すいゆう山歩会(さんぽかい)の記録M(2024年)■
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すいゆう山歩会(さんぽかい)(とよなか粋遊会 ハイキンググループ)の記録M(2024年)
(12月:保津峡から嵐山へ、10月:「山の辺の道ウォーク」<桜井から柳本まで>、9月:だんじり祭りの町・岸和田城下散歩、6月:交通の要衝の地 八尾を歩く、4月:いにしえの風景が残る京田辺を歩く、2月:大阪七福神ウォーク
■第111回(再) 保津峡から嵐山へ(保津川下り?)(京都市)(幹事:杉本)
2024年12月24日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅・中央改札口前
[往路] JR大阪駅発 9:16(8番線/京都線新快速) → 京都駅着 9:45 → 京都駅発 9:57(33番線/嵯峨野線亀岡行) → 保津峡駅着 10:18
[行程] JR保津峡駅 −(トロッコ保津峡駅)→ 落合 →(清滝川)→ 清滝橋 → 渡猿橋 → 清滝バス停 → 清滝トンネル → 鳥居本−(化野念仏寺)→(常寂光寺)−(野宮神社)→ 渡月橋 → 阪急嵐山駅(清滝橋手間のクサリ(ロープ?)場過ぎの河原で昼食予定)(約8.5キロメートル 約3.5時間+休憩時間)
[復路] 阪急嵐山駅 → 梅田駅
JR大阪駅・中央改札口前に9時5分前に吉田が行くと、すでに全員が集まっていました。今日の参加者は杉本、金澤、日野、大西、香川、伊藤、塩崎、稲葉、福嶋、吉田の計10人。
予定より1本早い新快速に乗って京都駅に着き、山陰線のホームに行きましたが、亀岡行の電車は9時57分にしかなく、結局その電車に乗り、予定通りの10時18分に保津峡駅に到着しました。

事前の天気予報では京都市西京区のお天気は曇り、降水確率30%。京都駅を出るときには日差しも見られましたが、保津峡駅を降りると時折、細かな霧雨が舞い、地面は雨で濡れていました。
いつも通り、駅前の広場でラジオ体操をしました。

ラジオ体操のあと、駅舎をバックに記念撮影をしました。

駅前から北に向かって5分ほど歩くと、フィーレンデール構造という変わった形をした赤い色の橋・保津峡橋が姿を現わし、その橋を渡っていきました。

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下を流れる川は水尾川。橋を渡ったところで右に曲がりましたが、左に延びる道をたどると「柚子の里」水尾に行くことができます。
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橋を渡ったところで右に折れ、すぐに左に曲がり、そのあとは保津川(大堰川)を真下に見下ろしながら舗装された道を緩やかに下り、北東方向にほぼまっすぐに進んでいきました。この道は、右京区嵯峨釈迦堂を起点に南丹市美山町に至る府道50号日吉美山線とのことです。
途中、南方に目をやると、遠くに先ほど下りた保津峡駅のホームが見えましたが、保津川にかかる橋(第2保津川橋梁)の上に設けられた橋上駅であることがわかります。

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保津川と大堰川の境目は?
橋を渡ってから15分ほど歩いたところで右手に保津川にかかる吊り橋があり、その奥にトロッコ保津峡駅の姿が見えました。

この駅は、電化のため廃線となった旧JR山陰本線の嵯峨駅−馬堀駅間を走る嵯峨野観光鉄道の駅で、トロッコ列車が観光客を乗せて走ります。
ちなみに、1982年に公開された深作欣二監督の「蒲田行進曲」のロケで、大部屋俳優のヤス(平田 満)が銀ちゃん(風間杜夫)の子どもを身ごもった小夏(松坂慶子)をつれて帰郷するシーンに使われた保津峡駅は、現在のJR山陰線保津峡駅ではなく、こちらのトロッコ保津峡駅(当時はJR嵯峨野線保津峡駅)とのことです。
関連記事:嵯峨野トロッコ列車
関連記事:トシの旅>橋梁上の”秘境駅”、JR保津峡駅から、トロッコ保津峡駅へ
さらに10分ほど歩くと長さ80mほどの落合隧道があり、そこをくぐると大堰川の支流・清滝川にかかる落合橋がありました。
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そのあと、清滝川の左岸沿いに2分ほど歩いたところで、川にかかる細い石橋・落合沈下橋を渡って右岸に出ました。
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ほどなく道はなくなり、河畔のゴツゴツした岩の上を足元を確かめながらひたすら歩いていくことになりました。



休憩地点から5分ほど歩いたとこに昼食を予定していた「クサリ場」がありましたが、まだ12時前でしたので、先を急ぐことにしました。


クサリ場から10分ほど歩くと、左岸に渡る小さな橋(清滝歩道橋)があり、その橋を渡ると左岸沿いに細い道が続いていて、正面に川にかかる朱塗りの橋の姿が見えました。

川沿い道から石段を上って道路に出ると、そこは渡猿橋の東詰で、橋の左右に清滝川の見慣れた風景を見ることができました。

関連記事:橋紀行−京都洛西>清滝川/渡猿橋
ところで、落合橋から渡猿橋まで歩いてきたこの渓流沿いの道は東海自然歩道なので、山歩会で10年ほど前に行った「東海自然歩道散歩」(2013年6月〜14年6月)の「第5回」(嵐山・清滝・高雄コース/13年11月実施)で一度歩いたはず。したがって、その日参加した金澤・日野・大西・吉田には当時歩いたときの記憶が何かしら残っているはずなのに、4人が4人ともまったく思い出すことができず、「お互い年をとって、ずいぶん記憶力が衰えたものだなぁ」としきりに嘆き、慰め合いました。
ところが、帰宅したあと、当時の記録を調べてみると、そのときは愛宕念仏寺から清滝隧道を通って清滝に行っているので、「落合橋〜猿渡橋」は通っていないことがわかりました。なんのことはない、記憶がないのが当たり前。まだまだ「記憶力の衰え」を心配すことはないことがわかりました。
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録B(2013年)
渡猿橋を渡って嵯峨清滝町の集落のなかに入り、民家に沿ってしばらく歩くと、愛宕山登山口の小さな赤い鳥居(愛宕神社二の鳥居)が姿を現わしました。

山歩会では2009年5月と2016年4月の2度、愛宕山に登っています。2度目の愛宕山登山のとき、伊藤さんと塩崎さんとが山歩会のメンバーに加わりました。
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録@(2008年〜2011年)
関連記事:とよなか粋遊会 ハイキンググループ「山歩会」の記録E(2016年)
鳥居の右手に石段があり、その上が広場になっていたので、そこで昼食をとることにしました。

ゆるやかな斜面に広い石の段がずっと上の方まで続いていたので、山の中にあった古い寺の参詣道跡かと思いましたが、帰宅後、ネットで調べてみると、愛宕山鉄道鋼索線(ケーブルカー)清滝川駅のホームだったところでした。
関連記事:Hatena Blog>摩耶山の麓から>ケーブル廃線跡から愛宕山(924m)・・・京都市右京区
ゆっくりと食事をとったあと、渡猿橋の上流にかかる金麗橋を東に渡り、橋の南方にある公衆トイレ「嵯峨清滝公衆トイレ」をお借りしました。そのあと、京都府道137号清滝鳥居本線沿いに南に向かって下っていきました。
10分ほど歩くと、目の前にトンネル「清滝隧道」が見えてきました。

清滝隧道は、嵐山と愛宕山とを結んだ愛宕山鉄道の鉄道用隧道を転用したものだそうですが、道幅が車一台分しかなく、そこを時折、京都バスなどが通るので、そのときは壁際にへばりつくようにして避けて歩かないといけないという危険な道路です。昔はトンネル内に照明もなかったので、とても怖い思いをして通ったものですが、今回通った時は明かりが天井に連なっていて、足元の道路もしっかり舗装されていて、さほど危険を感じることはありませんでした。
関連記事:Fuji Trip 水豚先輩の週末旅日記>清滝隧道
トンネル内を10分ほど歩くと出口が見え、出口から数分歩くと右手に愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)がありました。

ここも京都の他の観光地同様、ご多聞に漏れず外国人観光客が多く、次から次へとタクシーで乗りつけて、寺に入っていく姿が見られました。

さらに南に向かって歩いていくと、JR山陰本線トロッコ嵐山駅の前に出ました。その駅の西側を回って南に進むと、東に向かって伸びる竹林の小径があり、ここも観光客でにぎわっていました。

竹林の小径に続く竹林遊歩道を抜けて天龍寺東側の道に出ると、観光客がさらにあふれかえっていました。嵐電嵐山駅を左手に見ながら南に進み、渡月橋を渡って、嵐山公園の中を東を向かい、2時過ぎに阪急嵐山駅にたどり着きました。
上桂駅まで歩いてマンホールの蓋の写真を撮るという吉田を残して、9人は阪急電車に乗り、梅田駅まで行き、梅田食道街の「しおや本店」で忘年会を行いました。

