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 震災・防災/阪神・淡路大震災

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震災・防災/阪神・淡路大震災 トピックス

阪神・淡路大震災 災害ボランティア リンク集
被災地NGO協働センター(神戸市兵庫区)/東日本大震災 救援レポート


「市民の自立が復興の鍵 神戸っまちづくり研究所事務局長 野崎隆一さん(71)」(朝日新聞2015年1月8日「阪神大震災20年 震災バネ 関学大連続講義から」)
「行政施策の隙間埋める 被災地NGO協働センター代表 村井雅清さん(64)」(朝日新聞2014年12月27日「阪神大震災20年 震災バネ 関学大連続講義から」)
「住民自治学んだ避難所 尼崎市長 稲村和美さん(42)」(朝日新聞2014年12月17日「阪神大震災20年 震災バネ 関学大連続講義から」)

天野勢津子作・絵『兵庫と東北 つながってんねん 兵庫県立男女共同参画センター・イーブン(2015年3月発行)

相川美和子・増澤康男『【阪神・淡路大震災】復興住宅単身高齢者へのききとり ―それでも未来(まえ)へ―』報光社(2013年6月発行)

仮設きずな新聞/ピースポートセンター いしのまき

ドキュメンタリー「フクシマからみやざきへ」 From Fukushima To Miyazai 1/2
「infinity-m」のメーリングリストで、津田正夫さんから、「宮崎市の職員、サシャ・クリンガーさんから、宮崎へ避難している人たちのアピールビデオがとどきました。ごらんください。」というメッセージが送られてきました。
サシャ・クリンガーさんの「「フクシマからみやざきへ」という避難者についてのドキュメンタリーは、最近 Youtubeにアップロードしたので、良ければ是非ご覧下さい。良ければ、拡散をして下さい。」というメッセージも添えられていました。
ぜひ、ご覧ください。(2013年2月16日)
ドキュメンタリー「フクシマからみやざきへ」 From Fukushima To Miyazai 1/2(制作:gokiburihoihoi/19分43秒/2013年1月29日公開)

震災・防災/阪神・淡路大震災 これまでのトピックス
2016(H28)年〜  2015(H27)年
2014(H26)年  2013(H25)年  2012(H24)年  〜2011(H23)年

阪神・淡路大震災(「屋台村通信」創刊号(09.5)あとがき & 第2号(95.7)まえがき)

(1995年)1月17日、淡路・阪神地方を襲った震度7の激震は、「都市」というものの脆さをイヤというほど見せつけました。瞬時にして電気、水道、ガスは止まり、通信は麻痺し、道路や鉄道も随所で分断し、道路に車はあふれて、救命や消火の活動を困難にしました。死者5,500人、倒壊及び焼失家屋18万棟、避難生活者32万人。地震が起きたのがあと1〜2時間後ろにずれていたら、死者の数は5倍にも10倍にもなっていたのではないかと言われています。

それにしても、死者の半数以上が60歳以上の高齢者でした。そして、その多くが、戦後間もなくに建てられた安普請の木造2階建ての文化住宅の倒壊によって押しつぶされたといいます。高度成長期からバブル期までを通して、土地や家賃は高騰する一方で、つましい生活をする人たちは、そのような安アパートで暮らし続けるしかありませんでした。そういう意味では、この国の土地政策・住宅政策の貧しさ、そして、総与党体制のなかで住民の声が聞こえなくなった神戸市株式会社によって、この人たちは殺されたと言えるのではないでしょうか。

また、倒壊した高速道路が、今回の大地震を象徴する映像として何度も何度もくりかえしテレビに映し出されましたが、その倒壊した部分は、70年万博に合わせて突貫工事で作られたところだといいます。そして、その倒壊した高架は、地震後数日のうちに跡形もなく削りとられてしまいましたが、それは、それらの道路をつくった大手建設会社が、倒壊原因を知られないために証拠隠滅を図ったのではないかとも言われています。

