欠席でした。
JR北新地駅まで歩いて、予定通り9時32分の東西線快速同志社前行に乗り、10時5分に津田駅に到着。駅の出口は西側にありましたが、駅の北側にある線路下の通路をくぐって駅の東側に出ました。住宅地を北側に少し歩くと東西を走る太い道路に出て、そこから15分ほど歩いて、第二京阪道路の下をくぐったところで左に曲がり、高速道に沿って伸びる道路を北に向かって5分ほど歩き、道路わきでラジオ体操をしました。天気は快晴でしたが、気温が高く(天気予報では、交野市の最高気温は32度!)、この時点ですでに、みな、汗をかいていました。
体操のあとのストレッチも終えて、10時45分に「国見山登山口」の標識のところで高速道沿いの道を右に折れ、細い道を登っていきました。
ゆるやかな細道をしばらく歩くと、左手に工場らしき大きな建物が何棟も現れ、そのうちのひとつに「仁丹」の文字がありました。さらにしばらく歩くと、右手に小さな池が現れ、下見歩き済みの金澤さんによれば、有料の釣り池とのことでした。
そこを過ぎると、少し登り勾配の山道になりましたが、道沿いにところどころ冷たい山水が流れていて、何人かはその冷たい水に手やタオルや帽子を濡らして、涼をとりました。
11時20分。杉林の中の少し風の通るところで、休憩がてら現在位置を確認。
そのあと、あまり手入れのされていない杉林が続いたところで、右手に階段のある分岐に差し掛かり、標識には「階段を登って、国見山山頂」とありました。日野さんが先遣隊をかってでて、階段を登っていきましたが、「山頂まではさらに階段が続いている」ということで、全員、国見山登頂は諦めて、先を急ぐことになりました。
そこから30分ほど進んだところで白旗池が姿を現しました。
時間がすでに12時近くになっていたので、池の上を通ってくる涼風にあたりながら、少し早めの昼食をとることにしました。
昼食のあと、長めの休憩をとったあと、ハイキングを再開。
途中、「交野いきものふれあいの里」を通りましたが、「いきものふれあいセンター」でトイレをお借りし、トイレの冷たい水で手や首を冷やしたあと、センター横のビオトーブで、水生植物や水中昆虫を観察しながら、子どものころを思い出しました。
そのあと、すぐに「交野山(こうのさん)入口」に着きました。標識には「ここより約20分、標高差100メートルの登り」とありました。
正面に見えるのが交野山(341m)です。
そこからしばらく歩くと、道は急な登り坂になりました。「標高差100メートルの登り」の始まりです。
石段の途中で、しばし休憩。
登り坂を上り切ったところに大きな岩・観音岩が姿を見せ、そこが交野山の頂上でした。
頂上の観音岩の上で記念撮影。
観音岩の上で360度の眺望を楽しみながらしばらく休憩したあと、1時過ぎにハイキングを再開。その前に、「交野山」の山頂標識の前でも記念撮影。岩の付け根あたりの低木ではカラスアゲハが群舞していました。

右手に棚田を見ながらしばらく歩くと、右側に「くろんど園地」のゲートがあったので、足を踏み入れていきました。

「カタクリの森」など、広大な「くろんど園地」の北西部を通ったあと、渓流沿いの山道を下っていくと、途中、東屋があったので、休憩しました。

そのあと、尺治川沿いの沢道をさらに下り、しばらく歩いたところで、やっと市街地に出ました。
解散地の京阪私市駅前で、JR河内磐船駅までさらに1時間ばかり歩いてマンホールの蓋の写真を撮るという吉田を残して、みなは、電車に乗り、JR大阪駅近くの居酒屋に立ち寄って、久しぶりの反省会を行いました。
関連記事:r271-635>生駒縦走歩道の最北端・国見山・交野山とくろんど園地
■第89回 歴史ウォーク「河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」を歩く」(大阪府羽曳野市&太子町)(幹事:塩崎)
2022年5月24日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発―天王寺行内回り→天王寺駅着 09:58→近鉄阿部野橋駅―南
大阪線準急→上ノ太子駅 09:53着
〔復路〕 近鉄貴志駅―長野線→阿部野橋駅
〔コース概要〕 上ノ太子駅―15分→壺井八幡宮通法寺・源氏三代の墓―40分→叡福寺―5分→和みの広場(昼食)―10分→用明天皇陵―20分→推古天皇陵
