すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)■
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すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)
すいゆう山歩会は、団塊世代の地域グループモデルとして2007年7月に発足したとよなか粋遊会の自主グループとして、同会メンバーの金澤さんの呼びかけによって、2008年7月に「山歩会」の名で誕生しました。例会は、原則として毎月第4火曜日に行っています。(2月と8月はお休み。2023年から1月と8月とに変更)
第1回から第38回(2015年10月)までは会長の金澤さんに毎回のコース設定や案内・連絡をお任せしてきましたが、金澤さんからの提案で、翌・第39回からは、メンバー全員で順番に計画・実施する「幹事当番制(月幹事輪番制)」で行っています。
●すいゆう山歩会 これまでの活動履歴一覧(2008年〜2023年)
●すいゆう山歩会 活動履歴(2008年〜2023年)(金澤さん作成)
●すいゆう山歩会 開催履歴一覧表(第1回〜100回)(吉田作成)
すいゆう山歩会(さんぽかい) (とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録M(2024年〜)
■〔2025(令和7)年〕
(2025年度の月幹事 : 5月 伊藤、6月 福嶋、8月 金澤、9月 塩崎、10月 日野、11月 稲葉、12月 香川、2026年 2月 大西、3月 吉田、4月 杉本)
■第118回 御堂筋ウォーク(梅田〜なんば)(大阪市)(幹事:稲葉)
2025年11月25日(火)
[集合時間/場所] 10時30分 地下鉄梅田の阪神電車降り場エスカレーター前
[行程] お初天神 ― 北新地経由 → 中之島フェスティバルタワー(12階フェスティバルキッチンで昼食) ― 堂島川沿いに淀屋橋 →御堂筋(北御堂→南御堂) → 難波(時間あれば難波周辺散策)
前日夜6時の天気予報で当日の大阪は「曇時々雨。降水確率60%」とあったので、翌日の山歩会は中止、と思っていたら、8時前に「NHKの予報で降水確率50%ですが、金澤会長様に相談し、街歩きで昼間曇りの予報もあるので、山歩会は実地することにします」との連絡メールが入りました。
今日の集合場所は「地下鉄梅田の阪神電車降り場エスカレーター前」。阪急梅田駅を降り、阪急百貨店の南東角のエスカレーターを下りて地下街に入り、最初の四つ辻を右に折れて、阪神電車の改札の方に向かって歩くと、阪神電車の改札に向かって下りるエスカレーター前の柱横に山歩会のメンバーがたむろしているのが遠くからわかりました。近づくと、稲葉さん、本間さん、香川さん、大西さん、鈴山さんがおられ、ほどなく、日野さんと福嶋さん、続いて金澤さん、伊藤さん、杉本さんが姿を見せ、最後に福山さんが現れました。塩崎さんはお休みで、今日の参加者は総勢12人です。
外は雨なので、予定通り御堂筋ウォークを行うかどうか、さまざまな意見が出されました。

(写真:伊藤さん)
最終的に幹事の稲葉さんのプラン通りに行うことになり、最初の目的地お初天神を目指すことになりましたが、梅田第一ビルの地下街を通るかどうか意見が分かれ、地下街は殺風景で味気ないので、ともかく地上に出ることにしました。そこで、地下鉄谷町線東梅田駅改札口の手前で地上に出て、曽根崎お初天神通り商店街の中を通ってお初天神に向かいました。

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曽根崎お初天神通り商店街を南に通り抜けると、正面のビルとビルの間に「お初天神 露 天神社」の境内への入口の赤い鳥居が立っていました。

露天神社(つゆのてんじんしゃ/通称「お初天神」)は恋愛成就、学問の神様としても有名で、最近は若い世代からの人気を集めているようです。
露天神社の境内は七五三詣りの飾り付けがされていましたが、本殿前で記念の写真を撮りました。

(写真:伊藤さん)
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バー、クラブ、スナック、小料理屋、和洋割烹などの高級飲食店が入る高層ビルが立ち並ぶ北新地は「夜の社交場」。皆さん、現役時代は行きつけの店が何軒かあったのではないでしょうか。
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(写真:伊藤さん)
そこから南に向かい、11時前に中之島フェスティバルタワーに着きました。

(写真:伊藤さん)
中之島フェスティバルタワーの正面玄関を入ると、すぐ目の前に、フェスティバルホールのエントランスホワイエへと続く、赤じゅうたんが敷き詰められた大階段がありました。その赤じゅうたんの階段に並んで記念の写真を撮りました。

(写真:伊藤さん)
このビルの4〜8階はフェスティバルホール、9〜12階は朝日新聞大阪本社が入っています。
12階のフェスティバルキッチンが開店するまでまだ少し時間があったので、13階のスカイテラスに行き、南側と西側の景色を眺めました。南西方向に、林立する高層ビルの合間から大阪ドームが思ったよりも近くに見えました。
11時過ぎ、エスカレーターで12階に降り、開店早々のフェスティバルキッチンに行き、店先のメニューを見て食べたいものを選択し、店内に入ってすぐにあるカウンターで商品を受け取って、広い店内の一角に座って昼食をとり、食後はゆっくり会話を楽しみました。
12時前に入口あたりに並ぶ人の波が増えてきたので、店を出て、堂島川左岸の遊歩道を通って淀屋橋まで行きました。

幹事の稲葉さんから大阪市役所の東方にある中之島公園のバラ園を見にいくというプランも出されましたが、日野さんの「バラは先週、粋遊会本会例会の鶴見緑地で見たので、もういい」という一言で却下されました。
関連記事:バラ百科>全国のバラ園> 関西地方のバラ園>大阪府のバラ園とバラまつり情報2025> 中之島公園 バラ園 (大阪府大阪市)

イチョウ並木のイチョウの木がきれいに色づいていました。


この雪は、11月22日・23日に行われたイベント(雪像作り、スノボー大会など)の名残りだそうです。
関連記事:北御堂>お知らせ>お知らせ・更新履歴>2025年>COWDAY STREET 2025 in 大阪・北御堂

親鸞像の前で、本間さんから北御堂や浄土真宗にまつわるいろいろな話をお聞きしました。
関連記事:北御堂(浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院)
北御堂を出て、500mほど南に歩くと南御堂がありますが、その前に、南御堂の西側にある坐摩(いかすり)神社に立ち寄りました。このコースは稲葉さんの最初のプランにはなかったものですが、本間さんの提案を受けて実行したということです。


また、この坐摩神社は全国の渡辺姓の発祥の地であり、坐摩神社南西側の住所表示板に記された地名には町名のあとの本来なら番地の数字が書かれる位置に「渡辺」の文字が書かれていました。
関連記事:摂津国一之宮 坐摩(いかすり)神社(通称ざまじんじゃ)
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坐摩神社を出て、神社の南側を通って、御堂筋に出ると、その北側に南御堂の入口がありました。中に入ると、正面に御堂会館が建っていました。
金澤、大西、伊藤、吉田の4人は法話を聞いたあと、御堂筋沿いの大阪ガス本社ビル1階のカフェ「flamme terrasse(フラムテラス)」に入って、1時間ほどおしゃべりしたあと、御堂筋沿いに梅田まで徒歩で帰りました。
法話を聞かずに帰った稲葉、本間、鈴山、日野、杉本、香川、福嶋の7人は、梅田駅前の新梅田食道街のいつもの「しおや本店」で反省会を行いました。
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ただ、前日夜7時の天気予報が雨で降水確率70%とあり、中止もやむなしと思いましたが、金澤会長に相談したところ、「平地だし、雨は午後から止む」とのことで、決行することにしました。
スタート時は雨でご迷惑をおかけし、食後も雨の中、御堂筋を散策することになりましたが、北御堂でほぼ雨も上がり、晴れ間も出るほどになり、坐摩神社へ行くこともできました。
南御堂で、たまたま御堂会館で法話があるのに4名の方が参加されることになったので、他の人に相談し、その結果、難波まで行かず、南御堂前で解散となり、「御堂筋ウォーク」が中途半端で終わったことは残念なことでした。
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■第117回 山の辺の道ウォーク<柳本から天理まで>(奈良県天理市)(幹事:金澤)
2025年10月28日(火)
[集合時間/場所] 8時50分/JR大阪駅・中央改札口前
[往路] JR大阪駅9:05(関空快速)→9:21新今宮駅9:25(大和路快速)→10:03奈良駅10:15(万葉まほろば線)→10:34柳本駅
[行程] 柳本駅⇒黒塚古墳展示館⇒長岳寺⇒トレイルセンター(昼食)⇒柿本人麻呂歌碑⇒念仏寺⇒竹之内環濠集落⇒夜都伎(やとぎ)神社(参拝)⇒内山永久寺跡⇒石上(いそのかみ)神宮(参拝)⇒天理教本部⇒天理商店街⇒JR天理駅(約8km)
[帰路] JR天理駅からJR奈良駅経由大阪駅
8時に家を出て、8時40分にJR大阪駅に着くと、すでに金澤、香川、伊藤、稲葉、福嶋、遠藤、杉山の7人が集まっていました。少し遅れて大西さん、そして、集合時間ギリギリに福山さんが来て、全員集合。今日の参加者は計10人。日野さんと塩崎さんは体調不良のため、杉本さんは同窓会出席のため欠席でした。
山歩会として山の辺の道を歩くのは、昨年10月に桜井から柳本までを歩いたその続きですが、13年前の2012年にも桜井から奈良までを3回に分けて歩いたことがあります。
予定通り、10時34分にJR柳本駅に到着。駅前広場に立っていた案内板「山の辺の道てくてくマップ」を見ながら、金澤さんが今日の行程について説明しました。

(写真:伊藤さん)
そのあと、いつも通り、ラジオ体操をしました。

体操で体をほぐしたあと、駅前通りを東に向かい、10分ほどで黒塚古墳展示館に着きました。

展示館では、1階で実物大の復元竪穴式石室を、2階で三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面、鉄製刀剣類のレプリカを見ることができました。
(写真:伊藤さん)
関連記事:天理観光ガイド・天理市観光協会>観光スポット>南部エリア>黒塚古墳
関連記事:Ameba>奈良大好き主婦日記>山の辺の道〜黒塚古墳について真面目にレポートしてみた
展示館を出たあと、実際の黒塚古墳に上りました。古墳時代前期初頭の3世紀後半に築造された黒塚古墳は全長134mの前方後円墳。古墳の周りには周濠が巡らされていました。

(写真:伊藤さん)
黒塚古墳から東に歩を進めると、まもなく国道169号線に出ました。そこを北に進んで、すぐに東に向かうと、5分ほどで稱念寺というお寺に行き当たりました。そこを左に曲がって、右側に天理市トレイルセンターを見ながら、北に向かい、さらに東に曲がり、もう一度左に曲がって右に曲がると、正面に長岳寺の大門が姿を現わしました。
大門をくぐると漆喰の白壁に挟まれた長い参拝道が100mほど続いていました。
参拝道の先の左手に受付があり、入場料400円を払って先に進むと、目の前に鐘楼門が姿を現わしました。

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鐘楼門をくぐると、左手に本堂が建っていました。

本堂の現在の建物は天明3年(1783年)に再建されたもので、堂内には阿弥陀三尊像(重要文化財)と多聞天立像(重要文化財)、増長天立像(重要文化財)が安置されていました。
ところで、金澤さんが今回の山の辺の道ウォークの目玉のひとつとして選んだのが、この長岳寺。なぜかと言うと、長岳寺では、この時期、約400年前の安土桃山時代に狩野山楽が描いたといわれる9幅(縦3.5m、横11m)の秘蔵「大地獄図」が御開帳されているので、「皆さんの今後のお役に立つはず」とのこと。ありがたいことに、今日は、ボランティアガイドさんの解説つきで、大地獄図を詳細に拝観することができました。
三途の川、賽の河原、八大地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、魔大王などの絵を見ながら、ガイドさんの説明によって、「“六文銭”は三途の川の渡し賃」、「御朱印は、亡くなった人が閻魔大王の裁きの際に役立つ“極楽浄土への手形=パスポート”になるので、故人が亡くなったとき、お棺の中に入れないと意味がない」ということなどを知ることができました。
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地獄絵を拝観したあと、それぞれの感慨を胸に、本堂をあとにしました。

鐘楼門を出たところで数人が空を見上げていますが、いったい何を見ているのでしょうか?


室内では襖絵や掛け軸を鑑賞し、さらに縁側から美しい庭園を鑑賞することもできました。
(写真:伊藤さん)
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大門を出たあと、来た道を少しだけ引き返し、トレイルセンターの前庭にしつらえられたテーブルに座って、昼食をとりました。

トレイルセンターの中にある洋食店からおいしそうな匂いが漂ってきて、その匂いをかぎながら、それぞれ持参した弁当を食べました。
センターの中にある洋食店はほぼ満員の盛況を見せていましたが、利用客のほとんどが外国人で、ここ山の辺の道も外国人観光客の人気のスポットになっているようです。
洋食katsui 山の辺の道>TENRI TRAIL CENTER 天理市トレイルセンター[歩く道の駅]
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山の辺の道のところどころにある無人販売所では1袋100円で農作物が売られていました。その多くが柿の実で、小ぶりの柿が2〜3個というところが多いなかで、あるところで大きな利根早生柿が4個で100円で売られていたので、思わず買ってしまいました。
コスモスもちょうど満開で、ピンクや白の可憐な花が秋風に気持ちよさそうに揺れていました。

トレイルセンターを出てから50分ほど歩いたところに休憩所が設けられていたので、そこに入って、しばしくつろぎの時間を過ごしました。

山の辺の道の随所にきれいなトイレも設けられていて、観光客のために整備されていることがわかりました。道路もほとんどがアスファルト舗装され、すべて舗装されていない田んぼ道だった昔に比べて、ずいぶん快適なハイキングを楽しめるようになっていますが、一方で、鄙びた風情がだんだん薄れてきているみたいで、少し残念な気もしました。

右側は刈り取りの終わった稲田。左は柿畑。こちらの実が色づくのはもう少し先のようです。
(写真・伊藤さん)
休憩所から30分ほど歩くと、夜都伎(やとぎ)神社という茅葺の拝殿をもつ社があり、そこに立ち寄って、お参りしました。

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しばらく歩くと、めずらしく有人の販売所があり、さつまいもと黒大豆枝豆とが売られていました。

さらに北に向かって進んでいきます。道端の柿の木にも実が鈴なりです。

稲刈りを終えた田んぼに稲わらの束を束ねて三角形に立てたのが並んでいました。一般には「藁立て」、この地方では、「藁ぼっち」と呼ぶのだそうです。

コンバインで稲刈りするときに稲わらを細かく裁断してしまうところが多くなってきている昨今、「藁ぼっち」が並ぶ風景はぜひ長く残ってほしいものです。
関連記事:山の辺遊歩>「藁ぼっち」が並ぶ

1時50分に夜都伎神社を出てから、石上神宮を目指してひたすら北に向かって歩き、途中、思ってもいなかった石畳の急な坂道に心が折れそうになりながらも、なんとか前に進み、2時半に、やっと石上神宮に到着することができました。