(写真:伊藤)
関連記事:阪急ハイキング 歩いて元気!《じゅうしん》エンジョイウォークB 嵐山から水清らかな清滝川・保津峡コース
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杉本さん幹事の「保津峡から嵐山ハイク」が12月24日に終わり、本年の山歩会企画がすべて無事終了致しました。
足元はふらつくし、昔は簡単に駆け上がれた坂道も大きな苦痛となる年齢になってしまいました。しかし、オールドエイジの今でも健康で仲良く山歩きを楽しめることを素直に感謝したいと思います。
さて、今年一番のトピックスは、久しぶりの新メンバーとして福嶋さんをお迎えしたことです。おかげでフレッシュな話題満載で話の幅も広がり、反省会も大盛り上がりとなりました。
また10月の三輪山のご神体に捧げた?オカリナ演奏会も忘れられません。オカリナ会結成4年目にして初の演奏会!それも大神神社のご神体三輪山を背景に晴れ渡った秋空の下での演奏でした。緊張でハーモニーが揃わない場面もありましたが、終了後は爽快感・達成感に包まれました。
8月に台風接近で延期した当初の箕面山での企画のリベンジにもなりました。
来年はまたどんな出会があるのか、今から大いに期待しています。
最後に、英語にはインタラクト(interact)という言葉があります。「相互に作用する」「お互いに影響し合う」という意味です。山歩会での交流もお互いに刺激しあって高め合う、こんな関係をより一層築けたら最高といつも思っています。
インタラクティブなお付き合いを来年もよろしくお願い致します。
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2024年11月26日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第110回 「山の辺の道ウォーク」<桜井から柳本まで>(桜井市)(幹事:金澤)
2024年10月22日(火)
[集合時間/場所] 9時/JR大阪駅・中央改札口前
[往路] JR大阪駅 9:11(大阪環状線)→ 9:27 鶴橋駅 9:33(近鉄大阪線・急行)→ 10:11 桜井駅
[行程] 桜井駅 → 仏教伝来の地碑 → つばいち観音 → 金谷の石仏 → 大神神社(三輪神社) → 玄賓庵 → 檜原神社 → 景行天皇陵 → 崇神天皇陵 → 黒塚古墳 → 柳本駅
[帰路] 柳本駅からJR奈良線経由大阪駅(柳本駅発 14:46 15:15)
本日の参加者は金澤、日野、吉田、大西、香川、伊藤、塩崎、稲葉、本間、杉本、福嶋の常連メンバーに鈴山、杉山の2名が加わり、総勢13人。2022年3月の郡山城址&佐保川花見ハイク以来の大人数になりました。
10時11分に近鉄桜井駅に着き、駅前の案内板を見ながら、今日のコースを確認しました。


桜井駅前から北に向かって歩を進め、「山の辺の道ウォーク」を開始しました。近鉄発行の「てくてくマップ」奈良−H「山の辺の道コース」に沿って、全16キロを前・後半に分け、今日は前半の8キロを歩きます。山歩会で山の辺の道を歩くのは2012年以来12年ぶり。そのときの参加者は金澤、日野、大西、香川、吉田、大宅の6人でした。
足元の案内タイルに沿って、10分ほどで右に折れ、さらに10分ほどで左に曲がると、ほどなく大和川に差し掛かり、川にかかる大向寺橋を渡りました。歩行開始後まだ40分しか経っていませんでしたが、橋の北詰近くの石段に座って、最初の休憩をとりました。

前日、気温が下がったこともあり、みな、長袖の秋の装いでしたが、今日は再び最高気温が25度を超えそうな気配で、すでにうっすらと汗をかいていて、時折吹く風が気持ちよく感じられました。
5分ほど休憩したあと、河畔を東に歩くと「佛教伝来之地」の石碑が建っていました。

この付近は、難波津から大和川を遡行してきた舟運の終着地で、古代大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしてきており、仏教をもたらした百済の使節もこの港に上陸し、すぐ南方の磯城嶋金刺宮に向かったとされていたこともあり、この辺りが仏教が初めて伝わった記念すべき地とされ、平成9(1997)年にこの碑が建てられました。
関連記事:奈良づけブログ>奈良>古墳・史跡>欽明天皇の時代に仏教が伝えられた地!『佛教伝来之地碑』(桜井市)
石碑を見たあと、再び北に向かいました、

空き地脇の細流沿いに白と黄色の花をつけた植物が生えていたので、「なんの花だろう」とスマホで検索して、「白いのはミョウガ、黄色いのはショウガなのではないか」ということになりました。


「市(いち)」は古代の市場で、海柘榴市には大和川の河港があり、水運だけでなく、東西南北の陸路もここに集まっていたという。ちなみに「海柘榴」は「椿」のことで、もともとこの地にはうっそうと茂った椿の林があったので、この名がつけられたとのことです。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>海柘榴市観音
海柘榴市観音堂前の細道を元に戻り、北西方向に10分ほど歩くと、右手に「金谷の石仏」を収めた収蔵庫が建っていました。


石仏が掘られた石は、もとは石棺の蓋石で、加工痕のある2つの石材が収蔵庫の下に置かれています。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>金谷の石仏
山の辺の道の案内板に沿って、さらに北に5分ほど進むと、三輪山平等寺の姿が見え、細い石の階段を上って「赤門」をくぐると、目の前に本堂が建っていました。


平等寺は聖徳太子が開基したとも、空海が開基したともいわれています。
鎌倉時代末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたって殷賑を極めましたが、明治元年(1868年)の廃仏毀釈により、堂塔はことごとく整理を迫られ、廃寺となったとのこと。しかしながら、地元民の支援等によって、100余年後の昭和52年(1977年)、三輪山平等寺として再興されたとのことです。
関連記事:Wikipedia>平等寺(桜井市)
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拝殿にお参りしたあと、北側の祈祷殿の前で記念写真を撮りました。


祈祷殿前で写真を撮ったあと、細い山道を上って、狭井神社まで行きました。狭井神社の拝殿脇に三輪山の登り口がありますが、三輪山は大神神社のご神体なので、登るときは狭井神社受付に申し込んで登拝料を納めるなどの手続きが必要です。
関連記事:三輪明神 大神神社>三輪山登拝について

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狭井神社にお参りしたあと、来た道を少し引き返し、近くにある展望台に向かって池のほとりを西に歩き、展望台の下に椅子・テーブルが2台あったので、そこで昼食をとることにしました。

昼食のあと、「オカリナ会」の演奏会がありました。4年前に発足したオカリナ会はこれまで、室内で練習を積んできましたが、屋外での演奏会は今回が初めて、とのことでした。

演奏曲は「ふるさと」と「四季の歌」の2曲。そのあと、ひとりずつ持ち歌の演奏が披露されました。歌謡曲あり、歌曲あり。1オクターブ半の音域の範囲内であれば、なんでも吹けるそうです。

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展望台からの眺望を楽しんだあと、少し道を戻り、北に向かって畑や民家が点在する散策路を歩いていきました。道の脇には実をつけた蜜柑の木や柿の木があったり、ススキの穂が風にゆられているところがあったりして、変化にとんだ田園風景を楽しむことができました。

展望台から20分ほど歩いたところで、玄賓(げんぴ)庵にたどり着きました。

山門には「三輪山」の額が掲げられていました。境内にある玄賓庵は、9世紀、玄賓僧都が隠棲していた庵で、もともとは三輪山の桧原谷にあって、山岳仏教の寺として栄えたが、明治維新の神仏分離のとき、現在地に移されて毀釈を免れた、とのことです。
関連記事:山の辺の道 散策ガイド>玄賓庵
玄賓庵を出て、再び、散策路を北に5分ばかり歩くと、桧原神社の脇に出ました。


桧原神社(檜原神社)は大神神社の摂社で、祭神は天照大御神。境内には本殿も拝殿もなく、三ツ鳥居(三輪鳥居)を通してご神体の三輪山を拝すことになります。
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分かれ道など要所要所に案内板が立っていたので、道を間違うことはありませんでした。
景行天皇陵の近くにきましたが、時間がすでに2時を回っていたので、景行天皇陵には向かわずに天皇陵の東側を通り抜けていきました。左手が天皇陵です。

関連記事:天理観光ガイド・天理市観光協会>ここが見どころ 観光スポット>南部エリア>景行天皇陵(渋谷向山古墳)
さらに20分ほど北に向かって歩くと、こんどは崇神天皇陵が見えてきましたが、こちらも横から眺めるだけで通り過ごし、帰路を急ぐことになりました。