―5分→二子塚古墳―20分→科長神社小野妹子墓孝徳天皇陵―5分→竹内街道歴史資料館―5分→道の駅―20分→六枚橋交差点太子町役場―15分(バス)→近鉄長野線貴志駅―26分(準急)→阿倍野駅
いつもよりかなり早く、朝8時20分に、JR大阪駅中央改札口前に集合。塩崎、金澤、日野、香川、吉田、大西、遠藤、杉山、伊藤、本間、稲葉の11人が集まる。近鉄阿部野橋駅で合流する松石さんを加えて、総勢12人。大阪駅で予定より1本早い電車に乗ることができましたが、近鉄阿部野橋駅で、改札口がいくつもあって、松石さんと合流するのに時間がかかり、結局、予定通りの準急電車に乗って、10時前に上ノ太子駅に到着しました。
駅の南側広場には、昨年12月に建立されたばかりの青銅製の聖徳太子像が建っていて、古いお札でよく見た姿で我々を出迎えてくれました。
そこから羽曳野市内を西方に向かい、15分ほどで壷井八幡宮に着き、若干名を階段下に残して、急な石段を上がっていきました。
そのあと、先ほどの急な階段を降りたあと、南に10分ほど歩いて、源頼義の墓のある通法寺跡に着きました。
「源氏三代」について詳しく書かれた説明板を読みながら、900年前の戦乱に明け暮れた世に思いをはせました。
小山の一番奥にある源頼信の墓。その奥には、将軍綱吉の学僧で、「生類憐みの令」を公布させた大僧正隆光(りゅうこう)の墓もありました。
関連記事:平家物語・義経伝説の史跡を巡る>通法寺跡・源氏三代の墓
この時点でスタートから1時間が経っていましたが、少し西に戻って南に向かい、太井川にかかる松本橋を渡ったところで川沿いに東に向かいました。
太井川橋を過ぎると町中道になり、さらにしばらく歩いて、11時35分に聖徳太子の御廟がある叡福寺に到着しました。
石段を上って、南大門をくぐると、広い境内にたくさんの建物が建っていました。

スタート地点から1時間40分、ほぼ歩き詰めで、やっと腰かけて休憩することができました。
境内北側の二天門の奥に太子の御廟がありました。直径54.3m、高さ7.2mの円墳で、横穴式石室に聖徳太子と母后・穴穂部間人皇女、妃・膳部大郎女の三体を合葬した三骨一廟とのことです。
御廟の前で記念撮影をしました。
それまで、晴天で、30度近いうえに風がなく、全員、汗をかいて、少々バテ気味でしたが、クローバーの植えられた「和みの広場」には涼やかな風が吹いていて、汗も引き、くつろいだ気分でゆっくり昼食タイムを過ごすことができました。
12時40分に広場を後にして、まず用明天皇陵に向かいました。
用明天皇河内磯長原陵にお参りしたあと、今後のコースについてチェックして、まだコースがかなり残っていることを確認しました。
そのあと、町中を20分ほど歩いて推古天皇陵を訪ね、近くにある二子塚古墳のわきを通って、小野妹子墓を目指しました。
推古天皇陵の南東に位置する二子塚古墳は地元で「この古墳こそ、本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵である」と言い伝えられているそうです。
小野妹子墓は長く続く坂道の上にあるということで、遠藤さんと杉山さんがバスによるリタイアを申し出、バス停探しのため松石さんも同道することになりました。
孝徳天皇陵に立ち寄ったあと、坂道を下りて、竹内街道歴史資料館に立ち寄りました。資料館では、みなさんお疲れで、見学がてら、冷房のきいた館内で30分以上休憩し、疲労回復の時間をたっぷりとらせていただきました。
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バスの発車時間まで20分ほどあったので、町役場に入り、入口の待合室に座って、休憩させていただきました。
そのあとバスに乗り、終点の近鉄貴志駅に4時10分前に着きました。富田林駅までさらに1時間半ほど歩いてマンホールの写真を撮るという吉田を残して、みなは電車に乗り、帰路に着きました。
「資料:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」」(塩崎雅彬作成)
■第88回 有馬富士(標高374m)登山(兵庫県三田市)(幹事:日野)
2022年4月26日(火) 5月3日(火)
[集合時間/場所] 午前9時20分/JR宝塚駅