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3時前に石上神宮を出たあと、県道51号線に出て北に向かい、布留交差点で西に折れ、天理駅を目指しました。
途中、天理教本部の建物の前を通りました。前回、2012年には建物の中を案内してもらって、幸せそうな信者の姿を見て感動したものでしたが、今回はもはや立ち寄る気力もなく、ひたすら駅を目指しました。天理駅から天理教本部に続く天理本通商店街、前回歩いたときはそんなに長く感じませんでしたが、今回はやたら長く感じました。あとで調べると、この商店街は奈良県でいちばん長いアーケードを持つ商店街だそうです。
ともかく、神宮を出たあと、40分以上歩いて、3時半にやっとJR天理駅に着きました。
関連記事:note>商店街マニアが行く商店街巡り ♯024 天理本通り商店街(奈良県天理市)
駅の表示板を見ると、次の奈良行の電車は3時54分までないので、帰りを急ぐ人は近鉄のほうが大阪に早く着くとのことで、JR天理駅の西側にある近鉄天理駅に向かうことになりました。JR天理駅改札前でいったん解散したあと、金澤、大西、伊藤、吉田、福山の5人はJRで、杉山、香川、稲葉、福嶋、遠藤の5人は近鉄で、と二組に分かれて帰路につきました。
本日の天理市の最高気温は18度。陽が陰ると少し肌寒く感じましたが、陽が射すと暖かく、快適なハイキング日和でした。
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奈良は空が高く、広い。秋を味わうのに一番ふさわしいところ。私の一番好きな場所でもある。
10月度の担当となり、迷いなく日本最古の道として知られる「山の辺の道」を歩こうと決めた。今回は去年の桜井〜柳本に続く柳本〜天理までのコース。山の辺の道ハイキングコースとして整備された道の完結編です。
好天に恵まれ、気持ちの良い山の辺の道の風景を楽しみながら、山裾の道をたどりました。柿も沢山実り、秋を存分に味わうことができました。
ハイライトは長岳寺。狩野山楽筆の「大地獄絵」が丁度ご開帳されていて、ガイド付きで拝観しました。三途の川、針の山、血の池地獄、閻魔大王など地獄での様々な場面が生々しく描かれている。地獄と聞いて、身近に迫った我々シニアは関心を持たざるをえないためか、ガイドさんへの質問の嵐がやみませんでした。近々迎える死後の世界の概念を何となく理解することができ、ちょっと安心できたのは私だけではなかったはずです。拝観料400円は安かった!?
コース最後の石上神宮への登り坂は思ったよりも歯応えはありましたが、15時半、全員無事に天理駅まで完歩することができました。
最近の山歩会では珍しい5時間の長時間ハイキングとはなりましたが、秋を十分に味わい、また体力もまだまだやれるぞと確信できて、満足のいく「山の辺の道ハイキング」でした。
来月の稲葉さん企画の「御堂筋ウォーク」も楽しみです。歩くぞ!!!
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関連記事:天理観光ガイド・天理市観光協会>オススメ散策コース>山の辺の道(南)コース
参考:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」(さんぽかい)の記録A(2012年)(7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@)
■第116回 古市&道明寺古墳巡り&柏原市立玉手山公園散策(大阪府羽曳野市・藤井寺市・柏原市)(幹事:塩崎)
2025年9月23日(火)
[集合時間/場所] 9時20分/近鉄大阪阿部野橋駅改札口付近
[行程] 古市駅 ⇒ 白鳥神社 ⇒ 誉田八幡宮 ⇒ 栗塚古墳 ⇒ 二ツ塚古墳 ⇒ 誉田丸山古墳 ⇒ 応神天皇陵古墳 ⇒ 大鳥塚古墳 ⇒ 古室山古墳 ⇒ 仲津姫陵古墳 ⇒ 三ツ塚古墳(中山塚古墳等) ⇒ 道明寺天満宮 ⇒ 道明寺駅 ⇒ 玉手橋 ⇒ 柏原市立玉手山公園 ⇒昼食⇒ 散策(資料館、後藤又兵衛碑、小林一茶句碑) ⇒ 道明寺駅⇒ 道明寺天満宮・資料館 ⇒ 道明寺駅 ⇒阿部野駅解散
9時10分に近鉄大阪阿部野橋駅西改札口前に着くと、伊藤さんと香川さんが来ていて、そのあと、大西さん、塩崎さんが姿を現わし、少し遅れて金澤さんがやってきました。
今日の参加者は8人で、あと2人。なかなか姿を現わしませんでしたが、福嶋さんがホームのほうからやってきて、「中改札口で待っていたが、誰も来ないので」とのこと。最後の稲葉さんが来ないので、電話をかけると「中改札口で待っているが、誰も来ない」とのことで、西改札口に来るよう指示しましたが、そのあとかなり時間がかかり、9時20分過ぎになって、やっと姿を現わしました。
近鉄大阪阿部野橋駅には西改札口のほかに東改札口と中改札口があるので、待ち合わせ場所を単に「阿部野橋駅改札口」と言っただけでは、このような間違いがよく起こってしまうのです。
日野さん、本間さん、杉本さん、遠藤さん、福山さんは体調不良などでお休みでした。
阿部野橋駅9時24分発の準急に乗り、9時44分に古市駅に着きました。
西出口を出て駅の南西側にある白鳥陵古墳を訪ねるオプションもあるということでしたが、40分から1時間かかるということで最初の予定通り、駅の東側にある白鳥神社を訪ねることにしました。
吉田は古市駅のエスカレータを上ったところに設置されているステーションライブラリ―で馳星周と有川浩の文庫本を借りました。
東出口を北側に出ると、そこはもう白鳥神社の敷地で、白鳥神社の参道になっていました。

歴史街道の説明板の前で、白鳥神社に関する塩崎さんの説明に耳を傾けました。

(写真提供:伊藤さん)
白鳥神社は、元は白鳥陵の頂に鎮座していましたが、江戸時代に古市の氏神として現在地に移築されました。日本武尊・素戔嗚尊(午頭天王)・稲田姫命を祀っています。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、その祭神・嶢速日命(ニギハヤヒノミコト)・第27代安閑天皇を合わせ祀っています。(塩崎さん作成の「資料」より) 秋祭りには古市6町のだんじりが町内を練り歩くそうです。
関連記事:白鳥神社
関連記事:ちょっと気になる! 〜大阪発史跡旅〜>白鳥神社(羽曳野市) ・伊岐宮とも呼ばれた日本武尊祀る神社 白鳥神社
白鳥神社にお参りしたあと、北に向かい、10分ほど歩くと誉田八幡宮の西門が姿を現わしました。

中に入って、西側に向かうと、その先に本殿がありました。

誉田(こんだ)八幡宮は、応神天皇の崇廟として歴代の行幸を仰ぎました。朝廷幕府からの庇護も厚く、武神として崇められました。現在の社殿は豊臣秀頼によって再建されたもので、宝物館には、国宝の神輿、応神天皇陵出土の鞍金具など多くの宝物を所蔵しています。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。(塩崎さん作成「資料より」)
八幡宮の北側奥には、応神天皇陵を参拝するために使われた太鼓橋(放生橋)があるというので、そこを訪ねました。


太鼓橋は急勾配なので、実際は太鼓橋の右側の木橋を渡っていったようです。
(写真提供:伊藤さん)
関連記事:エナガ先生の講義メモ>南河内 @誉田八幡宮 誉田八幡宮の参道@応神天皇陵(羽曳野市・誉田)
関連記事:誉田八幡宮
誉田八幡宮を東側に出て、南北に走る道路・東高野街道を北に向かって歩きました。
東高野街道は京と高野山を結び、河内国を縦断する道です。

誉田中学校の西側の三叉路に自然石でできた東高野街道の石碑と道標が建っていました。

道標の南面には「右 道明寺 玉手 なら 京 左 八尾 久宝じ」と刻まれていました。
関連記事:五街道の道しるべを巡り歩く その一 「東高野街道」 後編
関連記事:Kansai Odyssey>東高野街道を歩く3: 柏原〜河内長野
東高野街道をさらに北に向かって歩くと、左手にこんもりした丘陵が横たわっていましたが、それが応神天皇陵古墳でした。
応神天皇陵古墳を左手に見ながらさらに北に進むと、10分ほどで西名阪道の高架に突き当たり、高架の手前で西に向かって10分ほど歩くと、左手に応神天皇陵の入口がありました。

陵の入口には宮内庁の看板が掲げられていました。


応神天皇陵の前で塩崎さんの説明を聞いたあと、記念の写真を撮りました。

(写真提供:伊藤さん)
応神天皇陵古墳は「5世紀初頭築造と考えられており、墳丘長約425m、後円部径250m、高さ25m、前方部幅300m、高さ36mの古市古墳群最大の前方後円墳。 墳丘長・体積共に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぎ日本第2位の大王陵である。」(塩崎さん作成「資料」より)
関連記事:誉田八幡宮>応神天皇陵について
関連記事:世界遺産マニア>アジアの世界遺産>日本の世界遺産>大阪府の世界遺産「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」とは?世界遺産マニアが解説
そのあと、応神天皇陵古墳の北側にある大鳥塚古墳に行き、後円部分に上りました。

大鳥塚古墳は「墳丘長110m、高さ12.3mの前方後円墳。後円部は3段、前方部は2段。5世紀初頭築造と推定され、古市古墳群では中形。第二次世界大戦中、掩体壕(えんたいごう)に利用。」(塩崎さん作成「資料」より)
大鳥塚古墳の北側には古室山古墳があり、その北側には仲姫命陵古墳がありました。

古室山古墳は「仲姫命陵古墳と応仁天皇陵古墳の間に築造された前方後円墳。墳丘長150m、後円部径96m、高さ15.3m、前方部幅100m、高さ9.3m。古市古墳群の中では初期に築造された4世紀後半の前方後円墳。埋葬施設や副葬品は不明」(塩崎さん作成「資料」より)
仲姫命陵古墳(仲ツ山古墳)は「4世紀末から5世紀前半築造と推定され、古市古墳群では2番目、全国では9番目に大きな古墳。全長290m、後円部径170m、前方部幅193m、高さ23.3m。第15代応神天皇皇后の仲姫命の陵に治定されている前方後円墳。第14代仲哀天皇陵の説もある。」(塩崎さん作成「資料」より)
仲姫命陵古墳には寄らずに、古室山古墳の北東角を東に向かうと、道明寺がありました。



道明寺の境内には梅の花のほか、椿、菩提樹、藤など多種類の花木が植えられていましたが、萩の花もちょうど見頃を迎えていました。写真は白萩。
(写真提供:伊藤さん)
そのあと、道明寺の東隣にある道明寺天満宮にはお詣りせずに、道明寺天神通り商店街を東に進んでいきました。

道明寺商店街の北方に大阪・関西万博デザインマンホール蓋が設置されていました。


さらに、その北側の道明寺天神通り商店街北側入口近くには、地元藤井寺市出身の絵本作家・長谷川義史さんが描いたデザインマンホール蓋も設置されていました。
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商店街を抜けると近鉄道明寺駅南側の駅前広場で、「周辺案内図」、「地域情報板」のほか「道明寺歴史年表」、「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」が建っていました。
駅の南側にある踏切を東に抜けると石川の土手道に出て、そこを少し南に歩くと、石川にかかる橋「玉手橋」があり、そこを渡ると、橋の東側は柏原市玉手町でした。


(写真提供:伊藤さん)

玉手橋は、昭和3年に架橋された吊橋で、両岸と4組の塔で支える5径間の吊橋としては日本最多径間の吊橋で、全国初の文化庁登録有形文化財になっています。
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玉手橋を渡ったあと、7分ばかり行ったところで南に向かい、さらに10分ほど歩くと、柏原市立玉手山公園・ふれあいパークの入口がありました。
玉手山公園は平成10(1998)年5月、それまで近鉄玉手山遊園地だったところを市立公園として整備して、平成11年3月にオープンしたものです。
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公園に入り、南に進むと階段があり、その階段を上ると、展示館(おもちゃの館・歴史館)がありましたが、そこに入る前に展望台まで行き、昼食をとりました。


展望台からは手前に柏原市の市内が見下ろせ、藤井寺市や羽曳野市の古墳群も見渡すことができました。また、遠くには、大阪・阿倍野のあべのハルカスや梅田のビル群や大坂城、さらには大阪湾の奥に六甲の山並みを遠望することができました。

(写真提供:伊藤さん)

(写真提供:伊藤さん)
食事をとったあと、展示館まで引き返して、おもちゃの館・歴史館を見学しました。
おもちゃの館には日本全国の郷土玩具が都道府県ごとに所狭しと並べられていました。歴史館では柏原市の歴史と大阪の陣の経緯が詳しく解説展示されていまいsた。
そのあと、歴史の丘に行くことになりましたが、そこは急な坂道を上っていかないといけないということで、8人のうち塩崎、香川、伊藤、吉田の4人がチャレンジ、残りの4人は、坂の下のあずま屋で待つことになりました。

後藤又兵衛の碑は今東光の書によるものでした。
そこからさらに奥に進み、小林一茶の句碑を訪ねました。句碑は小さな広場の奥の階段を下りたところにひっそりとたたずんでいました。



そのあと、小高い丘の上にある大坂夏の陣両軍戦死者供養塔にお参りしました。供養塔には、今年6月に行われた「大坂の陣慰霊祭」の折に作られた卒塔婆が立てかけられていました。卒塔婆には「南無阿彌陀佛 為 大坂の陣慰霊祭四百十一回忌追福増進菩提」と書かれていました。
先ほど上った坂を下り、下で待機していた4人と合流し、元来た道をたどって、玉手山公園入口のアーチをくぐって外に出、道明寺駅を目指しました。


再び玉手橋を渡り、2時10分に道明寺駅に戻り着きました、
午前中、気温は30度を下回って、しのぎやすいはずでしたが、湿度が高く、皆、汗をかきました。陽が射すと熱く、傘を差して、日差しをさえぎりました。午後からは雲が厚く空を覆い、時折、通り雨も落ちてきたりしましたが、なんとか本降りにはならずに、会を終えることができました。
阿部野橋駅に戻り、改札口を出たところで解散しました。
いつも行う反省会は、反省会部長の日野さんがいなかったせいか、「不成立」ということで、行いませんでした。とても珍しいことです。
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以後、近々、大坂夏の陣の激戦地を巡り歩きたいと思うようになりました。
また、同所にある古市古墳群は世界遺産ですが、まだ実際に現地を散策したこともありません。
そこで一度、夏の陣と併せた企画を立ててみることにしました。
計画素案は6月末頃にはできましたが、その後は猛暑日の連続、9月も真夏日の続くことが予想されたので、何よりも暑さ対策が最優先課題でした。
日除け対策、会員に負担の少ないコースの選定、雷雨に備えた昼食の場所選び等を検討し、計画案を作成しました。
幸いなことに、山歩会当日は天気に恵まれ、さほど暑くもなく、無事に実施できて良かったです。
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〔資料〕(塩崎さん作成)
■第116回 旧東海道(草津宿周辺及び大津膳所)を歩く(滋賀県)(幹事:福嶋)
2025年6月24日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第115回 京都、下鴨神社・上賀茂神社参拝&散策(歩行距離11km)(幹事:伊藤)
2025年5月27日(火)
[集合時間/場所] 9時50分/京阪電車淀屋橋駅西改札口前通路
[行程] 京阪電車(京都本線出町柳行特急)淀屋橋駅 10:00 → 10:50 出町柳駅
11:00 出町柳駅 → 河合神社 → 糺の森 → 下鴨神社 → 賀茂川沿いを散策(半木の道)→ 北山大橋 → 12:30 河川敷で昼食 13:00再出発 → 上賀茂神社 → 上賀茂社家(しゃけ)町 → 御すぐき處・なり田(漬物買物)→ 京都市保存指定クスノキ(樹齢500年)→ 大田神社(大田の沢)→深泥(みぞろが)池 →京都府立「陶板名画の庭」入園(鑑賞15分)→ 京都市営地下鉄北山駅入口付近で解散(15時30分予定)
本日の参加者は金澤、吉田、大西、塩崎、伊藤、稲葉、遠藤、杉本、福嶋の9人に、今回初参加の福山さんの計10人。日野さんと香川さんは所用があって、欠席でした。
淀屋橋駅10時発の特急に乗って、10時55分に終点の出町柳駅に到着。


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そこから鴨川デルタを北に向かい、大きな通りを超えると鴨川公園の南端・葵公園が広がっていました。「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助の石像が建っていて、その前でラジオ体操をしました。

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そのあと、公園の東側を北に向かい、下鴨神社の参道入口に建っている「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」の石柱の前で記念写真を撮りました。バックに見えるのは一の鳥居です。

(写真:伊藤さん)
表参道を北に向かい、5分ばかり歩いたところで西に向かうと下鴨神社の摂社のひとつ・河合神社がありました。

河合神社は『方丈記』の著者としても知られる鴨長明ゆかりの神社ですが、祭神は美麗の神様として知られる玉依姫命で、美顔祈願の神社として古くから親しまれてきました。
本殿前には手鏡の形をした鏡絵馬が所狭しと奉納されていました。
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河合神社を出たあと、糺の森の中を通る表参道をさらに北に向かって10分ほど歩き、二の鳥居をくぐり、さらに楼門をくぐって賀茂御祖神社(下鴨神社)にお参りしました。