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関連記事:史跡navi>原始>古墳時代>行燈山古墳|実在した最初の天皇、崇神天皇とは【天皇陵の畔で Part1】
崇神天皇陵を左手に眺めながら天皇陵の東側と北側を通って北西方向に歩を進め、10分ほど歩いたところでまっすぐ西に向かう石畳の大きな道に出ました。その道を少し歩くと国道169号線に出たので、その南にある柳本信号を西に向かうとその先はJR柳本駅です。
12年前に歩いたときは柳本信号から柳本駅まではすぐだったような記憶が残っていたのですが、今回、改めて歩いてみると15分近くもあり、とても長く感じました。
ともあれ、3時すぎに駅に到着。マンホールの写真を撮るために桜井方面行の電車に乗る吉田を残して、みなは3時15分発の奈良駅方面行の電車に乗って帰路につきました。
4時半過ぎにJR大阪駅に着き、阪急梅田駅前・新梅田食道街にある「しおや本店」で反省会を行いました。

(以下:金澤さん記) 反省会の参加者は大西さんを除くオカリナ演奏メンバー6名と福嶋さん、杉本さんの計8名。サービスメニューを肴に生ビール各1杯、そのあと焼酎ボトルを2本あけました。オカリナ演奏の緊張感から解放されて、いつもより飲み過ぎたようです。2時間程で打ち上げました。
(反省会写真は伊藤さん撮影)
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奈良周辺は高い建物がないので、空が高く、広い。どこも好きな場所です。「山の辺の道」はゆったりと空を見上げながら、ときに古代人に想いを馳せながら秋に歩くのにふさわしいと考え、選定しました。
当日は秋の好天に恵まれ、桜井から柳本まで5時間の、気持ちの良いハイキングとなりました。
ハイライトは昼休みに檜原神社近くの展望台の丘で披露したオカリナ演奏です。当日参加者13名のうち香川会長はじめ7名がオカリナ会メンバーです。6人掛けテーブル2セットを占領して、一方は演奏者用。もう一方は観客席の6名。(観客の方が少ないのはご愛嬌) オカリナの練習はコロナ禍の前から始めていますので、かれこれ4年は過ぎましたが、実は他人さまに披露するのは今回が初めて。観客の方々には本当にご迷惑なことでした。通り過ぎるハイカーに雑音?となってはと、人影が途絶えた頃を見計らって演奏スタート。まず「ふるさと」と「四季の歌」を全員で合奏。熱演!ハーモニーが揃っているとは言い難いものの、80歳が複数名いる演奏としては上出来と自己評価。その後、個人パートに分かれて演奏。最後に大トリ・塩崎さんのジブリ・千と千尋の曲「いつも何度でも」で締めると最高潮に。観客席から盛大な拍手‥‥があったと記憶しています。
心地よい秋風を感じながらの丘の上での合奏は気持ちのいいもので、くせになりそうです。これからは「リックの中にいつもオカリナ」を合言葉に山歩会を続けていければと思っています。観客役の方には迷惑なことになりそうですが、よろしくお願いいたします。
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関連記事:近鉄>てくてくまっぷ 奈良‐H 山の辺の道コース
■第109回(再) だんじり祭りの町・岸和田城下散歩(幹事:伊藤)
2024年9月24日(火)
[集合時間/場所] 9時50分/南海なんば駅 3階 北改札口付近
[行程] 10時08分 なんば駅 ― 南海線空港急行 → 10時34分 岸和田駅 → 岸和田駅前通商店街 → 城見橋筋商店街 → 岸城神社 → 11時 岸和田城〈城内見学30分) → 11時30分 二の丸広場観光交流センター(食事、喫茶、買い物/50分) 12時20分 交流館発 → 12時25分 岸和田だんじり会館 (会館見学40分。だんじりのお囃子の太鼓(大小)鐘叩き体験あり) 13時05分 → 13時10分 天性寺(参拝10分) → まちづくりの館(10分休憩) → 吉田松陰逗留地の顕彰看板 → 本徳寺(明智光秀の子が建立) → 岸和田駅前通商店街 → 14時 岸和田駅着
[帰路] 14時06分 岸和田駅(南海特急サザン32号) → 14時29分 なんば駅(なんば駅改札出口にて、14時30分解散予定)
9時20分過ぎに集合場所の南海なんば駅北改札口前に行くと、伊藤さん、杉本さん、大西さんがいて、そのあと、金澤さん、香川さん、本間さん、稲葉さん、塩崎さんが現れ、最後に福嶋さんが姿を見せました。
日野さんは奥さんが体調不良で、看護のため欠席され、本日の参加者は総勢10人です。
予定通り、なんば駅発10時8分の関空快速に乗り、10時34分に岸和田駅に着いて、駅の中央口を西側に出て、北西側に延びる岸和田駅前通商店街に入っていきました。
5分ほど歩いたところで左に折れて、城見橋筋商店街を経て岸和田城に向かうのですが、伊藤さんが用意した「岸和田城周辺 まち歩きマップ」の中に、その曲がり角近くに「コシノ三姉妹の生家」の文字があるのを見つけたものがいて、そこに立ち寄ることにしました。
世界的にも有名なファッションデザイナー・コシノ3姉妹の生家(コシノ洋装店)は、NHK朝の連続テレビ「カーネーション」の舞台となってからは「コシノギャラリー」として多くの観光客が訪れていましたが、2019年3月に「まいどおおきに食堂」を展開する株式会社フジオフードシステムのプロデュースのもと、食堂としてリニューアルした、とのことです。現在も2階はミュージアムとして小篠綾子とコシノ3姉妹の思い出の写真や資料などが飾られているそうです。
関連記事:岸和田城周辺 まち歩きマップ
関連記事:Walkerplus>ニュース>2019年3月29日 「岸和田の新たな観光名所に」コシノ3姉妹の生家が「アヤコ食堂」としてリニューアルオープン!
「アヤコ食堂」の前でかなりの時間を費やしたあと、城見橋筋商店街を通って、11時過ぎに今日の最初の訪問地・岸城(きしき)神社に着きました。

岸城神社は岸和田城・三の丸にあり、祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱。岸和田祭発祥の宮とも。9月15日に催される例祭には神賑行事として各町から曳き出された地車(だんじり)が、旧・北大手門から城入りし、岸城神社に宮入りします。(境内立て札より)

照皇大神・素戔嗚尊・品陀別名(ほんだわけのみこと)の3柱が祀られている本殿。本殿脇には地元高校生が描いた大絵馬が飾られていました。
岸城神社の参詣を終え、石の鳥居を出て西に向かうと、目の前に岸和田城の勇姿が目に飛び込んできました。さっそく、堀端に続く階段を下りて、岸和田城をバックに記念の写真を撮りました。


そのあと、堀端を南東側から南西側に回り、堀端を半周して北西側の城の入口に着きました。

城を南西側から眺めたところ。石垣の裾に「犬走り(狭い幅の通路)}があるのは珍しい。

城を北西側から眺めたところ。中央が天守閣。右は隅櫓。

城の入口近くにある城内位置図を眺めて、さまざまに思いを巡らせる。
予定では、橋を渡って城内見学をし、そのあとに昼食をとることになっていましたが、時間がすでに11時半になっていたので、先に昼食をとることにして、城のすぐ北西側にある二の丸広場観光交流センターに入りました。
二の丸広場観光交流センターの中にはカフェスペースがあり、そこは無料休憩所になっていて、椅子に座って、ゆっくり食事をとることができました。

興味をもった伊藤さんがビニール袋を買って、なんとか4、5本を袋に押し込んでいると、スタッフの女性がそばに来て、「まだまだ、まだまだ詰められる」と、袋からはみ出す水なすを無理に押し込んで、最終的に8本にもなりました。




土橋の入口両脇には、城の別称「猪伏山 千亀利(ちきり)城」の名が記されたあんどんが立っていました。
城の1階・2階の郷土資料展示室で、岸和田城の歴史やあゆみ、城と城下町の変革にまつわる多くの資料を見たあと、3階の展望台で西に大阪湾・淡路島、東に生駒山脈など、四周に広がる景色を眺め渡し、そのあと、展望台内のパネルの前で記念の写真を撮りました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>魅力想像部>観光課>岸和田城いまむかし
そのあと、天守閣の西方の隅櫓に入り、岸和田に古くから伝わる「蛸地蔵伝説」にまつわるビデオを見て、大蛸に乗った法師=地蔵の化身が戦乱や高波から岸和田の人々を守ったとされる物語に昔をしのぶことができました。
関連記事:Ameba>アメブロ>神も仏もあるもんや>2015年8月26日 蛸地蔵伝説