[行程]〔往路〕 JR宝塚駅 09:38発→新三田駅 09:58着(運賃:330円)
〔復路〕 JR新三田駅 16:02発→宝塚駅 16:23着(運賃:330円)
〔コース概要〕 宝塚駅―15分→10:10 新三田駅出発 → 10:40 県立有馬富士公園 → 11:30 「有馬富士登山道」の道標 → 芝生広場 → 登山口 → 頂上広場 → わんぱく砦 → 12:10 有馬富士山頂(昼食) → 千丈寺湖分岐 → 13:00 芝生広場 → 「有馬富士登山道」の道標 → 古民家 → 福島大池 → 13:40 公園散策(かやぶき民家、逆さ富士、小鳥・花木の鑑賞) → 14:20 パークセンター、自然学習センター見学 → 15:40 JR新三田駅
有馬富士登山。もともとは定例の4月第4火曜日(4月26日)に計画されたものでしたが、その日が雨だったので、これまでなら中止だったところを、今回は幹事の日野さんのたっての希望で「1週順延」で実施することになりました。
当日は幹事の思いが通じてか、見事に快晴。9時20分にJR宝塚駅改札口で待ち合わせ。日野、香川、伊藤、塩崎、本間、稲葉の6人に大西、吉田が最後に姿を見せて、総勢8人で出発しました。金澤さんは先に別の予定を入れていて、残念ながら欠席となりました。
予定より少し早く列車に乗り、9時40分に新三田駅に着き、駅の北側でいつも通り、伊藤さんが用意した携帯ラジオの音に合わせてラジオ体操をしました。
そのあと、「いざ、出発」となったところで、大通りに沿いに東に向かおうとする日野さんに対して、スマホの登山アプリ「YAMAP」をかざして「こちらが正解」と西に向かおうとする大西さんとで方針が分かれましたが、結局、最先端情報機器の威力を前に、大西さんに従うことになりました。
大通りをしばらく歩いたところで右に折れ、山すそに広がる里山の畑中道を北に向かいました。
しばらく歩くと、山すその川沿い道に出て、道なりに20分ほど歩いていきました。
写真右は、道路わきの樹木から垂れ下がる山藤の薄紫の見事な花房。
まもなく、福島大池と、その奥に有馬富士の全貌が姿を現してきました。
有馬富士と福島大池をバックに記念撮影。
その先の進路について、左手の、有馬富士の頂上を目指して大池西側園路を進むコースか、右手の、有馬富士公園「出合いのゾーン」の中を通るコースをとるかで再び意見が分かれましたが、今回は幹事の当初方針を容れて、「出合いのゾーン」北側の湖畔沿いを歩むことになりました。
そこからなだらかな山道を少し歩くと、有馬富士を取り巻く複数の登山道の案内図があったので、その中の「フィトンチッドの小道を通ろう」ということになりました。ところが、途中、車道に出たあと、道のわきにある「登山口」の道標を探しながら前に進んだものの、なかなか道標が見当たらず、結局、かなり行き過ぎてから引き返すことになりました。「登山口」の道標を見過ごしたのは、その横に立っていた「まむし注意」の看板と、山麓周遊道への分岐を示す看板との両方に気をとられて、肝心の「登山口」の道標を、全員、見落としたことが理由とわかりました。
途中、なんどか休憩をはさみ、半分ほど行ったところで、上から下りてきた女性に聞くと、「あと30分くらいだが、最後の10分くらいが岩場になっていて、そこがかなり急で、怖かった」とのことでした。
ほぼまっすぐ上に延びる登山道をしばらく登っていくと、いったん「頂上広場」と名付けられた平地に出ました。その先が「わんぱく砦」のようです。
当初は、頂上で昼食をとることにしていましたが、心臓に病を抱える本間さんに岩場登りは無理と判断して、本間さんを「広場」に残し、頂上まで行ったあと、引き返して、「広場」で昼飯をとることにして、残りの7人で岩場に向かうことにしました。
「広場」からすぐに、その「わんぱく砦」と名付けられた岩場の下に着きました。「わんぱく砦」という名前なので「子どもでも登れ」、さらに「10分ほど」ということなので、気軽に登り始めましたが、思ったよりもかなり急で、早々に大西さんが登頂を断念して、「頂上広場」に引き返すことになりました。
残りの6人は岩場登りを続けましたが、岩を手でつかんでよじ登るような感じで、悪戦苦闘しましたが、全員、なんとか頂上にたどりつくことができました。