写真右側は舞殿。正面中央は四脚中門。本殿は四脚中門の奥にありましたが、特別参拝時を除く通常参拝では本殿を見ることはできない、とのことです。
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楼門まで戻って、回廊沿いに西に向かい、次の目的地・上賀茂神社を目指して歩を進めてゆきました。

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下鴨神社を西に抜け、鞍馬口通りを西に向かって10分ばかり歩くと賀茂川にかかる出雲路橋の東詰に出ました。そこからは賀茂川に下りて、左岸の堤防道を北に向かって歩いてゆきました。

前日の天気予報では曇空で気温も20度くらいとあって、肌寒さも覚悟しましたが、午前中は薄曇りでしたが、お昼前からは薄日も差しはじめ、日差しの中では暑く感じるほどでした。
賀茂川の堤防にはソメイヨシノの大木が連なっていて、桜の時期にはさぞや美しい眺めが楽しめるだろうと思われました。

賀茂川左岸の堤防道の東側は途中から「半木の道(なからぎのみち)」と名付けられた緑道になっていて、あふれるばかりの緑を縫って涼やかな風が通り抜けていました。この緑の多くは八重咲きの紅枝垂れ桜だそうで、花の季節には桜のトンネルになり、京都の数ある桜の名所のひとつになっているようです。
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半木の道が終わり、北山大橋の下をくぐって、少し行ったところで昼食をとりました。予定では昼食は12時半からとなっていましたが、みんなの歩く足がとみに衰えていて、すでに1時前。全体に後れ後れになっていました。

1時半過ぎに再出発。
15分ほど歩いたところで上賀茂橋の東詰に出たので、橋を渡り、賀茂川の右岸沿いにさらに北に向かい、20分ほど歩くと、御薗橋西詰に出ました。その橋を東に渡ると、先方に赤い鳥居が見えたので、さらに進み、2時前にやっと上賀茂神社の大鳥居前にたどり着くことができました。

画面左手奥に見えるのが「一の鳥居」。手前の大鳥居は、宮前広場の整備事業の一環で、2021年1月に建てられた新しい鳥居、とのこと。ちなみに、一の鳥居と大鳥居は同じ高さ(8メートル)だそうです。
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一の鳥居の北方に建つ二の鳥居をくぐり、さらに奥に進むと楼門があり、その奥に祈祷殿が建っていました。本殿はその奥にあるようです。

楼門を出て、片岡橋を渡ったところで、楼門をバックに記念の写真を撮りました。

(写真:伊藤さん)
片岡橋を渡ったところに、上賀茂神社の24ある摂末社のうちの第一摂社である片山御子神社(通称片岡社)が建っていました。

この神社は平安の昔から縁結び・恋愛成就・家内安全・子授け・安産の神様として信仰を集めてきたそうです。また、源氏物語の作者、紫式部が参拝し、和歌を詠んだと伝えられるゆかりの地でもあるそうです。
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2時過ぎに上賀茂神社を出て、東に向かい、明神川沿いに神社の神職の家など立ち並ぶ上賀茂社家(しゃけ)町を歩きました。

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そこからさらに東に向かって10分ほど歩き、上賀茂神社の境外摂社の大田神社に行きました。

大田神社は芸能・長寿の神様として信仰の厚い神社ですが、参道脇にある池には約2万5千株の野生のカキツバタが群生していて、国の天然記念物に指定されています。色鮮やかな花の群れを期待していきましたが、花の見頃は5月中旬。残念ながら、ほとんど咲き終わっていました。
関連記事:YAHOO!ニュース>エキスパート>【京都市北区】上賀茂神社の摂社 大田神社の杜若(カキツバタ)が見頃に。5月中旬まで楽しめます。
そのあと、さらに東に向かい、15分ほど歩くと「深泥池(みぞろがいけ・みどろがいけ)が眼前に姿を現わしました。

深泥池には氷河期から生き残る多数の動植物が存在し、生物群落が「天然記念物深泥池水生植物群落」として国の天然記念物に指定されています。
(写真:福山さん)
関連記事:京都産業大学>大学紹介>大学広報>キャンパスWebマガジン>サギタリウス>京都産業大学近くに国の天然記念物が!深泥池は、氷河期から生き残る稀有な動植物の宝庫だった
深泥池を眺めながらしばらく休憩したあと、南に向かい、10分ほど歩いて北山通りに出て、そこから少し西に歩いて京都府立「陶板名画の庭」の入口前に着きました。「陶板名画の庭」には金澤、伊藤、塩崎、稲葉、杉本、福嶋、福山の7人が入り、モネの「睡蓮」やレオナルド・ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」など陶板画を楽しみ、ミケランジェロの「最後の審判」の前で記念の写真を撮りました。

(写真:伊藤さん)
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大西さんは京都市京セラ美術館で開催中の本物の「モネ 睡蓮のとき」を見にいき、吉田は、下鴨本通りを南下して出町柳駅まで1時間あまり歩いてマンホールの蓋の写真を撮るために別行動となりました。
7人は陶板名画鑑賞後、地下鉄北山駅から四条駅、そこから阪急烏丸駅に阪急線に乗り換えて、帰路に着きました。
いつも行う反省会は、今回は会の酒豪のおふたりがお休みのこともあり、豊中・ラッキーでの反省会はありませんでした。
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今回は、五月晴れのもと、下鴨神社から上賀茂神社へと、賀茂川沿いを川風に吹かれながら水辺のウォーキングを楽しもうと企画しましたが、昨今の温暖化の影響もあってか、当日とても暑く、歩くのに苦労された方が多かったと思います。(申し訳ない!)
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関連記事:一口メモ(コースガイド)(伊藤秀明作成)
■第114回 吹田歴史文化まち歩きと大阪淀川河下の毛馬閘門を歩く(吹田市・大阪市)(幹事:稲葉)
2025年4月22日(火)
[集合時間/場所] 10時30分/阪急千里線吹田駅東口出口
[行程] 阪急吹田駅→浜屋敷界隈散策(旧西尾家住宅他)→吹田歴史文化まちづくりセンター(センター内で武家屋敷界隈の説明をガイドさんに聞いたあと、食事予定)→阪急吹田駅(乗車)→天神橋筋6丁目(下車)→長良・毛馬水門近辺散策→阪急天神橋筋6丁目(天六)…天満まで天神橋筋商店街歩き→JR天満駅
10時半に阪急千里線吹田駅「東口出口」に集合。梅田方面行ホームのトイレでいっしょになった遠藤さんと東側の改札口を出ると、稲葉、本間、鈴山、塩崎の4人が待っていました。「香川さんと伊藤さんは上で待っている」というので、スロープを上って地上の出口に出ると、ほかに大西さんもいましたが、金澤さんほか4名の姿が見えないで訊くと「西側の出口のほうにいる」とのことです。
で、吉田が「西口」に向かうと、改札口を出たところで、金澤、日野、杉本、福嶋の4名がいて、「こちらが東口だから、みんなこちらに来るべき」だと主張して、動こうとしません。

ちなみに、線路の南側の市役所側の改札口は「西改札口」で、その前は「西出口」と記されています。
この案内板にはホームの(地図上の)西側の表示しかなく、東側の改札口や出口の表示はありませんが、「駅員に訊くと、そちらは南出口だと言った」とのことです。
つまり、地図上の東西南北とは異なって、阪急電鉄は、吹田駅にある3つの改札口のうち、地図上の西側にある2つの地上の改札口のうち、南側を「西改札口」、北側を「東改札口」と名付け、(地図上の)東側の地下にある改札口を「南改札口」と名付けているのです。とてもややこしいことですが、これが鉄道会社の「公式」表示ということになります。(写真は伊藤さん撮影)
なお、Googleマップでは、地図上の東側出口のうち北側を「南出口(東側)」、南側を「南出口(西側)」と表示していました。

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(いずれにしても、紛らわしいので、「山歩会の案内」には「南改札口」、もしくは「東側・梅田方向側改札口」と書くべきだったでしょう)

すったもんだのすえ、「南出口(東側)」前に合流したあとも、どちらが「東口」かの激論は続けられましたが、10時40分ごろにやっと歩行を開始しました。本日の参加者は13人です。
国道479号線を北側に渡り、JR京都線の高架沿いに北東方向に歩くとすぐに吹田街道にさしかかったので、右に曲がって高架下をくぐり、吹田街道を東に向かって歩きました。10分ほど歩くと高浜神社の前にきましたが、まちづくりセンターで11時からお話をしていただくことになっていたので、高浜神社には立寄らずに、まちづくりセンターに向かいました。
関連記事:TOKK[トック] えき、まち、くえらし。阪急沿線おでかけ情報>記事>高浜神社は、吹田のはじまりにも由来する古社。神様が勢ぞろい。縁結びの福うさぎも人気
予定の時間に吹田歴史文化まちづくりセンターの西門前に着きました。鯉のぼりが出迎えてくれました。

正門を入って西庭を奥に進むと中庭があり、その右側に入母屋造りの屋根を持つ主屋が建っていました。

(写真:伊藤さん撮影)
ボランティアガイドのおふたりに浜屋敷の説明や吹田村の歴史などについて詳しくお話していただきました。

最初に、主屋の大戸口で浜屋敷の歴史などについての説明を受けました。

続いて、主屋の中に入り、土間の奥に並んだ大きなかまど(へっつい)の横で、かまどについて、いろんなお話をされました。5口の焚口が大きい順にぐるりと円弧状に連なっているかまどは、今でも使え、近隣の小学校の生徒がよく炊飯体験に来るとのことでした。
続いて主屋の畳の間に上がって、各部屋の説明を受けました。主屋内には幾種類もの五月人形が展示されていました。
そのあと、主屋を出て、主屋の西方にあるだんじり展示庫に入って、だんじりの説明を受けました。
江戸・天保年間から200年の歴史をもつ吹田のだんじりは、現在、曳行することができるものが7台あり、もともとは高浜神社と泉殿宮の祭りのときに曳航されていましたが、現在は、「吹田だんじり祭」としてJR吹田駅周辺を巡行する、とのことです。

(写真:伊藤さん)
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そのあと、蔵棟に移動して、吹田発展資料室として使われている隅の蔵では、吹田が船運や交通の要衝として発展してきた様子を展示物を見ながら解説していただきました。
ほぼ1時間に及ぶボランティアガイドのおふたりのお話をたっぷりうかがったあとは、昼食タイム。
昼食は主屋の部屋の中か中庭かのどちらかでということでしたが、お天気がいいので、全員が中庭で食べることを選びました。
昼食のあと、中庭でゆっくり休憩しました。
吉田が押し入れの中から見つけ出した粋遊会の100回記念Tシャツを始めて着て来たので、記念Tシャツを着ていた5人で記念写真を撮りました。

(写真:金澤さん)

西門で浜屋敷全体をバックに記念の写真をとったあと、まちづくりセンターをあとにして、次の目的地毛馬の閘門に向かうべく、元来た阪急吹田駅に向かいました。
関連記事:浜屋敷 吹田歴史文化まちづくりセンター
途中、旧西尾家住宅の前を通りましたが、住宅は現在大規模な保存修理工事中で建物全体に覆いがかけられていて、残念ながら見学することはできませんでした。
関連記事吹田市>旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)
関連記事吹田市>旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)>旧西尾家住宅 保存修理事業
1時20分に吹田駅に着きました。遠藤さんが、足が痛くて、残念ながらここでリタイアして、先に帰ることになりました。
残りの12人は阪急梅田行に乗り、途中、淡路駅で天下茶屋行に乗り換えて、天神橋筋六丁目駅で降り、毛馬の閘門を目指し、北に向かって歩きました。
20分ほど歩いたところで淀川の土手道に上り、2時過ぎにまず「毛馬第一閘門」を見学しました。

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広場に胸像が建っていたので、説明版を読むと、沖野忠雄という方の胸像で、沖野さんは内務省の技監として日本全国の主要な河川改修と港湾整備事業を主導し、近畿地方では新淀川や大阪港、大阪市上水道などに深く関わり、毛馬第一閘門も洗堰も沖野さんが設計されたものでした。

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そのあと、土手道をさらに東に進んで、現在稼働している「毛馬こうもん」にたどりつき、記念の写真をとりました。


(左の写真は伊藤さんが撮影したもの)
関連記事:CONCOM 建設技術者のための情報発信サイト>コンテンツ一覧>土木遺産を訪ねて>File 30 「毛馬閘門・洗堰群」&淀川大堰閘門事業
閘門の西方の淀川には全長668mの淀川大堰がかかっていました。

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帰り道、疲れたので、第一閘門近くの公園で休憩をしました。

そのあと、天神橋筋六丁目まで歩き、駅の入口前で解散し、反省会参加組と不参加組に分かれ、そのまま帰宅を急ぐ大西、稲葉、本間、鈴山の4人は地下鉄駅を目指し、吉田はいつも通り、一人、周辺のマンホール探索に出かけました。

反省会参加組の金澤、日野、香川、塩崎、伊藤、杉本、福嶋の7人は適当な居酒屋を求めて天神橋商店街の中を南に向かって歩き、天神橋5丁目に入ったところで、「平日限定(月〜金) まぐろ刺身(一人前)3円」というチラシが目にとまり、「ここにしよう!」と衆議一決! 「本まぐろ大船団」という居酒屋に入り、祝杯をあげ、楽しく反省会を行いました。
(左側の写真は伊藤さん撮影)

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先月・3月の山歩会の「下見をしなかったことによる大失敗」の話を聞き、今回はそのような失敗はしないようにと何度も下見を行いましたが、一番大事な集合場所の表記で皆様に大変ご迷惑をおかけしましたこと、まずはお詫び申し上げます。
今回の企画は、最初は「淀川左岸下りハイキング」として、@摂津の欄間彫刻(木下らんま店)→A吹田西尾家住宅→B毛馬閘門と巡る全長約10kmのウォーキングを企画し、摂津のらんま店や、吹田の浜屋敷・西尾家住宅から毛馬閘門まで車で回りましたが、距離的に徒歩では無理と判断して、「電車で吹田の浜屋敷&毛馬閘門」に変更し、今度は徒歩でコースを下見・確認したのですが、スタート地点の集合場所の表記で大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
最初の企画が欲張りすぎて、三か所の見学が重荷になり、途中で何度か計画変更したことで皆様にご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。
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〔補記〕 今回、「山歩会の案内」の集合場所の表記を巡って大混乱がありましたが、もとはといえは、幹事の稲葉さんが下見時に天下茶屋行の電車に乗って吹田駅ホームに下りたあと、目的地の浜屋敷方面に近い前方(地図上の東側)の地下改札口を通って地上の出口に出たとき、その改札口を「東口」と思い込んでしまったことに起因します。まさかそこが「南改札口」で、ホームの反対側(地図上の西側)に「東改札口」(と「西改札口」と)があるなど思いもしなかったのでしょう。今後のこともありますから、出口の多い駅の場合、鉄道会社のホームページを見て、正式の名称を使うことを原則とすべきではないでしょうか。(吉田)
■第113回 武庫川沿い下りウォーキング(宝塚から武庫之荘へ)(兵庫県)(幹事:日野)
2025年3月25日(火)
[集合時間/場所] 10時/阪急宝塚駅改札口(南口)
[行程] 10:10 阪急宝塚駅南口(準備体操)―(15分)→10:30 手塚治虫記念館(見学40分)―(25分)→ 11:35 末広中央公園 ―(35分)→12:10 武庫川新橋(トイレあり)― 昼食(40分)―(35分)→ 13:25 武庫川コスモス公園(閉鎖中)―(15分)→ 13:40 県立西武庫公園(見学30分 *尼崎市内屈指の桜の名所:開花しているか?)―(35分)→ 14:45 大井戸公園(見学15分/約130種類、2,000本のバラ園/古墳時代(7世紀頃)の直径13m円墳あり)―(10分)→ 15:10 阪急神戸線武庫之荘駅(解散、豊中へ)
阪急宝塚駅に10時10分前に吉田が着くと、改札口前に日野、金澤、香川、大西、伊藤、塩崎、杉本、福嶋、杉山の9人がすでに来ていました。10時前には稲葉さんと鈴山さんも姿を見せ、全員集合。今日の総勢は12人です。
10時ちょうどに出発。阪急宝塚駅の南側の出口前広場で日野さんが「ここで体操をしよう」と言いましたが、人通りが多く、みんなに「いくらなんでもここでは」と反対されました。
駅前の大通りを南に進み、宝来橋北詰で左手に折れて、少し歩くと武庫川左岸に出ました。河川敷に続く道があったので、そこを下り、河川敷の芝生で体操をしました。