ビデオを見たあと、隅櫓をあとにし、櫓門をくぐって城の外に出て西方に向かいました。



従来モデルのお城を描いたデザインマンホールとともに、2022年11月に岸和田市制施行100周年を記念して作られたマンホールには岸和田城の別名「千亀利城」から名前をもらったマスコットキャラクター「ちきりくん」が描かれていました。
関連記事:岸和田市>組織でさがす>上下水道局>上下水道局総務課>【100周年カラーマンホールを探そう!】市制施行100周年記念マンホール蓋を設置しました(カラーマンホール探そうマップを追加しました)
展望広場西方の駐車場脇の細い道を通って大通りに出ると、目の前にだんじり会館がありました。


館内に入り、2階の展示室に足を踏み入れると、まず最初に、見事な装飾が施された旧紙屋町のだんじりを間近で見ることができました。

90年の歴史をもち、2011年に引退した旧大工町のだんじりも保存展示されていました。



4階のだんじりシアターでは、大迫力の「3面シアター」で市内各所で繰り広げられるやりまわしの映像を存分に楽しむこともできました。
だんじり会館でたっぷり時間をとって様々な展示にもじっくり目を通したあと、2時前に館の前で記念の写真を撮りました。

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だんじり会館を出たあと、南西に向かって歩をとり、5分ほど歩いたところで北に向かい、光明寺の前で西に向かうと蛸地蔵天性寺がありました。

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関連記事:日本伝承大鑑>大阪>天性寺 蛸地蔵
天性寺を出たあと、光明寺の南西角から北東にまっすぐ伸びる紀州街道に足を踏み入れ、昔ながらの民家や商家が建ち並ぶ街道を進んでいきました。
途中、街道沿いの休憩処「まちづくりの館」に立ち寄り、冷たいお茶の無料サービスをいただいて、涼をとりました。

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まちづくりの館でしばしくつろいだあと、再び紀州街道沿いに歩を進め、途中、吉田松陰逗留地の顕彰看板に足を止めたりしながら、さらに、街道を進んでいきました。ちなみに、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だった相馬九方を訪ね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在した、とのことです。
関連記事:岸ぶら ぶらぶら岸和田なんやこれ?>2,013年1月20日 岸和田「八重の桜」ゆかりの地、吉田松陰の逗留地
そのあと、紀州街道の、岸和田市役所の北方にある「きしわだ自然資料館」の前を通ったのですが、資料館はあいにくの休館日で見学することができませんでした。岸和田城に入場するときに購入した「3館共通券」(大人700円)は、岸和田城・だんじり会館・自然資料館の3館がセットになっていたので、自然資料館に入れなかったのは、とても残念なことでした。
関連記事:きしわだ自然資料館
紀州街道をさらに東に進んで、正覚寺、西方寺、本昌寺、円教寺などの寺が立ち並ぶ路地を通りましたが、明智光秀の肖像画を所蔵していることで有名な本徳寺には、肖像画は公開されておらず見ることができないので、予定を変更して、立ち寄りませんでした。
関連記事:ウィキペディア>本徳寺(岸和田市)
寺町から南に進むとまもなく岸和田駅前通商店街の北側の入口に着き、商店街を前に進み、3時前に岸和田駅に戻り着きました。
貝塚駅まで足を延ばしてマンホールの写真を撮るという吉田と別れて、みなは帰路に着き、一部有志は梅田で反省会を行いました。

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今回の反省会は、杉本さんおすすめの梅田の「大衆酒場天神大ホール」で行いました。
恒例のこの反省会も、先週の粋遊会本会(JR大回り乗車)は「かき氷」8人参加に対し、「ラッキー」の飲み会は3名という状況で、今回も4名のみの参加でした。
ともあれ、一旦飲み始めると、「これが健康維持の大きな力だ」ということで、身の回りのいろんなことを大きな声で話し合い、楽しく笑って 1時間強を過ごしましたが、その内容はもう憶えていません!悪しからず…(9月25日香川) 関連記事:大衆酒場 天神大ホール
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■第109回 箕面山麓周遊散歩 その4(幹事:香川)
2024年8月27日(火)(台風10号接近のため、中止になりました)
■第108回(再) 交通の要衝の地 八尾を歩く(幹事:塩崎)
2024年6月25日(火)
[集合時間/場所] 8時45分/JR大阪駅中央改札口案内所付近
[行程] 8:58 JR大阪駅 → 9:14 新今宮駅 9:25 ―(大和路快速)→ 9:36 久宝寺駅 9:40 → 9:45 志紀駅 JR志紀駅 → 弓削神社 → 由義寺 → JR志紀駅 → JR八尾駅 → 旧植田家住宅 → 渋川神社 → 物部守屋大連墳 → 大聖勝軍寺 → 昼食 → 跡部神社 → 真観寺(三好長慶墓所) → 寺内町(許麻神社・顕証寺・ふれあい館) → 近鉄八尾駅 → 近鉄鶴橋駅(解散)
今日の山歩会は「八尾散策」。「八尾は交通の要衝の地であったため、古代には争乱、中世では寺内町としての発展、近世は木綿づくりの供給地など、歴史上重要な場所でした」(塩崎)とのこと。
8時半過ぎに吉田が集合場所に着くと、すでに塩崎、日野、金澤、大西、香川、伊藤、本間、稲葉、杉本、福嶋の10名が集まっていて、予定より少し早く、総勢11人で改札内に入り、環状線のホームに向かいました。8時51分発の関空快速に乗って、新今宮駅に9時8分に着き、9時15分発の各駅停車の大和路線に乗り、予定より10分ほど早く9時34分に志紀駅に着くことができました。
志紀駅から北東方向に向かい、5分ほど歩いたところで弓削神社に着きました。

弓削神社は、社名の通り古代氏族弓削一族の氏神です。弓削神社は志紀駅を挟んで東西に2社ありますが、こちらは東側のほうでした。弓削神社境内で塩崎さんから弓削神社の歴史や弓削道鏡と称徳天皇との関係などについてザっと説明を受けました。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>弓削神社(東弓削)
関連記事:ウィキペディア>弓削神社(八尾市)

「由義寺(ゆげでら)は、「続日本紀」に登場する奈良時代の寺院で、称徳天皇が、道鏡の出身地である弓削の地に建立。称徳天皇は、由義寺とともに由義宮の造営を進め、西京としたが、その死去により計画は中止されました。その後、由義寺と由義宮の場所はわからなくなっていましたが、2015年に始まった八尾市曙川南土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査において、一辺が約20メートルの基壇が発見され、その大きさや出土した瓦などから由義寺の塔基壇と判明した」(石碑の下部に記された説明文より)、とのことです。
関連記事:八尾市>八尾の紹介>八尾の歴史遺産>文化財情報>由義寺(ゆげでら)について
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そのあと、志紀駅まで戻って電車に乗り、八尾駅で降り、駅のすぐ南東側にある渋川神社を右に見ながら旧植田家住宅の前まで行きました。
植田家住宅は火曜日が休館日なので、残念ながら中に入ることはできませんでしたので、渋川神社に向かいました。


関連記事:福祉と寺社とこころのブログ>大阪編>渋川神社は八尾のパワースポット!物部氏祖神の神聖なエネルギーとは?
渋川神社を出たあと、八尾駅近くに戻り、そこから南西方向に20分ほど歩き、太子堂交差点を渡って、国道25号線(旧奈良街道)を西に向かうと、歩道橋の南方に「鏑矢塚」がありました。

「用明二年(587)に厩戸皇子(うまやどのおおじ)(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子(そがのうまこ)らは、渋河の地で物部守屋(もののべのもりや)の軍勢と戦います。稲城(いなき)を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却しますが、四天王に祈願すると、迹見赤檮(とみのいらい)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと『日本書紀』に記されています。鏑矢塚は、迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと『大聖勝軍寺略縁起』(1455)は伝えています。鏑矢とは、先端が植物の「かぶら」のような形をしている矢のことです。」(八尾市教育委員会作成の説明板より)
関連記事:すてまわり>鏑矢塚 -八尾市南太子堂-
歩道橋を北に渡って西に向かうとすぐに大聖勝軍寺がありましたが、勝軍寺の前で100mほど東に戻って、物部守屋大連墳(もものべのもりやおおむらじ ふん)を訪ねました。

天皇の跡継ぎ問題を巡って蘇我馬子や厩戸皇子(聖徳太子)らと戦って破れ、射殺された物部守屋のお墓ですが、この墓の整備にあたっては全国の神社が協力を惜しまなかったようで、墓を取り囲む玉垣には住吉大社、枚岡神社、春日大社、伏見稲荷大社、諏訪大社、宗像大社などなど全国各地の有名神社の名を見ることができました。
(※ 香川さん注:昨年10月山歩会の「千里丘陵さんぽ」で訪ねた千里の氏神 上新田天神社の玉垣もありました(^.^))
関連記事;八尾市観光データベース>名勝・史跡>物部守屋墳
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関連記事;note>物部守屋大連の墓(もののべもりや おおむらじ)
そのあと、大聖勝軍寺に戻り、境内に入りました。山門の左右の柱には、右に「太子堂」、左に「大聖勝軍寺」の門札が掲げられていました。
大聖勝軍寺は、聖徳太子が物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護によっていくさに勝つたので、この寺を建てたといいます。聖徳太子の墓のある太子町の叡福寺の「上の太子」、羽曳野市の野中寺の「中の太子」に対して、大聖勝軍寺は「下の太子」と呼ばれています。
本堂の太子堂の扉は普段は閉まっていて、中に入ることはできませんが、当日は、寺の奥さんのご厚意で扉を開けていただき、ご本尊と対面することができました。正面中央に菩薩半跏思惟像(伝 如意輪観音像)、両脇に四天王を従えていました。