下で待つ大西さんに「無事、頂上に着いた」と電話をすると、「本間さんが岩場に向かっている」とのこと。「それは危険だ」と、稲葉さんと香川さんが様子を見に行こうとして、ちょうど下から登ってきた女性に話を聞くと「白髪のおじいさんが岩場の途中で動けなくなっている」とのことでしたので、塩崎さんが下まで降りていくことにしました。
残りの5人は、寸時、頂上からの眺めを楽しんだあと、昼食をとりました。
昼食のあと、「有馬富士山頂」の標識をバックに記念写真を撮ろうとしましたが、頂上の標識のところに30代の父親と男の子が昼食をとっていたので、声をかけると「べつにここで写真をとらなくてもいいでしょ」と場所を変える気配を見せないので、かなり険悪な気配になりました。結局、その二人が写り込む感じで記念写真を撮ることになりました。それにしても、山のマナーを守らない、というより、知らない人が山に登るのは困りものです。
本間さんたちとは「かやぶき民家」で合流の予定でしたが、その手前の芝生広場で合流することができました。
「かやぶき民家」前の広場には鯉のぼりが、さわやかな5月の風を受けて、気持ちよさそうに泳いでいました。棚田を取り囲む木々は、新緑のつややかな早緑色に光り輝いていました。
「かやぶき民家」でしばらく休憩したあと、福島大池西側園路を通って、出会いのゾーンに戻り、ガーデン階段を上って、「自然学習センター」に立ち寄り、自然学習を楽しみました。
ガーデン階段の最上段で、有馬富士をバックに記念撮影。よく見ると有馬富士の山頂部が少しとがっているのがわかります。そのあたりが「わんぱく砦」です。
帰りは、県道570号有馬富士公園線を通り、3時前に新三田駅に帰り着きました。マンホールの蓋の写真を撮るために神戸電鉄三田線三田本町まであと2時間ほど歩くという吉田を残して、みんなは電車に乗り、帰路につきました。
「わんぱく砦」で少しもたつきましたが、文字通り五月晴れの好天に恵まれ、風薫る風と新緑に包まれて、とても快適な山旅でした。
山ツツジの季節には少し早かったのだけが心残りでした。
関連記事:春も夏も昌も冬も…有馬富士公園
関連記事:有馬富士公園イラストマップ>出合いのゾーン マップ
■第87回(再) 奈良・郡山城下町散策&郡山城址公園(日本さくら名所100選)〜佐保川(全5キロ、1,000本のソメイヨシノ)
〜大仏鉄道記念公園(枝垂れ桜)
桜堪能ハイキング(奈良県大和郡山市&奈良市)(幹事:吉田)
2022年3月29日(火)
[集合時間/場所] 午前8時20分/JR大阪駅中央改札口前(8時36分出発)
[行程]〔往路〕 JR大阪駅環状内回り08:36発→新今宮08:54着(乗り換え)大和路線快速・加茂行08:56発→郡山駅09:29着(運賃:730円)
〔徒歩行程〕09:30JR郡山駅出発―郡山城下町散策(50分)→10:20郡山城入口→郡山城内散策(30分)→10:50郡山城出口―(30分)→11:20奈良口―佐保川観桜前半(50分)→12:10県立図書情報館(昼食30分)―12:40再出発―佐保川観桜中盤(30分)→13:10新二条橋―佐保川観桜終盤(川路桜など本日一番の見どころ)(30分)→13:40大仏鉄道記念公園(休憩10分)―13:50再出発―(30分)→14:20奈良県庁西―興福寺(20分)→14:40近鉄奈良駅(全5時間10分(うち徒歩4時間30分))(※ 所要時間はおおよその目安)
〔復路〕 近鉄奈良駅14:57―(500円)→鶴橋駅15:32着(乗り換え)JR鶴橋駅15:36発―(180円)→大阪駅15:51帰着
JR大阪駅中央改札口前に8時20分に集合。本間、松石、金澤、稲葉、日野、香川、大西、塩崎、遠藤、伊藤、吉田の常連組に、平地での花見とあって、吉田(貫)さんと沖田さんとが参加して、総勢は13人に。大阪駅で予定より少し早い電車に乗りましたが、新今宮駅での奈良線への乗り換えで予定通りの電車に乗って、郡山駅に9時半に着きました。
駅前で記念撮影したあと、郡山城の外堀を利用して整備された「外堀緑地
」を北門「冠木門」から入って、南に歩を進めました。
そのあと、郡山の「城下町」を小1時間、あちこち寄り道する予定でしたが、途中で道を間違えてしまって、あっと言う間にお城の近くにまで来てしまいました。市役所の南方で、「NHKの「グレーテルのかまど」という番組で観て、良さそうだったので、ぜひ行きたい」という香川さんの要望に応えて「本家 菊屋」に立ち寄り、名物の「