バックに写っている建物は宝塚ホテルです。

体操を終えたあと、河川敷を東に向かって10分ほど歩くと宝塚大橋の下にたどりつきました。
宝塚大橋のたもとで階段を上って県道16号線を北に向かうと、交差点の北東角に手塚治虫記念館が建っていました。

記念館に入る前に、入口脇に建っている平和モニュメント「火の鳥」の横で記念撮影しました。
関連記事:平和モニュメント「火の鳥」
記念館に入ると、1階は、常設展「宝塚と手塚治虫」「作家、手塚治虫」のほか、手塚治虫のゆかりの品や作品資料が、「火の鳥・未来編」に登場する生命維持装置をモチーフにした展示カプセル40本の中に展示されていました。

(写真:伊藤)
1階奥のアトムビジョンでは月替わりで手塚治虫記念館のオリジナルムービー3作品と実験アニメーションが上映されていて、3月は「しずく」「たばこと灰」「創世記」の3作品が上映されていました。
2階では、企画展 手塚治虫「ガラスの地球を救え」展が開催されていました。「情報・アニメ検索機」では、手塚治虫や作品の情報、アニメ作品のほとんどを視聴することができました。

(写真:伊藤)
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手塚治虫記念館で小1時間、時を過ごしたあと、館を出て、宝塚大橋を渡り、そのあと、橋の南詰から東に延びる住宅地の中の道を進んでいきました。
逆瀬川を渡り、末広中央公園、さらに宝塚市役所脇を通って、南東に向かって歩き続けました。

武庫川新橋を超えたあたりで昼食の予定でしたが、その武庫川新橋になかなかたどりつかないので、12時前、道路脇で休憩しました。

このあたりで昼食にしようという声も上がりましたが、せっかくだから、予定通り武庫川河川敷に出てからにしようという声のほうが多く、もうしばらく歩くことになりました。
12時10分にやっと武庫川新橋のたもとにたどりつき、橋をくぐって、橋の上に出て、南側の舗道を通って、東に向かいました。写真の左手後方に甲山が見えています。

橋の東側の階段を下りたあと、西に向かい、川の土手に上ったあと、河川敷に下り、やっと昼食をとることができました。時間は12時半になっていました。

暖かな日差しを浴びながら、のんびり昼食を楽しんだあと、食後のお楽しみはオカリナ演奏会です。塩崎さんの指揮のもと、オカリナ会メンバー全員で「ふるさと」「コンドルは飛んで行く」「さくらさくら」を演奏。続いて、日野さんと金澤さんのふたりで「千曲川」、最後は香川さんの独奏で「アメージング・グレイス」。高い音が出にくい人もいましたが、皆さん、確実に上手になってきていました。

1時20分に再出発。オカリナ演奏でこの日の役目を果たした杉山さんはここでリタイア。最寄りのバス停を目指して、皆と別れました。

武庫川左岸の河川敷緑地をずんずん南に向かって歩いていきましたが、20分ほど歩いたその先に現れたのは、なんと、「ここから先へは進めません」という看板。河川敷ではなく中洲に足を踏み入れていて、その先端は行き止まり。しかたなく、重たい足を引きずって、10分ほど来た道を戻り、稲野橋を渡って、本来の武庫川左岸の河川敷になんとか出ることができました。ここで20分のロスタイムとなり、時間は2時前になっていました。

しばらく歩くと、まわりは桜並木になっていて、あと10日もすれば、あたり一面、満開の桜を楽しむことができるだろうと思いながら、歩を進めていきました。
道路脇の土手にモクレンの花が見事に満開だったので、休憩がてら、石段に座って、記念撮影をしました。



(写真左は伊藤さん撮影)
甲武橋に差し掛かったところで、ゴール地点到着まであと50分ほど。鈴山さんが「足が痛くて、あと50分は無理」とリタイアして、阪急武庫之荘駅に向かうバスが走る武庫営業所バス停に向かいました。時間は2時半を過ぎていました。
甲武橋から15分ほど歩いたところで西武庫公園の西側入口に着きました。園内のベンチに座って、しばらく休憩しました。

園内の桜は蕾が膨らみ始めていて、もうまもなく「開花」というところでした。
休憩のあと、歩行を再開し、西武庫公園の南東側に出ましたが、予定を1時間以上オーバーしていたので、ゴール地点の大井戸公園には向かわずに、武庫之荘駅を目指すことになりました。
住宅地の中を何度も右に折れ、左に曲がりしながら、40分ほどかかってやっと阪急武庫之荘駅にたどりつきましたが、この最後の40分、皆さん、とても長く感じたみたいです。
15時50分に駅前で解散し、武庫之荘が地元の吉田を残して、あとのメンバーは阪急電車に乗り、そのうち7人は豊中駅近くのいつもの店「ラッキー」で反省会を行い、おおいに盛り上がりました。

(写真:伊藤)
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今回のコースは「阪急ハイキング」のチラシ(阪急武庫之荘・大井戸公園スタート→阪急宝塚駅ゴール)を参考にしましたが、そのまま実行すればよかったものを、逆コースの「宝塚駅スタート→武庫之荘駅ゴール」で実行したため、とんだ目に遭ってしまい、皆様にご迷惑をお掛けしました。特に、非会員の鈴山さんが途中で棄権することになってしまい、猛反省です。
武庫川の右岸(西岸)沿いから武庫川新橋を東に渡り、昼食をとったあと、左岸(東岸)沿いを南に向かって歩いているとき、途中、中州に道があったので、そのまま進めばいいと思って先に進んでいきました。ところが、1キロほど歩いたところで中州が途絶えて、その先に行けず、元来た道を引き返すことになり、その結果、歩行距離が2キロ増になってしまいました。
チラシでは「約11キロ、家族向け」とありましたが、結果として、約14キロの、大変しんどい行程になってしまい、反省、反省の山歩会でした。
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資料:阪急ハイキング 歩いて新発見!《北おおさか信用金庫》わくわくドキドキウォークC 武庫川リバーサイドウォーク
■第112回 「河津桜の淀城跡」と「し垂れ梅の城南宮」を訪ねて(京都市)(幹事:大西)
2025年2月25日(火)
[集合時間/場所] 9時/京阪電鉄淀屋橋駅改札口
[往路] 淀屋橋発 9:12(出町柳行準急) → 淀駅着 10:00
[行程] 淀駅 ―(15分)→ 淀城址 ―(10分)→ 淀水路 河津桜 ―(15分)→ 淀競馬場 緑の広場(昼食)―(100分)→ 鳥羽離宮跡・鳥羽伏見の戦い勃発地 ―(10分)→城南宮 枝垂れ梅 ―(10分)→ 京都地下鉄・竹田駅(解散) (約10km)
京阪淀屋橋駅に8時50分に着くと、日野さん、香川さん、杉本さんの3人がいて、ほどなく大西さん、伊藤さん、稲葉さん、少し遅れて、金澤さん、福嶋さんが来ました。塩崎さんは、今朝、発熱があったとの理由で急遽、欠席で、今日の参加者は総勢9人。
淀屋橋駅9時12分発の準急に乗る予定でしたが、ホームに停まっていた1本早い9時3分発の快速急行に乗り込みました。乗客は少なく、ほぼ貸し切り状態だったので、優先座席に9人全員がいっしょに並んで座ることができました。

10時前に淀駅に到着。駅の北側に出て、線路沿いに南西方向に5分ほど歩くと淀城跡公園入口に着きました。
稲葉神社の参道を通って、公園の中に入ると、左手に本丸の石垣がそびえていました。

淀城天守台の石垣の前でラジオ体操をしました。

公園を奥に進むと「淀城址」の石碑が建っていました。

「淀城は、宇治・桂川合流点と木津川に挟まれた川中の島にあり、廃城となった伏見城に代り、京都警衛の拠点となりました。元和9(1623)年松平定綱が最初の城主となりましたが、享保9(1723)年に稲葉正知が下総佐倉より移封され、明治維新まで続いた」(「フィールド・ミュージアム京都」より引用) 石碑には建立者の子爵稲葉正凱(まさよし)の名が刻まれていましたが、山歩会メンバーの稲葉正昭さんとは一文字違い。ひょっとしたら縁戚では?との声も上がりました。
関連記事:京都市歴史資料館 情報提供システム フィールド・ミュージアム京都>いしぶみを探す>よ>淀城址
さらに公園の北西角の櫓台石垣まで進み、その上に建っている「明治天皇御駐蹕(ひつ)之址」と刻まれた石碑を眺めました。
関連記事:明治天皇御駐蹕之址
そのあと、公園入口まで戻り、今度は線路の南側を線路沿いに南西方向に10分ほど歩くと東に向かって伸びる淀水路があり、水路沿いに河津桜がずらっと並んでいました。
淀水路の河津桜は超早咲きの桜で、例年は2月上旬に開花が始まるとのこと。大西さんが数年前の3月初めに訪れたときは満開だったということでしたが、今年1月・2月の寒さのせいで、まだ蕾固しといった状態で、残念ながら、一輪も見ることができませんでした。

関連記事:京都の穴場スポット情報満載! とっておきの京都プロジェクト>とっておきの現地情報>京都伏見「淀水路の河津桜2025」超早咲きで京都最速のお花見
水路は東に向かって1kmほど続いているそうですが、途中で引き返し、20分ほど歩いて、淀駅東側にある次の予定地・京都競馬場・緑の広場に行きました。
まだ11時を回ったばかりでしたが、広場奥の天幕つきの野外ステージの円形ベンチに座ってお弁当を食べました。

関連記事:るるぶKids>エリア一覧>関西>京都府>公園>競馬場内にある京都競馬場 緑の広場(京都市伏見区)は、大型遊具と芝生を備えた人気のスポット
お弁当を食べ終わったあと、公園の南東側から競馬場を見渡せる場所に行き、柵越しに競馬場の南西部(第3コーナーあたり)を眺めました。

競馬に詳しい大西さんから「東京の府中競馬場は左回りだが、京都競馬場は時計回り(右回り)」、「馬によって、右回りが得意な馬もいれば、反対に左回りが得意な馬もいる」、「第3コーナー近くにいると騎手が怒鳴り合う声が聞こえる」などの興味深い話をうかがうことができました。山歩会の特別例会で大西さんのガイドで「京都競馬場見学」をしよう、という声もあがりました。
12時前に公園を出て、京阪電車の高架をくぐり、納所(のうそ)信号のところから京街道に入り、そのあと、桂川左岸の堤防道路・自転車歩行者専用道に出て、北に向かって歩いていきました。

この道は、京都市西京区嵐山上河原町を起点に木津川市木津に至る「京都府道801号京都八幡木津自転車道線(通称京奈和自転車道/京都市域の愛称は「桂川サイクリングロード」)と名付けられた全長45キロの一般府道自転車道で、サイクリング車に乗った人たちが軽快に駆け抜けていました。
関連記事:ウィキペディア>京都府道801号京都八幡木津自転車道線
そこから京川橋東詰まで約5キロ、1時間半あまり歩くことになりましたが、お天気もよく、前日までの寒さとは打って変わって日差しが暖かく、長丁場のハイキングをのんびり楽しみました。

途中、羽束師橋(はづかしばし)東詰などで、何度か休憩しながら、時間をかけて、ゆっくり進んでいきました。
羽束師橋東詰を超えたところで桂川は鴨川とに分かれ、鴨川沿いを歩くことになりました。
ところどころで護岸工事が行われていましたが、遠く北方を見やると、山頂部に雪をいただく愛宕山や比叡山、さらには蓬莱山、比良岳、武奈ヶ岳などの山々の連なりを眺めることができました。

(写真:伊藤)
関連記事:京都府>インフラ>公共事業・一般>鴨川>〈鴨川河川整備計画〉千年の都・鴨川清流プラン 実施状況
1時半過ぎに京川橋東詰に着き、その北側の遊歩道脇のベンチに座って休憩をとりました。

そこから北に向かって延びる遊歩道沿いは桜並木が続いていて、満開になればさぞや見事な眺めになるのではと想像されました。
桜並木の下を10分ほど歩き、小枝橋東詰で右に折れると、四つ辻の北西角に「鳥羽伏見戰跡」の石碑が立っていました。

「大政奉還して大坂城にいた徳川慶喜は、薩摩を討つため上洛を決意し、慶応4(1868)年正月3日、幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍。この地に布陣した薩摩砲兵の一隊と幕府軍の間で戦いが繰り広げられました。この石標は、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦跡を示すものです」(「フィールド・ミュージアム京都」より引用)
石碑の前で大西さんの解説を聞いたあと、南に向かい、鳥羽離宮跡を訪ねました。

鳥羽離宮庭園の築山の一つと伝えられる小高い丘「秋の山」に建つ「鳥羽伏見戦跡碑」を眺めましたが、明治45年に建てられた石碑の表面は剥落して碑文はほとんど読むことはできませんでした。
関連文書:京都市歴史資料館 情報提供システム フィールド・ミュージアム京都>いしぶみを探す>HU024 鳥羽伏見戦跡碑
そのあと、鳥羽離宮跡を東に抜け、北に向かって少し歩くと右手に城南宮道が見えてきました。
「城南宮は、平安遷都の際に京都の南に創建されてから 1200 年。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばありました。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれており、梅と椿の名所として有名。特に3月上旬に見ごろとなる150本のしだれ梅は圧巻です」(大西さん解説記事より)。
関連記事:方除の大社 城南宮
(写真:伊藤)
城南宮の花をめでるには「神苑」の拝観料(入苑料)1,000円が必要でした。拝観料を払って神苑に入るかどうかみんなで話し合った結果、しだれ梅も椿も「つぼみ」だったので、衆議一決で「神苑」には入らずに城南宮にお詣りするだけにすることにしました。


(写真:伊藤)
神苑の入口で記念写真を撮ったあと、本殿にお参りしました。

城南宮を出たあと、城南宮道を東に進み、油小路通りに出たところで北に向かい、すぐに東に歩を進め、近鉄京都線の西側を北に向かって10分ほど歩くと竹田駅に到着。そこでいったん解散しました。そこからは近鉄に並走して走る地下鉄烏丸線に乗り、四条烏丸で阪急京都線に乗り換えて、帰路に着きました。
日野、香川、杉本、福嶋の4名は、いつも通り、阪急豊中駅近くの「ラッキー」に立ち寄って反省会を行いました。
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一行は一人の欠席者を除いてメンバー9名。京阪淀駅がスタート地点。駅から5分で江戸時代に徳川秀忠の命により松平定綱が築いた淀城址を見学。ここの説明文により城主が稲葉氏であったことを記憶に留めました。城址から歩くこと10分、淀の河津桜は見事なまで蕾でありました。今年は例年以上に寒さ厳しく、前日まで最強最長寒波に日本中が覆われていたから仕方ありません。
少し早いが 近くの京都競馬場の公園で昼食をとることにしました。
食後は城南宮の枝垂れ梅を目指して、桂川堤防を北上。天気は良く春の暖かさを感じてのウォークでありました。遠くそびえる比叡山 比良山 愛宕山の新雪を望みながら約2時間のウォークは喜寿・傘寿を過ぎた身にはさすがにきつく、脚・腰の痛みで幾度も休憩しながらの行程でした。
鳥羽伏見の戦い勃発地、鳥羽離宮公園で歴史の勉強を済ませてから枝垂れ梅の城南宮に到着。本殿前の標本木で、ここもまったくの蕾であることを確認。神苑には入らずにお詣りを済ませ、無事予定は終了しました。皆様 お疲れさまでした。
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資料:淀城址/淀水路 河津桜/鳥羽伏見の戦勃発地/城南宮(大西作成)
■第111回(再) 保津峡から嵐山へ(保津川下り?)(京都市)(幹事:杉本)
2024年12月24日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅・中央改札口前
[往路] JR大阪駅発 9:16(8番線/京都線新快速) → 京都駅着 9:45 → 京都駅発 9:57(33番線/嵯峨野線亀岡行) → 保津峡駅着 10:18
[行程] JR保津峡駅 −(トロッコ保津峡駅)→ 落合 →(清滝川)→ 清滝橋 → 渡猿橋 → 清滝バス停 → 清滝トンネル → 鳥居本−(化野念仏寺)→(常寂光寺)−(野宮神社)→ 渡月橋 → 阪急嵐山駅(清滝橋手間のクサリ(ロープ?)場過ぎの河原で昼食予定)(約8.5キロメートル 約3.5時間+休憩時間)
[復路] 阪急嵐山駅 → 梅田駅
JR大阪駅・中央改札口前に9時5分前に吉田が行くと、すでに全員が集まっていました。今日の参加者は杉本、金澤、日野、大西、香川、伊藤、塩崎、稲葉、福嶋、吉田の計10人。
予定より1本早い新快速に乗って京都駅に着き、山陰線のホームに行きましたが、亀岡行の電車は9時57分にしかなく、結局その電車に乗り、予定通りの10時18分に保津峡駅に到着しました。