関連記事:河内西国霊場会>第一番 大聖勝軍寺
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12時前になり、昼食の時間ですが、事前の下見で塩崎さんが寺の奥さんにお願いしていて、境内の一隅にある集会所で昼食をとることができました。室内にはお湯の入ったポットと緑茶のティーバックやカフェオレのスティック、それに菓子まで用意され、さすが、高野山真言宗に属し、河内西国第一番霊場でもある勝軍寺、「おせったい」の気持ちにあふれていました。

ゆっくりと食事をさせていただいたあと、勝軍寺を辞し、国道25号線を西に向かいました。歩行の途中でおなかが痛くなっていた杉本さんは、残念ながら、ここでみんなと別れて、帰路に着きました。
勝軍寺を出てから20分ばかり歩いたところで小学校の角を北に折れ、しばらく歩くと跡部神社がありました。

跡部神社について、大阪府神社名鑑には「当社は延喜式内の神社であるが、創建の年月および御祭神は詳らかでない。しかし此の地は古の跡部郷であり、阿刀連がその祖神を祀ったものであろうと伝えられている。」と記されている、とのことです。
関連記事:八尾市観光データベース>神社・仏閣>跡部神社
関連記事:吉野へようこそ>続・神々の座す杜>式内社 跡部神社(路部神社)
跡部神社から北に少し歩いて、さらに西に向かうと5分ほどで真観寺に着きました。

真観寺境内には、三好長慶の墓がありました。三好長慶は戦国時代の武将で、河内・四条畷の飯盛山に築いた飯盛城を本拠に、その絶頂期の勢力は山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9か国に及んだといいます。
関連記事:八尾市観光データベース>真観寺
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関連記事:ウィキペディア>三好長慶
真観寺を出たあと、今度は、JR久宝寺駅の北側一帯に広がる「久宝寺寺内町」を目指します。
近畿道の東側をシャープ八尾の建物を右手に見ながら北に向かって10分ほど歩き、さらにJR線の南側を東に向かって15分ほど歩くと久宝寺駅に着きました。
その久宝寺駅にかかる跨線橋を渡って駅の北側に抜け、北に向かって10分ほど歩くと、やっと久宝寺寺内町の南西角に位置する許麻神社(こまじんじゃ)にたどり着くことができました。この地は古くは高麗からの渡来民族が多く住み、祖霊として祭祀したのが許麻神社の社名の由来だそうです。
関連記事:八尾で暮らそう!>お寺・神社>静かな境内で過ごす癒しのひと時!久宝寺の 「許麻(こま)神社」

許麻神社の南の鳥居をくぐって境内に入ると、6月30日に行われる夏越の祓に備えて茅の輪が設置されていました。
東の鳥居をくぐって許麻神社を出ると正面に顕証寺があり、顕証寺の西側、さらに北側を5分ほどかけてグルっと回って東側の正面山門から顕証寺の境内に入りました。

顕証寺は、15世紀に本願寺蓮如上人によって西証寺として建立された寺内町の中核的寺院。久宝寺御坊とも呼ばれる巨大で立派なお寺です。
関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>顕証寺(けんしょうじ)
本堂をバックに記念の写真をとりました。

顕証寺を出たあと、安井道頓にまつわる碑があるという「寺内町ふれあい館(八尾市まちなみセンター)」を探し、地元の人に尋ねて、元来た道を少しばかり戻り、無事、ふれあい館を訪ね当て、「贈従五位 安井道頓・道卜 出生地」と書かれた石碑に巡り合うことができました。

道頓の碑の前でたむろしていると、ふれあい館の職員の方がリーフレット「久宝寺寺内町案内版」を持ってきてくださり、塩崎さんと安井道頓についてや、地内町や八尾の古い歴史について熱心に話し合っていました。ふれあい館の中の集会所では地元女性たちによる三味線のお稽古中で、夏祭りの準備か、華やかな音色が響いていました。
関連記事:河内彷徨 〜郷土を見にいく〜 >石碑>安井道頓出生地
関連記事:ウィキペディア>安成道頓
ふれあい館を出ると、あとは近鉄八尾駅を目指して、30分ほど、東に向って歩くばかりです。

途中、ふれあい館から5分ばかり歩いたところに、ふれあい館の職員の方から勧められた創業150年の老舗和菓子店「帯喜多」があったので店内に入り、名物の「あんまき」を食べたり、お土産に買ったりしました。
関連記事:ぎゃるまま日記/ギャルママ日記(関西グルメ情報&おでかけ情報)>グルメ>大阪府八尾市>あん巻きが美味しい!和菓子屋さん 帯喜太(おびきた)大阪府八尾市久宝寺

関連記事:久宝寺寺内町のまちなみ>久宝寺寺内町について>史跡>寺井戸


寺内町の通りなどには、糸車で糸を紡ぐ姉さんかぶりの女性を描いたカラーのデザインマンホールがたくさん敷設されていました。また、近鉄八尾駅やJR八尾駅前には大阪・関西万博のデザインマンホールが設置されていました。
3時過ぎに近鉄八尾駅に着きました。当初の予定では近鉄鶴橋駅で途中下車して反省会をすることになっていたのですが、なぜか「行きたい」と手を挙げる人が誰もいなくて、なんと、反省会は不成立。皆さん、相当のお疲れだったのでしょう。かく言う吉田も、予定では八尾駅で皆と別れて旧八尾街道をたどってJR加美駅まで1時間ほど歩いてマンホールの写真を撮るつもりでしたが、お天気が曇空だったことと、腰に痛みが出たこともあり、珍しく皆と一緒に帰路に着きました。
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■第108回 姫物語を追いながら猪飼野を歩く(大阪市) (幹事:本間)
2024年5月28日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第107回(再) いにしえの風景が残る京田辺を歩く(京田辺市) (幹事:伊藤)
2024年4月23日(火)
[集合時間/場所] 9時20分/JR大阪駅中央コンコース改札前付近
[行程] 9時46分 JR学研都市線・北新地駅発 ―(東西線区間快速木津行・49分) → 10時35分 京田辺駅着 → 10時40分 駅前発 ―(20分)→ お食事処「やまぼうし」(昼食・11時00〜11時55分)→ 12時発 → 12時10分 田辺公園着(公園散策、健康遊具で体ほぐし・45分)→ 13時 公園発 → 13時20分 酒屋神社着 ―(40分)→ 14時 観音寺着(観音寺拝観30分・日程があえば住職よりの説法有り) → 14時30分 観音寺発 → 14時40分 普賢寺ふれあいの駅着(野菜直売所・お土産等買い物) 15時発 ―(同志社校舎沿い)→ 15時40分 JR同志社前駅着 → 15時43分 JR同志社前発 ―(学研都市線快速宝塚行・46分)→16時29分 JR北新地駅着(16時30分頃解散予定)(全長約7.5Km)
9時20分にJR大阪駅中央改札口前に集合。9時前には伊藤、香川、金澤、日野、大西、本間、稲葉、吉田が集まり、そのあと塩崎、そして最後に福嶋が姿を現わし、今日の参加者は総勢10人。
地下街を南に歩いて、JR学研都市線北新地駅に着き、予定通りの9時46分発の区間快速に乗り、10時35分に京田辺駅に着きました。

(写真:伊藤)

明け方まで降っていた雨もやんでいて、予報では夕方から再び降り出すという雨が解散時までなんとかもってほしいと願いならが、歩行を開始しました。京田辺を歩くのは、昨年3月に伊藤さん幹事の粋遊会本会で一休寺などを訪ねたのに続いて2回目になります。
駅の西出口前から西に向かい、住宅地のなかを10数分歩いたところに尼ケ池というため池があり、その土手道を通って池の南側で土手を右に下りると樹々に囲まれた建物があり、そこが今日の昼食をとるお店「やまぼうし」でした。

(写真:伊藤)

オムライスは、文字通り、ふわふわトロトロ。薄味の上品な味でした。
オムライスを食べたあと、壁一面のガラス窓越しに北側に広がる池を眺めながら、食後のコーヒーをゆっくり飲みました。
(写真:伊藤)
お昼前になり、店内が次第に混むようになってきたので、11時45分に店を出て、店の入口前で記念の写真を撮りました。