ちょうど1年前、ロサンジェルス地震であちらの高速道路が落下した時、日本の政府関係者や大手建設会社関係者は「日本は絶対大丈夫」と胸を張ったといいます。ならば、なおのこと、調査をして倒壊原因がはっきり分かるまでは、証拠として残しておくべきものではなかったでしょうか。それに、その時点では、まだ周辺の倒壊家屋の下に生存者がいた可能性があったのです。そういう意味では、大手建設会社と行政は、助かる命を見殺しにしてまで隠蔽工作を急いだと言われても仕方がありません。それを、さも復興の象徴のように報じたテレビや新聞などのマスコミもまた同罪ではないでしょうか。

欧米では、大災害時には、最初の3日間は、何をおいても人命救助を最優先し、そののちに生活の救援、しかるのちに、街の復興という、@救命A救援B復興という順序が徹底されているといいます。今回の震災から、最低限このことだけでもきちんと学ばなければ、死者は浮かばれないのではないでしょうか。                   (1995年5月1日、「屋台村通信」創刊号あとがき)


神戸では、(1995年)6月末に阪神本線が全線開通した。これで阪神間を並行して走っているJR、阪急、阪神の3線がすべてつながったことになり、都市機能は徐々に回復しているかに見える。

だが、今もまだ2万人近くの人たちが避難所生活を余儀なくされていることからもうかがえるように、人々の暮らしの先行きに関しての見通しはまだまだ厳しい。

神戸市は、仮設住宅の最終募集によって7月末での避難所閉鎖の方針を打ち出しているが、その仮設住宅で何人もの高齢者や単身者が事故死したり、自殺したりしている。

もともとこの震災は、市民の安全や老人福祉に手を抜いてきた行政にその責任が大きいと言われている。神戸市が、高齢者や障害者をはじめとする社会的弱者を含むすべての人たちにとって、安全で安心して住めるまちになるかどうかは、まだまだこれから先の課題である。

岩波新書から『神戸発・阪神大震災以後』(酒井道雄編)という本が出た。この震災の中で人々はどう立ち働き、そして行政は何をし何をしなかったかが、つぶさに報告されている。あわせて、今後のまちづくりにどのような視点が必要なのかを知ることもできる。ご一読をお薦めします。
                               (1995年7月1日、「屋台村通信」第2号まえがき)


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2016年(H28)〜
2015年(H27) 2014年(H26)
2013年(H25) 2012年(H24) 〜2011年(H23)

阪神・淡路大震災(1995年5月1日、「屋台村通信」創刊号、7月1日「屋台村通信」第2号)

これまでに行ってきた震災・防災/阪神・淡路大震災関連講座

「阪神・淡路大震災記録写真集―神戸市灘区水道筋95年1月17日」(8.70MB)

阪神・淡路大震災をめぐる吉田清彦論稿集
「次はあなたの街かもしれない−兵庫県南部地震報告」(1995.1.20)
「懐中電灯とラジオ 各部屋に常備を 吉田清彦さん地震体験記 ガスの元栓まず締めて 保存食の必要性を痛感」(「京都新聞」1995年1月24日)
「もっと多くの命が救えたのでは =「被災者」側からみた震災報道=」(1995.2.3)(「月刊マスコミ市民」316(1995年3月))(6.32MB)
「月刊マスコミ市民」316(1995年3月)表紙&目次(1.97MB)
「もっと多くの人を救えたかもしれない―「被災者」側から見た震災報道」(1995.2.3)(「屋台村通信」創刊号 95.5)(8.38MB)
「震災の街から」
「仮設の“孤独死”と家族幻想」(1997.5)
「仮設の“孤独死”と家族幻想」(ドーンセンター情報誌「DAWN(ドーン)」11 1997.6)(1.78MB)
「孤独死と「家族幻想」」(「神戸新聞」1997年12月26日)

「阪神大震災ボランティアノート わたしの見た「ちびくろ救援ぐるうぷ」」(南野容子)(1995.7.3)(「屋台村通信」第3号 95.8)(4.81MB)

関連記事:「一人暮らしの防災対策…備蓄・隣人の支援で明暗」(「読売新聞」2010年1月16日)
関連記事:神戸大学附属図書館/震災文庫収集資料リスト/分類:6 市民生活
関連記事:神戸大学附属図書館/震災文庫収集資料リスト/新着/1999/08/01−31


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