事前の天気予報では京都市西京区のお天気は曇り、降水確率30%。京都駅を出るときには日差しも見られましたが、保津峡駅を降りると時折、細かな霧雨が舞い、地面は雨で濡れていました。
いつも通り、駅前の広場でラジオ体操をしました。

ラジオ体操のあと、駅舎をバックに記念撮影をしました。

駅前から北に向かって5分ほど歩くと、フィーレンデール構造という変わった形をした赤い色の橋・保津峡橋が姿を現わし、その橋を渡っていきました。

関連記事:保津峡橋
下を流れる川は水尾川。橋を渡ったところで右に曲がりましたが、左に延びる道をたどると「柚子の里」水尾に行くことができます。
関連記事:京都 水尾−柚子の里
橋を渡ったところで右に折れ、すぐに左に曲がり、そのあとは保津川(大堰川)を真下に見下ろしながら舗装された道を緩やかに下り、北東方向にほぼまっすぐに進んでいきました。この道は、右京区嵯峨釈迦堂を起点に南丹市美山町に至る府道50号日吉美山線とのことです。
途中、南方に目をやると、遠くに先ほど下りた保津峡駅のホームが見えましたが、保津川にかかる橋(第2保津川橋梁)の上に設けられた橋上駅であることがわかります。

関連記事:chiroppekoriのブログ>
保津川と大堰川の境目は?
橋を渡ってから15分ほど歩いたところで右手に保津川にかかる吊り橋があり、その奥にトロッコ保津峡駅の姿が見えました。

この駅は、電化のため廃線となった旧JR山陰本線の嵯峨駅−馬堀駅間を走る嵯峨野観光鉄道の駅で、トロッコ列車が観光客を乗せて走ります。
ちなみに、1982年に公開された深作欣二監督の「蒲田行進曲」のロケで、大部屋俳優のヤス(平田 満)が銀ちゃん(風間杜夫)の子どもを身ごもった小夏(松坂慶子)をつれて帰郷するシーンに使われた保津峡駅は、現在のJR山陰線保津峡駅ではなく、こちらのトロッコ保津峡駅(当時はJR嵯峨野線保津峡駅)とのことです。
関連記事:嵯峨野トロッコ列車
関連記事:トシの旅>橋梁上の”秘境駅”、JR保津峡駅から、トロッコ保津峡駅へ
さらに10分ほど歩くと長さ80mほどの落合隧道があり、そこをくぐると大堰川の支流・清滝川にかかる落合橋がありました。
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そのあと、清滝川の左岸沿いに2分ほど歩いたところで、川にかかる細い石橋・落合沈下橋を渡って右岸に出ました。
関連記事:橋紀行−京都洛西>清滝川/落合沈下橋

ほどなく道はなくなり、河畔のゴツゴツした岩の上を足元を確かめながらひたすら歩いていくことになりました。



休憩地点から5分ほど歩いたとこに昼食を予定していた「クサリ場」がありましたが、まだ12時前でしたので、先を急ぐことにしました。


クサリ場から10分ほど歩くと、左岸に渡る小さな橋(清滝歩道橋)があり、その橋を渡ると左岸沿いに細い道が続いていて、正面に川にかかる朱塗りの橋の姿が見えました。

川沿い道から石段を上って道路に出ると、そこは渡猿橋の東詰で、橋の左右に清滝川の見慣れた風景を見ることができました。

関連記事:橋紀行−京都洛西>清滝川/渡猿橋
ところで、落合橋から渡猿橋まで歩いてきたこの渓流沿いの道は東海自然歩道なので、山歩会で10年ほど前に行った「東海自然歩道散歩」(2013年6月〜14年6月)の「第5回」(嵐山・清滝・高雄コース/13年11月実施)で一度歩いたはず。したがって、その日参加した金澤・日野・大西・吉田には当時歩いたときの記憶が何かしら残っているはずなのに、4人が4人ともまったく思い出すことができず、「お互い年をとって、ずいぶん記憶力が衰えたものだなぁ」としきりに嘆き、慰め合いました。
ところが、帰宅したあと、当時の記録を調べてみると、そのときは愛宕念仏寺から清滝隧道を通って清滝に行っているので、「落合橋〜猿渡橋」は通っていないことがわかりました。なんのことはない、記憶がないのが当たり前。まだまだ「記憶力の衰え」を心配すことはないことがわかりました。
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録B(2013年)
渡猿橋を渡って嵯峨清滝町の集落のなかに入り、民家に沿ってしばらく歩くと、愛宕山登山口の小さな赤い鳥居(愛宕神社二の鳥居)が姿を現わしました。

山歩会では2009年5月と2016年4月の2度、愛宕山に登っています。2度目の愛宕山登山のとき、伊藤さんと塩崎さんとが山歩会のメンバーに加わりました。
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録@(2008年〜2011年)
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録E(2016年)
鳥居の右手に石段があり、その上が広場になっていたので、そこで昼食をとることにしました。

ゆるやかな斜面に広い石の段がずっと上の方まで続いていたので、山の中にあった古い寺の参詣道跡かと思いましたが、帰宅後、ネットで調べてみると、愛宕山鉄道鋼索線(ケーブルカー)清滝川駅のホームだったところでした。
関連記事:Hatena Blog>摩耶山の麓から>ケーブル廃線跡から愛宕山(924m)・・・京都市右京区
ゆっくりと食事をとったあと、渡猿橋の上流にかかる金麗橋を東に渡り、橋の南方にある公衆トイレ「嵯峨清滝公衆トイレ」をお借りしました。そのあと、京都府道137号清滝鳥居本線沿いに南に向かって下っていきました。
10分ほど歩くと、目の前にトンネル「清滝隧道」が見えてきました。

清滝隧道は、嵐山と愛宕山とを結んだ愛宕山鉄道の鉄道用隧道を転用したものだそうですが、道幅が車一台分しかなく、そこを時折、京都バスなどが通るので、そのときは壁際にへばりつくようにして避けて歩かないといけないという危険な道路です。昔はトンネル内に照明もなかったので、とても怖い思いをして通ったものですが、今回通った時は明かりが天井に連なっていて、足元の道路もしっかり舗装されていて、さほど危険を感じることはありませんでした。
関連記事:Fuji Trip 水豚先輩の週末旅日記>清滝隧道
トンネル内を10分ほど歩くと出口が見え、出口から数分歩くと右手に愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)がありました。

ここも京都の他の観光地同様、ご多聞に漏れず外国人観光客が多く、次から次へとタクシーで乗りつけて、寺に入っていく姿が見られました。

さらに南に向かって歩いていくと、JR山陰本線トロッコ嵐山駅の前に出ました。その駅の西側を回って南に進むと、東に向かって伸びる竹林の小径があり、ここも観光客でにぎわっていました。

竹林の小径に続く竹林遊歩道を抜けて天龍寺東側の道に出ると、観光客がさらにあふれかえっていました。嵐電嵐山駅を左手に見ながら南に進み、渡月橋を渡って、嵐山公園の中を東を向かい、2時過ぎに阪急嵐山駅にたどり着きました。
上桂駅まで歩いてマンホールの蓋の写真を撮るという吉田を残して、9人は阪急電車に乗り、梅田駅まで行き、梅田食道街の「しおや本店」で忘年会を行いました。

(写真:伊藤)
関連記事:阪急ハイキング 歩いて元気!《じゅうしん》エンジョイウォークB 嵐山から水清らかな清滝川・保津峡コース
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杉本さん幹事の「保津峡から嵐山ハイク」が12月24日に終わり、本年の山歩会企画がすべて無事終了致しました。
足元はふらつくし、昔は簡単に駆け上がれた坂道も大きな苦痛となる年齢になってしまいました。しかし、オールドエイジの今でも健康で仲良く山歩きを楽しめることを素直に感謝したいと思います。
さて、今年一番のトピックスは、久しぶりの新メンバーとして福嶋さんをお迎えしたことです。おかげでフレッシュな話題満載で話の幅も広がり、反省会も大盛り上がりとなりました。
また10月の三輪山のご神体に捧げた?オカリナ演奏会も忘れられません。オカリナ会結成4年目にして初の演奏会!それも大神神社のご神体三輪山を背景に晴れ渡った秋空の下での演奏でした。緊張でハーモニーが揃わない場面もありましたが、終了後は爽快感・達成感に包まれました。
8月に台風接近で延期した当初の箕面山での企画のリベンジにもなりました。
来年はまたどんな出会があるのか、今から大いに期待しています。
最後に、英語にはインタラクト(interact)という言葉があります。「相互に作用する」「お互いに影響し合う」という意味です。山歩会での交流もお互いに刺激しあって高め合う、こんな関係をより一層築けたら最高といつも思っています。
インタラクティブなお付き合いを来年もよろしくお願い致します。
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2024年11月26日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第110回 「山の辺の道ウォーク」<桜井から柳本まで>(桜井市)(幹事:金澤)
2024年10月22日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅・中央改札口前
[往路] JR大阪駅 9:11(大阪環状線)→ 9:27 鶴橋駅 9:33(近鉄大阪線・急行)→ 10:11 桜井駅
[行程] 桜井駅 → 仏教伝来の地碑 → つばいち観音 → 金谷の石仏 → 大神神社(三輪神社) → 玄賓庵 → 檜原神社 → 景行天皇陵 → 崇神天皇陵 → 黒塚古墳 → 柳本駅
[帰路] 柳本駅からJR奈良線経由大阪駅(柳本駅発 14:46 15:15)
本日の参加者は金澤、日野、吉田、大西、香川、伊藤、塩崎、稲葉、本間、杉本、福嶋の常連メンバーに鈴山、杉山の2名が加わり、総勢13人。2022年3月の郡山城址&佐保川花見ハイク以来の大人数になりました。
10時11分に近鉄桜井駅に着き、駅前の案内板を見ながら、今日のコースを確認しました。


桜井駅前から北に向かって歩を進め、「山の辺の道ウォーク」を開始しました。近鉄発行の「てくてくマップ」奈良−H「山の辺の道コース」に沿って、全16キロを前・後半に分け、今日は前半の8キロを歩きます。山歩会で山の辺の道を歩くのは2012年以来12年ぶり。そのときの参加者は金澤、日野、大西、香川、吉田、大宅の6人でした。
足元の案内タイルに沿って、10分ほどで右に折れ、さらに10分ほどで左に曲がると、ほどなく大和川に差し掛かり、川にかかる大向寺橋を渡りました。歩行開始後まだ40分しか経っていませんでしたが、橋の北詰近くの石段に座って、最初の休憩をとりました。

前日、気温が下がったこともあり、みな、長袖の秋の装いでしたが、今日は再び最高気温が25度を超えそうな気配で、すでにうっすらと汗をかいていて、時折吹く風が気持ちよく感じられました。
5分ほど休憩したあと、河畔を東に歩くと「佛教伝来之地」の石碑が建っていました。

この付近は、難波津から大和川を遡行してきた舟運の終着地で、古代大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしてきており、仏教をもたらした百済の使節もこの港に上陸し、すぐ南方の磯城嶋金刺宮に向かったとされていたこともあり、この辺りが仏教が初めて伝わった記念すべき地とされ、平成9(1997)年にこの碑が建てられました。
関連記事:奈良づけブログ>奈良>古墳・史跡>欽明天皇の時代に仏教が伝えられた地!『佛教伝来之地碑』(桜井市)
石碑を見たあと、再び北に向かいました、

空き地脇の細流沿いに白と黄色の花をつけた植物が生えていたので、「なんの花だろう」とスマホで検索して、「白いのはミョウガ、黄色いのはショウガなのではないか」ということになりました。


「市(いち)」は古代の市場で、海柘榴市には大和川の河港があり、水運だけでなく、東西南北の陸路もここに集まっていたという。ちなみに「海柘榴」は「椿」のことで、もともとこの地にはうっそうと茂った椿の林があったので、この名がつけられたとのことです。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>海柘榴市観音
海柘榴市観音堂前の細道を元に戻り、北西方向に10分ほど歩くと、右手に「金谷の石仏」を収めた収蔵庫が建っていました。


石仏が掘られた石は、もとは石棺の蓋石で、加工痕のある2つの石材が収蔵庫の下に置かれています。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>金谷の石仏
山の辺の道の案内板に沿って、さらに北に5分ほど進むと、三輪山平等寺の姿が見え、細い石の階段を上って「赤門」をくぐると、目の前に本堂が建っていました。


平等寺は聖徳太子が開基したとも、空海が開基したともいわれています。
鎌倉時代末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたって殷賑を極めましたが、明治元年(1868年)の廃仏毀釈により、堂塔はことごとく整理を迫られ、廃寺となったとのこと。しかしながら、地元民の支援等によって、100余年後の昭和52年(1977年)、三輪山平等寺として再興されたとのことです。
関連記事:Wikipedia>平等寺(桜井市)
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拝殿にお参りしたあと、北側の祈祷殿の前で記念写真を撮りました。


祈祷殿前で写真を撮ったあと、細い山道を上って、狭井神社まで行きました。狭井神社の拝殿脇に三輪山の登り口がありますが、三輪山は大神神社のご神体なので、登るときは狭井神社受付に申し込んで登拝料を納めるなどの手続きが必要です。
関連記事:三輪明神 大神神社>三輪山登拝について

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狭井神社にお参りしたあと、来た道を少し引き返し、近くにある展望台に向かって池のほとりを西に歩き、展望台の下に椅子・テーブルが2台あったので、そこで昼食をとることにしました。

昼食のあと、「オカリナ会」の演奏会がありました。4年前に発足したオカリナ会はこれまで、室内で練習を積んできましたが、屋外での演奏会は今回が初めて、とのことでした。

演奏曲は「ふるさと」と「四季の歌」の2曲。そのあと、ひとりずつ持ち歌の演奏が披露されました。歌謡曲あり、歌曲あり。1オクターブ半の音域の範囲内であれば、なんでも吹けるそうです。

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展望台からの眺望を楽しんだあと、少し道を戻り、北に向かって畑や民家が点在する散策路を歩いていきました。道の脇には実をつけた蜜柑の木や柿の木があったり、ススキの穂が風にゆられているところがあったりして、変化にとんだ田園風景を楽しむことができました。

展望台から20分ほど歩いたところで、玄賓(げんぴ)庵にたどり着きました。

山門には「三輪山」の額が掲げられていました。境内にある玄賓庵は、9世紀、玄賓僧都が隠棲していた庵で、もともとは三輪山の桧原谷にあって、山岳仏教の寺として栄えたが、明治維新の神仏分離のとき、現在地に移されて毀釈を免れた、とのことです。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>玄賓庵
玄賓庵を出て、再び、散策路を北に5分ばかり歩くと、桧原神社の脇に出ました。


桧原神社(檜原神社)は大神神社の摂社で、祭神は天照大御神。境内には本殿も拝殿もなく、三ツ鳥居(三輪鳥居)を通してご神体の三輪山を拝すことになります。
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分かれ道など要所要所に案内板が立っていたので、道を間違うことはありませんでした。
景行天皇陵の近くにきましたが、時間がすでに2時を回っていたので、景行天皇陵には向かわずに天皇陵の東側を通り抜けていきました。左手が天皇陵です。