秀吉のうぐい餅」や桜餅などを、皆さん、おみやげに買われたようです。
菊屋で思ったよりも時間をとられましたが、ほぼ予定通りに郡山城跡公園入口に到着。「お城まつり」の開催中を知らせるゲートをくぐって、内堀に沿って歩を進めました。
(写真上左は追手向櫓、右は追手門)
極楽橋の中ほどに並んで、記念の写真を撮りました。
その途中、少しだけ寄り道をして、大和郡山市上下水道部庁舎に立ち寄り、金魚が描かれた大和郡山市のマンホールカードを全員に「おみやげ」としてプレゼントしました。
上下水道部庁舎を出て、20分ほど歩き、12時前にやっと佐保川に到着。桜はおおむね7、8分咲きでしたが、木によってはほぼ満開状態のものもあって、なかなかの見ごたえがありました。
川土手には菜の花も満開で、桜のピンクと菜の花の黄色のコントラストも映えて、両者に挟まれて記念の写真を撮りました。
最初の予定では県立図書情報館付近で昼食をとる予定にしていましたが、県立図書情報館の手前に石段が設けられた河原があり、すでに1時前になっていましたので、そこで昼食をとることにしました。昼食のあと、金澤さんが用意したトランプによる「抽選」で今年度の月幹事の担当月を決めました。
そのあと、遠藤、吉田貫、沖田の3人が「リタイア」したいというので、県立図書情報館前のバス乗り場に全員で寄り道して、バス停でバスの発車時刻を見ると、バスは1時間に1本しかありませんでしたが、さいわい、30分後の1時20分発というのがあったので、リタイア組はそのバスに乗ることにしました。他のメンバーは県立図書情報館に立ち寄って、しばらくトイレ休憩をしました。
バスに乗る3人を残して、ハイキングを再開。近鉄新大宮駅手前の三条通高橋のところで、奈良が地元の松石さんが早退することになり、残りの9人で「終盤」の「一番の見どころ」を目指しました。
近鉄線路を越えたところで佐保川の流れが南北方向から東西方向になるあたりから幹の太さが大きな桜が増えるようになり、川幅も少し狭いので、両岸から川に枝垂れ落ちる桜が、より見事に感じられるようになりました。
その中で、江戸時代末期に植えられ「樹齢170年」という「川路桜
」は風格を感じることができ、その「川路桜」をバックに記念写真を撮りました。
そのあと、大仏鉄道記念公園
まで足を延ばし、今回のお花見ハイキングの掉尾を飾る一本桜の枝垂れ桜を楽しみました。こちらもまさに満開で、ちょうどよい時に来ることができて、ラッキーでした。
お花見の余韻に浸りながら、奈良女子大学の北側と東側を巡って、3時前に近鉄奈良駅に到着。最初の予定では興福寺にも立ち寄るつもりでしたが、皆さん、もう十分に満足、ということで、改札前で「解散」。いつも通り、もう少しマンホール探索を続けるという吉田を残して、みんなは帰路につき、途中、JR鶴橋駅で途中下車して、駅近くの居酒屋「味祢屋(みねや)」に立ち寄り、「反省会」で大いに盛り上がりました。
味祢屋は金澤さんの行きつけのお店で、山歩会でも時折、利用してきましたが、コロナのせいもあって、味祢屋を訪れたのは2016年9月に香川さんが幹事の室生寺・大野寺ハイキングの帰り以来ということで、5年半ぶりでしたが、お店の大将はわれわれのことを覚えてくれていました。
解説資料:郡山城/佐保川の桜並木/奈良県立図書資料館/川路桜/大仏鉄道記念公園
関連記事:一般社団法人大和郡山市観光協会公式ウェブサイト 金魚とお城のまち やまとこおりやま>観光マップダウンロード>城下町巡りマップ
関連記事:ウィキペディア フリー百科事典>郡山城(大和国)
■第87回 三輪山登山(登拝)(奈良県桜井市)(幹事:塩崎)
2022年1月25日(火)(※ 新型コロナの感染急拡大で、大阪府など関西3府県が政府に「まん延防止等重点措置」の適用を要請することになったので、中止になりました)
■とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
●2022年(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
●2021年(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地、6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
●2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
●2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
●2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
●2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
●2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
●2015年(12月:琵琶湖疏水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
●2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
●2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
●2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
●2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)
男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
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●男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定
●これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
●2018(H30)年〜
●2017(H29)年
●2016(H28)年 ●2015(H27)年
●2014(H26)年 ●2013(H25)年
●2012(H24)年 ●2011(H23)年
●2010(H22)年 ●2009(H21)年
●2008(H20)年 ●2007(H19)年
●2006(H18)年 ●2005(H17)年
●2004(H16)年 ●2003(H15)年
●2002(H14)年 ●2001(H13)年
●2000(H12)年 ●1999(H11)年
●〜1998(H10)年
●第3次男女共同参画基本計画
(2010年12月17日閣議決定)
●男性問題を考える上での諸概念
*「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
*男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景 *充実した人生のために必要なもの
●「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)
●男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
*「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
*「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
*「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
*「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)
●関連記事
*はいじ:男性向け講座(2008.2)
●団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
*団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
*(城陽市)おとこのわいわい日曜塾
●男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
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