店の入口前に立っているのが、店名の由来の「やまぼうし」。苗から育てて40年の年代ものの木だそうです。
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今年度、「いにしえの風景が残る京田辺をあるくコース」第2弾を「山歩会」幹事として企画した際、会の参加人数も10名程度と少人数となったこともあり、再度お店を訪ね、「何とか食事をさせていただきたい」とお願いしたところ、オーナーの方より、今回承諾をいただけものです!
【一口紹介メモ】 やまぼうし(京都府京田辺市田辺尼ケ池1−1。電話0774−62−5090)
店内の大きな窓から、穏やかな尼ケ池の水面を眺めて過ごす時間がとても贅沢♪〜「ふわっとろのオムライス」が女性客を中心に大人気!(駐車場は県内外ナンバーの車で常にいっぱいです!)
営業時間:火曜日〜金曜日 11:00〜15:30、土曜日 11:00〜16:00(定休日:日・月曜日) (伊藤)
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関連記事:山城地域の情報サイト>グルメ>ふわとろオムライスでしあわせ〜!田辺公園の近くの「やまぼうし」で楽しいランチタイム!【京田辺市】
11時45分に店を出て、京都府道22号八幡木津線沿いに南東方向に5分ほど歩くと、左手に健康広場のある田辺公園があり、そこに入って食後のくつろぎタイムをとりました。
園内の休憩場所で、金澤さんが用意したトランプを引いて、来年度の幹事の担当月を決めました。
園内には竹ノ脇池というため池があり、池に浮かぶ四阿でしばし時を過ごしました。池には大きな鯉がたくさん泳いでいました。

健康広場には市民の誰もが気軽に楽しんで健康づくりができるようにと20基の健康遊具があり、隣にはスケートボードが自由にできるスケートパークもありました。
公園でゆっくり時間を過ごしたあと、12時半過ぎに公園を出て、府道22号をさらに南下しました。
15分ほど歩いたところで府道を西に渡り、西に5分ほど歩いて酒屋神社にお参りしました。


関連記事:神社巡遊録>神社巡り>都道府県別>1.京都府>酒屋神社(京都府京田辺市興戸宮ノ前)
(写真:伊藤)




観音寺はちょうど御開帳中で、ご住職によるお寺の由緒などの説明のあと、厨子の扉が開けられ、等身大の国宝・十一面観音像を間近に拝むことができました。

関連記事:雑文・ザンスのブログ>国宝(建物以外)>観音寺(京田辺市)の十一面観音立像をみてきた
関連記事:たびこふれ>近畿>滋賀>【12年に一度のご対面】国宝十一面観音(近畿)
(写真:伊藤)
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良弁の弟子で、東大寺の二月堂の「お水取り」の創始者である実忠和尚を第一世としています。平安時代から鎌倉時代にかけて度々焼失を繰り返しましたが、藤原氏の氏寺の興福寺とも関係が深かったこともあり、その都度再建されました。
しかし、1437年の焼失後は、かつての寺勢を回復するに至らず、本堂の「十一面観世音菩薩」をお祀りするお堂だけが建て直されました。このことから「大御堂観音寺」と呼ばれるようになり、現在に至っています。(南山城六山の一つです)
ご本尊の「十一面観音立像」は、木芯乾漆造りで彫刻されており、天平文化の栄華を今に伝える柔和な表情が特徴で、国宝に指定されています。
春には参道の桜並木と一面に広がる菜の花畑が、秋には紅葉が訪れる人を楽しませてくれます。
※千年以上にもわたり、無病息災、災難除け、心願成就の信仰を集めています。 (伊藤)
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お寺でいろいろとお話をお聞きしたあと、2時過ぎに本堂前で記念の写真を撮りました。
そのあと、普賢寺川にかかる観音寺橋を南に渡って西に5分ほど歩いて普賢寺農産物直売所「普賢寺 ふれあいの駅」を訪ねました。
商品はあまり多くはありませんでしたが、時節柄、朝掘りたけのこがたくさん並べられていました。
関連記事:普賢寺 ふれあいの駅
20分ほど直売所でぶらぶらしたあと、JR同志社前駅に向かう帰路に着き、観音寺橋を北に渡り、「水辺の散策路 普賢寺川 同志社ルート」と名付けられた普賢寺川北側の畑中の川沿い道を東に歩いていきました。


道端の畑にレンゲが満開でした。
20分ほど歩いたところで府道22号線(山手幹線)に出たので、左に曲がり、同志社大学を左手に見ながら北に向かい、ゆるやかな坂道を10分ほど歩いたところで右に折れ、10分ほど坂を下っていくと同志社前駅に無事、到着しました。
心配された雨に降られることもなく、道中、道路わきの畑の上をつばめが舞ったりもして、初夏とも見まごう陽気のなか、木々の新緑に彩られたひなびた郊外散歩を存分に楽しむことができました。
JRで北新地駅まで戻り、大阪梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの店「中華料理 金明飯店」に行き、反省会で大いに盛り上がりました。
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食事後の田辺公園で入念にストレッチ。そのおかげか、何とか時折痛くなる足を引きずりつつ、二万歩近い行程を踏破できたのは幸いでした。
食事場所を始め、幹事さんの入念な行程計画には敬服しました。また、国宝の十一面観音の柔和な眼差しに心癒され、思い出深い初参加の一日となり、感謝しています。
それにしても、皆さんの健脚には、驚きました。今後もよろしくお願いします。(福島成二)
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また、本来、山歩会は、お弁当持参が原則だと思っていますが、昨年の「粋遊会」の下見時にお伺いした食事処の「やまぼうし」さんの、ふわっとろオムライスがおいしかったので、この味を皆様にもご紹介したいと思いました。そこで、お店に予約のお願いをしたのですが、「大人数様のご予約はお受けできません」との返答をいただき、諦めざるを得ませんでした。今回は、参加人数が山歩会で少人数になったことから、下見時に再度チャレンジして交渉し、2年越しでお店のオーナーさんから何とかご承諾をいただき、食事処が確保でき良かったと思っています。
また、大御堂観音寺のご住職にも下見時お会いして、「山歩会」の開催当日「時間が合えば、お話等をお聞かせいただきたい」とお願いしていたところ、それも叶いました。
やはり、事前の下見は大切だと、つくづく思います。
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関連記事:京田辺市観光パンフレット(デジタルパンフレット)
■第107回 河津桜の淀城跡と 枝垂れ梅の鳥羽離宮跡を訪ねて(京都市) (幹事:大西)
2024年3月26日(火)(雨天のため、中止になりました)
■第106回 大阪七福神ウォーク(大阪市) (幹事:金澤)
2024年2月27日(火)
[集合時間/場所] 10時30分/JR玉造駅・改札口前
[行程] 玉造駅⇒三光神社(寿老人)⇒長久寺(福禄寿)⇒高津公園(昼食)⇒法案寺(弁財天)⇒大乗坊(毘沙門天)⇒大国主神社(大黒天)⇒今宮戎(恵比寿天)⇒四天王寺・布袋堂(布袋尊)
2024年最初の山歩会は大阪七福神巡り。幹事の金澤さんが「2024年1年間の健康と招福開運を祈願して」企画されました。
集合はJR環状線玉造駅北改札口に10時半。10時10分過ぎに金澤、吉田、大西、日野、香川、伊藤が改札口に順次姿を現わし、続いて塩崎、本間、稲葉、杉本も到着。最後に今日が初参加の大石さんが10時25分に姿を見せて、本日の参加者は総勢11人となりました。なお、同じく本日初参加を表明していた福嶋さんは、急用ができて、残念ながら、急遽、欠席となりました。
西に向かって10分ほど歩いたところで、一つめの社寺・三光神社に到着。

階段を上がると本殿があり、本殿にお参りしたあと、長寿と幸福の神・寿老神像を挟んで写真に納まりました。


寿老神の腕に触って長寿を願う杉本さん(写真撮影:伊藤さん)

関連記事:三光神社境内に立っていた「大阪七福神めぐり」の絵看板(写真撮影:伊藤さん)
三光神社で大坂城に通じると言われる「真田の抜け穴」を覗いたり、真田幸村の銅像を眺めたりしたあと、神社を出て、少しだけ南に下り、そのあと、再び西に向かって10分ほど歩いて、餌差町交差点の北西角にある円珠庵を訪ねました。
七福神関連の社寺ではありませんが、せっかく大阪の古い町並みを歩くのだからコース周辺にある隠れた名所旧跡も訪ねてみたいという金澤さんが下見時に見つけた「おまけ」の一つです。
円珠庵は江戸時代初期の和学者 契沖が晩年に隠棲した庵ですが、境内にある鎌八幡は、境内の榎に鎌を打ち込めば願いが叶うという伝えがあり、太い幹に鎌がビッシリ打ち付けられている様は異様な光景でした。
関連記事:地元密着メディア みんなのじもと>大阪府>大阪市天王寺区>天王寺のパワースポット鎌八幡(円珠庵)で鎌を打ち縁切り&縁結び
そこから10分ほど歩いて上本町4丁目交差点を越えたところで、道路沿いの阪急オアシスに立ち寄ってトイレをお借りしました。今日の行程途中には公衆トイレがあまりなく、金澤さんが下見時に苦労して見つけたのがこの阪急オアシスでした。
そこからさらに西に5分ほど歩いた谷町7丁目交差点を越えたところに二つめの社寺・長久寺があるのですが、その前に、交差点の手前で南に折れて少し行き、ガソリンスタンド脇の細い路地の奥にある近松門左衛門の墓を訪ねました。
関連記事:大阪市>くらし>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習>歴史の散歩道>上町台地北コース>54.近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)墓
関連記事:日本経済新聞>コラム(地域)>近松門左衛門の墓 本物どれ?