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さらに20分ほど北に向かって歩くと、こんどは崇神天皇陵が見えてきましたが、こちらも横から眺めるだけで通り過ごし、帰路を急ぐことになりました。


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崇神天皇陵を左手に眺めながら天皇陵の東側と北側を通って北西方向に歩を進め、10分ほど歩いたところでまっすぐ西に向かう石畳の大きな道に出ました。その道を少し歩くと国道169号線に出たので、その南にある柳本信号を西に向かうとその先はJR柳本駅です。
12年前に歩いたときは柳本信号から柳本駅まではすぐだったような記憶が残っていたのですが、今回、改めて歩いてみると15分近くもあり、とても長く感じました。
ともあれ、3時すぎに駅に到着。マンホールの写真を撮るために桜井方面行の電車に乗る吉田を残して、みなは3時15分発の奈良駅方面行の電車に乗って帰路につきました。
4時半過ぎにJR大阪駅に着き、阪急梅田駅前・新梅田食道街にある「しおや本店」で反省会を行いました。

(以下:金澤さん記) 反省会の参加者は大西さんを除くオカリナ演奏メンバー6名と福嶋さん、杉本さんの計8名。サービスメニューを肴に生ビール各1杯、そのあと焼酎ボトルを2本あけました。オカリナ演奏の緊張感から解放されて、いつもより飲み過ぎたようです。2時間程で打ち上げました。
(反省会写真は伊藤さん撮影)
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奈良周辺は高い建物がないので、空が高く、広い。どこも好きな場所です。「山の辺の道」はゆったりと空を見上げながら、ときに古代人に想いを馳せながら秋に歩くのにふさわしいと考え、選定しました。
当日は秋の好天に恵まれ、桜井から柳本まで5時間の、気持ちの良いハイキングとなりました。
ハイライトは昼休みに檜原神社近くの展望台の丘で披露したオカリナ演奏です。当日参加者13名のうち香川会長はじめ7名がオカリナ会メンバーです。6人掛けテーブル2セットを占領して、一方は演奏者用。もう一方は観客席の6名。(観客の方が少ないのはご愛嬌) オカリナの練習はコロナ禍の前から始めていますので、かれこれ4年は過ぎましたが、実は他人さまに披露するのは今回が初めて。観客の方々には本当にご迷惑なことでした。通り過ぎるハイカーに雑音?となってはと、人影が途絶えた頃を見計らって演奏スタート。まず「ふるさと」と「四季の歌」を全員で合奏。熱演!ハーモニーが揃っているとは言い難いものの、80歳が複数名いる演奏としては上出来と自己評価。その後、個人パートに分かれて演奏。最後に大トリ・塩崎さんのジブリ・千と千尋の曲「いつも何度でも」で締めると最高潮に。観客席から盛大な拍手‥‥があったと記憶しています。
心地よい秋風を感じながらの丘の上での合奏は気持ちのいいもので、くせになりそうです。これからは「リックの中にいつもオカリナ」を合言葉に山歩会を続けていければと思っています。観客役の方には迷惑なことになりそうですが、よろしくお願いいたします。
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関連記事:近鉄>てくてくまっぷ 奈良‐H 山の辺の道コース
■第109回(再) だんじり祭りの町・岸和田城下散歩(幹事:伊藤)
2024年9月24日(火)
[集合時間/場所] 9時50分/南海なんば駅 3階 北改札口付近
[行程] 10時08分 なんば駅 ― 南海線空港急行 → 10時34分 岸和田駅 → 岸和田駅前通商店街 → 城見橋筋商店街 → 岸城神社 → 11時 岸和田城〈城内見学30分) → 11時30分 二の丸広場観光交流センター(食事、喫茶、買い物/50分) 12時20分 交流館発 → 12時25分 岸和田だんじり会館 (会館見学40分。だんじりのお囃子の太鼓(大小)鐘叩き体験あり) 13時05分 → 13時10分 天性寺(参拝10分) → まちづくりの館(10分休憩) → 吉田松陰逗留地の顕彰看板 → 本徳寺(明智光秀の子が建立) → 岸和田駅前通商店街 → 14時 岸和田駅着
[帰路] 14時06分 岸和田駅(南海特急サザン32号) → 14時29分 なんば駅(なんば駅改札出口にて、14時30分解散予定)
9時20分過ぎに集合場所の南海なんば駅北改札口前に行くと、伊藤さん、杉本さん、大西さんがいて、そのあと、金澤さん、香川さん、本間さん、稲葉さん、塩崎さんが現れ、最後に福嶋さんが姿を見せました。
日野さんは奥さんが体調不良で、看護のため欠席され、本日の参加者は総勢10人です。
予定通り、なんば駅発10時8分の関空快速に乗り、10時34分に岸和田駅に着いて、駅の中央口を西側に出て、北西側に延びる岸和田駅前通商店街に入っていきました。
5分ほど歩いたところで左に折れて、城見橋筋商店街を経て岸和田城に向かうのですが、伊藤さんが用意した「岸和田城周辺 まち歩きマップ」の中に、その曲がり角近くに「コシノ三姉妹の生家」の文字があるのを見つけたものがいて、そこに立ち寄ることにしました。
世界的にも有名なファッションデザイナー・コシノ3姉妹の生家(コシノ洋装店)は、NHK朝の連続テレビ「カーネーション」の舞台となってからは「コシノギャラリー」として多くの観光客が訪れていましたが、2019年3月に「まいどおおきに食堂」を展開する株式会社フジオフードシステムのプロデュースのもと、食堂としてリニューアルした、とのことです。現在も2階はミュージアムとして小篠綾子とコシノ3姉妹の思い出の写真や資料などが飾られているそうです。
関連記事:岸和田城周辺 まち歩きマップ
関連記事:Walkerplus>ニュース>2019年3月29日 「岸和田の新たな観光名所に」コシノ3姉妹の生家が「アヤコ食堂」としてリニューアルオープン!
「アヤコ食堂」の前でかなりの時間を費やしたあと、城見橋筋商店街を通って、11時過ぎに今日の最初の訪問地・岸城(きしき)神社に着きました。

岸城神社は岸和田城・三の丸にあり、祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱。岸和田祭発祥の宮とも。9月15日に催される例祭には神賑行事として各町から曳き出された地車(だんじり)が、旧・北大手門から城入りし、岸城神社に宮入りします。(境内立て札より)

照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱が祀られている本殿。本殿脇には地元高校生が描いた大絵馬が飾られていました。
岸城神社の参詣を終え、石の鳥居を出て西に向かうと、目の前に岸和田城の勇姿が目に飛び込んできました。さっそく、堀端に続く階段を下りて、岸和田城をバックに記念の写真を撮りました。


そのあと、堀端を南東側から南西側に回り、堀端を半周して北西側の城の入口に着きました。

城を南西側から眺めたところ。石垣の裾に「犬走り(狭い幅の通路)}があるのは珍しい。

城を北西側から眺めたところ。中央が天守閣。右は隅櫓。

城の入口近くにある城内位置図を眺めて、さまざまに思いを巡らせる。
予定では、橋を渡って城内見学をし、そのあとに昼食をとることになっていましたが、時間がすでに11時半になっていたので、先に昼食をとることにして、城のすぐ北西側にある二の丸広場観光交流センターに入りました。
二の丸広場観光交流センターの中にはカフェスペースがあり、そこは無料休憩所になっていて、椅子に座って、ゆっくり食事をとることができました。

興味をもった伊藤さんがビニール袋を買って、なんとか4、5本を袋に押し込んでいると、スタッフの女性がそばに来て、「まだまだ、まだまだ詰められる」と、袋からはみ出す水なすを無理に押し込んで、最終的に8本にもなりました。




土橋の入口両脇には、城の別称「猪伏山 千亀利(ちきり)城」の名が記されたあんどんが立っていました。
城の1階・2階の郷土資料展示室で、岸和田城の歴史やあゆみ、城と城下町の変革にまつわる多くの資料を見たあと、3階の展望台で西に大阪湾・淡路島、東に生駒山脈など、四周に広がる景色を眺め渡し、そのあと、展望台内のパネルの前で記念の写真を撮りました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>魅力想像部>観光課>岸和田城いまむかし
そのあと、天守閣の西方の隅櫓に入り、岸和田に古くから伝わる「蛸地蔵伝説」にまつわるビデオを見て、大蛸に乗った法師=地蔵の化身が戦乱や高波から岸和田の人々を守ったとされる物語に昔をしのぶことができました。
関連記事:Ameba>アメブロ>神も仏もあるもんや>2015年8月26日 蛸地蔵伝説

ビデオを見たあと、隅櫓をあとにし、櫓門をくぐって城の外に出て西方に向かいました。



従来モデルのお城を描いたデザインマンホールとともに、2022年11月に岸和田市制施行100周年を記念して作られたマンホールには岸和田城の別名「千亀利城」から名前をもらったマスコットキャラクター「ちきりくん」が描かれていました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>上下水道局>上下水道局総務課>【100周年カラーマンホールを探そう!】市制施行100周年記念マンホール蓋を設置しました(カラーマンホール探そうマップを追加しました)
展望広場西方の駐車場脇の細い道を通って大通りに出ると、目の前にだんじり会館がありました。


館内に入り、2階の展示室に足を踏み入れると、まず最初に、見事な装飾が施された旧紙屋町のだんじりを間近で見ることができました。

90年の歴史をもち、2011年に引退した旧大工町のだんじりも保存展示されていました。



4階のだんじりシアターでは、大迫力の「3面シアター」で市内各所で繰り広げられるやりまわしの映像を存分に楽しむこともできました。
だんじり会館でたっぷり時間をとって様々な展示にもじっくり目を通したあと、2時前に館の前で記念の写真を撮りました。

関連記事:岸和田 だんじり会館
だんじり会館を出たあと、南西に向かって歩をとり、5分ほど歩いたところで北に向かい、光明寺の前で西に向かうと蛸地蔵天性寺がありました。

関連記事:岸和田市魅力発信サイト きしわだSIDE>天性寺
関連記事:日本伝承大鑑>大阪>天性寺 蛸地蔵
天性寺を出たあと、光明寺の南西角から北東にまっすぐ伸びる紀州街道に足を踏み入れ、昔ながらの民家や商家が建ち並ぶ街道を進んでいきました。
途中、街道沿いの休憩処「まちづくりの館」に立ち寄り、冷たいお茶の無料サービスをいただいて、涼をとりました。

関連記事:まちづくりの館
まちづくりの館でしばしくつろいだあと、再び紀州街道沿いに歩を進め、途中、吉田松陰逗留地の顕彰看板に足を止めたりしながら、さらに、街道を進んでいきました。ちなみに、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だった相馬九方を訪ね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在した、とのことです。
関連記事:岸ぶら ぶらぶら岸和田なんやこれ?>2,013年1月20日 岸和田「八重の桜」ゆかりの地、吉田松陰の逗留地
そのあと、紀州街道の、岸和田市役所の北方にある「きしわだ自然資料館」の前を通ったのですが、資料館はあいにくの休館日で見学することができませんでした。岸和田城に入場するときに購入した「3館共通券」(大人700円)は、岸和田城・だんじり会館・自然資料館の3館がセットになっていたので、自然資料館に入れなかったのは、とても残念なことでした。
関連記事:きしわだ自然資料館
紀州街道をさらに東に進んで、正覚寺、西方寺、本昌寺、円教寺などの寺が立ち並ぶ路地を通りましたが、明智光秀の肖像画を所蔵していることで有名な本徳寺には、肖像画は公開されておらず見ることができないので、予定を変更して、立ち寄りませんでした。
関連記事:ウィキペディア>本徳寺(岸和田市)
寺町から南に進むとまもなく岸和田駅前通商店街の北側の入口に着き、商店街を前に進み、3時前に岸和田駅に戻り着きました。
貝塚駅まで足を延ばしてマンホールの写真を撮るという吉田と別れて、みなは帰路に着き、一部有志は梅田で反省会を行いました。

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今回の反省会は、杉本さんおすすめの梅田の「大衆酒場天神大ホール」で行いました。
恒例のこの反省会も、先週の粋遊会本会(JR大回り乗車)は「かき氷」8人参加に対し、「ラッキー」の飲み会は3名という状況で、今回も4名のみの参加でした。
ともあれ、一旦飲み始めると、「これが健康維持の大きな力だ」ということで、身の回りのいろんなことを大きな声で話し合い、楽しく笑って 1時間強を過ごしましたが、その内容はもう憶えていません!悪しからず…(9月25日香川) 関連記事:大衆酒場 天神大ホール
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■第109回 箕面山麓周遊散歩 その4(幹事:香川)
2024年8月27日(火)(台風10号接近のため、中止になりました)
■第108回(再) 交通の要衝の地 八尾を歩く(幹事:塩崎)
2024年6月25日(火)
[集合時間/場所] 8時45分/JR大阪駅中央改札口案内所付近
[行程] 8:58 JR大阪駅 → 9:14 新今宮駅 9:25 ―(大和路快速)→ 9:36 久宝寺駅 9:40 → 9:45 志紀駅 JR志紀駅 → 弓削神社 → 由義寺 → JR志紀駅 → JR八尾駅 → 旧植田家住宅 → 渋川神社 → 物部守屋大連墳 → 大聖勝軍寺 → 昼食 → 跡部神社 → 真観寺(三好長慶墓所) → 寺内町(許麻神社・顕証寺・ふれあい館) → 近鉄八尾駅 → 近鉄鶴橋駅(解散)
今日の山歩会は「八尾散策」。「八尾は交通の要衝の地であったため、古代には争乱、中世では寺内町としての発展、近世は木綿づくりの供給地など、歴史上重要な場所でした」(塩崎)とのこと。
8時半過ぎに吉田が集合場所に着くと、すでに塩崎、日野、金澤、大西、香川、伊藤、本間、稲葉、杉本、福嶋の10名が集まっていて、予定より少し早く、総勢11人で改札内に入り、環状線のホームに向かいました。8時51分発の関空快速に乗って、新今宮駅に9時8分に着き、9時15分発の各駅停車の大和路線に乗り、予定より10分ほど早く9時34分に志紀駅に着くことができました。
志紀駅から北東方向に向かい、5分ほど歩いたところで弓削神社に着きました。

弓削神社は、社名の通り古代氏族弓削一族の氏神です。弓削神社は志紀駅を挟んで東西に2社ありますが、こちらは東側のほうでした。弓削神社境内で塩崎さんから弓削神社の歴史や弓削道鏡と称徳天皇との関係などについてザっと説明を受けました。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>弓削神社(東弓削)
関連記事:ウィキペディア>弓削神社(八尾市)

「由義寺(ゆげでら)は、「続日本紀」に登場する奈良時代の寺院で、称徳天皇が、道鏡の出身地である弓削の地に建立。称徳天皇は、由義寺とともに由義宮の造営を進め、西京としたが、その死去により計画は中止されました。その後、由義寺と由義宮の場所はわからなくなっていましたが、2015年に始まった八尾市曙川南土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査において、一辺が約20メートルの基壇が発見され、その大きさや出土した瓦などから由義寺の塔基壇と判明した」(石碑の下部に記された説明文より)、とのことです。
関連記事:八尾市>八尾の紹介>八尾の歴史遺産>文化財情報>由義寺(ゆげでら)について
関連記事:八尾市>八尾の紹介>八尾の歴史遺産>文化財情報>道鏡、称徳天皇と由義宮(西京)について
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そのあと、志紀駅まで戻って電車に乗り、八尾駅で降り、駅のすぐ南東側にある渋川神社を右に見ながら旧植田家住宅の前まで行きました。
植田家住宅は火曜日が休館日なので、残念ながら中に入ることはできませんでしたので、渋川神社に向かいました。


関連記事:福祉と寺社とこころのブログ>大阪編>渋川神社は八尾のパワースポット!物部氏祖神の神聖なエネルギーとは?
渋川神社を出たあと、八尾駅近くに戻り、そこから南西方向に20分ほど歩き、太子堂交差点を渡って、国道25号線(旧奈良街道)を西に向かうと、歩道橋の南方に「鏑矢塚」がありました。

「用明二年(587)に厩戸皇子(うまやどのおおじ)(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子(そがのうまこ)らは、渋河の地で物部守屋(もののべのもりや)の軍勢と戦います。稲城(いなき)を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却しますが、四天王に祈願すると、迹見赤檮(とみのいらい)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと『日本書紀』に記されています。鏑矢塚は、迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと『大聖勝軍寺略縁起』(1455)は伝えています。鏑矢とは、先端が植物の「かぶら」のような形をしている矢のことです。」(八尾市教育委員会作成の説明板より)
関連記事:すてまわり>鏑矢塚 -八尾市南太子堂-
歩道橋を北に渡って西に向かうとすぐに大聖勝軍寺がありましたが、勝軍寺の前で100mほど東に戻って、物部守屋大連墳(もものべのもりやおおむらじ ふん)を訪ねました。

天皇の跡継ぎ問題を巡って蘇我馬子や厩戸皇子(聖徳太子)らと戦って破れ、射殺された物部守屋のお墓ですが、この墓の整備にあたっては全国の神社が協力を惜しまなかったようで、墓を取り囲む玉垣には住吉大社、枚岡神社、春日大社、伏見稲荷大社、諏訪大社、宗像大社などなど全国各地の有名神社の名を見ることができました。
(※ 香川さん注:昨年10月山歩会の「千里丘陵さんぽ」で訪ねた千里の氏神 上新田天神社の玉垣もありました(^.^))
関連記事;八尾市観光データベース>名勝・史跡>物部守屋墳
関連記事;諏訪大社と諏訪神社>各地神社のメニュー>物部守屋墓 大阪府八尾市
関連記事;note>物部守屋大連の墓(もののべもりや おおむらじ)
そのあと、大聖勝軍寺に戻り、境内に入りました。山門の左右の柱には、右に「太子堂」、左に「大聖勝軍寺」の門札が掲げられていました。
大聖勝軍寺は、聖徳太子が物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護によっていくさに勝つたので、この寺を建てたといいます。聖徳太子の墓のある太子町の叡福寺の「上の太子」、羽曳野市の野中寺の「中の太子」に対して、大聖勝軍寺は「下の太子」と呼ばれています。
本堂の太子堂の扉は普段は閉まっていて、中に入ることはできませんが、当日は、寺の奥さんのご厚意で扉を開けていただき、ご本尊と対面することができました。正面中央に菩薩半跏思惟像(伝 如意輪観音像)、両脇に四天王を従えていました。


関連記事:河内西国霊場会>第一番 大聖勝軍寺
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12時前になり、昼食の時間ですが、事前の下見で塩崎さんが寺の奥さんにお願いしていて、境内の一隅にある集会所で昼食をとることができました。室内にはお湯の入ったポットと緑茶のティーバックやカフェオレのスティック、それに菓子まで用意され、さすが、高野山真言宗に属し、河内西国第一番霊場でもある勝軍寺、「おせったい」の気持ちにあふれていました。

ゆっくりと食事をさせていただいたあと、勝軍寺を辞し、国道25号線を西に向かいました。歩行の途中でおなかが痛くなっていた杉本さんは、残念ながら、ここでみんなと別れて、帰路に着きました。
勝軍寺を出てから20分ばかり歩いたところで小学校の角を北に折れ、しばらく歩くと跡部神社がありました。

跡部神社について、大阪府神社名鑑には「当社は延喜式内の神社であるが、創建の年月および御祭神は詳らかでない。しかし此の地は古の跡部郷であり、阿刀連がその祖神を祀ったものであろうと伝えられている。」と記されている、とのことです。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>跡部神社
関連記事:吉野へようこそ>続・神々の座す杜>式内社 跡部神社(路部神社)
跡部神社から北に少し歩いて、さらに西に向かうと5分ほどで真観寺に着きました。

真観寺境内には、三好長慶の墓がありました。三好長慶は戦国時代の武将で、河内・四条畷の飯盛山に築いた飯盛城を本拠に、その絶頂期の勢力は山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9か国に及んだといいます。
関連記事:八尾市観光データベース>真観寺
関連記事:大阪再発見!>史跡めぐり>名所・旧跡を訪ねて>三好長慶の墓
関連記事:ウィキペディア>三好長慶
真観寺を出たあと、今度は、JR久宝寺駅の北側一帯に広がる「久宝寺寺内町」を目指します。
近畿道の東側をシャープ八尾の建物を右手に見ながら北に向かって10分ほど歩き、さらにJR線の南側を東に向かって15分ほど歩くと久宝寺駅に着きました。
その久宝寺駅にかかる跨線橋を渡って駅の北側に抜け、北に向かって10分ほど歩くと、やっと久宝寺寺内町の南西角に位置する許麻神社(こまじんじゃ)にたどり着くことができました。この地は古くは高麗からの渡来民族が多く住み、祖霊として祭祀したのが許麻神社の社名の由来だそうです。
関連記事:八尾で暮らそう!>お寺・神社>静かな境内で過ごす癒しのひと時!久宝寺の 「許麻(こま)神社」

許麻神社の南の鳥居をくぐって境内に入ると、6月30日に行われる夏越の祓に備えて茅の輪が設置されていました。
東の鳥居をくぐって許麻神社を出ると正面に顕証寺があり、顕証寺の西側、さらに北側を5分ほどかけてグルっと回って東側の正面山門から顕証寺の境内に入りました。

顕証寺は、15世紀に本願寺蓮如上人によって西証寺として建立された寺内町の中核的寺院。久宝寺御坊とも呼ばれる巨大で立派なお寺です。
関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>顕証寺(けんしょうじ)
本堂をバックに記念の写真をとりました。

顕証寺を出たあと、安井道頓にまつわる碑があるという「寺内町ふれあい館(八尾市まちなみセンター)」を探し、地元の人に尋ねて、元来た道を少しばかり戻り、無事、ふれあい館を訪ね当て、「贈従五位 安井道頓・道卜 出生地」と書かれた石碑に巡り合うことができました。

道頓の碑の前でたむろしていると、ふれあい館の職員の方がリーフレット「久宝寺寺内町案内版」を持ってきてくださり、塩崎さんと安井道頓についてや、地内町や八尾の古い歴史について熱心に話し合っていました。ふれあい館の中の集会所では地元女性たちによる三味線のお稽古中で、夏祭りの準備か、華やかな音色が響いていました。
関連記事:河内彷徨 〜郷土を見にいく〜 >石碑>安井道頓出生地
関連記事:ウィキペディア>安成道頓
ふれあい館を出ると、あとは近鉄八尾駅を目指して、30分ほど、東に向って歩くばかりです。

途中、ふれあい館から5分ばかり歩いたところに、ふれあい館の職員の方から勧められた創業150年の老舗和菓子店「帯喜多」があったので店内に入り、名物の「あんまき」を食べたり、お土産に買ったりしました。
関連記事:ぎゃるまま日記/ギャルママ日記(関西グルメ情報&おでかけ情報)>グルメ>大阪府八尾市>あん巻きが美味しい!和菓子屋さん 帯喜太(おびきた)大阪府八尾市久宝寺

関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>久宝寺寺内町について>史跡>寺井戸


寺内町の通りなどには、糸車で糸を紡ぐ姉さんかぶりの女性を描いたカラーのデザインマンホールがたくさん敷設されていました。また、近鉄八尾駅やJR八尾駅前には大阪・関西万博のデザインマンホールが設置されていました。
3時過ぎに近鉄八尾駅に着きました。当初の予定では近鉄鶴橋駅で途中下車して反省会をすることになっていたのですが、なぜか「行きたい」と手を挙げる人が誰もいなくて、なんと、反省会は不成立。皆さん、相当のお疲れだったのでしょう。かく言う吉田も、予定では八尾駅で皆と別れて旧八尾街道をたどってJR加美駅まで1時間ほど歩いてマンホールの写真を撮るつもりでしたが、お天気が曇空だったことと、腰に痛みが出たこともあり、珍しく皆と一緒に帰路に着きました。
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■第108回 姫物語を追いながら猪飼野を歩く(大阪市) (幹事:本間)
2024年5月28日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第107回(再) いにしえの風景が残る京田辺を歩く(京田辺市) (幹事:伊藤)
2024年4月23日(火)
[集合時間/場所] 9時20分/JR大阪駅中央コンコース改札前付近
[行程] 9時46分 JR学研都市線・北新地駅発 ―(東西線区間快速木津行・49分) → 10時35分 京田辺駅着 → 10時40分 駅前発 ―(20分)→ お食事処「やまぼうし」(昼食・11時00〜11時55分)→ 12時発 → 12時10分 田辺公園着(公園散策、健康遊具で体ほぐし・45分)→ 13時 公園発 → 13時20分 酒屋神社着 ―(40分)→ 14時 観音寺着(観音寺拝観30分・日程があえば住職よりの説法有り) → 14時30分 観音寺発 → 14時40分 普賢寺ふれあいの駅着(野菜直売所・お土産等買い物) 15時発 ―(同志社校舎沿い)→ 15時40分 JR同志社前駅着 → 15時43分 JR同志社前発 ―(学研都市線快速宝塚行・46分)→16時29分 JR北新地駅着(16時30分頃解散予定)(全長約7.5Km)
9時20分にJR大阪駅中央改札口前に集合。9時前には伊藤、香川、金澤、日野、大西、本間、稲葉、吉田が集まり、そのあと塩崎、そして最後に福嶋が姿を現わし、今日の参加者は総勢10人。
地下街を南に歩いて、JR学研都市線北新地駅に着き、予定通りの9時46分発の区間快速に乗り、10時35分に京田辺駅に着きました。

(写真:伊藤)

明け方まで降っていた雨もやんでいて、予報では夕方から再び降り出すという雨が解散時までなんとかもってほしいと願いならが、歩行を開始しました。京田辺を歩くのは、昨年3月に伊藤さん幹事の粋遊会本会で一休寺などを訪ねたのに続いて2回目になります。
駅の西出口前から西に向かい、住宅地のなかを10数分歩いたところに尼ケ池というため池があり、その土手道を通って池の南側で土手を右に下りると樹々に囲まれた建物があり、そこが今日の昼食をとるお店「やまぼうし」でした。

(写真:伊藤)

オムライスは、文字通り、ふわふわトロトロ。薄味の上品な味でした。
オムライスを食べたあと、壁一面のガラス窓越しに北側に広がる池を眺めながら、食後のコーヒーをゆっくり飲みました。
(写真:伊藤)
お昼前になり、店内が次第に混むようになってきたので、11時45分に店を出て、店の入口前で記念の写真を撮りました。

店の入口前に立っているのが、店名の由来の「やまぼうし」。苗から育てて40年の年代ものの木だそうです。
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今年度、「いにしえの風景が残る京田辺をあるくコース」第2弾を「山歩会」幹事として企画した際、会の参加人数も10名程度と少人数となったこともあり、再度お店を訪ね、「何とか食事をさせていただきたい」とお願いしたところ、オーナーの方より、今回承諾をいただけものです!
【一口紹介メモ】 やまぼうし(京都府京田辺市田辺尼ケ池1−1。電話0774−62−5090)
店内の大きな窓から、穏やかな尼ケ池の水面を眺めて過ごす時間がとても贅沢♪〜「ふわっとろのオムライス」が女性客を中心に大人気!(駐車場は県内外ナンバーの車で常にいっぱいです!)
営業時間:火曜日〜金曜日 11:00〜15:30、土曜日 11:00〜16:00(定休日:日・月曜日) (伊藤)
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関連記事:山城地域の情報サイト>グルメ>ふわとろオムライスでしあわせ〜!田辺公園の近くの「やまぼうし」で楽しいランチタイム!【京田辺市】
11時45分に店を出て、京都府道22号八幡木津線沿いに南東方向に5分ほど歩くと、左手に健康広場のある田辺公園があり、そこに入って食後のくつろぎタイムをとりました。
園内の休憩場所で、金澤さんが用意したトランプを引いて、来年度の幹事の担当月を決めました。
園内には竹ノ脇池というため池があり、池に浮かぶ四阿でしばし時を過ごしました。池には大きな鯉がたくさん泳いでいました。

健康広場には市民の誰もが気軽に楽しんで健康づくりができるようにと20基の健康遊具があり、隣にはスケートボードが自由にできるスケートパークもありました。
公園でゆっくり時間を過ごしたあと、12時半過ぎに公園を出て、府道22号をさらに南下しました。
15分ほど歩いたところで府道を西に渡り、西に5分ほど歩いて酒屋神社にお参りしました。


関連記事:神社巡遊録>神社巡り>都道府県別>1.京都府>酒屋神社(京都府京田辺市興戸宮ノ前)
(写真:伊藤)




観音寺はちょうど御開帳中で、ご住職によるお寺の由緒などの説明のあと、厨子の扉が開けられ、等身大の国宝・十一面観音像を間近に拝むことができました。

関連記事:雑文・ザンスのブログ>国宝(建物以外)>観音寺(京田辺市)の十一面観音立像をみてきた
関連記事:たびこふれ>近畿>滋賀>【12年に一度のご対面】国宝十一面観音(近畿)
(写真:伊藤)
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良弁の弟子で、東大寺の二月堂の「お水取り」の創始者である実忠和尚を第一世としています。平安時代から鎌倉時代にかけて度々焼失を繰り返しましたが、藤原氏の氏寺の興福寺とも関係が深かったこともあり、その都度再建されました。
しかし、1437年の焼失後は、かつての寺勢を回復するに至らず、本堂の「十一面観世音菩薩」をお祀りするお堂だけが建て直されました。このことから「大御堂観音寺」と呼ばれるようになり、現在に至っています。(南山城六山の一つです)
ご本尊の「十一面観音立像」は、木芯乾漆造りで彫刻されており、天平文化の栄華を今に伝える柔和な表情が特徴で、国宝に指定されています。
春には参道の桜並木と一面に広がる菜の花畑が、秋には紅葉が訪れる人を楽しませてくれます。
※千年以上にもわたり、無病息災、災難除け、心願成就の信仰を集めています。 (伊藤)
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お寺でいろいろとお話をお聞きしたあと、2時過ぎに本堂前で記念の写真を撮りました。
そのあと、普賢寺川にかかる観音寺橋を南に渡って西に5分ほど歩いて普賢寺農産物直売所「普賢寺 ふれあいの駅」を訪ねました。
商品はあまり多くはありませんでしたが、時節柄、朝掘りたけのこがたくさん並べられていました。
関連記事:普賢寺 ふれあいの駅
20分ほど直売所でぶらぶらしたあと、JR同志社前駅に向かう帰路に着き、観音寺橋を北に渡り、「水辺の散策路 普賢寺川 同志社ルート」と名付けられた普賢寺川北側の畑中の川沿い道を東に歩いていきました。