中は狭いので、一度に5人しか入れないとのことで、2班に分かれて入り、福徳・長寿の神・福禄寿を拝みました。
長久寺を出て、西に向かい、最初の角を左に折れるとお寺が立ち並ぶ一帯で、そこを5分ほど南に歩いたところで右に曲がると、左手に梅林がありました。
そこは高津宮に隣接する高津公園の北東側の入口で、「花の公園」と書かれた石柱が立っていて、看板には「ここは、区を代表する花の名所です」とあり、古城、南高梅、甲州小梅など9品種・約180本の梅の木が植えられているとのことでした。
関連記事:日本1000公園>1837/1000 高津公園(大阪市中央区)
まだ12時前でしたが、他に昼食をとれる場所はないとのことで、ここで昼食をとることになりました。


梅の花は、早咲きのものは咲き終わっていたものの、多くはちょうど見頃で、白や濃い紅色やピンクの色を競っていました。

昼食後、暖かな日差しの中でしばし談笑。(写真:伊藤さん)
今日が初参加の大石さんは、弁当は各自持参ではなく、休憩地で販売されている弁当をみんなで購入するのだろうと思って、家から弁当を持参しておらず、しかたなくスマホで近くにある飲食店を探し、お好み焼きの店で食事をとったとのことでした。
梅を楽しみながらゆっくりと昼食をとったあと、三つめの社寺・法案寺を目指しましたが、その前に、せっかくだからと高津宮にも立ち寄ることにしました。

高津宮は、古典落語「高津の富」や「崇徳院」の舞台として知られ、境内にはある「高津の富亭」では落語会やイベントが今も行われています。境内には、「高津の富亭」に欠かさず出演していた故・五代目桂文枝を顕彰する碑も建っていました。
高津宮を西に出て、松屋町筋をまたぎ、阪神高速1号環状線の高架下をくぐったあと右に曲がり、道頓堀川にかかる下大和橋を渡りました。橋の北詰にある顕彰碑によると、下大和橋は正徳5年(1715)に初演された近松門左衛門の『生玉心中』の中で「大和橋出見世の場」の一場面になっているとのことです。
関連記事:ぐるりん関西>下大和橋の碑
下大和橋を渡ったあと西に向かって2分ほど歩くと右手に三つ目の社寺・法案寺がありました。


法案寺を出たあと、四つめの社寺・大乗坊を目指しますが、途中に公衆トイレがなく、代わりに金澤さんが苦労して見つけたのが「DOTON PLAZA」でした。

関連記事:超高層ビル写真サイト OSAKAビル景>大阪市 DOTON PLAZA
DOTON PLAZAを出たあと、今度は南に向かい、日本橋北詰交差点、日本橋1丁目交差点を過ぎると左手に黒門市場が広がっています。
現役時代、日本橋に会社があったという大西さんは「このあたりは自分の庭みたいなもの」と昔を懐かしんでいました。
さらに南に歩いて日本橋1丁目交差点を右に曲がって西に向かい、すぐに左に曲がって少し行ったところに四つめの社寺・大乗坊がありました。

毘沙門天は金運・開運などの神ですが、日本の四大毘沙門天王像の一つである大乗坊の本尊・毘沙門天王立像は秘仏で、5月と11月の第2日曜日の年に2回のみ御開帳される、とのこと。残念ながら今回はお姿を拝見することはできませんでした。
そのあと、さらに南に下ると、道の両側にメイドカフェなどが立ち並ぶ一帯に。地下鉄堺筋線日本橋駅から恵美須町駅までの間の堺筋線(府道102号線)周辺の電気街「でんでんタウン」と、1本西側の通り「オタロード」は、東京の秋葉原と並ぶ、アニメやマンガなどポップカルチャーの聖地として賑わい、アニメグッズ、プラモデルなどの専門店やメイドカフェが建ち並んでいました。
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オタロードを通り抜けて、日本橋4丁目と5丁目の境目で西に向かい、南海電車の高架下、さらに阪神高速1号環状線の高架をくぐり、元町3丁目交差点を左に曲がって南に5分ほど歩いたところで右側に五つめの社寺・大国主神社の石の鳥居が見えてきました。

大国主は豊作の神、五穀豊穣や出世開運、縁結びなどのご利益がある、とのことです。

左が大国主神社の拝殿。右は敷津松之宮の拝殿。もともとこの地には敷津松之宮が先に建っていて、大国主神社は摂社としてあとから建てられたという経緯もあって、敷津松之宮のほうが立派なので、こちらが大国主神社と勘違いする人も多く、間違わないようにか、それぞれ「大黒様」、「氏神様」の張り紙がされていました(写真:伊藤さん)
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境内には、徳川時代に木津川の開削などにより大阪の発展に寄与した木津勘助の銅像が建てられていました。
残すところあと二社寺です。
大国主神社を出て南に下り、大国交差点を左に曲がって東に向かい、南海高野線の高架をくぐると左手に六つめの社寺・今宮戎神社の広い境内が広がっていました。

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最後の七つめの社寺・四天王寺・布袋堂まではさらに20分ほど歩かないといけないので、それが無理な人はここでリタイアすると南海高野線の今宮戎駅がすぐ近くにあるということで、どうするか、みんなの意見を聞きました。
そろそろ限界という声も聞かれましたが、まだ2時前だったこともあり、最終的に全員が最後まで行くことになりました。

(写真:伊藤さん)
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恵美須交差点からさらに東に向かい、5分ほどで阪神高速の高架をくぐり、右手に天王寺動物園や一心寺を見ながらさらに10分ほど進むと四天王寺の大鳥居が目の前に姿を現わし、奥には朱塗りの西大門(極楽門)や五重塔の姿を見ることもできました。

布袋堂は西大門の手前の右側にひっそりとたたずんでいました。

布袋堂に祀られている「乳布袋尊」にお参りをしたあと、布袋堂の前に立つ「ちち布袋尊」の石碑を囲んで「七福神巡り満願成就達成」記念の写真をとりました。
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そのあと、せっかくだからと西大門をくぐって四天王寺境内をぶらぶら散歩。ついでにお手洗いをお借りしたあと、元来た道に戻って四天王寺を出て、四天王寺前交差点を右に曲がって北に向かい、10分ほどで大阪メトロ谷町線四天王寺夕陽丘駅に着き、今日の歩行は終了。
途中、時折、強い風にも吹かれ、日陰ではかなり寒い思いもしましたが、日の当たるところでは心地よく町歩きを楽しむことができました。
玉造駅を出てから、昼食時間を入れて4時間あまり、8.5kmほどの歩行、お疲れさまでした。
地下鉄で東梅田駅まで行き、改札口で解散。今日が満80歳の誕生日で、それを祝って息子さん夫婦が準備した食事会に参加する日野さんと、所用で帰りを急ぐ本間・稲葉・吉田を除く7人は梅田駅前第3ビル地下2階の行きつけの中華料理店で反省会を行い、今日の一日を締めくくりました。

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コースは一年の健康と開運を祈願して七福神巡り。寿老人の三光神社からスタート。幸村像や真田の抜穴など、大坂の陣に思いがはせる。
その後幹事さんの先導で、次々と神々を巡る。街も巡る。神富貴長寿あり、福徳開運あり、知恵財宝あり通天閣あり…幸せのてんこ盛り。
一度にすべての御利益にあやかろうとは古人もずいぶん欲深い。だが、みなと一日おしゃべりをしながら巡る旅、本当の御利益は、そんな時間を通して繋がる人と人との関係なのだとはたと気が付く。最後の〆は四天王寺、笑門福来!
こちらのミスで弁当を忘れ、高津の梅林で昼食を食べそこねたのはご愛嬌。大阪環状線のほぼ南東四半分を巡る、大変変化に富んだ濃密な旅でした。感謝(大石 淳)
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実は4年前の2020年1月にも幹事となり、今回と同じものを計画しました。その時の下見では、日本橋のショッピングセンターに続々と中国人観光客を乗せた大型バスが入るのを見て、大阪の経済はさぞや発展するだろうと思いました。
しかし、直後に大阪でも初めてコロナ患者が発生したとのニュースが流れ、状況が一変。行動が制限され、もちろん「七福神巡り」も中止しました。それからまさか4年近くもマスク姿が常態化するとは想像もできませんでした。
そんな中、今回も年初の幹事役となり、再チャレンジの思いで「七福神巡り」を企画しました。
繁華街で道が分かりにくいのと、今回は特に全員トイレが近くなっていて、しかし街中はトイレが少ない。マーフィーの法則?「外出先で必要なときに限ってなかなか見つからない。」が心配で、トイレ確認の下見をしました。
前夜、天気予報は晴れるものの強風が吹き荒れる予想で、相当に寒そう。屋外の高津公園での昼食が心配になり、寒くてメンバーが気の毒と思い、急遽ポケットカイロを配ろうと決め準備しました。
さて、当日。家を出るときは寒かったものの、集合場所の玉造駅では陽が出て、心配した風も思ったほどではなく、ウォーキングにはちょうどいい。ラッキー!(なにせ天気も幹事の責任なのだ!?)
昼食の高津公園も日差しで暖かく、ちょうど梅が満開で、ニコニコと我々を歓迎してくれました。
10時半にスタートして、七福神を巡り、最後の四天王寺・布袋堂に2時半に到着。布袋尊に全員完歩の感謝を捧げ、全員の健康をお祈りして「大阪七福神巡り」を終了しました。
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資料:七福神信仰&大阪七福神(金澤さん作成)
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■とよなか粋遊会「すいゆう山歩会」これまでの記録
●2023(R5)年(12月:箕面山麓散歩、11月:京都・大文字山に登る、10月:千里丘陵さんぽ 千里3大公園と野外彫刻、9月:遊女塚から五色台古墳、7月:琵琶湖疏水ハイキング、6月:長岡京・花の寺 柳谷観音 楊谷寺あじさい鑑賞&西山古道ハイキング、5月:長岡京市を歩く、4月:住吉大社周遊&長居植物園散策、3月:平家の夢の跡〜街中巡り、2月:三好山(芥川山城跡)〜摂津峡ハイキング)
●2022年(12月:最明寺の滝から多田神社へ、11月:甲山森林公園散策と甲山登山、10月:奈良・春日大社〜“きたまち”を歩く、9月:西国街道大阪府茨木市豊川〜箕面市瀬川コース、8月:西国街道大阪府茨木市〜箕面市コースハイキング、7月:恩智越・信貴山朝護孫子寺コースハイキング、6月:交野山・国見山ハイキング、5月:河内源氏の故郷と王陵の谷「近つ飛鳥」、4月:有馬富士、3月:奈良・郡山城下町散策&郡山城址&佐保川桜堪能)
●2021年(12月:天王山、11月:六甲山〜有馬、10月:箕面(ウツギ谷〜谷山尾根)、9月:箕面(ハイキングビギナーコース)、7月:千里中央〜服部緑地、6月:勝尾寺街道、3月:勝尾寺参道〜ウツギ谷、2月:千里川〜尼崎市立農業公園、1月:池田五月山)
●2020年(12月:多田銀銅山遺跡、10月:ほしだ園地&星田妙見宮、9月:中山寺〜清荒神、6月:三草山、3月:弓弦羽神社〜打越山〜保久良神社、2月:猪名川土手沿い下り)
●2019年(12月:福知山線廃線敷、11月:明神山&達磨寺、9月:奈良県営馬見丘陵公園&古墳巡り、7月:鞍馬寺&貴船神社、6月:二上山、4月:大平山〜六甲最高峰、4月:繖山(きぬがさやま)〜安土城跡、2月:尼崎港〜猪名川遡行、1月:水間観音〜奥貝塚)
●2018年(12月:岩倉山、11月:柳生街道、10月:高取城址、9月:東お多福山&芦屋ロックガーデン、7月:天王山、6月:東海自然歩道散歩J(音羽山)、5月、箕面・六個山、4月:佐和山城&彦根城観桜、1月:中山寺〜清荒神)
●2017年(12月:摩耶山、11月:高御位山、10月:三上山、9月:太閤道、7月:高野山、6月:矢田寺&松尾寺、5月:竜王山、4月:舞子公園&五色台古墳、3月:河内飯盛山、1月:伏見稲荷)
●2016年(11月:岩湧山、9月:室生寺、7月:大野山(おおやさん)、5月:大和葛城山、4月:愛宕山、4月:阪神間観桜)
●2015年(12月:琵琶湖疏水、11月:能勢妙見山、10月:東海道自然歩道散歩I-2(近江神宮〜三井寺)、9月:旧福知山線廃線跡、5月:交野市ほしだ園地)
●2014年(12月:なら・太子道・後半(斑鳩〜田原本)、10月:曽爾高原、9月:なら・太子道・前半(田原本〜飛鳥)、6月:東海自然歩道散歩I(大津市)、5月:東海自然歩道散歩H(比叡山)、4月:東海自然歩道散歩G(鞍馬・大原)、3月:東海自然歩道散歩G(西賀茂・夜泣峠))
●2013年(12月:東海自然歩道散歩E(高雄・栂尾・鷹峰)、11月:東海自然歩道散歩D(嵐山・清滝・高雄)、10月:東海自然歩道散歩C(嵐山)、9月:東海自然歩道散歩B(本山寺・ポンポン山)、7月:東海自然歩道散歩A(竜王山・摂津峡)、6月:東海自然歩道散歩@(みのお明治の森))
●2012年(12月:諏訪山〜再度山〜布引、8月:伊吹山&醒ヶ井、7月:北・山の辺の道、6月:山の辺の道A、5月:山の辺の道@。3月:二上山、1月(番外):四日市・湯の山温泉・御在所岳)
●2008年〜11年(2011年11月:大野山、10月:淀川ウォークE(豊里大橋〜大阪湾)、9月:淀川ウォークD(枚方大橋〜豊里大橋)、8月:淀川ウォークC(御幸橋〜枚方大橋)、7月:淀川ウォークB(宇治橋〜御幸橋)、6月:淀川ウォークA(曽束大橋〜宇治橋)、4月:淀川ウォーク@(琵琶湖〜曽束大橋)、2010年6月:峰床山、3月:ポンポン山)、2009年11月:倶留尊(くろそ)山、9月:金剛山、7月:中山連山、5月愛宕山、2008年12月:大和葛城山、9月:六甲山、7月:蓬莱山)
男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
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●男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー 今後の予定
●これまでに行ってきた男女共同参画・男性講座・男の生き方セミナー
●2018(H30)年〜
●2017(H29)年
●2016(H28)年 ●2015(H27)年
●2014(H26)年 ●2013(H25)年
●2012(H24)年 ●2011(H23)年
●2010(H22)年 ●2009(H21)年
●2008(H20)年 ●2007(H19)年
●2006(H18)年 ●2005(H17)年
●2004(H16)年 ●2003(H15)年
●2002(H14)年 ●2001(H13)年
●2000(H12)年 ●1999(H11)年
●〜1998(H10)年
●第3次男女共同参画基本計画
(2010年12月17日閣議決定)
●男性問題を考える上での諸概念
*「男性講座」の沿革(“マーケット”の推移)
*男女共同参画社会をうながす社会・経済的な背景 *充実した人生のために必要なもの
●「人が集まる男性講座の作り方〜男たちは何を求めているのか〜」テキスト初版(2003年版)
●男女共同参画・男の生き方・吉田清彦論稿集
*「がんばらない生き方のすすめ〜会社人間から生活人間へ〜」(鳥取県男女共同参画センター「よりん彩」第23号 2007.3)
*「2007年問題」ってご存知ですか?(摂津市立男女共同参画センター・ウィズせっつ情報誌「ウィズレポート」Vol.14(2005年3月))
*「男はもっと生活力を、女はもっと経済力を」(兵庫県男女共同参画審議会 第2期委員公募原稿 2004.8)
*「とかく世間というものは――「世間」考現学」(「それいゆ」 1984.12)(3.60MB)
●関連記事
*はいじ:男性向け講座(2008.2)
●団塊いきいき倶楽部 これからは自分の人生を楽しもう!
*団塊世代の地域グループモデル―とよなか粋遊会
*(城陽市)おとこのわいわい日曜塾
●男・おひとりさまの老後の生き方指南
「ひとり住まいの健康管理〜健康で長生きするための体と心の健康法〜」(2000.2)
吉田清彦プロフィール(各種講座講師実績豊富)
E-mail:ptokei04@s5.dion.ne.jp
TEL/FAX:06-4980-1128
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