道端の畑にレンゲが満開でした。
20分ほど歩いたところで府道22号線(山手幹線)に出たので、左に曲がり、同志社大学を左手に見ながら北に向かい、ゆるやかな坂道を10分ほど歩いたところで右に折れ、10分ほど坂を下っていくと同志社前駅に無事、到着しました。
心配された雨に降られることもなく、道中、道路わきの畑の上をつばめが舞ったりもして、初夏とも見まごう陽気のなか、木々の新緑に彩られたひなびた郊外散歩を存分に楽しむことができました。
JRで北新地駅まで戻り、大阪梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの店「中華料理 金明飯店」に行き、反省会で大いに盛り上がりました。
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食事後の田辺公園で入念にストレッチ。そのおかげか、何とか時折痛くなる足を引きずりつつ、二万歩近い行程を踏破できたのは幸いでした。
食事場所を始め、幹事さんの入念な行程計画には敬服しました。また、国宝の十一面観音の柔和な眼差しに心癒され、思い出深い初参加の一日となり、感謝しています。
それにしても、皆さんの健脚には、驚きました。今後もよろしくお願いします。(福島成二)
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また、本来、山歩会は、お弁当持参が原則だと思っていますが、昨年の「粋遊会」の下見時にお伺いした食事処の「やまぼうし」さんの、ふわっとろオムライスがおいしかったので、この味を皆様にもご紹介したいと思いました。そこで、お店に予約のお願いをしたのですが、「大人数様のご予約はお受けできません」との返答をいただき、諦めざるを得ませんでした。今回は、参加人数が山歩会で少人数になったことから、下見時に再度チャレンジして交渉し、2年越しでお店のオーナーさんから何とかご承諾をいただき、食事処が確保でき良かったと思っています。
また、大御堂観音寺のご住職にも下見時お会いして、「山歩会」の開催当日「時間が合えば、お話等をお聞かせいただきたい」とお願いしていたところ、それも叶いました。
やはり、事前の下見は大切だと、つくづく思います。
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関連記事:京田辺市観光パンフレット(デジタルパンフレット)
■第107回 河津桜の淀城跡と 枝垂れ梅の鳥羽離宮跡を訪ねて(京都市) (幹事:大西)
2024年3月26日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第106回 大阪七福神ウォーク(大阪市) (幹事:金澤)
2024年2月27日(火)
[集合時間/場所] 10時30分/JR玉造駅・改札口前
[行程] 玉造駅⇒三光神社(寿老人)⇒長久寺(福禄寿)⇒高津公園(昼食)⇒法案寺(弁財天)⇒大乗坊(毘沙門天)⇒大国主神社(大黒天)⇒今宮戎(恵比寿天)⇒四天王寺・布袋堂(布袋尊)
2024年最初の山歩会は大阪七福神巡り。幹事の金澤さんが「2024年1年間の健康と招福開運を祈願して」企画されました。
集合はJR環状線玉造駅北改札口に10時半。10時10分過ぎに金澤、吉田、大西、日野、香川、伊藤が改札口に順次姿を現わし、続いて塩崎、本間、稲葉、杉本も到着。最後に今日が初参加の大石さんが10時25分に姿を見せて、本日の参加者は総勢11人となりました。なお、同じく本日初参加を表明していた福嶋さんは、急用ができて、残念ながら、急遽、欠席となりました。
西に向かって10分ほど歩いたところで、一つめの社寺・三光神社に到着。

階段を上がると本殿があり、本殿にお参りしたあと、長寿と幸福の神・寿老神像を挟んで写真に納まりました。


寿老神の腕に触って長寿を願う杉本さん(写真撮影:伊藤さん)

関連記事:三光神社境内に立っていた「大阪七福神めぐり」の絵看板(写真撮影:伊藤さん)
三光神社で大坂城に通じると言われる「真田の抜け穴」を覗いたり、真田幸村の銅像を眺めたりしたあと、神社を出て、少しだけ南に下り、そのあと、再び西に向かって10分ほど歩いて、餌差町交差点の北西角にある円珠庵を訪ねました。
七福神関連の社寺ではありませんが、せっかく大阪の古い町並みを歩くのだからコース周辺にある隠れた名所旧跡も訪ねてみたいという金澤さんが下見時に見つけた「おまけ」の一つです。
円珠庵は江戸時代初期の和学者 契沖が晩年に隠棲した庵ですが、境内にある鎌八幡は、境内の榎に鎌を打ち込めば願いが叶うという伝えがあり、太い幹に鎌がビッシリ打ち付けられている様は異様な光景でした。
関連記事:地元密着メディア みんなのじもと>大阪府>大阪市天王寺区>天王寺のパワースポット鎌八幡(円珠庵)で鎌を打ち縁切り&縁結び
そこから10分ほど歩いて上本町4丁目交差点を越えたところで、道路沿いの阪急オアシスに立ち寄ってトイレをお借りしました。今日の行程途中には公衆トイレがあまりなく、金澤さんが下見時に苦労して見つけたのがこの阪急オアシスでした。
そこからさらに西に5分ほど歩いた谷町7丁目交差点を越えたところに二つめの社寺・長久寺があるのですが、その前に、交差点の手前で南に折れて少し行き、ガソリンスタンド脇の細い路地の奥にある近松門左衛門の墓を訪ねました。
関連記事:大阪市>くらし>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習>歴史の散歩道>上町台地北コース>54.近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)墓
関連記事:日本経済新聞>コラム(地域)>近松門左衛門の墓 本物どれ?

中は狭いので、一度に5人しか入れないとのことで、2班に分かれて入り、福徳・長寿の神・福禄寿を拝みました。
長久寺を出て、西に向かい、最初の角を左に折れるとお寺が立ち並ぶ一帯で、そこを5分ほど南に歩いたところで右に曲がると、左手に梅林がありました。
そこは高津宮に隣接する高津公園の北東側の入口で、「花の公園」と書かれた石柱が立っていて、看板には「ここは、区を代表する花の名所です」とあり、古城、南高梅、甲州小梅など9品種・約180本の梅の木が植えられているとのことでした。
関連記事:日本1000公園>1837/1000 高津公園(大阪市中央区)
まだ12時前でしたが、他に昼食をとれる場所はないとのことで、ここで昼食をとることになりました。


梅の花は、早咲きのものは咲き終わっていたものの、多くはちょうど見頃で、白や濃い紅色やピンクの色を競っていました。

昼食後、暖かな日差しの中でしばし談笑。(写真:伊藤さん)
今日が初参加の大石さんは、弁当は各自持参ではなく、休憩地で販売されている弁当をみんなで購入するのだろうと思って、家から弁当を持参しておらず、しかたなくスマホで近くにある飲食店を探し、お好み焼きの店で食事をとったとのことでした。
梅を楽しみながらゆっくりと昼食をとったあと、三つめの社寺・法案寺を目指しましたが、その前に、せっかくだからと高津宮にも立ち寄ることにしました。

高津宮は、古典落語「高津の富」や「崇徳院」の舞台として知られ、境内にはある「高津の富亭」では落語会やイベントが今も行われています。境内には、「高津の富亭」に欠かさず出演していた故・五代目桂文枝を顕彰する碑も建っていました。
高津宮を西に出て、松屋町筋をまたぎ、阪神高速1号環状線の高架下をくぐったあと右に曲がり、道頓堀川にかかる下大和橋を渡りました。橋の北詰にある顕彰碑によると、下大和橋は正徳5年(1715)に初演された近松門左衛門の『生玉心中』の中で「大和橋出見世の場」の一場面になっているとのことです。
関連記事:ぐるりん関西>下大和橋の碑
下大和橋を渡ったあと西に向かって2分ほど歩くと右手に三つ目の社寺・法案寺がありました。


法案寺を出たあと、四つめの社寺・大乗坊を目指しますが、途中に公衆トイレがなく、代わりに金澤さんが苦労して見つけたのが「DOTON PLAZA」でした。

関連記事:超高層ビル写真サイト OSAKAビル景>大阪市 DOTON PLAZA
DOTON PLAZAを出たあと、今度は南に向かい、日本橋北詰交差点、日本橋1丁目交差点を過ぎると左手に黒門市場が広がっています。
現役時代、日本橋に会社があったという大西さんは「このあたりは自分の庭みたいなもの」と昔を懐かしんでいました。
さらに南に歩いて日本橋1丁目交差点を右に曲がって西に向かい、すぐに左に曲がって少し行ったところに四つめの社寺・大乗坊がありました。

毘沙門天は金運・開運などの神ですが、日本の四大毘沙門天王像の一つである大乗坊の本尊・毘沙門天王立像は秘仏で、5月と11月の第2日曜日の年に2回のみ御開帳される、とのこと。残念ながら今回はお姿を拝見することはできませんでした。
そのあと、さらに南に下ると、道の両側にメイドカフェなどが立ち並ぶ一帯に。地下鉄堺筋線日本橋駅から恵美須町駅までの間の堺筋線(府道102号線)周辺の電気街「でんでんタウン」と、1本西側の通り「オタロード」は、東京の秋葉原と並ぶ、アニメやマンガなどポップカルチャーの聖地として賑わい、アニメグッズ、プラモデルなどの専門店やメイドカフェが建ち並んでいました。
関連記事:日本橋筋商店街振興組合/でんでんタウン/オタロード(日本橋筋西通商店会)
関連記事:OSAKA INFO>大阪まるわかり>日本橋オタロード
オタロードを通り抜けて、日本橋4丁目と5丁目の境目で西に向かい、南海電車の高架下、さらに阪神高速1号環状線の高架をくぐり、元町3丁目交差点を左に曲がって南に5分ほど歩いたところで右側に五つめの社寺・大国主神社の石の鳥居が見えてきました。

大国主は豊作の神、五穀豊穣や出世開運、縁結びなどのご利益がある、とのことです。

左が大国主神社の拝殿。右は敷津松之宮の拝殿。もともとこの地には敷津松之宮が先に建っていて、大国主神社は摂社としてあとから建てられたという経緯もあって、敷津松之宮のほうが立派なので、こちらが大国主神社と勘違いする人も多く、間違わないようにか、それぞれ「大黒様」、「氏神様」の張り紙がされていました(写真:伊藤さん)
関連記事:ウィキペディア>敷津松之宮
関連記事:いにしえの都 にっぽんの神社・パワースポット巡礼>神社紹介(ご利益別)>仕事・出世>敷津松之宮・大国主神社|大阪|神仏習合の極致。大国町に鎮座する古社で、大国さんについて考える。
境内には、徳川時代に木津川の開削などにより大阪の発展に寄与した木津勘助の銅像が建てられていました。
残すところあと二社寺です。
大国主神社を出て南に下り、大国交差点を左に曲がって東に向かい、南海高野線の高架をくぐると左手に六つめの社寺・今宮戎神社の広い境内が広がっていました。

関連記事:otent 大阪・和歌山のおでかけ情報は「いっぱいおでかけotent」>沿線トピック>今宮戎神社は商売繁盛の味方!十日戎や御朱印など知っておきたい情報まとめ
最後の七つめの社寺・四天王寺・布袋堂まではさらに20分ほど歩かないといけないので、それが無理な人はここでリタイアすると南海高野線の今宮戎駅がすぐ近くにあるということで、どうするか、みんなの意見を聞きました。
そろそろ限界という声も聞かれましたが、まだ2時前だったこともあり、最終的に全員が最後まで行くことになりました。

(写真:伊藤さん)
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恵美須交差点からさらに東に向かい、5分ほどで阪神高速の高架をくぐり、右手に天王寺動物園や一心寺を見ながらさらに10分ほど進むと四天王寺の大鳥居が目の前に姿を現わし、奥には朱塗りの西大門(極楽門)や五重塔の姿を見ることもできました。

布袋堂は西大門の手前の右側にひっそりとたたずんでいました。

布袋堂に祀られている「乳布袋尊」にお参りをしたあと、布袋堂の前に立つ「ちち布袋尊」の石碑を囲んで「七福神巡り満願成就達成」記念の写真をとりました。
関連記事:大阪観光usjガイド>四天王寺の乳布袋尊
そのあと、せっかくだからと西大門をくぐって四天王寺境内をぶらぶら散歩。ついでにお手洗いをお借りしたあと、元来た道に戻って四天王寺を出て、四天王寺前交差点を右に曲がって北に向かい、10分ほどで大阪メトロ谷町線四天王寺夕陽丘駅に着き、今日の歩行は終了。
途中、時折、強い風にも吹かれ、日陰ではかなり寒い思いもしましたが、日の当たるところでは心地よく町歩きを楽しむことができました。
玉造駅を出てから、昼食時間を入れて4時間あまり、8.5kmほどの歩行、お疲れさまでした。
地下鉄で東梅田駅まで行き、改札口で解散。今日が満80歳の誕生日で、それを祝って息子さん夫婦が準備した食事会に参加する日野さんと、所用で帰りを急ぐ本間・稲葉・吉田を除く7人は梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの中華料理店で反省会を行い、今日の一日を締めくくりました。

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コースは一年の健康と開運を祈願して七福神巡り。寿老人の三光神社からスタート。幸村像や真田の抜穴など、大坂の陣に思いがはせる。
その後幹事さんの先導で、次々と神々を巡る。街も巡る。神富貴長寿あり、福徳開運あり、知恵財宝あり通天閣あり…幸せのてんこ盛り。
一度にすべての御利益にあやかろうとは古人もずいぶん欲深い。だが、みなと一日おしゃべりをしながら巡る旅、本当の御利益は、そんな時間を通して繋がる人と人との関係なのだとはたと気が付く。最後の〆は四天王寺、笑門福来!
こちらのミスで弁当を忘れ、高津の梅林で昼食を食べそこねたのはご愛嬌。大阪環状線のほぼ南東四半分を巡る、大変変化に富んだ濃密な旅でした。感謝(大石 淳)
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実は4年前の2020年1月にも幹事となり、今回と同じものを計画しました。その時の下見では、日本橋のショッピングセンターに続々と中国人観光客を乗せた大型バスが入るのを見て、大阪の経済はさぞや発展するだろうと思いました。
しかし、直後に大阪でも初めてコロナ患者が発生したとのニュースが流れ、状況が一変。行動が制限され、もちろん「七福神巡り」も中止しました。それからまさか4年近くもマスク姿が常態化するとは想像もできませんでした。
そんな中、今回も年初の幹事役となり、再チャレンジの思いで「七福神巡り」を企画しました。
繁華街で道が分かりにくいのと、今回は特に全員トイレが近くなっていて、しかし街中はトイレが少ない。マーフィーの法則?「外出先で必要なときに限ってなかなか見つからない。」が心配で、トイレ確認の下見をしました。
前夜、天気予報は晴れるものの強風が吹き荒れる予想で、相当に寒そう。屋外の高津公園での昼食が心配になり、寒くてメンバーが気の毒と思い、急遽ポケットカイロを配ろうと決め準備しました。
さて、当日。家を出るときは寒かったものの、集合場所の玉造駅では陽が出て、心配した風も思ったほどではなく、ウォーキングにはちょうどいい。ラッキー!(なにせ天気も幹事の責任なのだ!?)
昼食の高津公園も日差しで暖かく、ちょうど梅が満開で、ニコニコと我々を歓迎してくれました。
10時半にスタートして、七福神を巡り、最後の四天王寺・布袋堂に2時半に到着。布袋尊に全員完歩の感謝を捧げ、全員の健康をお祈りして「大阪七福神巡り」を終了しました。
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資料:七福神信仰&大阪七福神(金澤さん作成)
関連記事:大阪七福神 地図(大阪七福神 社寺会事務局作成)
関連記事:住吉大社・御朱印>「大阪七福神巡り」で厄除・開運祈願!おすすめルートや御朱印帳(色紙・絵馬)もご紹介!>
■とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
●2023(R5)年(12月:箕面山麓散歩、11月:京都・大文字山に登る、10月:千里丘陵さんぽ 千里3大公園と野外彫刻、9月:遊女塚から五色台古墳、7月:琵琶湖疏水ハイキング、6月:長岡京・花の寺 柳谷観音 楊谷寺あじさい鑑賞&西山古道ハイキング、5月:長岡京市を歩く、4月:住吉大社周遊&長居植物園散策、3月:平家の夢の跡〜街中巡り、2月:三好山(芥川山城跡)〜摂津峡ハイキング)
●2022年(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
●2021年(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地、6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
●2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
●2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
●2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
●2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
●2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
●2015年(12月:琵琶湖疏水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
●2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
●2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
●2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
●2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)
男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
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●男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定
●これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
●2018(H30)年〜
●2017(H29)年
●2016(H28)年 ●2015(H27)年
●2014(H26)年 ●2013(H25)年
●2012(H24)年 ●2011(H23)年
●2010(H22)年 ●2009(H21)年
●2008(H20)年 ●2007(H19)年
●2006(H18)年 ●2005(H17)年
●2004(H16)年 ●2003(H15)年
●2002(H14)年 ●2001(H13)年
●2000(H12)年 ●1999(H11)年
●〜1998(H10)年
●第3次男女共同参画基本計画
(2010年12月17日閣議決定)
●男性問題を考える上での諸概念
*「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
*男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景 *充実した人生のために必要なもの
●「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)
●男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
*「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
*「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
*「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
*「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)
●関連記事
*はいじ:男性向け講座(2008.2)
●団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
*団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
*(城陽市)おとこのわいわい日曜塾
●男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
E-mail:ptokei04@s5.dion.ne.jp
TEL/FAX:06-4980-1128
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